視点。論点 of 偕行社

視点 ・ 論点
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逞しい若者を作るために(大平 忠)

偕行社関係者
大平 忠

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「偕行」3月号から転載

「斬首作戦」に慌てる北の独裁者、核発射の危険性も(織田 邦男)

安全保障委員
織田 邦男(空自74期)

本記事はJBプレス(2016.3.14)の記事から転載するものである。
次々処刑される側近は効果の証だが、実行のチャンスは1度きり
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北朝鮮の核実験、事実上の長距離弾道弾ミサイル発射を受け、国連安全保障理事会は、3月3日、対北制裁決議案を全会一致で採択した。翌日、金正恩第一書記は「新型大口径放射砲」の試験発射を現地指導し、激しくこれに反発した。
 3月7日、米韓将兵約32万人が参加する米韓合同軍事演習が韓国で始まった。北朝鮮は6日の外務省報道官談話に続き、7日には国防委員会が演習を厳しく非難している。
「朴槿恵がアメリカのやつらと相槌を打って、無謀な武力増強劇を繰り広げ、『先制攻撃』まで云々しているが、これは誰が見ても馬鹿げていて愚かなことだ」
「朴槿恵の狂気は、最終的に自滅の道を促すことになるだけだ」
 北朝鮮の激しい非難は今にはじまったことではない。だが今回の特徴は、「核弾頭」「斬首作戦」に言及したことだ。

中東・アフリカで米国が実施
「国の防衛のため、実戦配備した核弾頭をいつでも打ち上げられるよう、常に準備しなければならない」「今、敵が我々の尊厳と自主権、生存権を傷つけようと発狂し、いわゆる『斬首作戦』と『体制崩壊』のような最後の賭けに出ていることからして、情勢はもはや傍観できない険悪な状況に至った」
 日本では「斬首作戦」はいまだ人口に膾炙した言葉ではない。別に刀で首を切ることではなく、独裁者やテロ指導者を直接攻撃し、排除する作戦を言う。「Decapitation Attack」の英訳であり、日本では「断頭作戦」と訳す場合もある。
 この作戦は2003年のイラク戦争、2011年のリビア内戦、あるいはシリア、イラクでのIS(イスラム国)空爆などで、米軍が既に実施している。
 クラウゼウィッツを出すまでもなく、戦争とは意思を敵に強要するための暴力行為である。あくまで暴力行為は手段であり、目的は意思の強要である。意思の強要さえできれば、暴力行為は必ずしも必要ではない。外交が血を流さない戦争と言われるゆえんである。
 戦争の勝敗は、どちらか一方が相手の意思に屈服した瞬間に決まる。屈服するかどうかを決定できる者、つまり国家意思決定者が相手の意思を受け入れることを決した時、戦争は終わる。
 独裁国家の場合、戦争の開始も終結も、独裁者の一存で決まる。であれば独裁者の意思さえ挫くことができれば、独裁国家との戦争は勝利できる。
端的に言えば、独裁者の「首」さえ取れば、余計な暴力行為を採らずとも、無用な流血を避けて勝利できる。これが「Decapitation(断頭、斬首)」作戦である。
 北朝鮮の激しい反発の背景には、今回の米韓合同演習に「斬首作戦」が入っており、攻撃目標に金正恩第一書記が含まれている事情があるからだろう。
 昨年8月、ソウルの戦争記念館で開かれた「韓国国防安全保障フォーラム」で韓国国防省のチョ・ソンホ軍構造改革推進官は、韓国軍が金正恩氏に対する「斬首作戦」を計画していることを明らかにした。
 北朝鮮軍による核兵器使用の兆候をつかんだ場合、金正恩第一書記をはじめ北朝鮮主要幹部に対する「斬首作戦」を実行する計画だという。

韓国軍も実施の計画
 チョ・ソンホ氏は「韓国軍は北朝鮮軍より相対的に優位に立つ非対称戦略として、心理戦、斬首作戦、情報優位、精密攻撃能力などを開発し活用する」とも述べている。
 これまでの戦争では、為政者の継戦意思を砕くため、まずは敵軍隊を殲滅して軍隊の無力化を企図した。奉天会戦や日本海海戦、あるいはバトル・オブ・ブリテンがこれだ。
 それでも屈服しない場合、国民や国家のインフラに対する戦略爆撃により継戦能力破砕を目論む。広島、長崎への原爆投下、あるいは東京大空襲やベルリン空襲がこれだ。
 最後には国家の指揮中枢を物理的に破壊して政治権力を麻痺、停止させ敗戦を受け入れさせる。これが従来型の戦争だった。これでは犠牲が大き過ぎるし、時間もかかりすぎる。まして核武装している独裁国家に対しては、こんな悠長なことをやっている余裕はない。
 北朝鮮は今回、「核の小型化に成功」「核による先制攻撃も辞さず」と公言した。韓国国防省は9日、「まだ北朝鮮は小型化した核弾頭は確保できていない」との見解を明らかにした。今回の「先制攻撃」も北朝鮮独特のブラフに違いない。だが、「小型化」は時間の問題だろう。
 核攻撃を未然に防ぎ、無用な流血を避けるため、北朝鮮の独裁者たる金正恩第一書記に焦点を絞り、彼個人を直接攻撃する「斬首作戦」が近い将来本当に必要になるかもしれない。
だが、この作戦はそう簡単ではない。独裁者の居場所は国家の最高機密である。当然、居場所は隠匿され、時には影武者が使われることもある。しかも頻繁に移動すれば、リアルタイムで移動場所を追跡することは不可能に近い。
 イラク戦争中の2003年4月8日、サダム・フセインに対し「斬首作戦」が敢行された。フセインがバグダッド市内のレストランで食事中という情報を得た米空軍司令官は攻撃を決断した。別の作戦に参加中の攻撃機を急遽指向させ、11分後にレストランを攻撃した。
 だが結果はフセインが既に移動した直後であり作戦は失敗に終わった。2011年のカダフィ大佐に対する「斬首作戦」も同様に失敗している。
 2006年6月に実施されたアブ・ムサブ・ザルカウィ容疑者に対する「斬首作戦」は成功した例である。ザルカウィ容疑者はウサーマ・ビン・ラーディン率いるアル=カーイダの有力な組織の領袖であり、テロリストとして国際指名手配を受けていた。彼の潜伏先を突き止めた米軍はF16戦闘機による精密誘導爆撃で死亡させた。

不可欠な側近からの情報
 精密誘導兵器はピンポイントで攻撃ができる。だが、そのためには精密な位置情報が必要となる。誤差が数メートル単位の精密誘導兵器には、数メートル単位の目標情報が必要である。
 また精密誘導兵器は、入力された目標情報を精密に攻撃する。コソボ紛争では入力情報の誤りにより中国大使館を誤爆した。入力情報を誤れば、「精密な誤爆」をするということだ。
「斬首作戦」でカギになるのはリアルタイムの精密な位置情報である。目標が移動できる人間の場合、HUMINT(Human Intelligence)、つまり人からの情報が欠かせない。先進技術を駆使した偵察衛星や無人偵察機などの情報ツールを使っても、HUMINT情報を代替できるには至っていない。影武者と本人とが区別できるほど、いまだ偵察技術は成熟していないのだ。
 では、金正恩第一書記に対する「斬首作戦」に必要なHUMINT情報はどうやって得るのか。盗聴などの手段もあるが、信頼性に乏しい。
 最終的には、金正恩の側近から情報を得るしかない。それには側近に裏切者かスパイ、通報者を置くことが必要条件となる。韓国国防省は「斬首作戦を開発し活用する」と述べているが、最大の課題はHUMINT情報の入手であろう。
「斬首作戦」の困難性は、もう1つある。金正恩が思慮分別の乏しい若者だけに、一度作戦に失敗すれば何をしでかすか分からない。失敗した攻撃が自分を標的にした「斬首作戦」だったと分かれば、核による「先制攻撃」だってやりかねない。
「斬首作戦」を実施するのであれば、必ず成功させねばならない。失敗は許されず、チャンスは一度だということだ。
 別な視点として、独裁者を除けば当該国家は安定した民主国家になるのかという根本的な問題がある。現実は決してそうでないことを、イラクやリビアが証明している。この問題は紙幅の関係上、別稿に譲りたい。
 韓国軍は非対称戦略として、「斬首作戦」以外に「心理戦、情報優位、精密攻撃能力」を挙げている。今回、「斬首作戦」を巡る北朝鮮のヒステリックな反応を見ると、ある程度「心理戦」は効を奏しているのかもしれない。
 過去、金正恩は側近を次々に粛清してきた。2013年12月、叔父に当たる張成沢を処刑した。2015年5月には玄永哲人民武力部長が処刑された。2016年2月には李永吉軍総参謀長が処刑されたと報道されている。

意外に早い核弾頭の小型化
 独裁者は往々にして、身内しか信用できず、猜疑心が高じた結果、恐怖政治を敷く。ヒトラーやスターリンもそうだった。「斬首作戦」には側近の裏切りが前提である。この「斬首作戦」を韓国軍が公言したため、金正恩の猜疑心は益々膨らみ、新たな疑心暗鬼が生じているに違いない。
 今後さらに粛清者が増えることが予想される。次は自分の番だと恐れる側近による暗殺事態も考えられよう。いずれにしろ、金王朝を内部から自壊させる「心理戦」となり得る。
 現段階では、核による「先制攻撃」はブラフだが、「斬首作戦」もブラフだろう。「心理戦」の応酬である。だが、「斬首作戦」の方が、間違いなく「心理戦」としては効果を上げている。
 核弾頭の小型化は時間の問題である。「心理戦」による「体制崩壊」が現実のものとならない場合、「弾頭の小型化」や「先制攻撃」が現実になる前に、韓国軍は「斬首作戦」能力を確実なものにする必要がある。
 残された時間はそう長くないかもしれない。


雑学 安全保障「北極圏ー新たな課題と可能性」(編纂委員会)

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「偕行」3月号から転載

求められる「タカ派」の議論を読んで(横地 光明)

横地 光明(陸士60期)

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「偕行」3月号から転載

尖閣列島防衛、やってはいけないこと、やるべきこと(織田 邦男)

安全保障委員
織田 邦男(空自74期)

本記事はJBプレス(2016.2.24)の記事から転載するものである。

安易な自衛隊投入は国の破滅、まずは海保の強化を
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2015年9月、可決成立した安全保障関連法案が3月に施行される。政府・与党は昨年、この法案を第189回通常国会の最重要法案と位置づけ、95日間という戦後最長の会期延長をしてこれに臨んだ。だが、大山鳴動のわりに本質的議論は最後まで盛り上がらなかった。
 特に奇異に感じられたのは、我が国の取り巻く安全保障情勢の議論なく、憲法論議に終始したことだ。国際情勢の議論なく、安全保障を論議する国は、世界広しといえど、日本だけだろう。また憲法論議から安全保障法制に入るのも順序が間違っている。
 最近の南シナ海における岩礁埋め立て、軍事基地化などでも明らかなように、「力による現状変更」を企てる中国に対し、我が国がどのように認識し、どう対応すればいいのか。北朝鮮の独裁政権と核、ミサイル開発に対し、いかにすれば東アジアの平和と安定は保たれるのか。このような根本的な議論はほとんど行われなかった。
 安全保障の前提となる国際情勢の議論を欠いたまま、法案が提出されても、国会の論議は深まらないし、国民の理解は得られない。まるで空腹を覚えていない人に、フランス料理のフルコースを勧めるようなもので、満腹感(拒否感)だけが先に立つ。

野党法案の大きな勘違い
 その結果が「戦争法案」「徴兵制」といった「レッテル張り」と「揚げ足取り」低劣な議論だった。
 2月19日、民主党や共産党など野党5党は、来月施行される安全保障関連法について、憲法違反であり認められないとして、法律廃止の法案を衆議院に共同で提出した。これも「国際情勢の議論なき安保法制」の後遺症に違いない。
 今回の安全保障法案を廃案にし、代替法案を提示しないということは、理屈的には、現下の国際情勢にあって、現行法制が最善と云うことになる。だが、本当にそうか。
 中国の台頭と傍若無人化、そして北朝鮮の核武装と朝鮮半島の不安定化への対応は、まさに21世紀の国際社会の課題とも言われる。最も影響を受けるのは日本である。こういう現実を直視せず、現行法制が最善とはブラックジョークとしか思えない。
 今からでも遅くはない。「廃止法案」提出を好機として、是非、国際情勢の議論を国会で一から始めてもらいたい。
 2月18日、民主党と維新の党は、領域警備法案、そして周辺事態法改正案、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案の三法を共同提出した。メディアは「昨年9月に成立した安全保障関連法の対案と位置付ける三法案」と報じている。だが、中身を一瞥する限り、断片的であり包括的な安保関連法案の「対案」とはなり得ない。
 とはいえ、安倍内閣が現行法制の「運用でカバーする」として、手をつけなかった「グレーゾーン事態」について、「領域警備法案」として法案化したことの意義は積極的に認めたい。
 この法案について、ウエブサイトで概要を次のように説明している。
 「領域警備法案は、離島などわが国の領域で武力攻撃に至らない、いわゆる『グレーゾーン事態』が生じたとき、警察機関や自衛隊が適切な役割分担のもとで迅速な対応を可能とするためのもの。海上保安庁が平素から行う警備を補完する必要がある場合に自衛隊が海上警備準備行動を行うことや、領域警備区域を定めた上で、その区域内で治安出動や海上警備行動等に該当する事態が発生した場合には、あらためて個別の閣議決定を要せずに、迅速にこれらの行動が下令できるようにすること等を定めている」
 この法案を読んで2つの懸念が浮んだ。

先に自衛隊投入は中国の思う壺
 1つ目は、グレーゾーン事態における自衛隊の投入を安易に考えているのではないかという懸念である。
 グレーゾーン事態とは、例えば漁民に扮した武装民兵が尖閣諸島周辺の領海を侵犯したり、上陸を企て占拠したような事態だ。つまり、「警察事態か防衛事態か」「犯罪か侵略か」が明確でなく、「法執行か自衛権行使か」「武器の使用か、武力行使か」に迷う事態である。
 このような事態に対し領域警備法案では、まずは法執行機関として海上保安庁や警察が対応する。それで対応できない場合、自衛隊が海上警備行動、あるいは治安出動を根拠に投入されるという構想である。この考え方は、基本的には安倍政権の考え方と同じである。
 だが筆者は、与野党問わず、自衛隊の投入自体の考え方が、そもそも安易すぎるのではと懸念している。自衛隊は国際的には軍隊である。軍隊は最後の手段であり、軽々に投入すべきではない。しかも、海上警備行動、治安出動は「警察権」の行使であり、法執行の補完である。従って投入される自衛隊の権限も警察権行使に縛られる。
 米国の連邦軍も領域内での法執行は米国憲法で禁止されているように、最後の手段としての自衛隊は、基本的には法執行には投入すべきではない。軍とは国内法が及ばないところで活動する武力組織なのだ。
 ギリギリまで、つまり相手が正規の軍隊を投入し、自衛権行使の必要性が出てくるまでは自衛隊は出動させるべきではないし、またしてはならない。まして警察権行使に限定という手足を縛ったまま自衛隊を投入することなぞ、百害あって一利なしである。
 尖閣諸島をめぐる小競り合いで、先に自衛隊を出すことは中国に口実を与えるだけであり、中国の思う壺でもある。中国の戦略の基本は「不戦屈敵」、つまり「戦わずして勝つ」である。「三戦」(心理戦、世論戦、法律戦)を巧みに駆使し、徐々に既成事実化を狙う「サラミ・スライス戦略」を採っている。
 中国は実力を行使する場合でも、相手が軍を投入しない限り、軍の投入は控え、海警局の公船や漁船員を装った武装民兵などを使う。軍隊を使わない準軍事的作戦であるため、米国ではこれをPOSOW(Paramilitary Operations Short of War)と呼んでいる。
 今のところ中国は、米国とは戦っても負けるため、米国とだけはことを構えようとはしない。米国が「尖閣は安保条約5条の対象」と言う限り、中国は海警局の公船や武装民兵を投入することはあっても、先に人民解放軍を投入することはしない。
 海警や民兵の挑発行為に対し、仮に海上保安庁では手に負えないからといって、先に自衛隊を投入すれば、この時とばかりに「世論戦」を行使するに違いない。「日本軍の先制攻撃に対する自衛のため、やむを得ず人民解放軍を投入」という「世論戦」には、国際社会でシンパシーを生むかもしれない。

まずは海保の強化を
 これに同情する米国世論が高まれば、日米同盟が機能しなくなることも十分あり得る。中国の高官は「我々にとって最良の日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に機能しないことだ」といっている。そうなれば中国の思う壺である。米軍なしの「ガチンコ勝負」では日本に勝ち目はない。当然、中国はその機会を狙っている。
 では、海警や民兵の行動が、海保の能力を超える場合はどうするのだ。自衛隊を投入しないで「海保を見殺しにするのか」というのが2つ目の懸念事項だ。筆者の主張は、まずは海保の強化を図るべきということだ。だが、今回の領域警備法では海保の任務や能力強化については全く触れられていない。
 中国はPOSOW遂行のため、海警局の公船を充実、増強している。公船とはいえ、ほとんど軍艦に近い。既に1万2000トンの公船を建造中であり、ドイツから既に8隻分のエンジンを調達しているという。公船とはいえ79ミリ機関砲で武装している。他方、海保の巡視艇の火力は20ミリと30ミリのみである。
 海保はこれまで、少人数で事実上の「領域警備」任務を涙ぐましい努力で遂行してきた。国民の1人として心から感謝と敬意を表したい。だが、法的には「領域警備」は海保の任務ではないことを知る国民は少ない。
 海保の任務は海上保安庁法第二条に次のように定められている。
 「海上保安庁は、法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染等の防止、海上における船舶の航行の秩序の維持、海上における犯罪の予防及び鎖圧、海上における犯人の捜査及び逮捕、海上における船舶交通に関する規制、水路、航路標識に関する事務その他海上の安全の確保に関する事務並びにこれらに附帯する事項に関する事務を行うことにより、海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする」
 このように海保の任務は「海上の安全」と「治安の維持」であり、主権防護の意味合いの強い「領域警備」の任務は厳密に言えば付与されていない。にもかかわらず、日夜涙ぐましい努力をしながら、事実上の「領域警備」にあたっているのだ。
 2010年、中国漁船(民兵とも言わている)が海保巡視艇に体当たりした。船長を逮捕、拘束したものの、処分保留で送還という苦い体験をした。これ以降、海保は尖閣諸島専従部隊12隻、約600人体制という少数精鋭で日夜、「領域警備」にあたっている。
 「領域警備」は最も蓋然性が高く、かつ必要性があるにもかかわらず、安保関連法案では触れられなかった。早急な整備が求められるところである。その際、自衛隊投入に関する規定より、まずは海保の任務を是正し、装備、能力ともに強化することを優先すべきである。
 今回の「領域警備法案」には、この観点は全くない。せっかくの「領域警備法案」が画龍天晴を欠くものになっているのは極めて残念である。

世界標準とかけ離れた海保
 世界の沿岸警備隊(コーストガード)は軍に次ぐ準軍事組織として位置づけられている。米国沿岸警備隊は国土安全保障省の傘下にあり、連邦の法執行機関である。同時に領域警備および捜索救難等を任務にし、米国の第5の軍として位置づけられる。
 「海上の安全、治安の維持」はもちろんのこと、領域警備、臨検活動、船団護衛などの任務も遂行している。保有する船舶は76ミリ砲やCIWS(Close In Weapon System)などを装備し、船体構造も抗堪性の高い軍艦構造(海保の場合、商船構造)となっている。
 日本の海上保安庁の場合、1948年、マッカーサー占領下で創設されたため、再軍備ととられぬよう、あえて、海上保安庁法第25条により軍隊としての活動を認めていない。従って準軍事組織として運営されている他国のコーストガードとは法制上は一線を画している。
 海保の保安官も、あえて軍隊ではないことに誇りを感じている人もいるという。それはそれで結構であるが、事実上、任務の拡大解釈によって「領域警備」を涙ぐましい努力で実施しているのであれば、政治は現実を直視し、法律を整え、装備を充実させ、任務を完遂できるようにしなければならない。
 自衛隊法80条により有事の際は、海保組織の全部または一部を防衛大臣の指揮下に置くことを認めている。だが、グレーゾーン事態は防衛出動前の「平時」の事態なのである。
 海警局の公船や武装民兵を相手にしても、自衛隊を出動させず、独自で対応できるよう海保を強化することが喫緊の課題として求められている。切れ目なくグレーゾーン事態に対応するには、海保の任務遂行能力強化を前提とした「領域警備法案」こそ規定すべきなのだ。
誤解を避けるため、あえて言うが、グレーゾーン事態で自衛隊が行動できる法改正が必要でないと言っているわけではない。グレーゾーン事態のように武力攻撃事態ではないが、自衛権の行使が必要になる場合(これまで「マイナー自衛権」と言っていた)、状況によっては間髪を入れず自衛権を行使(警察権ではない)できるようにしておくことは欠かせない。
 その態勢を整えたうえで、最後の最後まで自衛隊を投入しないことが重要なのだ。それこそが紛争を抑止し、事態の悪化や拡大防止の最善の策となる。
 ちなみに「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告では、「マイナー自衛権」という言葉は「国際法上未確立。国連憲章51条の自衛権の観念を拡張させていたるとの批判を招きかねない」として使用しないとした。
 その一方で「各種の事態に応じた均衡のとれた実力の行使も含む切れ目のない対応を可能とする法制度について、国際法上許容される範囲で、その中で充実させていく必要がある」と法整備の必要性を明記している。

海上警備行動に自衛隊は間違い
 この法整備をしないまま、「警察権」行使だからといって安易に自衛隊を出動させるのは避けるべきである。それこそ将来に禍根を残すことになりかねない。これは「運用でカバーする」とした安倍晋三政権の課題でもある。
 菅義偉官房長官は12日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国軍艦が侵入した場合、海上警備行動を発令して自衛隊の艦船を派遣する可能性があるとの認識を示した。政府は既にこうした方針を中国側に伝達したという。
 「軍には軍を」ということは国際的な常識である。今回の措置は抑止力にもなるだろう。だが、「海上警備行動」を根拠にするのはいただけない。
 「外国軍」に対し、国内の「警察権」は通用しない。手足を縛られて苦労するのは海上自衛隊である。だが、現実的には「海上警備行動」しか根拠がないのも事実である。まさに政治の怠慢がここにある。
 民主党と維新の党の良識ある議員たちによって、「領域警備法案」が提出された。いまだ不十分な内容ではあるものの、与党はこれを無視するのではなく、これを奇貨として議論を進め、安保関連法案の穴を埋めてもらいたい。

サイバー領域における国際秩序の構築(田中達浩)

安全保障委員会委員
田中 達浩(陸自75期)

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「偕行」2月号から転載

自衛官の処遇は、与えられた任務にふさわしいか?(光田 隆至)

光田 隆至(陸自64期)

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「偕行」2月号から転載

今上陛下の戦没者慰霊巡幸(椎原 晩聲)

椎原 晩聲(空自60期)

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「偕行」2月号から転載

雑学 安全保障「危うい韓国のバランス外交」

編纂委員会
井上 廣司(陸自72期)

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「偕行」2月号から転載

偕行現代考「憲法改正のため私たちがなすべきこと」(中埜 和男)

中埜 和男(陸自66期)

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「偕行」1月号から転載

戦後70年、「時代考証」を考える(大東 信祐)

近現代史研究委員会
大東 信祐(陸自57期)

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「偕行」1月号から転載

雑学 安全保障「南シナ海領有権問題」(編纂委員会)

偕行社編纂委員会
井上 廣司(陸自72期)

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「偕行」1月号から転載

求められる「タカ派」の議論(冨澤 暉)

偕行社副理事長
冨澤 暉(陸自60期)

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「偕行」1月号から転載

偕行現代考「我々はなぜ英霊を追悼するのか(喜田 邦彦)

偕行社編集委員
喜田 邦彦(陸自66期)

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「偕行」12月号から転載

偕行現代考「TPPと農業政策」(編纂委員会)

偕行社編纂委員会
井上 廣司(陸自72期)

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「偕行」12月号から転載

偕行現代考「国(官僚)の仕事」(編纂委員会)

偕行社編纂委員会
井上 廣司(陸自72期)

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「偕行」11月号から転載

雑学安全保障 サイバーテロ入門(編纂委員会)

偕行社編纂委員会
井上 廣司(陸自72期)

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「偕行」11月号から転載

偕行現代考「OBの「徴兵制否定」発言は間違っていないか?」(編纂委員会)

偕行社編纂委員会
喜田 邦彦(陸自66期)

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「偕行」11月号から転載

日本の平和を守り、世界の平和に貢献する「平和安全法制」(佐藤 正久)

参議院外交防衛委員会筆頭理事
佐藤 正久(陸自83期)

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「偕行」11月号から転載

ペリリュー島の作戦・戦闘について(松田 純清)

近現代史研究委員会
松田 純清(陸自63期)

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「偕行」10月号から転載

雑学 安全保障【国連平和維持活動(PKO)の問題点と課題」(編纂委員会)

偕行社編纂委員会

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「偕行」10月号から転載

島田市の危機管理監に聞く地方都市の危機管理(喜田 邦彦)

偕行社編集委員
喜田 邦彦(陸自66期)

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「偕行」10月号から転載

「新安保法制の残したもの」冨澤副理事長に聞く(編集委員長)

偕行社編集委員長
井上 廣司(陸自72)

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「偕行」10月号から転載

米国の最優先課題は中国、ロシアの挑発に乗るな!(渡部 悦和)

偕行社安全保障委員
渡辺 悦和(陸自78期)

以下の論考は渡部氏が27.10.19、JBプレスに発表した論考で転載する。

プーチン大統領のシリア空爆は派手だが長続きしない
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ロシアが米国の支援するシリア反政府勢力を標的に空爆を繰り返し、米国の中東政策を台無しにしている。この状況は米国のテレビ番組で頻繁に放映され、ウラジーミル・プーチン大統領の決断力やロシアの作戦に対する驚きと関心の高さを示唆している。
 また、アジアでは中国が南シナ海において人工島を建設し、軍事化の動きを進めているし、中国によるサイバー戦の脅威も深刻である。
 かかる状況において、バラク・オバマ大統領の対外政策に対する厳しい批判は米国内のみならず、米国の同盟国や友好国からも聞こえてくる。
 果断なプーチン氏との対比においてオバマ氏は弱い指導者だと批判されやすい。その批判の一部は適切かもしれないが、彼らのオバマ氏批判の多くは的外れであり、もっと冷静で戦略的な議論が必要である。
 本稿においては特に以下の3点を指摘したい。まず、米国には世界の諸問題すべてを解決する能力はないし、それを米国に要求することは酷である。
 第2に、ロシアのシリアでの軍事活動は、一時的に米国の面目をつぶす形になったが、プーチン大統領による軍事力の行使は、ロシアの国益に基づく冷静な判断ではなく、冷戦終結後に米国をはじめとする西側諸国から受けてきた屈辱を晴らし、ロシアが大国であることを世界に示したいという感情に基づく不適切な判断である。
 航空機や攻撃ヘリに対する兵站の困難さ、反政府ゲリラによる反撃と相まって、いずれ失敗するであろう。米国内では、お手並み拝見という意見が一定の支持を得ている。
 第3に、いずれの国の対外政策も、国益に基づく優先順位に基づいて戦略的に遂行されるべきものであるが、オバマ大統領はそれを守っているので、慎重な対外政策と評価されやすい。
 米国の対アジア太平洋重視という決定は米国の死活的に重要な国益に基づいている。シリアを含む中東の優先順位およびウクライナを巡る欧州の優先順位は、米国の国益の観点で評価すると低く、中国への対処を最優先にすべきである。

米国は万能なスーパーパワーではない
 米国はもはや世界のあらゆる問題を解決できる万能なスーパーパワーではないという事実を忘れてはいけない。米国単独では諸問題の解決は難しく、世界中の協力が不可欠である。
 しかし、多くのオバマ大統領批判論者の主張を聞いていると、「米国は、すべてに対処せよ。アジアの中国にも、中東のイスラム国にも、ウクライナやシリアで軍事行動を繰り返すロシアにも対処せよ。それも言葉ではなく強い行動で対処せよ」と言っているに等しい。
この主張はあまりに米国の力を過大評価しているし、外交政策が国益に基づく優先順位で実行されることを忘れており、強い行動が軍事力の行使を示唆している。とても評価できる批判ではない。
 オバマ政権の外交政策は、ジョージ・Wブッシュ元大統領が無謀にも引き起こした2003年のイラク戦争をはじめとする米国の対テロ戦争の失敗を教訓にしている。
 イラク戦争が示した現実は、米国には軍事力で他国の政権を崩壊させる力はあるが、ブッシュ氏が目指した自由と民主主義を中東に強制することもできないし、破壊した国家を再建させる力もないという事実である。
 そして、イラク戦争こそパンドラの箱であり、その箱から、現在の邪悪なイスラム国の台頭、アラブの混乱(当初はアラブの春と言われていたが実態はアラブの地獄である)、シリアやイラクからの大量の避難民が発生したのである。

オバマ大統領の対外政策の特色
 前述の反省を基にしたオバマ氏の対外政策は慎重であり、極力軍事力の使用を避ける、やむを得ざる場合には空軍戦力と海軍戦力を使用する。地上戦力の使用は最後の最後まで避けている。
 そもそも、オバマ氏は、大統領就任以来、外交よりも主として内政に焦点を当ててきたが、彼の外交政策は、第1にジョージ・Wブッシュ氏が始めたイラク戦争とアフガニスタン戦争を終結させることであり、新たな戦争を始めないことである。
 第2に世界経済を安定させるために多国間の努力をリードすることであり、米国の経済を復活させることであった*1。
 私はオバマ氏の対外政策そのものは適切であると思っている。何よりも過半数以上の米国人が彼のイラクおよびアフガニスタンからの撤退を支持している。しかし、多くの批判者が主張するように、その政策を実行する際における断固たる態度・信念・情熱に欠ける点などは問題である。
 また、「地上部隊を投入しない」「米国の手段や能力を越えた資源の投入をしない」「米国はパートナーなしには単独でやらない」と否定形で語り、かつあまりにも早くに正直に本音を語り、手の内を相手に見せてしまう点も批判されている。
 過早に手の内を明かすことにより、相手(ロシア、中国、イスラム国)から見くびられ、その後の米国各省庁の仕事を困難にしていると言われている。
一方、オバマ氏の対外政策を観察していると、大統領や議会が戦争を選択するか否かを決定する際に自らに問うべき8つの原則を守っているように思えてならない。この8つの原則はコリン・パウエル元統合参謀本部議長・元国務長官の意思決定の原理であり、8つの原則のうちの1つでも引っかかれば戦争を選択してはいけない。

1 死活的に重要な国家安全保障上の利益が脅威を受けているか?
2 明確で達成可能な目標を持っているか?
3 リスクとコストは十分かつ率直に分析されたか?
4 非暴力的な手段はすべて完全に試し尽くされたか?
5 終わりなき介入を避けるために妥当な出口戦略はあるか?
6 米国の行動の結果は十分に考慮されたか?
7 行動は米国民から支持されているか?
8 世界から広範囲な心からの支持を獲得しているか?

 ちなみに、ジョージ・W・ブッシュ氏が決定したイラク戦争は見事に8つの原則すべてをクリアしていない。オバマ氏の軍事力の使用に慎重な姿勢はこの8原則にあると私は思っている。彼の判断として、中東は米国にとって死活的に重要な国益ではないし、地上戦力を投入する際の出口戦略を見出せないし、国民の支持も得られないのである。
 現在の世界の混乱をオバマ氏1人の責任にするのは適切ではない。ある国の問題は最終的にその国民しか責任が持てないのであり、イラクの問題はイラク国民が、シリアの問題はシリア国民しか責任を持てないのである。イスラム国との闘いの最終責任者もイラク国民であり、シリア国民であり、米国民ではない。

オフショア・バランシングが米国の中東戦略
 シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授によると、そもそもイラク戦争以前(特に冷戦間)の米国の中東における伝統的な戦略はオフショア・バランシング(Offshore Balancing)であり、その戦略は上手く機能してきた*2。
 オフショア・バランシングにおいては、中東の秩序をイラン、イラク、イスラエル、サウジアラビアによるバランス・オブ・パワー(当事国間の牽制、相互の抑止)に任せ、米国は軍事力を直接的に中東に配置することなく、オフショア(中東から離れた場所、例えば米本土)から主として外交的に関与する。
 中東のバランス・オブ・パワーが崩れ、米国の死活的に重要な国益が損なわれる時にのみ軍事的に関与をする。関与する際には弱い国を助け、バランスを保つことを原則とする。
 例えば1990年のイラクのクウェート侵攻に際しては、軍事力をもって介入しイラク軍を撃破し、クウェートから撤退させたのが典型例である。
中東におけるオフショア・バランシングの利点は、費用対効果に優れている点である。中東の当事国にバランス・オブ・パワーを任せることにより、米国の負担を軽減することができるし、中東に米軍を直接配置しないことにより中東諸国の反感を買うことなく、テロなどの危険性もない。非常に実績のある戦略であった。
 しかし、このオフショア・バランシングを放棄し、中東におけるバランスを崩してしまったのがジョージ・Wブッシュ氏によるイラク侵攻によるサダム・フセイン政権の崩壊および米国によるイラク国家再建の失敗である。
 イラクという有力なバランサーをなくしてしまったことにより中東におけるバランス・オブ・パワーが崩れてしまったのである。崩れたバランスの空白をついてイスラム国などの過激暴力集団が活発に活動することになったのである。
 実はオバマ大統領の中東における戦略はオフショア・バランシングに極めて近い。オバマ氏自身はオフショア・バランシングという言葉は使っていないが、それに近い戦略を採用している。

プーチン大統領の一時の栄光といずれ来る挫折
 喧嘩慣れしたプーチン大統領によるクリミア併合とウクライナ東部への侵攻、そして今回のシリアでの空爆そしてカスピ海からの巡航ミサイル攻撃は、米国の虚を突くものであったかもしれない。
 かなりの人がプーチン大統領は優れた戦略家であると評価するが、私はそうは思わない。確かに彼は、リスクを取ることのできる決断力のある指導者ではある。
 しかし、ウクライナ正面での紛争が終了していないにもかかわらず、また欧米諸国の経済制裁および低迷する原油価格による経済危機の状況において、新たな戦端を中東シリアにおいて開いてしまった。
 経済危機状況下における2正面作戦が成功裏に終了するとは思えない。確かに今回のロシア軍のシリア派遣と空爆等の実施は、オバマ氏を窮地に追い込んだかのように見える。一時的にオバマ氏の鼻を明かしたとしても、最終的にはシリアでの作戦は失敗に終わるであろう*3。
 彼の軍事力の派遣とその行使の根底には欧米諸国に対する恨み・復讐心がある。ロシアが世界の大国であり、ロシアは無視されるべき存在ではないという叫びがあり、ロシアのナショナリズムがあり、ロシアのプライドがある。
 この極めて人間的な感情で軍事力の派遣や行使を決定することがプーチン氏の対外政策の根幹にある。だから彼は優れた戦術家であっても、優れた戦略家ではないと思うのである。
すでに述べたように軍事行動を開始する際には自国の死活的に重要な国益に適っているか、明確な目標があるか、出口戦略はあるかなどを徹底的に分析しなければいけない。
 シリアのアサド大統領を助けることがロシアの死活的に重要な国益だとは思えないし、明確な出口戦略があるとも思えない。
 容易に想像できることは、航空攻撃のみでは反政府勢力を打倒することはできないし、地上戦力を投入すれば米軍が経験したと同様の損害を被るであろう。だから米国内では「ロシアが中東で作戦したいのであればさせておけ、どうせ失敗するから」という冷めた意見も一定の支持を得ているのである。

米国の対処すべき最優先国家は中国である
 中国もロシアも米国の秩序に正面から挑戦し、自らの主導する秩序を構築しようとしている。プーチン大統領がそうであったように習近平主席の「中国の夢」、「中華民族の偉大な復興」の根底にも日本や欧米諸国に対する恩讐やナショナリズムがある。
 ロシアは、その経済的苦境にもかかわらず2正面作戦を遂行するという愚を犯したために、その攻勢は一時的であろう。しかし、中国は最も警戒すべき国である。
 中国のサラミスライス戦術*4によるアジア覇権の追求は厄介であり、中国の経済的発展が継続すれば対応が益々難しくなっていく。従って、米国そして日本が対処すべき最優先国家は中国であり、ロシアではない。
 マイケル・オースリン*5は、10月8日付けのWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)に投稿し、オバマ大統領の対外政策を批判し、「オバマ氏の指導力に欠けた外交政策と信念の欠如から生じる結果を、もはや無視することはできない」と指摘し、中東のロシアにもアジアの中国にも断固として対応すべきであると主張している。
 中国およびロシアに優先順位をつけることなく両国に強く対処すべきであるという主張であるが、私の意見は違う。
 中長期的な中国の国力の増強およびロシアには既に経済制裁を加えていることを考慮し、最優先で対処すべき国は中国であるというのが私の主張である。日本と米国のバイタルな国益を損なう可能性のある国は中国である。
オースリンは、次のように主張しているが正論である。
 「オバマ氏は現在、困難な選択に直面している。同氏は重要な紛争地域で世界秩序の浸食が進むのを黙認することができるし、安定を強化するために行動することもできる。どちらの道に進んでもリスクが伴うが、行動しなければ攻撃的なエスカレーションが継続する可能性は非常に高くなる」
 「中国に南シナ海の人工島を軍事化させ、同国が主張する新たな(そして偽りの)領海の内部に米海軍が入り込むのを控えれば、中国政府がさらに広範な主張をする前例作りをお膳立てすることになる。中国政府は恐らく、スプラトリー諸島(南沙諸島)上空に防空識別圏の設定を宣言し、強制執行するかもしれない。同盟諸国が米国の介入を懇願する中で米国が傍観者になっていれば、事態が急速に管理不能になってしまう可能性もある」
 私は南シナ海のみならず尖閣諸島を含む南西諸島にも強く対応すべきだと思うし、中国の不法なサイバー戦にも断固として対応すべきであることを付加する。

仏国強襲揚陸艦の対露輸出中止(乾 一宇)

偕行社会員
乾 一宇(陸自62期)

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「偕行」9月号から転載

中国脅威論が台頭する米国、有名大学には空前の寄付金(渡部 悦和)

偕行社安全保障委員
渡辺 悦和(陸自78期)

以下の論考は渡部氏が27.10.7、JBプレスに発表した論考で転載する。

またも同じ間違いを繰り返した米中首脳会談
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中国の習近平国家主席が米国を公式訪問したが、中国側にとってはローマ法王の訪米と重なる最悪のタイミングであったし、対立が顕著であった米中首脳会談を経て極めて気まずい訪問となったと思う。
 中国側は、習主席の訪米のタイミングがローマ法王の米国訪問と重なることにかねて懸念を示していたが、その懸念通りになってしまった。
 米国のマスメディア特にCNNなどのテレビ局は終日ローマ法王のワシントンDC、ニューヨーク訪問を報道し、習主席の米国訪問はほとんど報道されなかった。米国民にとってローマ法王の存在感に比し習主席の存在感はなきに等しい状況なのである。
 首脳会談全体の評価については厳しい論評が米国においても日本においても多いと思う。外交的に合意を演出して見せたが、合意事項の今後の実行に関しては疑問が残るという評価であろう。
 バラク・オバマ政権は中国の国家ぐるみのサイバー作戦に対して事前に経済制裁をちらつかせるなど従来に比し厳しく対応する姿勢を見せた。
 8月末にスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官を中国に派遣し、米国企業に対しサイバー戦により情報を窃取した中国企業25社を経済制裁の対象であることを通告したという情報もある*1。
 しかし、結果的には制裁は表明されなかった。また、南シナ海における中国の人工島建設についても米中の主張が対立したまま実質的な成果がなかった。オバマ大統領は、米国の国益を毀損する中国の不当な言動に対して断固たる姿勢を示すことができないという過去何回も犯してきた同じ間違いを繰り返してしまった。
 オバマ政権は、政権誕生以来6年以上にわたり「中国の平和的台頭を期待する」と言ってきた。しかし、中国の現実は、東シナ海や南シナ海における不法な活動、米国などに仕かける不法なサイバー戦などで明らかな様に決して平和的な台頭ではなく強圧的な台頭であった。
 オバマ大統領は、首脳会談の前に、「米中の対立が不可避であるとは思わない」と発言したが、「米中の対立は不可避である」と私は思う。
 米国で生活していると、米国内には中国をいかに認識し対処するかに関し多様な意見があることを実感する。米国内の対中認識に関しては3つのグループに分けると理解しやすい。
 第1のグループは、中国の横暴な現実に直面しても主張を変えず、「中国との対話を重視し、中国を国際社会のルールを守り世界の諸問題の解決に貢献する国家に導くべきだ」という意見である。
 第2のグループは、かつては中国との対話を重視したが、中国の現実に接して自分たちの対中国認識が間違っていたと反省し、中国に対して厳しく対応すべきであると主張を変えた人たちである。
 第3のグループは、昔から一貫して中国の覇権主義的な本質を理解し「中国の台頭は強圧的になる」と主張してきた人々である。
 ここボストンではハーバード大学を中心として第1グループに該当する教授たちが多い。一方、ワシントンDCのシンクタンクの研究者の中には第2のグループに該当する人達が相当数いる。国防省の職員や軍人には第3グループに該当する人たちが多い。
 最近の全般的な傾向としては、中国に対してより厳しい姿勢で対応すべきだと主張する人たちが多くなってきたと思う。
 オバマ大統領は、中国に対して寛容な指導者であり、第1グループに該当する。そのため、国内外の多くの人々から「中国の本質を理解しない、中国に対して弱い大統領である」と批判されてきたのである。
 今回の米中首脳会談を観察すると、さすがのオバマ大統領も習近平主席が率いる中国の横暴ぶりを少しは認識したのではないか。もしそうであるとすれば、その認識の変化が今回の米中首脳会談の最大の成果であろう。
 しかし、オバマ大統領の残り任期は1年3か月ばかりであり、対中認識の変更は遅きに失した。オバマ氏の次の大統領に期待するしかないと思う人は米国のみならず、アジア太平洋地域の同盟国や友好国にも多いのではなかろうか。
 本稿においては、米中首脳会談についてサイバー戦と人工島問題に絞って評価するとともに、問題となっている米国の対中認識について代表的な意見を紹介し、「米中の対立は不可避である」ことを結論とする。

1 米中首脳会談の主要な合意事項と疑問
 今回の首脳会談における主要な合意事項に関しては、米中投資協定交渉の加速や気候変動に関し途上国向け金融支援の表明などの合意があるが、米国で最も注目されたサイバー・セキュリティ分野での合意や南シナ海における人工島建設問題での合意に関しては様々な問題点があるので以下で説明する。

(1)サイバー・セキュリティ分野での合意と疑問
 今回の首脳会談における最大の対立点の1つがサイバー・セキュリティであることをオバマ政権は様々なチャンネルを通じて中国側に伝達してきた。米国企業に対するサイバー犯罪を繰り返す中国企業に対する経済制裁をちらつかせてもいた。
 そしてこの分野における合意事項も発表されたが、いずれの合意事項もオバマ大統領が発言したように「今回の合意は一歩前進だが、我々の仕事は終わっていない」のである。
 結論的に言えば、中国はこの合意を守らないであろう。中国経済の発展や軍事力の増強はサイバー戦などで窃取した情報や技術に負うところが大きかったからである。中国経済の変調が明らかになった今、米国をはじめとする外国企業などからの技術情報の窃取なくして中国経済の発展は容易でないからである。
 ホワイトハウスの発表文の「サイバー・セキュリティ」の合意内容は以下の通りであるが、合意内容を子細に点検すると抜け穴が多いことに気づく。
●サイバー犯罪などに関し、「それぞれの国内法および関係する国際的な責務に従って協力する」と記述されている。下線部が問題で中国は中国の国内法に基づき協力することになるが、この記述は実質的に「中国は自国に不利益になるような協力はしない」ということを意味する。
●米中両国政府は、サイバー作戦による知的財産(貿易上の秘密やその他のビジネス上の秘密を含む)の窃取の実行や支援をしないことに合意した。しかし、この合意は守られないであろうという意見が多い。
 中国の過去のサイバー作戦は国家ぐるみで実施してきたが、習主席が発言したように、「13億の国民をコントロールするのは難しい」とサイバーによる窃取を個人の責任にし、「中国政府は関与していない」と言い逃れることができる。
●「2015年7月の国連情報と通信分野における政府専門グループの報告書を歓迎する」と記述されているが、これは中国の従来からの主張であるサイバー作戦に関しては国連における合意を追求すべきであるという主張に符合し、その本音は国連の合意や決議は有名無実化することが容易である点にある。
●サイバー犯罪などと戦う「ハイレベルな統合対話メカニズム(high-level joint dialogue mechanism)」を設置することに合意し年間2回協議するとしている。しかし、現在存在する実務者レベルのサイバー戦に関する対話枠組みに中国は極めて消極的な対応しかしてこなかった。
 残り1年3か月余りしかないオバマ政権と中国側が真剣に協議するとは思えない、ハイレベルなメカニズムは中国側の時間稼ぎの手段となろう。
 以上を総括すると、米中対話により合意されたとする内容はいずれも問題を抱えていて、将来に期待の持てる合意ではない。米中が決定的な対立に陥ることを避けた妥協の産物であり、またもやオバマ政権はサイバー戦分野において断固たる決定打を放つことができなかった。
 一連のオバマ政権の対応を観察していると、交渉相手に見くびられても仕方のない脆弱さを感じるのである。

(2)南シナ海における人工島建設問題
 米中の軍用機の偶発衝突事故を回避するための行動規範で合意したとあるが、過去にもこのような行動規範で合意しているが、中国軍機による危険な接近飛行がしばしば報告されている。合意した行動規範を末端のパイロットまで徹底できるか否かが重要である。
 習主席は、人工島建設の問題で人工島を軍事化しない(No Militarization)と初めて公に明らかにした。しかし、彼の発言が実際の人工島の活動に効力を発揮するか否かは疑問である。
 彼の発言は、彼の部下たちがジョン・ケリー国務長官らに言ってきたことと同じだからである。中国は従来から、「海洋の安全、気象のモニター、それに従事する者の生活環境の向上のための設備だ」と主張している。
 しかし、IHSジェーン・ディフェンス・ウィークリーによるとファイアー・クロス・リーフ(Fiery Cross Reef)の人工島の2マイルの滑走路は完成し、ヘリパッドも設置されている。航空機によるパトロールの可能性を指摘している。
 No Militarizationの定義を明確にすべきである。人工島で戦闘機を使わないことか、ミサイルを配備しないことか、港を軍港化しないことなのか、防空識別区を設定しないのかなどの質問に答える必要がある。
 この人工島問題に関連して、有力なシンクタンクであるCNAS(Center for a New American Security)の研究員であるパトリック・クローニン(Patrick Cronin)*2氏の米国下院外交委員会アジア小委員会における証言「南シナ海における米国の安全保障上の役割」は参考になる。
 彼は中国を極めて冷静かつ緻密に分析する研究者であり、その証言で「アジアにおける海洋の緊張は増大するし、継続するであろう。中国はスローモーション覇権(長い時間をかけて獲得する覇権:slow-motion hegemony*3)を南シナ海全域で達成するだろう」と主張している。彼の証言の要約を紹介しておく。

「南シナ海における米国の安全保障上の役割」(要旨)
●数年前から、南シナ海における熾烈な競争の時代に入った。
●アジアにおける海洋の緊張は増大するし、継続するであろう。しかし、その緊張関係は軍事紛争には至らない状態で推移すると思われる。
●米中間で大きな交渉の成果や戦略的な和解が求められるが、米国は、次期政権に至るまで、「戦争と平和の間の不確かな中間の道(the messy middle ground between war and peace)」を航海するであろう。
●南シナ海における競争の主要な要因は、「21世紀における主要なグローバル・パワーの地位を確保する」という中国の目標と、その目標達成の過程で、近隣国や隣接海域においてその影響力を拡大しようとする中国の能力と願望である。
●南シナ海は単なる岩、岩礁、資源の問題だけではなく、世界経済と強く結びついている。すべての海洋パワーは南シナ海に依存している。
●ルールと秩序がアジアと南シナ海における米国の国益の中心(the heart of America’s interest)。
●中国は戦略的地位を高めるため、サラミ・スライス戦術を採用し、エスカレーションを避けながら、現状を徐々に変更している。
●南シナ海における島の建設は、国際法に基づき南シナ海を統治することなく、現状を変更する試みであり、同地域での優位性を確保し、近隣諸国を威圧することを意図している。これは中国の三戦に合致している。
●中国は軍事費の伸びについて現在のペースを維持するであろう。弾道ミサイルや巡航ミサイルへの投資は、米国の精密攻撃の優位性を侵食している。
●中国は、東シナ海、南シナ海および台湾周辺の海・空・宇宙・サイバーのドメインを支配するために費用対効果のある施設を建設している。
*2=クローニンは氏、CNASのアジア太平洋安全保障プログラムのシニア・アドバイザー兼シニア・ディレクターである。
*3=slow-motion hegemonyとは、パトリック・クローニン氏が使用する単語で、中国がサラミ・スライス戦術を使いながら、徐々に獲得していく覇権のこと。

2 学者、シンクタンク、マスメディアの中国に対する認識の違い
 ハーバード大学の中国を専門とする教授の対中国認識は概して中国に寛容である。学問的に突き詰めて研究すると、「中国と対話し、国際社会のルールに従うように導くことが重要である」という結論になった人もいるであろう。
 しかし、他の様々な要因も考えられ、中国や香港からの多額の寄付金が影響しているという指摘もある。
 ちなみに、ハーバード大学は全米一の寄付金を受けているが、2014年9月にはハーバード大学史上最大の3億5000万ドルが香港の大富豪兄弟から寄付され、公衆衛生大学院の名称が「ハーバード大学THチャン・スクール」となった。
 また、中国の不動産会社からは中国人留学生の奨学金として1500万ドルが寄付されている。これらの寄付は大学にとっては貴重であり、中国批判の論調を抑制する効果はあると思う。

(1)プリンストン大学トーマス・クリステンセン(Thomas J. Christensen)*4教授の主張
 中国研究で有名なトーマス・クリステンセン教授の最新刊“The China Challenge”の出版を受け、同名のタイトルの講演を受講した。
 クリステンセン教授の対中国政策の特徴は、中国に対する一般的な「関与(engagement)とヘッジ(hedgeing)」戦略の「関与」を重視する立場であり、中国との対話、中国を世界的な諸問題の解決に責任を果たすことを期待する立場である。
 そのため、関与が失敗した時のヘッジの手段である軍事ではなく、関与の手段である外交を重視する立場である。クリステンセン教授の経歴が外交官であったことが彼の主張の大きな要因となっていると思う。
 クリステンセン教授は、中国と米国の軍事対立の可能性は低いと評価している。また、予想し得る将来にわたって中国の軍事力は米国軍事力に追いつけないと評価している。
 中国が今にも世界を支配する段階であるという一部の北京ウォッチャーの見方を否定する。また、国防省や安全保障のシンクタンクが考えている、最悪のシナリオとしての米軍による中国本土への攻撃に対しても批判的である。
 中国国内で起こっていることに対しては批判的だが、とにかく「中国の話をよく聞くことが大切である」と主張し、交渉しようという意見である。
 外交について、「成功する外交は、問題に対処 (manage) したり、即座に解決するということではなく、中国の大国としての台頭を受け入れ、奨励し、他国に対する不法な行為を差し控えるようにさせることが重要である。成功は、一方で強さとタフさが必要であるが、他方で中国に耳を傾け、安心させることが必要である」と主張している。
 中国側が主張する「米国の対中政策は、基本的に中国をダウンさせることであり、中国を分裂させたり、西欧化するための封じ込めや中国包囲の政策である」というプロパガンダは中国国内の批判を国外に向けさせるためのものである。
 米国の対中政策について、「米国の対中政策は、冷戦下のソ連や1950~60年代の中国に対する封じ込めではない」と説明した。
 しかし、教授は「中国は発展途上国(developing country)であるから仕方がない」という表現を数回使用したが、私には違和感があった。
 中国が発展途上国であることの説明に「1人当たりGDP(国内総生産)がエクアドルと同じであり、誰もエクアドルにグローバルな統治に大きく貢献しろとは言えない」と発言したが、この説明は中国がしばしば使用する表現であり、私には納得がいかなかった。
 中国は経済的にも軍事的にも世界第2位の大国であり、アジアにおける覇権国である、と認識するほうが自然であろう。
 私が教授に、『シカゴ大学教授のミアシャイマー*5がその著書「大国政治の悲劇」の中で、中国の平和的台頭はないと言っているがどうか』と質問したが、「ミアシャイマーは間違っている。彼の考えは危険である」と極めて率直に答えた。ミアシャイマーの主張が気に入っている私としては同意できない回答であった。
*4=クリステンセン教授は、プリンストン大学の「戦争と平和の国際政治」の教授である。2006年から2008年まで国務次官補代理(東アジア太平洋担当)として中国・台湾・モンゴルを担当した。
*5=John J. Mearsheimer。シカゴ大学教授でネオリアリズムの代表的論客である。

(2)マイケル・ピルズベリー(Michael Philsbury)*6氏の「百年マラソン」
 中国は米国にとって代わる世界覇権を目指していると断定するマイケル・ピルズベリー氏の“The Hundred-Year Marathon”を紹介する。
 ピルズベリー氏は「私は数十年にわたり、中国に技術的・軍事的支援を与えるよう、米中の政権を駆り立てる派手な役回りを演じる時があった」と赤裸々に自らの失敗を告白している。
 そして、「中国政府は最初から中国主導の世界秩序を構築する隠された計画を持っていた。米国の対中戦略が米国の歴史の中で最も組織的かつ重大で危険な失敗であった」と結論づけている。
  そして、ピルズベリー氏は、中国の極秘文書を根拠に、「共産党指導部に影響力をもつ強硬派が、中国建国100周年の2049年までに、米国に代わって世界の支配者になることを目指している」と暴露する。
 習主席周辺の強硬派は、「2049年目標」を隠そうともせず、公然と「100年マラソン」と呼んでいるという。
 彼が指摘する中国に関する間違った仮定は以下の5点だという。そしてこれらの仮定がすべて間違っていたというのである。
1.関与(engagement)は完全な協力をもたらす。
2.中国は民主化の過程にある。
3.中国は壊れやすい花である。
4.中国は米国のようになりたいと思っているし、現実に米国のような国である。
5.中国のタカ派は弱い。
 つまり、中国に対する関与戦略は中国側の協力をもたらさなかったし、中国は民主化しようなどと思っていないし、中国は壊れやすい花ではなく周囲を圧倒する強い存在だし、中国は決して米国のような民主主義国にはなろうとしていないし、中国のタカ派は強い影響力を持っているのである。
 そして、中国の戦略には9つの原則があるとしているが、代表的なものに「勝利を獲得するためには何十年もまたはそれ以上の間、忍耐強くあれ」、「敵のアイデアや技術を戦略的目的のために盗め」、「覇権国は、圧倒的な地位を確保するために極端な向こう見ずですらある行動をとることを認めよ」などがある。
 クリステンセン教授とピルズベリー氏の意見の違いは大きい。私は、ピルズベリー氏の意見を支持するが、クリステンセン教授のような関与に重点を置く教授はハーバードやMITに多い。
 エズラ・ボーゲル教授の考えもクリステンセン教授の考えに極めて近い。それに反し、ワシントンDCのシンクタンクの外交問題評議会(CFR:Council Foreign Relations)やCNASなどは中国に厳しい見方をしている。これが民主主義国米国の多様な意見の一例である。
*6=ニクソン大統領からオバマ大統領まで長年中国の専門家として国防省、ハーバード大学、ランド研究所などに勤務。現在、ハドソン研究所の中国戦略センター長。

(3)CFRの論文「米国の対中大戦略を修正する」(“Revising U.S. Grand Strategy Toward China”)
 CFRのロバート・ブラックウェル(Robert D. Blackwill)氏とアシュレィ・ティリス (Ashley J. Tellis)氏がその論文“Revising U.S. Grand Strategy Toward China”で、中国に対して従来の関与を主体とした寛容な対処ではなく、より強力な対処をすべきであると主張している。その要旨は以下の通り。
●中国のグランドストラテジーは、アジアにおける最大のパワーである米国にとって代わることである。
●中国に対しては、支持や協力を強調するよりもより圧力や競争に重きを置くべきである。ヘッジよりもより積極的な対処が必要である。
●従来の米国の中国に対する寛容な政策は、米国の死活的に重要な国益を擁護するものではなかった。
●米中の競争が新たな通常(new normal)となる。
●中国の米国に対する批判は以下の5点であり、突き詰めると「中国がアジアにおける主導的なパワー(leading power)として米国の立場にとって代わる」ことを主張している。
1.米国のアジアにおける同盟システムは冷戦の産物であり、解体すべきである。
2.米国のアジアにおける同盟国と友好国は米国との連帯を緩めるべきである。そうしないならば必然的に中国のネガティブな対応を招くことになる。
3.米国のアジアにおける現在のプレゼンスとパワーは中国封じ込めの試みであり、非難されるべきであり、抵抗すべきである。
4.米国のアジアにおける戦力投射能力は危険であり、削減されるべきである。
5.米国の経済モデルは、基本的に搾取的であり、アジアには適用できない。

(4)ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のオバマ政権批判
 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、9月25日付の社説「中国の新世界秩序(Beijing’s New World Order)、中国の侵略には米国のより力強い対応が必要である」においてオバマ政権を批判しているが、正論である。

 社説の主要部分を以下に紹介する。
 WSJは、鄧小平が1979年に中国共産党のトップとして初めて米国を訪問して以来、米国の主要貿易パートナーとして、また責任ある世界の大国として台頭する中国を積極的に支持してきた。
 しかし、今や中国が米国との関係や世界秩序の規範を再定義しようとしているのを無視するわけにはいかない。習主席の下、中国政府は自国を米国のパートナーではなく、戦略的ライバルと見なしている。
 中国の外交政策は次第に攻撃的かつ無法になっている。これはオバマ政権にさえ明白になった現実だ。米国はこうした態度に抵抗する意志を示す必要がある。
 中国の無法ぶりは海上とサイバー空間で最も顕著だ。中国によるサイバー戦による窃取は史上最大の窃盗と言えるだろう。中国は必要性が明白な改革を一段と進める方針を示しているが、これまで経済的略奪者になることがあまりにも多かった。
 米国は数十年にわたり、中国政府のナショナリスト的な強硬手段に対して静かな反応しか示さず、一方で中国を世界経済に組み入れようと試みてきた。
 米国の目的は、冷戦後の秩序の中で責任ある「ステークホルダー(利害関係者)」になるよう中国を懐柔することだった。だが中国は米国の自制を「利用できる弱み」だと見てきたことが次第に明らかになっている。
 地域の覇権国家、ひいては世界の支配的パワーになりたがっているライバルに対し、米国はそれにふさわしい、より力強い対応をする必要がある。特に国家安全保障の分野で、略奪的な行為を断固として押し返すことが必要だ。
 ホワイトハウスが取り得る対応の1つは、米海軍の艦船を南シナ海にある人工島の12カイリ(約22キロメートル)内に入り込ませることである(そこは公海上である)。米国が渋れば、中国は自国が主張する領有権が黙認されたとみなす。
 米国はまた、データを盗んだ中国企業に制裁を課すべきだ。次の大統領は米国の経済成長を復活させて防衛を建て直すことに注力し、太平洋の軍備を見直すべきである。
 無法な行動に対して明確な線を引き、中国が計算を間違える可能性を減らすことだ。中国の指導者が侵略行為の代償に気づくのが早ければ早いほど、彼らが後退する可能性は高くなる。米国の政策立案者にとっての課題は、危機や衝突に見舞われる前に自らの考えを早く改めることだ。

3 結論としてのジョン・ミアシャイマー教授の「大国政治の悲劇」
 オバマ政権は、6年以上にわたり「関与」を重視して中国に対処してきたが、堪忍袋の緒が切れる時期が来たのではないか。少なくとも次期米国大統領が誰になったとしてもオバマ大統領よりは強い態度で中国に対処するであろう。
 オバマ大統領が米中首脳会談前に発言した「米中の対立が不可避であるとは思わない」という発言は、ミアシャイマー教授の「大国政治の悲劇」を意識した発言だったかもしれない。
 ミアシャイマー教授は、「大国政治の悲劇」の中で「中国の台頭は平和的なものにはならないし、新興覇権国の中国は必然的に覇権国である米国と対立する」と主張している。
 そして、「米国は世界唯一の地域覇権国として、ライバル大国の出現を絶対に許しておらず、米国は中国封じ込めのために多大の努力をするだろうし、中国のアジア支配を不可能にするためには何でもするであろう」とまで書いている。
 確かに、オバマ大統領以前の大統領は、ライバル大国の出現を許して来なかった。その点でオバマ大統領は、歴代の米国の大統領とはずいぶん違う柔らかい大統領である。彼には「ライバル大国の出現を絶対に許さない」という姿勢は見られないし、「中国の封じ込めはできないし、適切ではない」と言っている。
 ミアシャイマー教授の主張とは反対の外交政策をとってきたのである。しかし、その対中関与政策は破綻している。だからより強い対中政策を求める声が高まっているのである。
 繰り返しになるが、次期大統領が誰になるにしろ対中政策はより厳しいものになるであろう。そして、その政策はミアシャイマー教授が主張するようにライバルである中国の強大化を許さないものになるのではないかと思うのである。

雑学 安全保障「対日講和条約の遺産」(編纂委員会)

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「偕行」9月号から転載

教育講演会「教科書検定の分析と今後の対策(教育問題PT)

偕行社教育問題PT長
廣瀬 誠

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「偕行」9月号から転載

憲法の落とし子・自衛隊に残された課題(樋口 譲次)

偕行社安全保障委員会委員
樋口 譲次

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「偕行」9月号から転載

自衛官が捕虜となることについて「生きて慮人の辱めを受けず」の拘束は生きているか(柴田 幹雄)

偕行社編集委員
柴田 幹雄

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「偕行」8月号から転載

遺稿「陸軍士官学校61期生」(戸塚 新)

前偕行社編集委員長
 戸塚 新

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「偕行」8月号から転載

事前準備はあって当然、問題は内部文書の流出(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は筆者が2015年8月24日、JBプレスに発表した論考である。
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日本の安全を損なう野党の論理矛盾と与党の右往左往ぶり
8月11日、参議院特別委員会で小池晃共産党議員は、防衛省統合幕僚監部が今年5月末に作成した内部資料を暴露し、審議が中断した。
 お盆明けの19日、審議は再開したが、同議員が「成立前の検討は許されない」などと批判して審議は紛糾した。
 民主党の枝野幸男幹事長も17日、統合幕僚監部が安全保障関連法案の成立を前提とした資料を作成していたことに関し、「参院(特別委員会)での集中審議や衆院の予算委員会で問い正さないといけない。党首討論も必要だ」と国会内で記者団に述べていた。
 何事が起こったのかと、筆者も今回の資料を早速入手してみた。だが、血相を変えて非難するようなものでは全くないし、拍子抜けするものだった。まさに法案への反対運動を盛り上げるための非難であるとしか思えない。

法案成立後の準備をするのは当たり前
 資料は統合幕僚監部が安保法案の内容を部隊指揮官に説明するテレビ会議用に作成したものであった。「『日米防衛協力のための指針』(ガイドライン)及び平和安全法制関連資料について」という標題であり、法案が施行されたら、速やかに任務遂行が可能になるよう、今後、何を検討し、何を準備すべきかという、主要検討事項を整理したものにすぎない。
 検討事項についても、「現行法制下で実施可能なもの」と「法案の成立を待つ必要があるもの」を弁別し、「フライングだ」「先取りだ」と言われないよう慎重に配意されている。どう見ても「実力組織の『暴走』が許されない」(東京新聞)と非難されるような代物ではない。
 防衛省だけではない。所管省庁が法案成立後の対応を、あらかじめ検討し、準備するのは当然である。そもそも自衛隊は有事即応が求められ、法律が施行されたその日から任務完遂を求められるからなおさらだ。国家の平和と独立を守り、国民を守る組織が、事が起きてから「準備がまだできていません」ということは許されない。
 阪神淡路大震災での初動対応のまずさを追求されて、当時の村山富市首相は「何しろ、初めてのことじゃからのう」と言った。だが「最後の砦」である自衛隊には、そんな能天気な言葉は決して許されないのだ。
 東日本大震災で津波により予備電源を喪失し、メルトダウンに至った福島原発事故を「想定外」と言った人もいる。だが自衛隊には「想定外」という言葉はない。考えられないことを考え、あらゆること想定し、法律の許す範囲で準備をしておくのが自衛隊の責務である。
 法案の全容が明らかになった時点で、部隊指揮官と認識を共有し、法案が施行された場合のことを想定し、現法制下で準備できることを準備し、検討すべき事項を自衛隊の衆智を集めて列挙、整理するのは当然である。むしろそれを怠るようでは、「職務怠慢」の謗りは免れ得ない。
資料に関し、枝野氏は「一般的なシミュレーションのレベルを超えている」と指摘した。だが、資料を見れば氏の発言が国民をミスリードするものであることは一目瞭然である。
 「シミュレーション」でも何でもなく、現行法制下で準備すべきこと、法案成立後、速やかに実施すべき「検討事項」などについて整理したものでしかない。
 一部メディアは「安保法案に伴う、対米支援の具体的な内容が含まれている」(朝日)などと述べている。だが、これも悪意に満ちた「印象操作」の類であり、正確ではない。今後検討が必要になる可能性のある主要検討項目を列挙したに過ぎず、具体的内容については立ち入っていない。これから「何を検討する必要が出てくるか」という「頭の体操」に過ぎないのだ。
 これらの「頭の体操」は、イラク派遣など特措法で活動するときも同様に実施してきた。筆者は航空幕僚監部防衛部長として航空自衛隊のイラク派遣準備にも携わった。この時もほぼ同様であった。

イラク戦争時にもあった事前準備
 イラク戦争は2003年3月20日に始まった。1週間後、陸海空三幕の防衛部長が内局に集められ、「今度は、国際協力活動として自衛隊がイラクに派遣される可能性があります。各幕でしっかり準備してください」と指示を受けた。筆者は着任直後だったが、これが最初の大仕事となった。
 今回の資料のように、まずは検討すべきことの案出から準備は始まった。あらゆることを考え、要検討事項を列挙していく。そして現行法制下でも実施可能な検討と、法律が出来てから実施するものに弁別し、検討時呈に概略の目安をつけていくわけだ。
 その後、部隊指揮官を空幕に集合させ、情報の共有を図った。派遣されるのは部隊であり、部隊抜きで準備作業は実施できない。派遣される側と一緒になり、航空自衛隊あげて英知を結集しなければならないからだ。これが今回の統合幕僚監部による部隊長説明の会議に該当する。
 当時は、統合運用はまだ実施されておらず、テレビ会議ではなく、直接部隊長を空幕に招集して説明会を実施した。10数人の将官が空幕に集合するので、メディア各社は何事かと訝り、筆者の元に取材に来た。
 筆者は取材に応じ、将来イラク派遣の可能性があるかもしれず、事前に「頭の体操」をしておく必要がある。このための会議だとメディアには説明した。メディアもそれは当然だと納得し、一片の記事にもならなかった。
 イラク派遣など過去の事例から、メディアは今回もこういう会議が事前にあるのは分かっていたはずである。
それなのになぜ「統合幕僚監部が国会の議決より先走って自衛隊の活動拡大を検討していたとしたら、文民統制上の問題は大だ」(東京)という記事になるのだろう。国民が確かめないことをいいことに、事実とは異なる記事を書くなど「社会の公器」を放棄したマッチポンプにしか過ぎない。
 文書のどこを見ても「国会の議決より先走って自衛隊の活動拡大を検討」しているなどとは読めない。
 「赤旗」は日本共産党の機関紙であるから仕方ないにしても、日本を代表する新聞が「自衛隊の資料―国民に伏せられた事実」(朝日)、「自衛隊内部資料 活動拡大先走りを憂う」(東京)など、デマゴギーを繰り返し、自衛隊を出汁に使って安全保障を政局にしようとする姿勢には失望を禁じえない。
 「成立後に向けた検討は当然だ」(読売)、「自衛隊の事前検討 切れ目なき備えは当然だ」(産経)といった客観的で冷静な記事もみられるのが救いではあるが・・・。

事前準備が自衛官の命を守る
 イラク派遣に関して続けると、国会での特措法の審議が始まっても、準備は満足には進まなかった。特に現地調査(サイト・サーベー)は部隊派遣準備には欠かせない。だが、これだけは法律が成立しないと実施できない。それこそ「軍の先走り」と言われかねない。
 一日も早く現地を調査して必要な情報を入手し、それに基づく訓練をじっくりやらせたい。隊員達のリスクを軽減する方法はまさに「装備と訓練」に帰するのだが、これができない状況にヤキモキしたのを昨日のように思い出す。
 2003年5月23日、米クロフォードでの小泉・ブッシュ会談で小泉純一郎首相は「自衛隊を派遣する」と明言した。もういいかと、現地調査を申し出たが、ここでも却下された。結果的に2か月後の7月26日、イラクの特措法が成立してようやく現地調査が実施できた。
 現地での実地調査で得た貴重な情報を基に、急速練成訓練を実施し、年明けの1月22日にC-130を出発させ、3月3日からイラクにおける航空輸送任務が開始できたのである。
 装備を整え、訓練を周到にして技量を高め、必要な準備をすることが、隊員にとって「リスク」を軽減する唯一の方法である。恒久法になると、事前訓練が十分でき、必要な装備品も事前に取得できるので、リスクは確実に減る。この意味からも恒久法を制定する今回の法案は自衛隊にとって大きな改善といえる。
 この法案審議でも「隊員のリスク」が議論の俎上に上った。「隊員のリスク」が増えることを攻撃材料にしていた野党やメディアが、一転して「リスク」を軽減するための「事前準備」を再び攻撃材料に使う。自衛官は決して言葉に出さないが、あまりのご都合主義に呆れているに違いない。
 今回の文書の内容など、理解できる国民は多くない。それをいいことに、「自衛隊=軍=独走する恐ろしい存在」とのステレオタイプなイメージ操作を行い、国民に恐怖を抱かせ、「平和安全法制関連法案」を「戦争法案」と印象づけて廃案に持ち込もうとする。
まさに自衛隊を出汁に使って安保法制の反対運動を盛り上げたいという底意が見え見えであり、憤りさえ感じる。
 こういう言われなき非難が自衛隊を萎縮させ、やるべきこともやれず、結果的に自衛隊のリスクを高めることにならないか心配である。
 自衛隊にも猛省を促したい。秘密の資料ではないとはいえ、内部資料がやすやすと部外に漏れるようでは同盟国の信頼を失い、作戦などできないことを肝に銘ずるべきである。

稚拙過ぎた防衛大臣答弁
 防衛大臣の答弁も「その場しのぎ」で拙劣であった。文書を突きつけられてあわてたのもあるのだろう。「文書の存在は知らない」と述べ、深い思慮もなく「法案が成立してから検討すべきであり、先取りして検討することは控えるべき」と答えてしまった。
 これだと自衛隊は委縮するだけだ。現行法制下でできる検討までするべきではないと誤解されても仕方がない。19日には一転して「指示してやらせた」と述べた。だが、「言葉足らず」の答弁は国民の信頼をさらに失うだけである。
 「事前準備」が「隊員のリスク」を減らす「王道」であることは、元自衛官である大臣が最もよく知っているはずだ。だからこそ、もう少し慎重に答弁すべきだった。
 安保関連法案を廃案に持ち込むだけの理屈の通らない批判や攻撃には、今回のようなトラップが仕かけられていることが多い。軽々に答えるのではなく、過去の事例も踏まえ、深慮遠謀を巡らせたうえで、毅然と答えるべきだろう。
 ただその答弁の中心は、あくまでも、この法案がいかに抑止力を高め、危機を回避するかを国民に理解してもらうことだということを忘れてはならない。

雑学 安全保障「難民」問題(井上 廣司)

IMG_20150819_0001.jpgIMG_20150819_0001 (2).jpgIMG_20150819_0001 (3).jpg3←1,2,3とも拡大してご覧下さい(偕行7月号から転載)

娯楽用ドローンについて雑感(星野 将)

偕行社会員
星野 将

IMG_20150814_0001.jpgIMG_20150814_0001 (2).jpg2←1,2とも拡大してご覧下さい(偕行7月号から転載)

「厚木騒音訴訟の疑問」(井上 廣司)

偕行社編集委員長
井上 廣司

 第4次厚木騒音訴訟の控訴審で7月30日、東京高裁(斉藤隆裁判長)は、自衛隊機の夜間早朝の差し止めと2016年末までの損害を含む約94億円の賠償を命じた。民事訴訟における損害賠償については、とやかく言うつもりはない。公共性や公益性をもってしても、住民に被害がある以上賠償はされるべきであろう。また、今回初めて将来の損害賠償が認められたことについても、「将来発生する損害の賠償請求が認められるのは、大阪空港訴訟最高裁判決が示す通り、既に存在する事実関係の継続が予想され、将来の事情の変動があらかじめ明確に予測できる場合に限られる」と判断基準が示されており、異論はない。
 今回の判決で、疑問に思うのは、自衛隊機の飛行差し止めである。米軍機については、「米軍機の差し止めの訴えは、存在しない行政処分の差し止めを求めるものとして不適法で、却下を免れない」と予測通りの判決であった一方で、自衛隊機に対しては、必要性、緊急性がある場合など、客観的にやむを得ない場合を除き、午後10時から午前6時までの飛行を禁じた。今までの国側は、「行政訴訟のルールでは、差し止めが認められるのは裁量の逸脱と言えるほどの重大な損害の恐れが原告に生じている場合に限られる」という点で、防衛相の国の安全を守るための幅広い裁量権が認められると考えていた。今回の判決では、「自衛隊機の運航は防衛相に広範な裁量権が認められる。極めて高度な政治的、専門的、技術的判断に基づく行政処分である」と認めながら「判断の過程において、考慮すべき事情を考慮しないなど、著しく妥当性を欠くものであれば裁量権を超えたものとなり、乱用したものとして差し止めが認められる」と判断した。その上で「睡眠妨害は相当深刻で賠償で回復は不可能であり、防衛相の裁量を逸脱しており違法である」とした。しかし、ここで睡眠妨害と防衛相の判断を比較しながら、防衛相の判断に至る過程を詳しく点検することなく睡眠妨害を裁量権より重要と判断したのが理解できない。言い方を変えれば、国側の行動に焦点を当てるべきなのに、被害の大きさばかりの焦点を当てている気がする。
 もう一点は、騒音被害が米軍機によって起こされていると言いながらも、殆ど実害に乏しい自衛隊機の飛行を差し止めたことだ。民事訴訟の将来の損害賠償において、「17年度に米軍の岩国基地への移転計画があるため、16年12月までは同様の騒音が続き・・・」と述べて、騒音の主体が米軍機であることを認めているのである。実際に厚木基地における夜間早朝の自衛隊機の離発着はもともと自主規制されており、年間約80回程度であった。それを昨年5月の1審判決(横浜地裁で逸脱の有無を判断することはなかったものの飛行差し止めを認めた)を受けて、昨年度はやむを得ない場合に限定して53回しか離発着していないのである。地元と協議を重ねながら自主規制を続けてきた自衛隊側の努力が水泡に帰すのではないかと危惧を覚える。
 地元の人々の被害を無視する気はないが、これによって自衛隊の任務遂行に強い縛りがかかり安全保障に穴が開くことだけは避けてもらいたいものである。

民間の安全保障法制関連セミナー活動(乾 一宇)

 偕行社会員
乾 一宇

安全保障法制が、7月16日、衆議院で可決されました。この議論は参議院に移って続いていきます。国会の審議時間が少ない、議論を尽くしてないと野党、マスコミは言っております。
 それにもかかわらず、衆議院で可決したのに参議院は特別委員会の設置すらしようとせず、時間を無駄にしています。これを政治家もマスコミも疑問にすら思っていません。
 このようなことは、過去何回も繰り返されてきたことです。
 防衛庁(当時)を定年退職して、縁あって大学に勤務することになり、防衛施策向上に少しでも寄与出来ればと思いつつ勤務しております。
 ここに、日本国際情報学会というものがあります。会員の構成が一大学だけでなく多岐にわたっている、規約が明確で、1年に一回は総会を開き開かれた、オープンな運営をしている。学会誌を発行、適正かつ厳正な投稿規定の下査読論文は審査している。このような条件をクリアした日本学術会議協力学術研究団体で、歴とした学会として学術の発展に寄与すべく活動しております。
 学会は産学官の幅広い人材で構成されております。学会ですので、大学教員や大学院生はもちろんですが、企業人、会社員、作家、今春の地方選挙で市長に当選をした人と実に多彩です。
 学会の研究部会が現在8個あります。その一つとして安全保障研究部会があります。防衛研究所や防衛大学校を母体にした国際安全保障学会、日本防衛学会を除きますと一般大学を元に出来た学会としては、この安全保障研究部会は異色かもしれません。
 いろんな考えの人たちの集団です。ただ、日本の安全を確保するのにどうすればよいのかの問題意識は共有しております。いろんなテーマを互いに出し合って、研究会を開き議論を重ねております。
 さらに理解を深めるため、昨年は原爆の地広島におもむき研究会を開催、広島地方協力本部の支援を受け原爆ドームを見たり、江田島の海上自衛隊の施設・学校を見学をしました。歴史を感じる2日間でした。
 今年は、ジブチの海賊対処に3ヶ月間あたっていた幹部自衛官の講話を聞きました。猛烈な暑さの中、環境は決して良いとはいえない状況で任務を黙々と果たしている様子には頭が下がりました。
 冒頭に申しましたように、安全保障法制の制定に関し、賛否の意見が国会やマスコミで飛び交っております。
 安全保障研究部会でも、議論をしております。憲法を守れとか、戦争法規だとかの意見が出たとき、では日本の国を守る方法はどうするのか。護憲は一つの選択肢だけれども、護憲の元、いかなる方法・手段で国防、安全保障を全うするのか。それを示さない護憲論は、念仏平和教だと言う人もいます。
 冷戦時の脅威はソ連でありましたし、現在は中国、北朝鮮です。国家安全保障戦略、特定秘密保護法、安全保障会議の創設、どれも主要国が持っている法律、組織です。集団的自衛権や審議中の安全保障法制も主要国は議論の余地なく有しているものです。法整備を怠り、何もしないのは政治の堕落です。反対している人たちは法整備とその実行がイコールと解釈しているようです。法整備があって、自衛隊のそれに備えることが可能となります。
 ある状況が現出したとき、ときの政府、国会が議論をして日本のとるべき方策を決定します。国民が選出する議員の判断は信用出来ないのでしょうか。法整備と実行とには明らかにワンステップがあります。法整備がない状況は、中国や半島の人たちを喜ばせるだけです。
 安全保障研究部会では、学会員だけではなく、一般の方々も含め勉強を深める機会を求めようと模索しております。と申しましても学会は予算もなく、各人がそれぞれ知恵と時間を割き、ようやく左記のようなセミナーを行うことに漕ぎ着けました。
 九月二六日、「日本の平和と繁栄、安全を考えるセミナー──安全保障関連法制定とこれからの日本──」(防衛省後援申請中)のテーマのもと、法制そのものとメディア関連について3人の講師に話をして頂きます(無料)。詳しくは:日本国際情報学会の事務局お知らせ(http://gscs.jp/siss_infor/)にセミナー細部と申し込みフォームがあります。
 やや宣伝じみた話になりましたが、偕行社会員の皆さんにもご参加いただき、学会員とも交流、ご指導を賜われば願ってもない喜びでございます。
 これからの自衛隊は、任務も増えても厳しい環境が続くばかりです。国民の温かい気持ちと信頼が何より重要になってきます。日本国際情報学会は、いろんな考えの人の集まりですが、学会の研究会活動だけでなく、一般の方々との接触を通じ、自衛隊や安全保障について認識を共有出来ればと行動を起こした次第です。温かく見守って頂き、さらに輪を広げていきたいと思っています。

南沙諸島埋め立てはヒトラーのラインラント進駐と瓜二つ(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は筆者が2015年7月9日、JBプレスに発表した論考である。

同じ過ちを繰り返さないためにも今の安全保障環境を認識すべし
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現在、安全保障法制が国会で議論されている。与党は「平和安全法制」と名づけるが、野党は「戦争法案」と騒ぎ立てる。議論は、本質論からほど遠く、言葉尻をとらえた枝葉末節のやり取り、そして違憲合憲の入り口論と議論は深まらない。
 一国の安全保障政策が政局になるとは、嘆かわしいことだ。
 なぜこのような拙劣な議論に低迷するのか。最大の原因は、我が国を取り巻く安全保障環境をどのように認識し、今後どうすれば日本の安全を守っていくことができるかという根本の議論が欠けていることだろう。
 21世紀の国際社会の最大の課題は、台頭する中国にどう向き合っていくかである。
 中国は四半世紀にわたり、異常なまでの軍拡を続けてきた。実力を付けた今、「外交は頭を低く、下手に出て」という鄧小平の遺訓「韜光養晦」をかなぐり捨て、力による一方的な現状変更の動きを露骨に見せるようになった。

切り口を拡大させているサラミ・スライス戦略
 2012年、中国は西沙諸島に「三沙市」を設立し、南沙諸島のガベン礁、クアテロン礁、ジョンソン南礁などで埋め立て作業を始めた。2012年9月以降、 尖閣諸島で領海侵犯を繰り返すようになった。
 2013年1月、海上自衛隊の護衛艦や対潜哨戒ヘリコプターに対し、火器管制用レーダーを照射するという国際的常識とはかけ外れた異常な示威行動を実施。同年11月には東シナ海に防空識別圏(区)を一方的に設定し、公海上の飛行の自由を制限する運用を開始した。
 さらに12月には南シナ海の公海上で米海軍イージス巡洋艦「カウペンス」の航行を妨害するという大胆不敵な行動に出た。
 2014年 1月には南シナ海に漁業管轄権を一方的に設定。同年5月には西砂諸島付近で石油掘削作業開始し、抗議するベトナム船と衝突を繰り返した。また5月、6月には、日中の防空識別圏が重複する公海上空で、航空自衛隊と米空軍の航空機に対し、中国空軍戦闘機が相次いで異常接近した。
 8月には南シナ海の公海上空を飛行する米海軍機に対し、10メートルという衝突寸前の距離で異常機動飛行を繰り返した。明らかな国際法違反の行為である。だが、米国の抗議に対し「米偵察機を追い払うことは中国の核心的利益だ」(環球時報)と嘯(うそぶ)いている。
今年の6月、中国外務省は南シナ海で進めてきた7つの岩礁埋め立てについて「既定の作業計画に基づき、埋め立て作業は近く完了する」と発表した。
 中国は、このように米国の決定的な介入を避けながら、サラミを少しずつスライスするように既成事実を積み上げてきた。いわゆる「サラミ・スライス戦略」である。
 昨年、米国のバラク・オバマ大統領は「米国はもはや『世界の警察官』ではない」と繰り返した。このオバマ大統領の弱腰を見越した中国は、今が好機とばかりにサラミ・スライスを加速させている。
 「サラミ・スライス戦略」は早いうちに食い止めなければならない。さもなければ不作為が中国の野心を拡大、膨張させる。成功体験が次の行動を大胆にさせ、挙句の果てには取り返しのつかない大惨禍を招きかねない。
 「サラミ・スライス戦略」に対するが不作為が大戦を誘発した歴史が我々に警告を発している。

ヒトラーのサラミ・スライス戦略
 第1次大戦後、敗戦国ドイツは約4万平方キロの領土と人口700万人を喪い、支払不能とも言える330億ドルという過酷な賠償金を負わされた。支払いを遅延しただけでフランス軍がルール地方を占拠するなど屈辱的な目に遭わされた。
 ドイツ国民の怒りとナショナリズムは国家社会主義ドイツ労働党(ナチ)を誕生をさせ、1933年、ヒトラーが権力を掌握する。
 ヒトラーは拡張主義でベルサイユ体制を打破し、ドイツ包囲網から脱出しようと試みる。だが戦勝国に正面切って対応するには劣勢なため、「サラミ・スライス」的行動を巧みに実践し既成事実を積み重ねていく。
 1933年、「フランスが兵力削減に消極的」とフランスに責任転嫁して国際連盟および軍縮会議から脱退。対応をとらぬ戦勝国の不作為を尻目に、1935年にはベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し、陸軍を3倍に増強し、空軍を新設した。
 英国、フランス、イタリアはストレーザに集まり対応を協議するも、結果的には黙認する結果となり、サラミ・スライス外交は見事に成功する。
 味をしめたヒトラーは1936年、列国がエチオピア事案に注目している間にラインラント進駐という大博打に打って出た。事実上ロカルノ条約の破綻である。
 この時、ラインラント進駐のドイツ軍は機関銃とライフルという軽武装であり、もしフランス軍が対抗措置をとったら、「尻尾を巻いて撤退せざるを得なかった」とヒトラーは参謀に本音を明かしている。だが、フランスは国内事情もあり動かなかった。
 大博打の成功は独裁者の野心を肥大化させ、事後サラミのスライス幅が徐々に大きくなる。1938年、ヒトラーはオーストリアの軍事併合を難なく成功させ、半年後には300万人のドイツ人保護を理由にチェコの西半分、つまりズデーテン地方の割譲を要求した。
 ここで英国がようやく動き出した。だが、チェンバレン首相は「これが最後の領土要求」というヒトラーの虚言に騙され割譲に同意してしまった。
 これが事実上、最後のサラミ・スライスとなる。後は、サラミを丸ごと奪っていく。舌の根も乾かないうちに約束を反故にしてチェコ全土へ侵攻。その後はスターリンと独ソ不可侵条約締結を結んで、ポーランド分割に合意し、ポーランド侵攻へ突っ走った。

第2次大戦に発展させたフランスの罪
 ここでようやく英国とフランスが立ち上がったが既に手遅れだった。ノーリターンポイントを超えており第2次大戦の勃発となる。この時に至っても、ヒトラーは英国、フランスは共に立つまいと確信していたという。
 「サラミ・スライス」が小さなうちに対応しなかった不作為が生んだ不幸な戦争だった。
 ヒトラーがラインラント進駐の賭けに出た時、もしフランスが軍事的行動を起こしていれば、ヒトラーの告白通り、ドイツ軍は「尻尾を巻いて撤退」していたのであり、ヒトラーの野望も肥大化しなかったに違いない。第2次大戦もホローコストも起こっていなかった可能性もある。
 国際政治学者は「1920年代に西欧諸国はドイツに宥和すべき時に対決姿勢をとり、1930年代にドイツと対立すべき時に宥和政策をとった」と分析している。歴史的にはチェンバレンの宥和政策が酷評されているが、実はラインラント進駐の際のフランスのブルム人民戦線内閣の不作為の罪なのである。
ここで現代に話を戻そう。
 冒頭の記述のように、中国はこれまでサラミ・スライスを成功させ、野心が肥大化しつつある。領有権を争っている南シナ海の岩礁を一方的に埋立てて要塞化し、3000m級の滑走を持つ人工島を建設するまでに至った。孫建国中国軍副参謀長は、人工島の目的を「軍事的必要性」と堂々と言ってのけた。
 アナロジックに言えば、南シナ海の岩礁埋立は、「ヒトラーのラインラント進駐」に匹敵する。オバマ政権の不作為が生んだサラミ・スライスの成果物だが、ここで不作為を決め込むと、取り返しがつかなくなると歴史の教訓は警鐘を鳴らす。
 これまでオバマ政権は中国に対しては一貫して宥和的であった。だが、最近になってようやく米国の有識者層の中でも「サラミ・スライス」の底意に警告を発する者が出てきた。
 今年2月、米国で出版された1冊の本が話題を呼んでいる。「100年のマラソン(The Hundred-Year Marathon: China’s Secret Strategy to Replace America As the Global Superpower)」である。

2049年、世界の覇権国が交代
 中国共産党政権は1949年に樹立されたが、100年後の2049年までに中国は米国にとって代わって世界の覇権国になることを長期戦略としている。この秘匿された長期戦略のもと、一貫した政治、外交、経済、軍事の政策を遂行しており、2049年には世界の覇権を握るというものである。
 筆者のマイケル・ピルズベリーは国防総省で約40年間、中国を研究してきた中国研究の第一人者である。4~5年前までは、対中国協調派を自認する「パンダ・ハガー」の中心人物だった。
 米国の対中国関与政策立案の牽引車でもあったピルズベリーが「中国に騙されていた」と激白し、「中国の野望」には「ほとんどのアメリカ人が全く気がつかなかった」と自責の念を込めて述懐しているのだ。
 「100年のマラソン」に引き続き、3月には外交問題評議会(CFR)が「中国に対する米国戦略の転換(Revising US Grand Strategy Toward China)」という報告書を公表した。CFRは権威ある外交専門誌「Foreign Affairs」を発行しており、米国の外交政策を論ずる総本山である。
 報告書では「米国は対中戦略を根底から変えなければならない」と述べ、米国が「アジア・太平洋諸国との経済的紐帯を強める」ととに「国防予算の削減を辞めて直ちに軍備を増強すること」「中国包囲網を構築する戦略を力強く推進」することなどを提言している。
 中国の「サラミ・スライス戦略」で最もダメージを受けるのは日本なのである。
 南シナ海は日本の生命線とも言うべきシーレーンが通っている。南シナ海の制空権、制海権を握られると、日本は中国の要求に唯々諾々と従わざるを得なくなる。冊封体制に組み込まれるわけであり、中国の思う壺なのだ。
 米国防省は改定した国家軍事戦略で国際秩序を覆す国として、既に中国を名指ししている。日本こそ中国を脅威対象と認め、安全保障議論の前提としなければいけない。現在の国会の議論も、中国に気兼ねしてか脅威対象とすることに躊躇しているため、隔靴掻痒の議論となって漂流しているのだ。
 拙稿「日本は弱い、その自覚がなければ中国に負ける」(2014.5.1)でも指摘したが、「日本の平和と安全は一国では確保」できない。中国に対し、世界の覇権国となる野望を断たせるには、何としてでも米国の力を借りなければならない。安全保障は、何より冷静に「弱さを自覚」することが第一歩である。
 日本は核も攻撃力も持たない。情報もほとんどが米国頼りである。貿易立国日本の生命線であるシーレーンも事実上、米海軍第7艦隊に守られている。自衛隊装備の大部分が米国の軍事技術に依存している。是非善悪は別として、日本の平和と安全は日米同盟に頼らざるを得ない。

空想的平和主義はかつてのフランスと同罪
 また、厳しい国際情勢に背を向けて、日本だけが脅威の圏外にあり、平和と安寧を貪ることなどできはしない。お花畑のような「一国平和主義」「空想的平和主義」は今こそ唾棄しなければならない。
 中国は「力の信奉者」である。
 相手が弱ければ強く出るし、強い相手であれば静かに時を待つ。相手が強いと下手に出、弱みを見せると力をむき出しに強面に出る。現段階では、米国は依然強力な軍事力を保有しており、中国が最も避けたいのは米国と事を構えることである。
 中国の南シナ海での人工島建設はヒトラーの「ラインラント進駐」である。この段階で毅然と対応すること、それが将来の戦争を抑止することになる。これができるのは米国しかいない。だが、もはや米国でも一国では手に余るのも事実である。
 オバマ大統領の「世界の警察官」辞任発言など、米国の「引きこもり」傾向は、テロとの長い戦いによる厭戦気分と同時に、同盟の負担を負い切れぬ財政事情があるからだ。ならば負担や役割を日本が分かち合うことだ。
 日米が負担や犠牲を分かち合い、共に中国に立ち向かうしかない。ここに今回の「平和安全法制」制定の必要性があり、急がねばならない理由があるのだ。
 これまでの国内の議論は、もっぱら米国の戦争に「巻き込まれる」ことをいかに避けるかが中心課題となってきた。この化石のような命題は、もはや現在の国際情勢と大きくかけ離れている。引きこもろうとする超大国アメリカをいかに「巻き込む」かという知恵が今、日本に求められているのだ。
 そのためには憲法の許す範囲で集団的自衛権行使を認め、米国と一緒になって中国の邪(よこしま)な野望に対峙すること求められている。外交に関心を失いつつある米国を「巻き込んで」、中国への関与の意志を持続させることは日本の国益そのものなのである。
 中国が米国にとって代わって世界の覇権国になるという長期戦略に、最も障害となるのは日米同盟である。
 「中国にとって最も都合のいい日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に同盟が機能しないことだ」と中国の高官が語っている。奇しくも高官の言葉が日米同盟の重要性を示唆している。

切れ目のない日米同盟が戦争を防ぐ
 中国の野望に対する最大の抑止は、日米同盟が「絶妙の瞬間」にも機能するところを目に見える形で示すことである。そのためには、切れ目のない安全保障法制を整備し、新しい日米ガイドラインを機能させて日米同盟の盤石な姿を見せ付けることが必要なのである。
 現在、国会での安全保障法制の議論は、舵の壊れた船舶のように漂流してしまっている。この最大の原因は「脅威認識」そして「何のために」「なぜ今」という根本の議論が欠けているからだ。
 もう一度歴史を振り返り、国際情勢から目を逸らすことなく真摯に目を向け、21世紀の我が国の安全をどう確保するかという本質的な議論に立ち返るべきだ。
 国際社会では、「政争は水際まで」が常識だ。安全保障を決して政局にしてはならない。「ラインラント進駐」に即座に対応しなかった不作為によって、3000万人もの犠牲者が生じる大戦が生起し、人類最悪のホローコストも防げなかったことを今こそ思い起こすべきである。

中国が仕かける国家ぐるみの対米サイバー戦(渡部 悦和)

偕行社安全保障委員会委員
渡部 悦和

本論考は筆者が2015年7月6日、JBプレスに発表した論考である。
筆者渡部氏は6月19日から2年間ハーバード大学アジアセンター、シニアフェローとして学究生活を送っているが、これからはしばらくボストンからの論考となり、楽しみである。

中国に甘すぎる米国、毅然として中国に対処すべし
米国のバラク・オバマ大統領にとって、6月22日から27日の週は大統領2期目における最高の週であったと米国で報道されている。つまり、オバマケアに関する最高裁判決の勝利と同性婚を最高裁が合法としたことでオバマ氏は勝利の喜びに満たされたというのである。
 しかし、私はこの1週間ボストンに滞在し、違和感を感じ続けていた。その違和感は大統領の価値観に対する違和感であり、懸案事項の優先順位に対する違和感である。
 具体的に言えば、同性婚の問題よりも深刻な人種問題の解決が優先されるべきだし、サイバー空間での活動(以下サイバー戦と記述する*1)など様々な分野で脅威になっている中国に対し宥和的で毅然とした態度を示さないオバマ政権に対する違和感である。
 時あたかも23・24日に米中の戦略・経済対話(S&ED: Strategic & Economic Dialogue)が開催された。S&EDでは米国側から中国のサイバー戦と南シナ海の人工島建設などに対する非難がなされたが、中国はその非難を軽くあしらい、その不法な行動を改める気配はない。

「サイバー9・11を許している」
 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、6月24日、このS&EDにぶつけるかのように鋭い論説「オバマのサイバー・メルトダウン」を発表した。
 この論説は、米国人事管理局(OPM)から最低でも420万件の個人情報が中国のハッカーにより窃取された事件を題材に記述されている。
 WSJの論説は、中国のサイバー作戦に対するオバマ政権の対処の甘さを厳しく批判し、「ロシアやイスラム国(IS)が海外で進撃する間に、オバマ政権は米国に対するサイバー9・11を許している」とまで記述した。中国によるサイバー戦を9・11ニューヨーク・同時多発テロになぞらえているのである。
 WSJが指摘するように、中国のサイバー戦は執拗であり、オバマ政権が過去何度も言葉だけで中国に警告してきたが全く効果がない、実効性がないのである。効果がないから「オバマのサイバー・メルトダウン」と表現するのである。
 中国のサイバー戦は、米中関係における最も重要な懸案の1つであり、絶対に解決しなければいけないものであるという認識が必要である。一方で、中国の米国に対する執拗なサイバー戦の深刻さを米国のマスコミや米国人自身が認識し始めたことは好ましい傾向である。
 我が国は、米国に対する中国によるサイバー作戦を対岸の火事として傍観するわけにはいかない。その深刻さを認識し、我が国自身も国家ぐるみで万全の態勢を確立しなければいけない。

米中戦略・経済対話(S&ED)
 S&ED全体を総括すると「中身のない米中対話」であったという評価が多い。筆者も国務省のHPにアクセスしS&ED関連文書を読んだが、当たり障りのない表現が多く、めぼしい成果を見出すことができなかった。
 確かに、ジョー・バイデン大統領とジョン・ケリー国務長官は、2つの懸念を中国側に示した。つまり、中国の米国に対するサイバー戦に対する懸念と南シナ海における中国の人工島建設に対する懸念であるが、中国の反応は拒否的なものであり、前向きな回答はなかった。
 また、ジェイコブ・ルー財務長官は、「米民間企業から機密の技術や情報を窃取している中国からのサイバー攻撃は、中国政府が支援している。そうしたサイバー空間における国家の行為は受け入れがたい。安全で信頼できるサイバー空間こそが、自由で公正な商業活動にとって重要だ」と中国を非難した。
 オバマ大統領も、中国代表団に対して「サイバー戦などにおける緊張を緩和する具体的な措置を取る」ことを要求したが、言葉による警告のみで中国の不法な行動を抑止する強制力に欠けている。
 中国の反論は、「米国が指摘するようなサイバー戦を中国は実施していない」というものである。昨年のS&EDにおいても米国側から中国のサイバー作戦に対する懸念が表明されたが、中国側の対応はサイバー戦に関する米中の対話メカニズムの拒否であった。今回も、中国側からの前向きな回答はない。

人事管理局(OPM)からの情報窃取事案
 WSJなどの報道によると、OPM職員の人事情報などを狙ったサイバー戦が2回行われたという。米連邦捜査局(FBI)は、中国がこの件の背後にいるとみている。
 OPMに対するサイバー戦がなぜ注目されるかと言うと、その作戦目的の広がりである。従来の中国のサイバー戦が民間企業などからの先端技術の窃取や国防省からの機密資料の窃取が目的であったが、今回はOPMが保管する個人情報を狙ったサイバー戦である。
 中国は膨大な個人情報のデータベースを構築していると言われている。WSJの論説のところで詳しく記述するが、中国は入手した情報をもとに諜報戦を有利に展開できる可能性がある。
 米政府は6月4日個人情報への不正アプローチがあったことを認めたが、機密情報取り扱いに関する情報が窃取されたことについては公表していなかった。
 OPMのキャサリン・アーチュレッタ長官は6月24日、下院監視委員会で証言し、420万人の連邦職員の個人情報が流出したことを認め、さらに最大1800万人の個人情報が流出した可能性に触れている。
OPMを批判する議員などによると、OPMは2014年3月に中国のハッカーがシステムに侵入したが、ファイルをダウンロードしなかった事実を認識していた。OPMは、自らがターゲットであることを認識していたのである。
 それにもかかわらずその後も2回連続の侵入を許してしまった。今回の発見は検知システム「アインシュタイン」(現在はバージョン3であるが、バージョン1は評判が悪いシステムであったとWSJは伝えている)が検知した。
 しかし、ハッカーに侵入されてから時間が経過した後の検知であり、ハッカーの侵入を阻止できない「アインシュタイン」の能力の限界も指摘されている。
 WSJの記事を読む限り「アインシュタイン」は、外部からの侵入を検知する旧来型のシステムであり、侵入を完全に阻止できるシステムではない。
 もし機微な情報が盗まれたのが民間のコントラクターであれば、起訴されたであろうが、OPM長官のキャサリン・アーチュレッタ長官やドナ・セイモア主席情報官は更迭されることなく現在も在職している。オバマ大統領はOPM長官らを擁護し、罷免する動きはない。
 一方、米国家情報長官のジェームス・クラッパー長官は、「政策担当者が知的財産や個人情報の窃取に一層厳しく対応しない限り、ハッカーは米国政府および企業から情報を盗み続けるだろう」と警告している。政策担当者とは最終的には大統領である。

WSJの論説「オバマのサイバー・メルトダウン」
 この論説では、「ロシアやイスラム国が海外で進撃する間に、オバマ政権は米国内でサイバーにおける9・11を許している」とオバマ政権の対ロシア政策及びイスラム国対処を批判するとともに、中国による米国政府機関や企業に対するサイバー作戦を「9・11ニューヨーク同時多発テロ」にひっかけて「サイバー9・11」と呼び、その深刻さに警鐘を鳴らしたのである。
 WSJはまた、OPMが中国のサイバー作戦から受けたダメージの方が、エドワード・スノーデンが米国の安全保障に与えた損害よりも大きいかもしれないと指摘している。
 政府は、6月初旬にOPM関係の400万人の連邦職員の個人情報が中国人ハッカーにより盗まれたと発表した。このハッキングの被害の大きさは当初思っていた以上に大きいことが明らかになってきた。
 OPMは、2014年の年央から年末にかけてシステムの2つの欠陥をハッカーに利用され何百万もの職員のセキュリティ・クリアランスのためのバックグラウンド・チェック資料を盗まれた。
 この中には政府、軍事組織、情報機関に働く職員(過去、現在、未来の職員)のファイルが含まれている。つまり中国は今や米国の現政府職員からスパイに至るまですべての職員の機微な情報を握っていることになる。
 このことは、すべての職員が恐喝(blackmail)の危機に晒されていることを示す。
 バックグラウンド・チェックは、職員応募者の伴侶、子供、友人、隣人、雇用主、家主等の名前が含まれる。これらの人々もターゲットになっている。
 応募者が知らない情報も入っている。契約者や準契約者は自分たちが働く省庁がどこかさえ知らないケースがある。
 中国は、情報のプロたちが言うところの「除外分析(exclusionary analysis)」を駆使して米国大使館で働くCIAなどの職員を特定することができる。
 つまり30人の職員が働いているとして27人の米国職員のデータはOPMの情報で入手できる。残り3人の情報はOPMに送付されていない、つまりこの3人がCIA の職員であると特定できるのである。
 中国は、例えばホテルで4人の米国人(OPMのデータで身元は分かっている)に会ったとする。5人目の米国人のデータを持っていないとすると、この米国人はCIAの職員である可能性がある。このようにして世界中で米国のエージェントに脅威を与えることができるのである。
 これは米国人に当てはまるだけではなく米国人以外にも当てはまる。つまり、バックグラウンド・チェックには米国人がどの外国人に会ったかもデータとして残されている。
 中国は、米国政府と関係を持った中国の反体制派の人間や外国人を特定することができる。中国の友好国(ロシア、北朝鮮など)の欲しい情報でもある。

中国のサイバー戦と実施部隊
 中国のサイバー戦の特徴は国家ぐるみ(whole nation approach)にあり*2、個人・企業・人民解放軍(PLA)のすべてがサイバー戦に関与しているとみるべきだ。特に有事においては国家の指示で個人・企業もサイバー戦に動員されることになっている。
 しかし、あくまでもサイバー戦の主役はPLAである。
 米国のシンクタンク「プロジェクト2049」の2011年の論文*3によると、サイバー戦を統括する人民解放軍総参謀部第三部の下に数千人規模のサイバー部隊、例えば有名な上海所在で北米を担当する61398部隊、青島所在で日本と韓国を担当する四局(61419部隊)、北京でロシアに関係する活動をしているとみられる五局(61565部隊)、武漢所在で台湾・南アジア担当する六局(61726部隊)から、上海所在で宇宙衛星の通信情報を傍受する十二局(61486部隊)まで計12の主要部局があるという。
ちなみに、北朝鮮は、朝鮮労働党と国防委員会傘下の7つの部隊に約5900人のサイバー部隊を抱えているとみられている。
 中国は建て前として、「中国はサイバー戦を実施していない」と主張している。そのために、「米国がやるから中国もやる」とは言えない状況であるが、「米国がやるから中国もやる。米国以上に徹底的に実施する」というのが本音であろう。中国によるサイバー戦は今後とも国家ぐるみで実施されることを覚悟しなければいけない。

米国防省のサイバー戦略
 執拗な中国などからサイバー戦を受ける米国防省は、4月23日、国防省のサイバー戦略“THE CYBER STRATEGY”を発表した。
 このサイバー戦略では、サイバー攻撃に対する「抑止」を重視するとともに、「サイバー任務部隊」(CMF: Cyber Mission Force)などによる具体的な「対処」と産官学の連携、同盟国・友好国との連携を強調している。
 カーター国防長官は、4月23日、スタンフォード大学でこのサイバー戦略に関するスピーチを行い、「抑止と防御的な態勢を重視するが、必要ならばその他のサイバー上の選択肢(注:サイバー攻撃など)を採用する意思がある」ことを明言した。
 同長官は、スピーチの後にシリコンバレーのIT企業などを訪問しているが、国防省のサイバー戦略が法執行機関であるFBI、国土安全保障省、大学、民間IT企業、国防産業などとの密接な連携なくしては成立しないことを示す行動である。
 サイバー戦略の主要点は以下の通りである。
●抑止が新サイバー戦略のカギとなる。
米 国のトータルな行動(宣言した政策、警告能力、防護体制、対応手順、強靭な米国のネットワーク・システム)が米国の国益に対するサイバー攻撃の抑止となる。
●米国の行動は、抑止を重視した防御的なものであるが、必要ならば他の行動を取る。
 米国は、抑止と防御的な態勢を重視するが、必要ならばその他のサイバー上の選択肢(サイバー攻撃など)を採用する意思があることを敵対者は認識すべきである。
  国家が行動する場合、国際法および国内法に適合する交戦規程にのっとり、防御的またはその他、サイバー空間またはその他の空間で行動を取る。
 多くの国の軍隊がサイバー部隊を編成しているが、大切なことは相互の誤判断をいかに避けるかである。各国の軍は相互に話し合い、互いの能力を理解しなければならない。
●民間会社、政府の他の機関、世界中と連携をしなければいけない。特に民間会社は、米国のネットワークの90%に関与していて、これとのパートナーシップは重要である。
●米国防省が2012年、国防省のサイバー任務を遂行するために6200人規模の「サイバー任務部隊」(CMF: Cyber Mission Force)の編成を開始し、2018年までに133のチームを編成し、サイバー防衛及びサイバー抑止態勢を強化する予定である。
 その細部は、National Mission Teams (国家任務チーム13 teams:重大な結果をもたらすサイバー攻撃から米国およびその国益を守る)、Cyber Protection Teams(サイバー防護チーム 68 teams:優先順位の高い脅威から優先順位の高い国防省のネットワークとシステムを防護する)、Combat Mission Teams( 戦闘任務チーム27 teams:統合したサイバー空間効果を発揮し作戦計画および緊急時の作戦を支援することにより戦闘指揮官を支援する)、Support Teams(支援チーム25 teams:国家任務チームや戦闘任務チームに分析支援および計画立案支援を提供する)である。

結言
●中国のサイバー戦については、WSJが指摘するように「サイバー9・11」であるという深刻な認識と中国のサイバー戦に絶対に負けないという決意が必要である。
●サイバー戦の抑止は難しい。だからこそ為政者のサイバー戦に対する断固たる姿勢と懲罰を伴う対応が必要である。
 米国防省のサイバー戦略では、サイバー攻撃の抑止を重視するとして、具体的な方策(宣言した政策、警告能力、防護体制、対応手順、強靭な米国のネットワーク・システム)を記述しているが、サイバー攻撃の抑止は難しい。
 なぜなら、サイバー攻撃に対してそれを拒否し防護するという意味での「拒否的抑止」はある程度可能であろうが、サイバー攻撃者に対し懲罰を与える「懲罰的抑止」は非常に難しいからである。
 何よりも大切なことは為政者のサーバー戦に対する断固たる姿勢と懲罰を伴う対応(攻撃者に対するピンポイントのサイバー攻撃による逆襲、経済制裁など)である。
 特に攻撃者に対するピンポイントのサイバー攻撃については、国防省のサイバー戦略で何度も暗示されているので米国は実施するのであろう。
 経済制裁については、オバマ政権の専売特許であり、ロシアへの経済制裁、北朝鮮への経済制裁など何度も実施している。中国だけには様々な配慮によりなされていない。この点が問題である。
●サイバー戦は国民・企業・官公庁・政府の総力戦
 中国がサイバー戦において国家ぐるみの総力戦で来る以上、こちらも総力戦で対応しないと負けてしまう。米国防省は他の省庁に比較してサイバー戦に人もカネも投入しているが、それでもサイバー戦を常に仕かけられ、しばしばその防御網を破られているのである。
 今回のOPMの例のように多くの米政府機関の防御態勢には問題があり、抜本的な対応が必要である。なぜならば米国のシステムは「侵入されやすい旧来型のシステム」であるからである。
 米国において最も必要なことは「国家として攻撃されないネットワーク・システム」を構築することである。そのための要素技術は出そろい始めている。あとは国家として攻撃されないネットワーク・システムをいかに迅速に構築するか否かである。
 また、企業においても、「企業には2種類しかない。それは、すでにハッキングされた企業とハッキングされたことに気がついてもいない企業だ」と表現されるように、サイバー戦に対して脆弱な企業が多いが、最新の技術を使えば抜本的な対応の可能性はある。
 個人においては、サイバー戦に極めて疎い人たちが大部分ではないだろうか。個人のサイバー戦に関する能力が組織の能力に直結する。個人への啓蒙活動が重要である。
●サイバー戦における自衛隊の役割は大きい
 米国、中国などの主要国において国家のサイバー戦能力の重要なプレイヤーは軍隊である。我が国においても自衛隊のサイバー戦能力は極めて重要である。
 しかし、自衛隊のサイバー戦に係る組織としては100人程度の統合部隊である「サイバー防衛隊」と陸上自衛隊の「システム防護隊」などを加えても数百人程度であり、他のサイバー大国の数千人規模のサーバー部隊と比較すると1ケタ違う。
 特段の増強努力が必要である。そして、その増強の中核は定数の最も多い陸上自衛隊が担うべきであろう。

自衛官の命を粗末に扱いすぎる国会論戦(松島  悠佐)

偕行社会員
松島悠佐

本論考はJBプレスに27年6月11日掲載されたものである。

現状の武器使用権でテロ組織に拘束された邦人救出は不可能

政府の安全保障法制が国会で議論されている。
その中の1つに、テロ組織などに拘束された邦人を救出する任務が新たに与えられることが含まれている。アルジェリアで起きた日本人拘束事件などの教訓から出たものだろう。
 異国の地で種々の仕事に従事する邦人がテロ集団に拘束され違法な要求を突きつけられる事態が起きたら、その安全を守り救出するというのは国家として至極当然の行為である。
 今回の法律では、その際に救出に向う自衛隊に与えられる権限は職務遂行のための「武器使用権」となっている。
 この「武器使用」という権限は、本来は警察官職務執行法に基づいて警察官に与えられている権限であり、正当防衛・緊急避難以外では相手を傷つけてはいけないという制約がある。

現場を無視した武器使用権
 これは、組織的な行動を常態とする自衛隊にはなじまないものだが、「指揮官が命じる組織的な戦闘行動」は憲法に禁止する「武力攻撃」になりかねないとの意見もあり、国内での「治安行動」や海外における「PKO活動」に従事する自衛官に対し、武力攻撃にならない程度に自己防護できる権限として警職法を準用して与えられたものである。
 しかしながら、この権限の行使については現場では問題になることが多かった。
 さて、この規定に従って現実の場面を想定してみると、難しい対応が明らかになる。
 テロ組織などが邦人を拘束するのは、身代金の要求やその他テロ組織の要求を認めさせるためであり、「直ちに解放せよ」と要求しても素直に応じるとは考えられない。当然ながら拘束を解き邦人を救出するには力を行使せざるを得ないだろう。
具体的な事態はいろいろと想像できるが、前述のような隊員個人に与えられた武器使用の権限だけで対応できないと考えるのは当然ではないか。
 これまで諸外国が実施してきた例を参考にしても、救出を命じられた部隊は、特殊戦闘訓練を重ねた特殊部隊が組織的な行動を駆使して初めて達成できるような難しい任務である。
 一歩間違えば、拘束された人質が殺害される危険もあり、あるいは救出に向った部隊が返り討ちにあって撃破される危険もある。
 このような危険を伴う任務を「正当防衛・緊急避難以外では相手を傷つけてはいけないという武器使用権」で実行しろと言うのは酷ではないか。
 国会論戦でも隊員のリスクが問題になっているが、このようなリスクこそ問題にすべきだろう。

自衛官を悩ます2つの判断
 邦人救出の任務を与えるのなら、それを可能にする権限を与えてやらなければならないし、野党が求めているように、武力行使を伴う権限を付与することは憲法違反であり反対だという姿勢なら、邦人の救出はあきらめろと主張すべきだろう。
 現在の状態を放置すると、現場では2つの判断に迷うことになる。
(1)「個人の武器使用ならそれでできる範囲の行動をしよう。それによって邦人救出ができなくても仕方がないではないか」との考えであり、「与えられた権限の中で行動すべきだ」との判断である。
(2)「与えられた任務は邦人救出なのだから、何としてでもそれを達成すべきだ」という考え方であり、「与えられた武器使用の権限の範囲を超えるが、救出のためにはやむを得ない。組織的な戦闘行動になっても、腹を決めてやるべきだ」との決断である。
(1)は任務が達成できなかったと批判されるが、法的には咎めれることはない。(2)は邦人を救出できたとして評価されるが、指揮官は法的には犯罪者であり危険人物として処分されるだろう。
 現場の指揮官はこの2つの間で苦悩することは必定である。
 国会で目下議論している安全保障法制の問題点はここにある。
 この問題に限って見れば、テロ組織に拘束された邦人を無事に解放すべきなのか、しなくてよいのかを、まずはっきりすべきだろう。
 主権国家として力を行使してでもして救出するべきだとするなら、そのために必要な措置を考えるべきである。少なくともそれに見合う特殊部隊を派遣して、行動に見合う権限を付与すべきである。
 そこまでして救出しなくてよいとするなら、(国会でもそのような主張をする政党もあるが)、今までどおり、外交的に解決するとか、他国任せにするとか、あるいはお金で解決するとかの方法を選ぶことになるだろう。

旗幟鮮明にした国会論戦を
 邦人を救出するというこのような場合でも、自衛隊に戦闘行為をさせることは憲法違反であり、それによって武力行使が際限なく広がると危惧する人は、要するに「憲法の規定を守ることが重要であり、それを逸脱してまで救出しなくてよい」と考えている人なのだろう。
 国会の論戦では旗色鮮明に立場をはっきりして、実体感覚で進めてもらいたい。
 私は、外国に所在する邦人を保護するのは国家の任務だと思うし、それを実現するためにほかに方法がないのであれば特殊部隊を派遣して救出する措置をとるべきだと思う。
 それが組織的な戦闘行動になっても、それは憲法9条に違反するものではないと思っている。
 実体感覚からすれば、テロ組織が意図的に拘束した邦人を、武器使用の権限で救出することなどできない相談である。

尖閣諸島をどう守るか(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は筆者が2012年9月に発表した論考である。
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今夏、韓国大統領の竹島訪問や中国人の尖閣不法上陸に端を発した領土問題がヒートアップしている。竹島と尖閣は歴史的経緯も現状も異なり、同一には論じられない。尖閣問題は竹島とは違って、まかり間違えば紛争に発展する可能性を秘めている。
野田首相は衆院本会議で尖閣諸島などへの不法行為があった場合、「必要に応じて自衛隊を用いることを含め、政府全体で毅然として対応する」と述べた。その姿勢は大いに支持したい。だが、尖閣問題は自衛隊の投入といった戦術レベルの問題ではない。台頭する中国とどう向き合うのかという日本の政戦略が問われているのだ。
中国は「2人のカール」を愛する国といわれる。「共産党宣言」の著者カール・マルクスと「戦争論」の著者カール・フォン・クラウゼウィッツであるが、二人に共通しているのは「力の信奉者」であることだ。
中国は相手の力が弱ければ強く出るが、強ければ静かに時を待つ。1990年代、米国との実力差が歴然だった頃、鄧小平は「韜光養晦」を主張した。「頭を下げて低姿勢で外交はやるべき」という意味である。李鵬首相も「屈辱に耐え、実力を隠し、時を待つ」と述べた。また朱熔基首相も「強行になれるかどうかは実力次第」と語った。
GDPでは日本を抜き世界第2位になった。軍事力は20数年に及ぶ大軍拡で30数倍に増強された。今や実力をつけた中国は、相手が弱いと見るや遠慮なく撃って出てきた。現在係争中であるベトナム、フィリピンとの領有権争いなど南シナ海での傍若無人な振る舞いを見れば分かる。
過去もそうだ。73年に米軍がベトナムから撤退するや翌年、ベトナム軍が占守中の西沙諸島を軍事力で占拠した。92年には米海軍がフィリピンのスービック基地から撤退するや領海法を制定し、南沙、西沙群島を自国領として明記した。力の空白に躊躇なく入り込むのは「力の信奉者」の常道である。
尖閣諸島領有権問題も東シナ海のオフショア・バランス(海洋における勢力均衡)の観点で見なければならない。平穏な東シナ海を維持するには、決して「力の空白」を作ってはならない。自衛隊はバランスの一つのパラメーターであるには違いないが、最も大きなパラメーターは日米同盟である。
今年1月、米国は新国防戦略指針で対中国戦略の修正を明らかにした。これまでの対話主体の限界を認め、力をより前面に打ち出す方向へ修正した。
力を前面といっても、台頭する中国を戦争でねじ伏せる訳にはいかない。経済的な依存関係がこれだけ深まった現在、冷戦期のような封じ込め政策も採れない。だとしたら中国が自ら軍事的無頼漢になるのを控え、国際規範に基づく行動をとるよう、粘り強く促すという「関与政策」以外に手はない。
”Hedge and Integrate”というように、軍事と外交を併用しアジア諸国と連携し、「動かぬ垣根”Hedge”」で中国を牽制しつつ、「不透明な軍事力拡大をそれ以上進めず、責任ある利害関係者になれ」そして「世界基準へ統合”Integrate”せよ」という関与政策である。
関与政策には、二つの条件がある。一つは関与する側が圧倒されないこと。そしてもう一つは、関与政策には長い年月を要すため、その間、独善的で邪な誘惑に駆られない
よう、状況がどう転んでも対応できる備え(Hedge)があることだ。
米国が関与政策への強い意志を持つことは、アジアの平和と安定に欠かせない。東アジア首脳会議で野田首相は「米国が関与を深めていこうとするのは歓迎すべき」と語った。米国の軍事力は関与政策の必須条件である。
問題は米国が今、財政赤字を抱えて足元が覚束ないことである。米国は現在、史上初めて脅威が高まる中での軍縮を余儀なくされている。中国の傍若無人さを阻止できるのは米国しかいない。だが最早、米国一国では手に余るのが現状である。ならば米国を中心とする同盟の集積、ハブ・アンド・スポークにより民主主義国家が連携して米国を支え、友好国とスクラム組んで関与政策を遂行するしかない。
日米同盟はヘッジ戦略の要である。米軍との間で任務・役割分担を明確にし、足らざるところを補う日米同盟の緊密化が喫緊の課題である。最近になって北方領土、竹島、尖閣と領有権問題が浮上してきたのも、日米同盟の弱体化が誘因なのだ。早急に日米同盟を建て直し、力を背景に毅然と対応することが求められる。
他方、日本も米国と同等以上の財政上の問題を抱え、大幅な防衛支出は困難な状況にある。900兆円を超える借金を抱え、防衛費も10年連続減少している。大震災もあって、大幅な防衛費増は望めない。大幅なコスト増なしで抑止力を向上させ、日米同盟の強化を図ることに知恵を絞らねばなるまい。実は、まだまだやるべきことは沢山ある。
先ずは第一列島線に横たわる南西諸島防衛の盤石化である。日本周辺海域の守りを磐石にし、米国の負担を軽減することは極めて重要だ。平時から海上自衛隊と海上保安庁が、そして陸上自衛隊と警察が連携を強化し、シームレスな対応ができる法整備が必要である。また離島防衛の日米共同作戦計画を早急に策定し、日常的な日米共同訓練を通じ、日米共同運用体制の強化を図る。この時、基地共同使用の促進や集団的自衛権の見直しは避けて通れない。
二番目は普天間問題を早期に解決すると共に、オスプレイ配備を促進し、安定した米海兵隊プレゼンス維持を図ることである。沖縄の米海兵隊は大きな対中国抑止力である。市街地が密集する危険な普天間基地を速やかに辺野古地区へ移動させ、米海兵隊の前方展開を安定したものにしなければならない。
オスプレイは現行機CH46に比して格段の能力向上が図られる。航続距離が約5~6倍、行動半径が約4倍、速度は2倍、搭載量は約3倍である。CH46では航続距離が尖閣諸島まで到達しなかったが、オスプレイでは約1個小隊24名の兵員を尖閣諸島まで楽々運ぶことが出来るようになる。飛行性能に優れたオスプレイの配備は南西諸島防衛の強力な味方となるのは違いない。安全性を確認すれば、普天間飛行場への配備は粛々と実現すべきである。
三番目は在沖縄基地の抗堪化である。沖縄は対中国戦略の「要石」である。アジア重視の米国にとってもグアムと並び不可欠な拠点である。他方、中国のA2/AD(接近拒否/領域拒否)能力向上により沖縄の基地は脆弱になった。新大綱にも「基地機能の抗湛性を確保する」とある。今後、PAC3の集中配備によるミサイル防衛強化、あるいは被害復旧能力の向上、下地島飛行場の活用等、各種抗湛化施策が求められる。
四番目は戦力シフトと機動展開能力強化である。陸上防衛力を南西にシフトし、南西諸島の防衛強化を図ることは即応性を高める上で極めて有効である。何より南西諸島防衛に対する強いメッセージになる。他方、訓練環境、地積等の制約等もあり現実には容
易ではない。これを補うのが機動展開能力である。現在、自衛隊の機動展開能力は陸海空あわせても所要は満たせない。これを一朝一夕に改善することも難しい。ならば、民間が保有する輸送力を一朝有事の際に活用できる枠組みを作り、平素から訓練をしておくことが必要となろう。
五番目は南西方面での航空優勢確保である。航空優勢確保は全ての作戦の前提条件である。空軍戦略家ジョン・ワーデンは次のように述べる。
「如何なる国家も敵の航空優勢の前に勝利したためしはなく、空を支配する敵に対する攻撃が成功したこともない。また航空優勢を持つ敵に対し、防御が持ちこたえたこともなかった。反対に航空優勢を維持している限り、敗北した国家はない」
現在、南西諸島方面の航空優勢は日米同盟側にある。航空優勢が我が方にある限り、中国は軍事行動は起こせないだろう。今後、航空優勢が中国側に傾かぬよう継続的な施策が必要だ。
航空戦力の配備ついては、脅威方面に集中させる陸上戦力とは性質を異にする。航空戦力、特に戦闘機は地上にあっては無力である。従って、脆弱な前線への集中配備は避けなければならない。戦闘機はその高い機動性を活かし「地上においては分散を、上空においては集中を」の教義で運用しなければならない。沖縄での運用基盤強化は必要だが、あくまで戦闘機は全国に均衡配備し、状況に応じ自在に空中で集中できるよう空中給油機を整備する方向性が肝要である。
その他、サイバー戦能力向上も喫緊の課題である。今後、日米で歩調を合わせつつ、国を挙げて官民で強化すべき分野である。
緊密化した日米同盟こそが尖閣の領有権を守り、東シナ海に平和をもたらす。米国は日米安全保障条約第5条の尖閣諸島適用を明言した。我々はこれに安心してはならない。事が起きたら先ず日本の防衛行動がなければ、第5条の「共通の危険への対処」はできない。何より、尖閣諸島を守る日本人の覚悟が求められていることを忘れてはならない。
中国にとって「ここぞという絶妙の瞬間に間違いなく崩れると確信できる弱い日米同盟が、中国の安全保障の利益にかなう」と中国高官が述べる。今後日本は、米軍と任務を分担しつつ負担を肩代わりし、「絶妙の瞬間」に崩れない強固な日米同盟を再構築する必要がある。まさに日米の戦略的一体性がどれだけ確保できるかが試されているのである。

南沙諸島埋め立て・軍事基地化断行に迷いし(渡部 悦和)

偕行社安全保障委員会委員
渡部 悦和

本論考はJBプレス(27年5月30日)に発表されたものである。

2015年版「中国の軍事戦略」から見えてくる中国の狙い
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中国がフィリピンなどと領有権を争っている南シナ海で大規模かつ急速な埋め立て(人工島の建設)を行っている。
 米国は、この件に関しジョー・バイデン副大統領、アシュトン・カーター国防長官などの高官が懸念を示すとともに、米軍は艦船や哨戒機による人工島建設現場周辺のISR(情報・監視・偵察)を行っている。
 中国によるスプラトリー(南沙)諸島における人工島の建設は、中国が多用するサラミ・スライス戦術(salami- slicing tactics) *1の一環である。中国は領土問題において、非軍事的な手段を使い権益を徐々に拡大し、最終的な目的を達成する戦術を採用している。
 日本、米国などの諸国は、中国のサラミ・スライス戦術に対して絶対に守るべき一線つまりレッドラインを決めていないので、中国の巧妙な戦術に適切に対抗することが難しいのである。
 今回の中国の実力行使に対し何の対抗処置を講じないならば、中国の無法な行動を黙認してしまうことになる。覇権主義的な傾向を強める中国にいかに対処するかが今こそ問われている。
 南シナ海における人工島建設の背景には中国の戦略が存在する。中国は、5月26日、「中国の軍事戦略(China’s Military Strategy)」を絶妙なタイミングで発表した。
 従来は2年ごとに国防白書が発表されてきたが、今回は軍事戦略のみに焦点を当てた新たな形で発表された。結論的に言うと、「中国の軍事戦略」は矛盾に満ち、プロパガンダ色の強い文書であるが、中国の公式な軍事戦略は何であるかを分析する資料として価値はあるし、局地戦争の勝利を追求する戦略は侮れない。
 「中国の軍事戦略」における矛盾の多くは、中国共産党のイデオロギーへの執着と共産党の軍隊としての人民解放軍の宿命に起因している。
 純軍事的に軍事戦略を描けばもっと洗練された軍事戦略になるであろうが、イデオロギーの影響を強く受け、本音と建て前の混在、はったりと一部の真実の混在した軍事戦略となっている。
 一方で、米国防省が議会への年次報告書“ Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China 2015”(以下、「2015米国防省の年次報告書」と記述する)を5月8日に公表したが、中国の安全保障・軍事を語る際には不可欠な文書である。
*1=本のサラミを丸ごと盗めばすぐにばれるが、薄くスライスして盗んでいけばなかなかばれない。この様に、小さな行動を積み重ねることにより、最終的には最終目標を達成しようとする戦術をサラミ・スライス戦術と呼ぶ。
この二つの文書を併せ読むことによって世界第2位の経済大国・軍事大国になった中国の軍事戦略についての理解が深まるであろう。
 また、イデオロギーやプロパガンダを含んだ分析を排除し、国際政治を純粋にバランス・オブ・パワー(力の均衡)で分析するリアリズム学派の代表であるジョン・ミアシャイマー*2の「THE TRAGEDY OF GREAT POWER POLITICS(大国政治の悲劇)」などを参考にすると、「中国の軍事戦略」の理解がさらに深まる。
 従って、本稿においては、「2015米国防省の年次報告書」、「THE TRAGEDY OF GREAT POWER POLITICS(大国政治の悲劇)」の記述を紹介しながら「中国の軍事戦略」を分析してみたいと思う。
1 中国の軍事戦略
三戦(輿論戦、心理戦、法律戦)の一環としての「中国の軍事戦略」
 中国は、5月26日、「中国の軍事戦略」と題する国防白書を発表したが、そのタイミングは実に絶妙な時期であった。
 アジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立による米国主導の秩序への挑戦を明確にし、スプラトリー(南沙)諸島における大規模かつ急速な人工島の建設により実力で南シナ海の領土問題に決着をつける意思を明確にしたタイミングであった。
 中国のきわめて挑戦的な行動の背景には中国の戦略があり、その戦略の一端を「中国の軍事戦略」として提示した点で2015年の国防白書は注目すべき文書となっている。
 毎度のことであるが、今回の国防白書「中国の軍事戦略」も中国の三戦(輿論戦、心理戦、法律戦)の中の輿論戦と心理戦の一環であり、プロパガンダの文書であることを念頭に置くべきである。
 「中国の軍事戦略」を一言で評価すると、「言行不一致。言っていることとやっていることが違う」のであり、これがプロパガンダの本質でもある。
中国の夢「中華民族の偉大なる復興」が出発点
 「中国の軍事戦略」で最初に出てくるキーワードは、中国の夢「中華民族の偉大なる復興」(great national rejuvenation)である。習近平が国家主席に就任以来強調してきたスローガンが「中華民族の偉大なる復興」であることと密接に関連している。
 中国がいかなる夢を抱こうが自由であるが、「中華民族の偉大なる復興」が他国の国益を害し、他国の犠牲の上に実現されるのであれば、アジアのみならず世界の平和と安定にとって有害である。
*2=シカゴ大学教授でリアリスト派の国際政治学者。リアリズムの立場からジョージ・W・ブッシュが実施をしたイラク戦争に反対し、中東や欧州における紛争に対する米国の関与には否定的である。一方、オバマのアジア太平洋リバランス政策には賛成している。
 「中国の軍事戦略」では「和平外交政策」と「防御性国防政策」を強調し、「中華民族の偉大なる復興の実現により、世界とともに平和の維持、発展の追求、繁栄の分担を追求する」としているが、「中華民族の偉大なる復興」の追求は必ずしも世界の平和・発展・繁栄にはつながらず、かえって世界の平和と安定を乱す要因になっている。
 また、「中華民族の偉大なる復興」が習近平国家主席をはじめとする多くの中国人のナショナリズムに根差しているだけに、その追求が他国の国益や意思を無視する傾向になる。
 中国人のナショナリズム、富国強兵政策、中国軍事戦略が混然一体となって、中華民族の偉大なる復興が追求されるのであろう。
米国および日本への懸念
 「中国の軍事力」の中で日本と米国とロシアの国名が明示されている。ロシアは戦略的パートナーシップの友好国として登場する。日本は仮想敵として、「日本は戦後メカニズム(レジーム)からの脱却を目指し、軍事・安保政策の大幅な変更を進めている。そのような傾向は地域の他の諸国に重大な懸念を引き起こしている」と非難している。
 そして、米国については、新型大国関係の相手国として登場する。米国という国名は明確には出てこないものの実体的に米国を覇権国として非難し、「覇権主義、力による政治(power politics)、新型の干渉主義(neo-interventionism)という新たな脅威」であるとして非難している。
 また、「南シナ海問題について外部から頻繁に介入し、中国に対する近距離からの航空・海上監視を行っている」と非難し、「これらの行為に対して領土主権、海洋の権利・利益を守らなければいけない」と主張し、外部から頻繁に介入する国家が米国であることを明確に示唆している。
 結論として、中国の夢を妨害する国家が米国と日本であることを「中国の軍事力」は示唆しているのである。
中国の台頭は平和的ではない
 米国のバラク・オバマ大統領は、過去何度も「中国の平和的な台頭を期待する」と発言し、中国に対して寛容な対応を採用する傾向にあったが、中国の台頭は平和的なものではなく、強圧的で攻撃的な台頭となっている。
 「中国の軍事戦略」では、「中国の平和的な発展は全世界に好機を提供する」と表現しているが、中国は決して平和的に発展していなくて、強圧的な台頭をしているからこそ周辺諸国が脅威を感じているのである。
 中国の対外政策の問題点の1つは言行の不一致にあり、東シナ海や南シナ海での極めて高圧的な主張と行動が明白な証拠である。
「2015米国防省の年次報告書」でも、「中国は平和的な台頭を主張しているが、その実態はとても平和的なものではなく、中国共産党の主張は虚偽であり、単なるプロパガンダにすぎない。その具体例として、フィリピンのセカンドトーマス礁に駐在する海兵隊員に対する補給の妨害、ベトナムとの係争海域におけるオイル・リグの設置、東シナ海における日本との係争に関し経済的制裁を科したこと」を列挙している。
 シカゴ大学教授のジョン・ミアシャイマーがTHE TRAGEDY OF GREAT POWER POLITICS(「大国政治の悲劇」)の第10章“Can China Rise Peacefully”で主張するように「中国の平和的台頭はない」のである。
 ミアシャイマーに代表されるリアリスト派の議論によると、新たな大国(例えば中国)の台頭は、平和的になされるのではなく、強圧的になされる。
 新たに台頭する国は、既存の覇権国(例えば米国)と衝突する。つまり台頭する中国はかつての覇権国米国と対立する確率が高い。
 国際政治において、大国間の関係は基本的にゼロサム・ゲームであり、一方が勝てば一方が負けることになる。バランス・オブ・パワーの世界においては、米中がWin- Winの関係になることはない。
 リアリズムの立場に立てば、各国はそれぞれの地域の大国を目指す。米国が西半球(南北アメリカ大陸)において圧倒的な大国としての地位を確立したように、中国もアジアにおいて圧倒的な大国としての地位を確保し支配しようとする。
 「中国の軍事戦略」では、「中国は、覇権主義とパワー政治に反対し、覇権や拡張を追求しない。中国軍は世界平和を維持する信頼される軍隊であり続ける」と主張しているが、実際の行動と一致しない。
韜光養晦(とうこうようかい)
 バランス・オブ・パワーの世界では既存の大国は他の地域の大国の台頭を阻止しようとする。米国は中国の強圧的な台頭を阻止しようとするのが自然である。必然的に米国と中国はアジアにおいて衝突することになる。
 中国が「中国の軍事戦略」で暗示しているように、米中のアジアにおける衝突はあり得るのである。しかしながら、オバマ政権は、台頭する中国と直接的な対決を避けて、中国に対する関与政策を重視してきた。
 そのため、中国にとっては組みやすい相手と認識したのであろう。「中国の軍事戦略」でも、「全般的に好ましい外部環境により、中国の発展にとって戦略的好機であり、この間に多くのことを達成できる」と主張できるのである。
 中国にとって最も賢明な対外的なアプローチは、鄧小平が唱えた韜光養晦(とうこうようかい)であろう。韜光養晦は、「光を韜(つつ)み養(やしな)い晦(かく)す」であり、才能や野心を隠して、周囲を油断させると共に力を蓄えようとする処世術である。
 鄧小平の時代から、中国はある時期までは韜光養晦の原則に従って対外政策を展開してきたが、国家主席に就任した習近平は「韜光養晦の時は過ぎた」と判断したのであろう。中華民族の偉大なる復興を掲げ、韜光養晦をお蔵入りさせてしまい、大国としての自負に基づく強圧的な対外政策を展開している。
 「中国の軍事戦略」が指摘するように、時は中国に味方していて、時間の経過とともに中国のGDP(国内総生産)は増大し、軍事力も強大になっているが、今はまだ韜光養晦を捨て去る時期にはなく、国際社会に対して控えめにソフトに振る舞うべきであろう。
 ミアシャイマーのようなリアリストの立場に立てば、現時点で強圧的でタカ派的な対外政策を追求することは中国のさらなる発展を阻害するという結論になる。「韜光養晦の時は過ぎた」と過早に判断し、機が熟すまで待てない習近平氏の焦りを感じざるを得ない。
 彼の焦りの背景には「中国の軍事戦略」でも記述されている2つの目標年(2021年と2049年)があるかもしれない。
 2021年は中国共産党の創立100周年であり、2049年は中華人民共和国の建国100周年である。軍事的観点では、人民解放軍は2020年をターゲットとして第2列島線までの接近阻止/領域拒否(A2/AD)能力を完成させ、2050年までに太平洋での覇権を完成させようとしている。
中国の積極防御(active defense ) と後発制人(攻撃された後に反撃する)
 今回の「中国の軍事戦略」の記者発表で最初に強調されたのが積極防御である。中国においては、毛沢東以来の積極防御戦略を今に至るまでずっと踏襲してきたが、今年の2015国防白書でも積極防御戦略が採用されている。
 その意味では変わりばえのしない「中国の軍事戦略」になっている。
 中国では毛沢東以来、「積極防御戦略が中国共産党の軍事戦略の基本」であり、「戦略上は防御、自衛及び後発制人(攻撃された後に反撃する)を堅持する」という表現が長く踏襲されてきた。
 これだけを読むと中国の軍事戦略は極めて防御的であると読めるが、これは一種のプロパガンダであり、「米国防省の年次報告書」は毎年、中国の「後発制人」に疑念を呈してきた。
 つまり中国の「後発制人」は建前に過ぎないと主張してきたのである。中国は朝鮮戦争において先制攻撃を行ったし、インド・ソ連・ベトナムとの国境紛争において先制攻撃を行ってきたのである。
中国は、湾岸戦争(1990~1991)、コソボ紛争(1996~1999)、イラク戦争(2003~2011)などを観察し、IT(情報技術)などの最新の科学技術がもたらした米軍の「軍事における革命(RMA: Revolution in Military Affairs)」に驚嘆し、ITの重要性を認識するとともに、先制攻撃が圧倒的に有利であることを認識したのである。
 中国は今や、宇宙やサイバー空間における先制攻撃は避けられないと認識するとともに、「戦役戦闘上は積極的な攻勢行動と先機制敵の採用を重視する」と表現するに至ったのである。
 以上の議論をまとめると、「戦略指導においては、戦略上の防御と後発制人(攻撃された後に反撃する)を堅持し、戦役戦闘上は積極的な攻勢行動と先機制敵の採用を重視する」という苦しい表現になる。
 前半の「戦略指導においては、戦略上の防御と後発制人(攻撃された後に反撃する)を堅持し」という表現はプロパガンダとしての建前であり、後半の「戦役戦闘上は積極的な攻勢行動と先機制敵の採用を重視する」が本音である。
 つまり伝統的な建前と現代戦における戦勝獲得のための本音が混在したのが中国軍事戦略の本質である。筆者が矛盾に満ちた中国軍事戦略と表現するゆえんである。
局地戦争に勝利する*3
 「中国の軍事戦略」には、「1993年にハイテク環境における軍事戦略指針において、局地戦争に勝利することが軍事闘争準備(PMS:Preparation for Military Struggle)の基本になった。さらに、2004年にPMSの基本が修正され、情報化環境下における局地戦争に勝利することになった」と記述されている。
 なお、軍事闘争の準備(PMS)は、「中国の軍事戦略」においてキーワードである。
 PMSは、将来の戦闘に備えて即応態勢を高めることであり、基本的な軍事活動として重視され、平和を維持し、危機を封じ込め、戦争に勝利するための重要な保証であると強調されている。いずれにしろ局地戦争に勝利するための準備を怠らないというのが重要な原則である。
 「2015米国防省の年次報告書」では、「中国は、2010年代を戦略的好機と位置づけ、2020年を目標に富国強軍(経済の成長と軍事力の強化)に励む。特に、軍の近代化で顕著な進歩を達成し、局地戦争を戦い勝利する能力(台湾事態に対処する能力、SLOCの防衛、東シナ海及び南シナ海における領土防衛、西部国境の防衛を達成する能力)を獲得する」と記述されている。
*3=米国が使用する地域紛争(regional conflict)や局地戦争について、中国では「局部戦争」と表現しているが、本稿では「局地戦争」と記述する。
 中国軍事戦略のキャッチフレーズが積極防御であるのに対し、「局地戦争に勝利する」という主張は人民解放軍(PLA)の本音である。中国の言う局地とは国境付近、海の領域、空の領域を言う。
 「米国防省年次報告2015」は中国について以下のように記述しており、「中国の軍事戦略」と符合する点が多い。
 「(1)長期的な総合軍事力の増強に努め、(2)短期・高強度・局地戦争(short-duration high intensity regional conflict)を追求している」
 「つまり、本格的な米軍との紛争を望まず、米国との直接的な衝突を避け、米軍が介入する以前に戦勝を獲得する短期戦を追求し、作戦地域を特定の地域(例えば、尖閣諸島)に限定する、(3)台湾海峡における紛争が焦点であり、そのための軍事への資源を投入する」
 「しかし、東シナ海および南シナ海における紛争にも焦点を当ててきている、(4)中国周辺を越えた任務への投資が益々増えている。例えば、戦力投射、シーレーン防護、海賊対処、平和維持、人道的支援・災害派遣HA/DRへの投資を増やしている」
重大な安全保障上の4つの領域(ドメイン)
 「中国の軍事戦略」では、重大な4つの領域として海、宇宙、サイバー空間、核戦力を列挙しているのが特徴である。米国では海・空・宇宙・サイバー空間の4つの領域をグローバル・コモンズとして重視するが、中国では核戦力を重大な領域としている。
 核戦力は戦力であり、ドメインではないため違和感があるが、この区分が中国的な表現である。
 日本のマスコミの報道では「海洋戦略強化」とか「海軍強化」とか海の領域を強調し過ぎる傾向があるが、「中国の軍事戦略」では海の領域だけではなく、宇宙、サイバー空間、核戦力も重大な領域だとバランスよく認識している点は非常に重要である。
 習近平氏は政権の発足当初から海軍重視の姿勢を示してきた。
 「中国の軍事戦略」では「重大安全領域における戦力発展」の項目の中で、「海洋強国を目指す」ことを宣言し、「陸を重んじ海を軽んじる伝統的な考え方を打ち破り、海(sea)や大洋(ocean)を管理し、海洋の権利と利益を防護することに重点を置くべきである」とまで記述し、陸軍に対する海軍の優越を明示した。
 この主張は大変興味深く今回の国防白書の特徴の1つになっている。
人民解放軍(PLA:People’s Liberation Army)は、そもそも陸軍(PLA Army)が主体で創建され、海軍(PLA Navy)および空軍(PLA Air Force)は付随的な軍種であった。「陸を重んじ海を軽んじる伝統的な考え方を打ち破る」という思い切った表現は、かなり高いレベル(習近平氏か)の承認を得た証左であろうが、当然ながら陸軍の不満は存在するであろう。
 いずれにしろ「中国の軍事戦略」でも「海洋強国」を目指すと宣言し、「中国にとって近代的な海軍力の建設が必要である。それにより国家主権、海洋における権利と利益を確実にし、SLOCの防衛や海外における利益の防護をする」と記述し、「近海海軍から遠洋海軍に脱皮を図る」としている。
軍事闘争の準備(PMS: Preparation for Military Struggle)
 「中国の軍事戦略」において軍事闘争の準備(PMS)はキーワードであり、戦闘に至る以前の戦闘即応態勢全般を網羅している用語である。
 PMSをあらゆる領域(陸・海・空・宇宙・サイバー空間)で推進し、国家の主権および安全を守り、海洋の権利と利益を防護し、軍事紛争に対処することを強調している。
 軍隊には戦いそして勝利する能力が必要であり、抑止と戦争遂行能力の向上のための準備が必要であり、高い即応性が求められるということである。そのため、PMSは基本的な軍事活動であるとされ、平和を維持し、危機を封じ込め、戦争に勝利するための重要な保証であるとしている。
 PMSで強調されているのはICT(情報通信技術)を活用したシステムの重要性である。
 情報システムを重視し、情報システムに依拠した「システム対システム作戦」の能力の向上、情報システムを活用して組織化された統合作戦システムが重要であるとしている。
 また、偵察・早期警戒・指揮統制システムの構築、中長距離の打撃能力の開発、中央軍事委員会(CMC)指揮組織と戦域レベルの指揮システムの改善、実戦的な訓練、戦争以外の軍事作戦(MOOTW: Military Operations Other Than War)の準備などの重要性も指摘している。
侮れない科学技術への対応
 イデオロギーに縛られるPLAという否定的な評価はできるであろうが、PLAは侮れない存在である。PLAは、特にITをはじめとして最新の科学技術を取り入れた戦略・戦術・戦法の開発、C4ISRシステムの開発、その他の兵器の開発を強調している。
 米軍のRMA、情報環境下における作戦という用語を使用し、米国の最新の戦略である相殺戦略(Offset Strategy)で推奨されている無人・ステルス・長距離の兵器に言及するなど、常に世界最先端を走る米軍に追いつき・追い越せという思いが伝わってくる。
2 中国の人工島建設にいかに対処すべきか
今後の中国の活動
 中国のスプラトリー諸島における人工島の建設の背景には、「中国の軍事戦略」で記述されている「中華民族の偉大なる復興」がある。そして、人工島の建設は、「局地戦争の勝利」(東シナ海及び南シナ海での局地的な戦闘での勝利を含む)を確実なものにするための「軍事闘争の準備(PMS)」の一環であると筆者は分析する。
 今後、米国や日本の反対にもかかわらず中国は人工島の建設を中止しないであろう。なぜならば、人工島の建設は、「局地戦争の勝利」にとって不可欠だと中国が認識しているからである。
 人工島には滑走路、港、軍のISR施設、人員の宿泊施設などが建設され、近い将来に軍用機、軍艦、対空兵器、対艦兵器などが配置され、軍による監視・偵察活動が実施されるであろう。そして、人工島を中心として防空識別圏(ADIZ)を設定する可能性があり、領土・領海・領空の主張を繰り返すことになるであろう。
 そして、中国の最終的な目標は、南シナ海や東シナ海から米国を締め出し、同地域の覇権を握ることであろう。
米国などの対処のあるべき姿
 このような中国の活動に対して、米国などはいかなる対処をすべきであろうか。まず、中国の無法な活動に対して警告を発し続けることが必要である。幸いにも米国の要人は、今回の埋め立てに対しては危機感をもって中国に警告を発している。
 米国のバイデン副大統領は、5月22日、アナポリスの海軍士官学校の卒業式で演説し、「アジア太平洋地域において緊張が高まっている。米国のアジア重視戦略は、米国の存在を示し続けることで可能となる。米国は、公平で平和的な紛争解決や航行の自由のためには、臆することなく立ち上がる」と海洋進出を強める中国を批判した。
 カーター国防長官は、5月30日、「岩礁を飛行場に変えたからと言って、その国が領有権を持つわけではない。米国は国際法が認める範囲で飛行・航行を続ける。アジア太平洋地域の安定に米国の絶え間ない関与が求められていると痛感した」、「安倍政権は東南アジアへの関与を強めている。日米両国は東南アジア内外でさらに協力できる」と発言した。
 また、米国防省のデビッド・シアー国防次官補は議会の公聴会で、「埋め立てによって2017年か2018年に飛行場が完成する。中国が南シナ海で実施している埋め立ては、周辺国が前線基地の軍事力を強化することになり、誤算による衝突などの危険性が増す」と批判し、「米軍による定期的なISRやフィリピンなどの同盟国や友好国との関係強化で対処する」と発言した。
 また、中谷元防衛大臣も5月30日、アジア安全保障会議で演説し、「無法が放置されれば、秩序は破壊され平和と安定は壊れる。中国を含む各国がこのような責任ある立場で振る舞うことを期待する」と厳しく中国を批判した。以上のような警告を今後とも粘り強く発し続けることが重要である。
 警告に次いで人工島周辺における軍事的なプレゼンスを示し続けることが大切である。人工島周辺12海里の領海の主張を認めないことを艦艇の航行や哨戒機(P8Aなど)の飛行によりしつこく示すことが重要である。そして、人工島周辺で米軍を中心とする多国間演習を実施するなども有効であろう。
さらに、米国にとっては、カーター国防長官が表明したように、東南アジアの海洋安全保障にかかわる設備の増強を支援することや、フィリピンなどの同盟国や友好国に対する装備品の売却、海軍等の能力構築支援も有効であろう。
 しかし、今回のような中国の無法な活動に対しては、何よりも米国の決意と覚悟が問われる。バイデン副大統領が言うように「臆することなく立ち上がる」を実践してもらいたいものである。
 中国の台頭は平和的にではなく、強圧的になされるのである。このことを認識し、覚悟をもって中国に対峙することが不可欠である。
 当然ながら関与戦略により中国が望ましい方向に変化すればベストであるが、関与戦略が失敗すれば、次に採用すべきはヘッジ戦略である。軍事力を含めた米国のパワーと日本をはじめとする米国の同盟国と友好国のパワーを結集して中国を封じ込める戦略が必要になってくる。
 今までは中国のサラミ・スライス戦術になす術がなかったが、今回は中国に明確なイエローカードを突きつけなければいけない。決して宥和的な姿勢を示してはいけない。日本の海上交通路(SLOC)にとって南シナ海は不可欠な海である。我が国も国家の存立をかけ、米国に協力すべきである。
結言
 今回の「中国の軍事戦略」は、孫子の兵法などの有名な戦略を生み出してきた中国の軍事戦略としては、矛盾に満ち、本音と建て前が混在し、洗練されていない軍事戦略である。
 しかしながら、局地戦争を勝利するという決意とその裏づけとしての最新兵器の開発・導入、宇宙やサイバー空間などあらゆる分野における優越の追及、軍事闘争準備(PMS)の強調などは侮れない。
 アジアにおいて覇権国を目指す中国の悪しき影響力をいかにして封じ込めていくかが我が国をはじめとする関係国の喫緊の課題である。
 リアリズムの立場に立てば、既存の覇権国である米国にバランス・オブ・パワーの主役として活躍してもらわざるを得ない。我が国も他の友好国などと連携しながら米国の対中政策に協力することが重要である。
 そして何よりも我が国自身がアジア地域の大国として中国と覚悟を持った対応ができるように国力を養成することである。当然ながら日本経済の着実な成長を達成しなければいけないし、防衛態勢の強化も必要である。
 その意味で現在国会で議論されている集団的自衛権を含む安全保障法制の整備は重要である。本質を離れた空虚な安保議論ではなく、我が国がこの厳しい環境下で如何にして生き残るかを真剣に議論してもらいたいものである。
 建て前や単なる揚げ足取りだけのためにする議論は聞きたくもない。本質的な議論を期待したい。
 中国、ロシア、北朝鮮の脅威を至当に判断すれば、我が国一国のみでこれらの諸国の脅威に対処することは難しい。特に核兵器を保有していない我が国にとって米国の拡大抑止(核の傘)に頼らざるを得ない。
 米国を活用すること、日本防衛のため、アジアの平和と安定のために米国をこの地域に巻き込むことこそが求められているのである。

自衛隊は強いのか弱いのかの疑問にお答えしよう(冨澤 暉)

偕行社副理事長(安全保障委員)
冨澤 暉

本論考はJBプレス(27年5月25日)に発表されたものである。
(修正、再掲載します)

毎年平均して25人の死者を出す過酷な訓練は何のためか
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「本当のところ、自衛隊は強いのか」
そんな質問を受けることがよくある。かつて自衛隊で精強部隊育成に努めてきた身からすれば、「もちろん強いのです」と言いたいところだが、その答えはそれほど簡単ではない。
 なぜなら、「強さ」を決定する基準は多岐にわたっているからである。帝國陸海軍と比較しての話か、米軍と比較してか、あるいは近隣諸国軍との比較か、隊員個々の強さか、大部隊としての強さなのか、比較対象、戦闘環境によって「強さ」の基準は違ってくる。
 また、戦闘機、護衛艦、戦車など装備の物理的能力なのか、武器弾薬の補給や予備兵力など人事・後方の持続力を含めているのか、あるいは精神的な側面も含めた訓練練度のことなのか、はたまた有事法制や国民による支援も含めた総力戦能力のことなのか、「強さ」について、それぞれを明確に区分して聞く人などまずいない。
 しかし「貴方のいう強さの意味がよく分からないので、お答えできません」と言うわけにもいかず、困ってしまう。

海は5位、空が20位、陸は30位
 そこで、「艦艇の総トン数にして海上自衛隊は世界第5~7位の海軍、作戦機の機数で言うと、航空自衛隊は世界で20位ぐらいの空軍、兵員の総数からして陸上自衛隊は世界で30位前後の陸軍、というのが静的・客観的な評価基準です。真の実力はその基準よりも上とも下とも言えるわけで、想定する戦いの場によって変わってきます」と答えることにしている。
 もちろん、こうした回答では満足できず、自らの考える「強さ」の意味を解説し、さらに議論を持ちかけてくる人もいないではないが、多くの場合、ここで質問を変えてくる。
 質問は変わっても、自衛隊の力を疑うような内容であることに変わりはない。最も多い第2の問いは「自衛隊員は実戦で使えるのか。生命をかけてやる気があるのか」というものである。
 自衛隊員は入隊時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」と宣誓している。
現実に、隊員たちは極めて厳しい訓練に参加しており、安全管理に徹しつつも残念ながら、自衛隊発足時から60年間に1500人(年平均25人)を超える訓練死者(殉職者)を出している。
 この殉職者方は死ぬつもりはなかったはずだが、この訓練は極めて危険な厳しいものだということを承知のうえでこれに臨み、亡くなった方々である。
 帝國陸海軍は当初訓練死者を戦死者と認めなかったが、第2次大戦後半以降国内における訓練死者をも靖国神社に合祀するようになった。つまり、訓練殉職者は戦死者なのである。
 ところで最近の安全保障法制の変更や新ガイドラインの改訂に関連して、これらの質問とは真逆に「これまで戦死者を出さなかった自衛隊から、1人でも犠牲者を出してはいけない」という意見がマスコミ上を賑わしている。
 私ども自衛隊員であった者たちに言わせると、これまた誤解に満ちた困った意見である。

1人の死者も出していない海外派遣
 確かにこれまで自衛隊は、国内でもよくあるような事故死の例を除き、海外で1人の犠牲者をも出していない。その間、自衛隊が進出した地域の付近で、何人かの日本人ボランティア・ジャーナリスト・警察官・外交官方がお気の毒にも亡くなっている。
 その海外派遣総員数と殉職者の比率を比較するならば、自衛隊がいかに訓練精到な組織であるかがお分かりかと思う。
 これまでの自衛隊海外派遣において1人の戦死者も出さなかったことは、むろん幸運に恵まれたということもあるが、何よりも先に述べたような「平時からの覚悟とこれに基づく命がけの訓練」のお陰だということを知ってほしい。
 だから自衛隊は、国民の総意を代表する最高指揮官たる内閣総理大臣の出動命令が出た時には「身の危険を顧みず」その命令に従うのである。
しかし、平時にそれだけのことをしている自衛隊だから戦時にも力を発揮するかというと、必ずしもそうとは言い切れない。
第1に、「日頃訓練していないことは実行できない」ということである。今まで訓練したこともないような任務を急に与えられても隊員は戸惑うばかりだ。彼らが実行動に臨むに当たって心の支えとするものは、その任務遂行に関わる厳しい命がけの訓練だからである。
 日頃訓練していない任務を自衛隊に与える時には、その訓練のための「時間」と「人員」と「場所」と「予算」を新たに与えなければならない。国民と政治家にはこれを理解してほしい。自衛隊は困った時に何でもやってくれる「打ち出の小槌」ではないのである。
 だから、自衛隊の指揮官たちは「現在の訓練状況でこれだけのことはできるが、それ以上のことはできない」とはっきり国民・政治家方に説明申し上げなければならないし、逆に国民・政治家方には自衛隊の日頃の訓練状況を知ってほしいのである。
 第2に「訓練しても実行できないことはある」ということである。

「無傷で救出」はないものねだり
 例えば、「敵に監禁されている邦人(要人)を無傷で救出する」などということは、いくら訓練してもできないことである。
 イタリアの山荘に監禁されたムッソリーニを救い出したドイツ親衛隊のスコルツェニー中佐の例や、在ペルー日本大使公邸人質事件などが思い出されるが、両例とも、救出側に十分な情報があったことと、監禁側の対応があまりにもお粗末であったということを忘れてはいけない。
 さらに後者においては、日本人に犠牲者は出なかったもののペルー軍人2人とペルー最高裁判事が亡くなったことを多くの日本人が忘れている。
 こうした事態では監禁側の人物に工作し彼らに寝返りをしてもらうしかないのだが、それを仕かける諜報機関は自衛隊にはない。ないものねだりはできないということである。
それでも「自衛隊は強いのか」という質問をする人に、私は「失礼ですが、実戦が起きた時、あなた御自身は何をなさっているのでしょうか」と逆質問することにしている。
最近の自衛隊OBで実戦体験を持つ者は少なくなった。しかし災害派遣の経験を持つ者は大勢いる。私もその1人だが、その体験から言っても、隊員たちは災害派遣活動では、日頃の訓練時よりもさらに士気高く、自発的に実力を発揮することが多い。
 まさに自らの危険を顧みず、勇気ある行動をとる。災害地には、本当に困っている国民がいて、その一人ひとりが自らも懸命に働きながら、なお自衛隊を頼りにしてくれる。そして、そうした人々と物心両面にわたる交流が始まり親密にもなる。
 マスコミもたくさんやって来て自分たちの姿を全国に知らせてくれるし、自衛隊員宛てに激励の言葉や慰問品も届く。こういう場面で、さぼったり逃げたりする隊員はいないのである。
 戦時もたぶん同じことになるのだと思う。国民が本当に困り、自衛隊を頼りにし、自衛隊をそれぞれの立場で応援してくれていると実感したとき、隊員たちは命がけで戦うに違いない。

国民が強ければ自衛隊も強くなる
 「自衛隊は強いのか」という質問は、実は「国民は強いのか」と言い換えて、国民一人ひとりが自問自答すべきものなのではないか、私は、そう考えている。その意味で徴兵制の有無にかかわらず「国民の国防義務」を明記した多くの諸外国憲法は参考になると思う。
 さて、そうしたことをようやくご理解いただいた方でも「我が国防衛のためならそれは仕方ないが、外地に出かけてまで、危険なことをする必要はないだろう」とさらに言われるかもしれない。
 実は、これまでに日本に蔓延っていた「一国平和主義」とは、まさにこの考え方であり、極めて利己的なものである。
 私どもは「世界の平和」があってはじめて「日本の平和」があることを認識し、「日本の平和」のためにもまず、「世界の平和」に貢献することを目指すべきではないだろうか。
日本と同様に第2次大戦のトラウマを持つドイツは1990年代以降各種の多国籍軍やPKO(平和維持安全活動)に参加しており、犠牲者の数もボスニアでの19人、コソボでの27人などと増大させている。
アフガンでの多国籍軍ISAFでは後方兵站部隊派遣に徹したにもかかわらず55人の戦死者を出して大きな国内問題となった。しかし、平和主義者として高名なアンゲラ・メルケル首相は極めて危険なアフリカ・マリのPKO部隊を、断固として撤退させないでいるということである。
 「世界の平和」を守ることは、世界の各国が危険を承知の上で協力し合って初めてできるものなのである。
 2015年春に与党協議でまとめられた「安保法制の概要」や日米両国で合意された「新防衛協力指針(ガイドライン)」は、各種事態対処の法的根拠が本来異なるにもかかわらず、それらを曖昧な「集団的自衛権解釈」で一括りしているところが説明を難しくしている。
その点での不満は残るものの、全体として私は、よくぞここまで「積極的平和主義」を具現化してきたものだ、と高く評価している。
 今後はこれを第一歩として、さらに集団安全保障やグレーゾーンにおける武力行使の問題を解きほぐし解決していき、世界の平和に貢献し、それによって日本の平和、すなわち日本人の心の平和を確保できるようにして欲しいと願うものである。

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日本の安全を真剣に考えない政治家たち(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考はJBプレス(27年5月27日)に発表されたものである。

自らの保身を最優先し自衛官を出汁に使うのはおやめなさい

安全保障法制に関する国会論戦が始まった。5月20日に党首討論が行われたが、これを聞いていて暗澹たる気分になったのは筆者だけではあるまい。特に現役自衛官は、現実と乖離し、上っ面で浅薄なやり取りを聞いて、大いに気分が沈んだに違いない。
現役自衛官には言論の自由がない。心に鬱屈した憤懣を抱えながらも、不平も言わず黙々と任務を遂行していくに違いない。だがそれは健全な軍と政治の関係ではない。むしろ危険なことだ。
 誰かが言わなければ、政治家は自衛官の心情が理解できないので、言論の自由がある自衛官OBが彼らを代弁してみたい。
 特に違和感を覚えたのは「自衛隊に対するリスク」のところだ。昨年7月の閣議決定以降、メディアも「自衛官の危険が増える」との感情論で、国民の不安をあおり、結果的に本質的な安全保障論議を妨げてきた。
 センチメンタリズムで集団的自衛権の限定行使容認を非難し、国民のシンパシーを得ようとする態度では安全保障論議は決して深まらない。それどころか「自衛官の危険が増える」と「自衛隊志願者が減少」するため、将来は「徴兵制」が導入されるといった荒唐無稽な暴論が跋扈することになる。

センチメンタリズムで議論を矮小化するな
 党首討論では、岡田克也民主党党首は「自衛隊の活動範囲は飛躍的に広がる。戦闘に巻き込まれるリスクも飛躍的に高まる」と繰り返し主張し、安倍晋三首相に対し、自衛隊のリスクが増すことを認めさせようとした。
 安倍首相は質問には直接答えず「安全が確保されているところで活動するのは当然だ」と答弁した。5月22日には中谷元防衛大臣が記者会見で「自衛隊のリスクは増えることはない」と述べている。
 感情論、心情論がメディアを占拠している現状では、こういう答弁にならざるを得ないのだろうが、国際的には決して通用しない安全保障の質疑である。
 現役自衛官にとっては「普段、自衛隊を蔑ろにしているのに何だ。法案成立阻止の手段として『自衛隊のリスク』を利用してもらいたくない」という思いを強くしただろう。自衛隊が危険に晒されるなどといったセンチメンタリズムによって、安全保障論議を矮小化してはならないのだ。
拙稿「有事の際、海外の邦人救出はしなくて本当にいいのか」(2015.3.18)で既に指摘したので細部は省略するが、自衛隊法の「邦人輸送」の現行規定でも、安全が確保されなければ、自衛隊機が在外邦人を救出に行くことはできない。
危険だからこそ自衛隊が行くべきなのであり、安全が確保されているなら民間航空会社に頼めばいい。矮小化された稚拙な議論が、国際常識からすればとても通用しない奇妙なこの規定を生んだのだ。
 そもそも「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があるときに、自衛隊がリスクを冒さなくて誰が国防の責務を担うのか。
 生命至上主義の戦後平和主義によって、日本人は「リスク」という言葉で思考を停止するようになった。まさか「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があり、自衛隊しか対処しようがなくても自衛隊のリスク防止が大事だというのではあるまい。
 イエス・キリストの福音書に、羊飼いの話がある。100匹の羊を持つ羊飼いが、その中の1匹を見失ってしまったとき、羊飼いは、他の99匹をその場に放置してでも、迷子になった1匹を探しに行くという。これは宗教の世界では有り得ても、現実の政治の世界では有り得ないし、あってはならない。

国民のリスクそっちのけの議論
 羊飼い(国民の安全に責任を持つ政治家)は、「100匹の羊」(国民)の安全が脅かされようとした場合、「事に臨んでは危険を顧みず」脅威に立ち向かう「1匹の羊」(自衛隊)に「99匹の羊」(国民)の安全を託す。「1匹の羊」(自衛隊)は危険を承知でこれに立ち向かうのである。
 「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があり、自衛隊しか対処できないような事態には、「リスクはある。だが、国家、国民のためどうか頼む」と自衛隊にお願いするのが政治ではないだろうか。
 今回の党首討論は、まるで「99匹の羊」(国民)のリスクはそっちのけで、「1匹の羊」(自衛隊)のリスクの方が大事と主張しているようで極めて違和感を覚えるわけだ。
 我が国の防衛、あるいは海外での国際平和協力活動等に従事する自衛隊は、これまでもリスクがあった。だが、これまでリスクが現実化した時のことを考えて、政治は自衛隊を扱い、そして自衛官を処遇してきただろうか。
現実を知っているだけに、今回の質問には、「自衛官のリスク」を出汁にした安保法制阻止の戦術が透けて見えるだけでなく、国の存立を担う崇高な任務への尊厳、尊崇の念、あるいは自衛官が持つ矜持に関する理解や畏敬の念が微塵も感じられないのだ。
「事に臨んでは危険を顧みず」を誓って厳しい訓練を重ねる最中に、あるいは災害派遣や領空侵犯措置の任務遂行中に、志半ばで殉職した隊員は1851柱にものぼる。(平成26年10月25日時点)
 「自衛官のリスク」を出汁に使い、いたずらに安全保障を政治問題化し、真剣な安保法制論議を阻む行為は、殉職した自衛官達、そして御家族に対する冒涜であることを強く認識してもらいたい。
 次に、岡田党首が「巻き込まれ論」を繰り返すのも、セピア色の写真を見ているような気にさせられた。
 昨今の厳しい安全保障環境にあっては、日本の平和と安全は一国では確保できない。北朝鮮の核問題のみならず、近年の中国の急激な軍拡、力による一方的な現状変更の動きには、日本の安全が脅かされている。

セピア色した「米国に巻き込まれ論」
 中国は「力の信奉者」である。経済力、軍事力など、米国に次ぐ力をつけた中国の挑戦的行動を抑止し、紛争を回避するには、米国の力を借りるしかない。
 中国も最強の軍事力を有する米国とことを構えることは避けたいと考えている。だが、今や米国でも一国では手に余る。紛争を抑止するには、日米の強力なタッグマッチが必要とされている。
 最大の問題は米国が国際問題に関心を失いつつあることである。昨年、バラク・オバマ大統領は「もはや米国は世界の警察官ではない」と繰り返し述べた。
 アジアの平和と安定には米国の関与は欠かせない。日本に今問われているのは、内向きになる米国をいかに「巻き込む」かであり、岡田党首が叫ぶように米国に「巻き込まれる」のを懸念することではない。
内向き傾向の米国にアジアへの関与を続けさせるには、現行憲法下で可能な範囲の集団的自衛権行使を認め、日本が米国と負担や役割を分かち合うことが欠かせない。
ロバート・ゲーツ元国防長官は離任の辞で次のように述べた。
 「国防に力を入れる気力も能力もない同盟国を支援するために貴重な資源を割く意欲や忍耐は次第に減退していく」
 米国の力が欠かせない日本にとって、「米国の意欲や忍耐」を減退させない努力が必要である。
 トーケル・パターソン元米国国家安全保障会議部長も次のように述べる。

ただ飯、ただ酒を家訓にしていいのか
 「集団的自衛権を行使できないとして、平和維持の危険な作業を自国領土外ではすべて多国に押しつけるという日本のあり方では、日米同盟はやがて壊滅の危機に瀕する」
 「タダメシ、タダ酒を飲むのが家訓」のような一国平和主義では、日米同盟は崩壊するだけでなく、日本は世界で孤立し、安全保障自体が成り立たなくなるだろう。
 日本のエネルギーの生命線とも言えるホルムズ海峡で、機雷掃海の必要性が生じた場合、文句なく真っ先に駆けつけなければいけないのは日本である。それを法的に可能にするのが今回の安保法制なのだ。
 「集団的自衛権」と聞いただけで、壊れたレコードのように「巻き込まれ論」を繰り返すのではなく、現行憲法下でどうすればこれが可能になるかを模索すべきなのだ。
国家の第一の目的は「安全」の確保である。安全なくして繁栄も人権もあり得ない。
政治家は常に研ぎ澄まされた鋭敏な感覚・神経・感性をもって、国際社会で起きることを予測し、どうすれば脅威を避けることができるかを真剣に検討しなければならない。
 外界で起こったことは米国に任せ、自らは平和憲法をアリバイとして引きこもる。これまでのような「引きこもり平和主義」では、もはや21世紀は乗り切れない。
 瑣事に拘泥し議論を矮小化するのではなく、これからの国際情勢をどのように認識し、何故今、集団的自衛権行使が必要なのかを真剣に考える。大所高所に立った本質的な国会論戦を期待したい。

韓国の歴史戦の実態(中垣秀夫)

偕行社会員(熊本)
中垣秀夫

本論考は27年5月に発表された論考であり、偕行社理事柳澤氏を経由して転載するものである。

1 韓国の歴史戦の背景
 近年、韓国が我が国に対し執拗に“歴史戦”を仕掛けている。ところが、“歴史戦”のシンボルとして朴槿恵大統領を先頭に韓国民が熱狂する慰安婦問題は、実のところ「学問的には既に決着の付いた問題」なのである。今年は我が国が大東亜戦争に敗れて70年の節目になるが、現在、歴史戦を仕掛けられ、再びその戦争に敗れつつある。
 櫻井よしこさんが講演で紹介されたが、「米国の知識人達と話していると、彼等は現在の尖閣の話や東アジアの安全保障に関しては共通的に日本の立場に理解を示すが、こと歴史問題に話が及ぶと、異口同音に日本を非難する」というのである。また、南京学会会長で亜細亜大教授の東中野修道先生から聞いた話では、「長男が東大を卒業してハバード大の大学院に留学した際、世界中の留学生を含む学友が、こと歴史問題に関しては共通して日本を非難する」との由である。また昨年の4月25日、訪韓中のオバマ大統領は慰安婦に関連して「甚だしい人権侵害だ」と述べ、韓国の立場に共感を示した。ちなみに、米下院は2007(H19)年7月30日に「日本軍が若い女性に性奴隷を強制した。日本政府は責任を認め、謝罪すべき」との対日非難決議を採択している。「今また再び、戦争に敗れつつある」と述べたのは、そのような背景があるからである。
 韓国は恐らく、「戦争を仕掛けている」と言うような強い認識は持っていないと見ている。歴史戦の背景には、朴槿恵大統領の個人的な思い込みと勘違いがあって、中国の歴史戦と共同戦線を張っているのである。更にもっと重要なことは、韓国民の多くに日本及び日本人への情念の問題がある。韓国人は、中国に対しては“事大主義”の長い歴史があって、「長いものには巻かれろ」的な諦めに陥っているが、日本に対しては「文字も暦も仏教も俺達が教えた。俺達の方が上だ」という強烈な自負心を抱いている。韓国の歴史戦は、その根底にある日本への“強烈な嫉妬と憎悪”抜きには語れない。
 昭和59年9月、全斗喚大統領が韓国大統領として初めて日本を公式訪問したが、この際の歓迎晩餐会での天皇陛下のお言葉が議論になった。ちょうど外務省北東アジア課に出向していた私は「1年前の中国の鄧小平の場合と同じく『日韓は一衣帯水の関係にあり、長い歴史を通じ兄弟のように…』で良いのではないか」と提案した。ところが全員から「トンデモナイ」と否定された。何故なら、兄弟と聞いた瞬間に「何、日本は自分が兄で韓国を弟と見ているのか。ふざれるな!」となって、大統領は席を蹴って帰国すると言うのである。韓国は儒教の国であり、儀典や面子を大変重視している。従って、日本では仲の良いシンボルとして使われる兄弟と言う言葉も、韓国では序列を現わす言葉となり、日本の下に立つことは許せないのである。
 要するに、同じ“歴史戦”と言っても、中国が国家戦略として日本に攻勢をかけているのとは異なり、韓国は情念の相手として見ている。そういう意味では、韓国の歴史戦は理屈だけでは行かないので対処が厄介である。厄介は厄介であるが、マザー・テレサが「愛情の反対は憎悪ではありません。無関心です」との名言を残してくれている。そういう観点から考察すれば、「悪女の深情け」と見ることもできる。その証拠にイザと言う時、たとえば東日本大震災に際して、韓国の宗教指導者が会衆に向かって「ザマー見ろ。神様が日本に天罰を下したんだ」と説教したところ、民衆は「可哀想な被災者に何てことを言うのか」と怒って、ゾロゾロと退場してしまったという。また被災者への見舞金は、経済大国中国からは2億円であったが、韓国は43億円であった。ちなみに、親日感の強い台湾からは200億円も寄せられている。
 歴史を振り返れば、世界中の国々が大なり小なり隣国とゴタゴタを抱えて来た。日本も例外ではない。その意味では現在も、中国・韓国・ロシアの隣国と摩擦や軋轢があるのは当然である。しかし、そのような情勢下にあっても、戦後、日本は周辺国と一応の平穏を保ってきた。
 かつて外務省に勤務していた頃の事務次官は松永信雄氏であった。最後は駐米大使で外務省を退職されたが、彼は辞める直前、後輩達に次のような訓示を残している。「50年間外交官をやって、つくづく思うことは、国の防衛・安全保障がしっかりしていないと国民の幸せはない。世界各地の紛争を見てみると軍がしっかりしていない所に発生している。日本の平和と繁栄が保たれたのは、国民の努力と叡智はもちろんだが、日米安保の効力によるところが大である。一方、日本と中国及び韓国は、隣組の関係にあり、引っ越す訳に行かない。仲良くするしかない。尖閣も竹島も重要ではあるが、日中・日韓関係全般は、それと比較できないくらい重要である」。
 この訓示の前半は国の安全に関して、主権と国益を守るために半生を捧げた外交官の感慨として、「最後は軍事力が必要」と述べている。重みとリアリティのある言葉である。後半は隣国との関係について、要は「日中・日韓関係全般は、尖閣や竹島と比較できないくらい重要」との認識を示している。全くそのとおりであって、しかもこの認識は中国・韓国と共有することが求められる。このことは両国と国交回復以来、長い間、日本はもちろん両国の指導者にとっても共通の認識であった。
 ところが、民主党政権下の3年半の間に、この共通の認識が無茶苦茶になってしまった。更に付言すれば、民主党政権下では外交全般が無茶苦茶であった。鳩山首相の「トラストミー」によって日米関係は戦後最悪の状態になった。また、野田首相が国連総会で演説した時(H24.9.26)、各国首脳や大使は退席してしまい、会場はガラガラになった。演説は格調高い立派な内容であったが、「日本の首相の演説など興味がない」との世界中の外交団からの強烈なメッセージである。そして、この間特に間の悪いことに、韓国に国民感情に擦り寄った朴槿恵政権が誕生した。そして新政権の首脳に、この共通の認識を説得する機会され閉ざされてしまった。韓国政府首脳に「双方の関係全般は、シングルイシュー(竹島あるいは慰安婦)と比較できないくらい重要である」との認識がなければ、豊かに栄える隣国の日本に対して「何でも良いから、叩けるところから叩いてやろう」となるのは当り前である。そして韓国が「労せずして優位に立てる」として採った手段が“歴史戦”なのである。
 ところが冒頭述べたように、慰安婦問題は「学問的には既に決着の付いた問題」なのである。それなのに、どうしてこんなことになるのであろうか。それは日本国内に、フザケタ連中が居るからである。自分は正義を行っているとの自己満足によって、自国を非難し、韓国に擦り寄るマスコミ、弁護士、学者が居るのである。更には、さしたる信念もなく、単に注目を浴びたいだけの騒動屋が出現することがある。最初は一人か二人の騒動屋がとんでもないことを発表し、これをマスコミが大々的に報道し、それを左派の学者・弁護士・文化人が格調高いクイーンズ・イングリッシュで英訳して国連でロビー活動を行うのである。そして国連が報告書や勧告を出すと、それを振りかざして国内の左派活動家が政府を追及すると言うようなことを次々と繰り返すのである。そして困ったことに、日本政府・外務省は当面の火消しに追われ、それを後ろから宮沢談話や河野談話で補強するのである。
 いずれにせよ、慰安婦問題は、南京事件に比べ問題の範囲とその発端の経緯が単純明快で、幾つかのキーワードに集約される。具体的には、①従軍慰安婦と「従軍」を冠したこと、②国による強制連行の有無、③慰安婦と女子挺身隊との混同、④それにより「20万人の性奴隷」が国連と国際社会で定着したことである。しかも、このそれぞれのキーワードを何時・誰が言い出し、誰が広めたのか、今では総て判明している。一方、この問題の厄介なところは、前述したように、朴槿恵大統領を筆頭に韓国民が理屈ではなく情念・感情で迫ってくることである。理屈には理屈で対応できるが、情念・感情にはどんな精緻な理論でも歯が立たない。ましてや現代の価値観つまり女性(慰安婦個人)の人権を正面に押し立ててくると、これはもう誰にも止められない。

2 従軍慰安婦と強制連行
 先ずは従軍慰安婦という呼称についてであるが、当時、当時と言うのは戦前・戦中だけでなく、戦後25年間をも指して言うのであるが、その間そのような呼称すらなく、週刊誌が昭和46年に初めて使った造語である。当時、戦場には従軍記者、従軍カメラマン、従軍看護婦、従軍僧は居た。ただの“慰安婦”も居た。しかし“従軍慰安婦”は居なかった。要するに、従軍慰安婦という言葉がなく、戦場にも従軍慰安婦が居なかったのである。その後、千田夏光という仮名の男が“従軍慰安婦”の著書を次々に出版した。『従軍慰安婦~声なき女8万人の告発』、『従軍慰安婦~続篇』、『従軍慰安婦~「正」』等である。これにより、従軍慰安婦という言葉が国内外ですっかり定着してしまった。ただの慰安婦に何故“従軍”と付けたかと言うと、この方が軍の関与が強調され、国家としての強制連行につなげ易いからである。そういう訳であるので、公文書に従軍慰安婦と言う用語を使用することは不適切である。河野談話の中にも「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され…」と出て来るが、いくら“いわゆる”と冠したとはいえ、政府の談話で使用するのは不適当である。
 このような中、吉田清治という騒動屋が昭和52年『朝鮮人慰安婦と日本人』、昭和58年『私の戦争犯罪~朝鮮人強制連行』と言う著書を出版した。その中で「昭和18年、私は済州島で慰安婦狩りをした。部下を連れて済州島に上陸し、泣き叫ぶ朝鮮人女性205人を強制連行した」と発表したため大騒ぎになり、慰安婦問題が国内外に顕在化した。これ以降、朝日新聞は手を替え品を替え16回にわたり吉田証言を取り上げ大々的に報道した。たとえば平成4年1月23日、吉田自身の証言として、「朝鮮総督府の50人あるいは百人の警官と一緒になって村を包囲し女性を道路に追い出し、木剣を振るって、殴り、蹴り、トラックに詰め込む。連行した女性は少なくとも950人」との記事を掲載している。これら朝日新聞の報道を受けて、1992(H4)年6月、AP通信が「韓国から女性を強制連行したことを告白した唯一の日本人」として世界中に配信した。更に同年8月、NYタイムズが吉田の写真入りで「アジアにおける今世紀最悪の人権侵害」との長文の記事を掲載した。これによって世界中に拡散した。
 吉田証言は、これ以外にも色々なところで参照されている。①河野談話作成の際も政府の聞き取りの対象。②慰安婦を性奴隷と認定した国連のクマラスワミ報告でも引用。③日弁連の人権部会報告に引用。④韓国政府が実施した「日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告書」の中では強制連行の証拠として採用。⑤韓国で対日賠償訴訟の原告となる元慰安婦を募集し自ら代理人を務めた高木健一という弁護士が居るが、彼は裁判の中で吉田本人を証人として2回証言させるとともに、自分の著書で26頁にわたり紹介し、その中で「証言は歴史的にも非常に大きな意義がある。戦時における日本の社会全体が正義と不正義との分別さえ全くできなくなっていたか、その異常な状況を証明して余りある」と絶賛している。
 要するに、吉田証言はたった一人の証言なのに、軍による強制連行の具体例として到る所に引用され、慰安婦問題にとって核心的に重要な証言である。それ程重要なのに結局、吉田証言は嘘であった。「一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」という諺がある。これは「一鶏鳴けば万鶏歌う」とも言い、「一人虚を伝えれば万人実をいう」へとつながって行く。今回の吉田証言が正にこれに該当する。平成4年3月、現代史研究家の秦郁彦先生は済州島で現地調査を行い、吉田証言が嘘であることを証明した。済州島で官憲が強制連行した証拠は一切見付らなかった。日本の村長に当たる当時の面長は全員が韓国人であり、また現地の警察官も全員が韓国人であった。現地の古老から「民族の誇りに懸けて、そんなことはあり得ません。そのような噂すら聞いたことがありません」との証言を得た。普通に考えても、現地の面長や韓国人警官が加担するはずがなく、民族の面子と血筋を大切にする朝鮮の田舎において、自国民の婦女子を官憲が大勢強制連行したら暴動になっただろう。ちなみに、これより先の1989(S64)年8月、度重なる朝日の報道を受けて、地元「済州新聞」の許栄善記者が現地調査を行い、「吉田証言は全くのデタラメ」と発表している。
 秦郁彦先生は、継続的に吉田証言に関する調査や研究を重ね、吉田本人にもインタビューして、最終的に「吉田と言う一人の老人が内外に流した害毒は有形無形を含め計り知れぬものがある」と結論した。余り知られていないが、実は朝日の記者でも地道に取材活動をした記者が居て、1990年代初め、前川恵司・朝日新聞ソウル特派員は韓国国内で、元軍人、大学教授及び友人の母親に至るまで、つてを頼って60歳以上の人達に取材を重ねた。「日本兵や日本警官に無理やり連行された娘が居たか。そんな噂を聞いたことはないか」と尋ね回ったが、「ある」と答えた人は皆無だった。逆に「無理やり日本人がそんなことをしたら、暴動になりますよ」と返答した人も居た。朝日新聞がこの時点で、この取材結果を掲載していたら、慰安婦問題は別の様相を呈したに違いない。
 平成4年1月16日、宮沢首相が訪韓したが、朝日新聞はその直前の1月11日、朝刊トップで6本もの見出しを立てた特大記事を掲載した。「慰安所 軍関与示す資料、防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌、部隊に設置指示、募集含め統制・監督、参謀長名で次官印も」等の見出しで、解説記事の中では「約8割が朝鮮人女性、挺身隊の名で強制連行した、人数は8万人とも20万とも言われる」と根拠不明の説明を加えている。この後、毎日新聞も次官通達の写真を載せて、「軍関与の証拠発見」との同様な記事を出している。実は防大教授時代、この次官通達の本文を防衛研修所戦史室で見たことがあり、内容は「慰安婦の募集に際して、悪徳業者が軍の名義や権威を利用して募集する場合があり、中には誘拐に類するような方法で集める場合もあると聞くので、軍の威信を傷つけることがないよう注意せよ」という至極もっともな命令であった。ところが、肝心のそれら内容は掲載せず、写真は「次官通達との表題、日付、印鑑」等の頭書末尾だけを掲載し、「軍関与の証拠」としたのである。このようなやり方を世間では“改ざん・捏造”と言うのである。
 戦地に慰安所があり、慰安婦が居たことは事実である。また、性病予防、規律の維持、慰安婦の安全確保等のため軍が関与したのも事実である。問題は「国家つまり軍や警察や地方自治体が強制的に連行したか否か」であるが、それを示す証拠は一切見付っていない。
 ちなみに、欧米人に対しては強制連行と性奴隷を否定するのに「慰安婦が個々に収入を得ていた」との説明が最も説得力を有している。泥棒と売春は人類が社会生活を開始したと同時に始まった職業?と言われている。慰安婦がどれほど稼いでいたかを示すと、慰安婦募集のチラシが残っており、そこには「1カ月の収入300円。千円の前借可」と書かれている。また文玉珠・元慰安婦の貯金通帳が残されており、それによれば2年間で26,145円稼いでいた。一カ月平均千円である。当時の軍曹の月給が30円、東條英機首相の月給が8百円、千円あればソウルで家が一軒買えたと言われる時代である。慰安婦が如何に稼いでいたかが解る。
 秦郁彦先生の調査を受けて、平成4年8月、産経新聞は「吉田証言はウソ」との報道をした。ところが翌平成5年8月、河野談話が発表された。産経新聞の調査で、河野談話の作成過程で韓国側と綿密な摺合せが行われたことが明らかになった。それまで政府は「韓国側と摺り合せた事実はない」と否定していたが、安倍内閣の諮問機関である河野談話検証委員会の調査でも摺り合せの事実が確認されている。その折衝の過程で最大の争点は「官憲つまり国家意思による強制連行の有無」であった。日本側事務方の努力で「強制連行」という4文字を入れることは、かろうじて阻止し得たが、河野長官が韓国側に譲歩し「総じて本人たちの意思に反して」という玉虫色の表現を入れることで決着した。ところが、このようなギリギリの折衝も、実際は何の役にも立たなかった。肝心の官房長官が談話発表の記者会見の席で、「強制連行の事実があったという認識なのか」との質問に、実に“あっさり”と「そういう事実があったと。結構です」と答えたのである。当然、韓国側は「強制連行を日本側に認めさせた」と自国民及び世界に向かって大宣伝した。
 多くの人が看過しているが、実は河野談話の問題の本質は、この記者発表の際の長官の「強制連を認めた発言」にもあるのである。柔道の審判で言う「合せて一本」である。
 産経新聞の調査で元慰安婦達の聞き取り調査が極めて杜撰であり、先に結論ありきであったことが判明した。しかも氏名・年齢も不詳で、当時の年齢に直すと11歳の子供が慰安婦になったことになる者もいた。これなど、日本では考えられないが、韓国では想定内の話なのであろうか。しかし考えてみれば、半世紀も経って、女性の人権と売春防止法が定着した今の時代に、元慰安婦達が「私は希望して行きました」などと言うはずがなく、「自分の意思に反して連行されました」と言うのは当たり前である。繰り返すが、国家つまり軍や警察が強制連行したかがポイントであって、そのような証拠は一切見付っていない。要するに、国際社会が非難している「国家(官憲)による強制連行」はなかったのである。河野談話の別の問題は長官の発言も含め、これが日本政府の公式な見解として、韓国はもちろん、国連や欧米で強制連行の証拠として採用されていることである。
 ところで、強制連行の具体例として、しばしば引用される「スマラン慰安所事件」について付言しておく。戦後、バタビア(ジャカルタのこと)で軍事法廷が開かれたところから、「バタビア事件」とも呼ばれる。日本占領下のインドネシア中部スマラン市で、昭和19年初頭、現地部隊が抑留所からオランダ人女性35人を連行して慰安婦としたものである。なおこの際、現地軍からの慰安所開設要望に際し、方面軍司令部は「慰安婦本人が希望していること」を条件に許可した。ところが、「女性が自分の意思で働いていない」ことが判明し、司令部の命令により、慰安所は2ヶ月間で閉鎖された。そして戦後、関係者11人がバタビアの臨時軍事法廷で死刑を含む有罪判決を受けている。この事件は軍による強制連行の具体例であるが、別の観点から見れば、違法であるとして命令で慰安所を解散させたのなら、逆に日本軍として「軍が強制連行を認めていなかったことを証明」する証拠でもある。

3 20万人の性奴隷
 次に「20万人の性奴隷」について考察する。多くの人は国連本部がニューヨークにあることを知っているが、スイスのジュネーブにも国連欧州本部が所在している。ニューヨーク本部が政治や安全保障など国家間の対立や紛争を取り扱うのに対し、ジュネーブ本部は個人の人権や差別などを扱っている。
 そのジュネーブの国連本部に日本の左翼人権派は攻勢を掛けている。彼等による国連欧州本部への20年以上にわたるロビー活動及びマッチポンプ関係は調べれば調べるほどフザケテいるし、その執拗さに呆れる。彼等は非政府組織NGOとして国連の人権委員会で、説得力のある英文の文書を作り、「日本は慰安婦問題で謝罪していない」などと訴える。委員会はその訴えを基に日本に謝罪と賠償を求める決議や勧告を出す。すると彼等は、その勧告を振りかざしてマスコミで宣伝し、日本政府に圧力を掛けるのである。拘束力のない勧告であっても、多くの国民は国連が大好きなので、国連の権威をバックに、絶好の政府攻撃材料になるのである。
 国連で活動する主要メンバーは、慰安婦を性奴隷とする表現と認識を国連に広めた戸塚悦朗弁護士、福島瑞穂・社民党前党首の事実婚の夫である海渡雄一弁護士及び弁護士達で構成される「ジャパン・NGO・ネットワーク」の活動家である。今や国連欧州本部は彼等の牙城と化しており、彼等と異なる主張をする日本人は意見書の提出や会場での発言はもちろん、入場さえも拒否されるような仕組みを作り上げている。
 ところで、平成4年1月11日、朝日新聞の植村隆・記者は「軍関与示す資料」との見出しで、「主として朝鮮人女性を“挺身隊”の名で強制連行した。その数は8万とも20万とも言われる」との記事を発表した。この記事を契機として、韓国内での対日批判が過熱・沸騰した。このことは、河野談話検証チームも指摘している。また盧泰愚大統領も「慰安婦問題は日本の言論機関が問題提起し、我が国の反日感情をたきつけ、国民を憤激させている」と指摘している。要するに、慰安婦と女子挺身隊とは何の関係もない存在であるが、朝日新聞の報道によって混同され、「20万の性奴隷」へとつながって行った。余談であるが、植村記者は金学順・元慰安婦の証言として「強制連行された」との別の記事を朝日に書いている。しかし、当の金学順本人が裁判の証言で「母親に40円でキーセンに売られた」と述べており、このことは韓国のハンギョレ新聞でも報道されている。
 朝日新聞は8月5日と6日、慰安婦問題の検証記事を発表した。その中で、吉田発言の記事を削除したが、植村記者の記事については「当時は韓国でも慰安婦と挺身隊が混同されていた」と弁解している。しかし混同させたのは朝日新聞である。それに、日本の新聞なのだから日本国内で検証すべきである。ある程度の年配の日本人なら、慰安婦と挺身隊の違いは誰でも知っていたことである。ちなみに、女子挺身隊というのは、男子の学徒動員と同じく戦争遂行のための勤労動員の方策である。政府が昭和18年9月に戦時中の労働力確保策として、14歳から18歳未満の未婚女性を中心に主に軍需工場に動員し、終戦までの総動員数は47万人である。ただし、韓国においては「身を挺するという漢字」から連想して、慰安婦と混同されたであろうことは容易に想像できる。かつて盧泰愚大統領も誤解していたが、勤労動員のことだと説明したところ、誤解が氷解した。ところで、強制連行の箇所でも述べたが、仮に日本の官憲が20万人もの女性を強制連行したなら、間違いなく暴動が起こったであろう。現代の韓国人に対して、「皆さん方のお父さんやお爺さんは意気地なしだったんですね。情けないですね」と問い掛ければ、どのような返答が帰ってくるのであろうか。恐らく反論の仕様もないであろう。もっとも、韓国人識者に言わせれば、「20万人が嘘だというのは韓国人なら皆知っている」との由である。
 いずれにせよ、吉田清治の虚言を無批判に拡散したことと言い、慰安婦と挺身隊の混同と言い、韓国の歴史戦に占める朝日新聞の責任は極めて重大である。8月5日と6日の訂正記事においても、本来ならば読者と国民に対して謝罪すべきなのに、「大事なのは慰安婦の人権の問題だ」と問題点をすり替え、開き直っている。8月28日には「慰安婦問題核心は変わらず」との記事を出している。これを受けて早速、韓国中央日報が、「女性としての尊厳を踏みにじられたのが問題の本質」と追随記事を掲載した。あれほど「強制連行」に執着していたのに豹変したのである。最近、朝日新聞は慰安婦問題の弁明の根拠として「女性の人権問題、人道問題だ」と問題点を巧妙に摩り替えてきているが、もしそうであれば、日本としてやるべきことはやって来たし、これ以上なすべきことは殆んどない。
 一方、国連で活動する戸塚悦朗弁護士は「20万人の根拠は荒船発言だ」と言っている。恐らく国民のほとんど全員が荒船発言などと言われても何のことやら解らないと思う。荒船発言と言うのは、日韓基本条約締結後の昭和40年、荒船清十郎代議士が埼玉県の選挙区の私的な会合で、「第二次世界大戦中、朝鮮の慰安婦が14万2千人死んでいる。日本軍人がやり殺してしまった」と語ったというのである。彼が何を根拠に何の目的でそんなことを語ったのか、全く不明である。もちろん、誰も気に留めなかった。しかし、これをどこかで耳にした戸塚弁護士はこの発言に飛び付いたのである。その後、彼は国連人権委員会で強力なロビー活動を開始した。その結果、この発言が国連人権委員会で引用・認知され、結局、「20万人の性奴隷」が定着してしまった。ちなみに「性奴隷」との表現も戸塚弁護士の発案である。荒船代議士は元々放言癖で知られており、昭和42年の総選挙の際は選挙演説で「深谷駅に急行を停めて何が悪い」と演説し、余りにも露骨な地元利益誘導に国民からヒンシュクを買ったものの、地元では喝采を浴び当選した。衆議院副議長時代には自らの講演会で野党を誹謗中傷し、その録音テープが共産党の手に渡り国会で追及されて、結局、辞任に追い込まれた。このような人物が語った根拠不明の放言が国連で証拠として使用されているのである。多くの国民が知らないところで、このようなデタラメなことが起こっているのである。
 平成8年2月、国連人権委員会において「女性への暴力」についてクワラスワミ報告書が採択されたが、この中で「慰安婦は軍に強制連行された」とされている。次いで、平成10年8月、同じくマクドゥーガル報告書が採択された。この報告書は元々、旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダでの虐殺を対象とした報告であるが、附属文書の中で「日本の慰安所は性奴隷制度であり女性の人権への著しい侵害の戦争犯罪であり、責任者の処罰と被害者への補償を日本政府に求める」ことが書かれている。しかも慰安所を「強姦所」と表現し、「強姦所での性奴隷制を20万人の女性に強制した」とされ、更に「人道に対する罪及び戦争犯罪は公訴時効の対象ではない」との内容も追加されている。
 この二つの報告書によって、「20万人の性奴隷」が国連ひいては欧米ですっかり定着してしまった。つまり、元はと言えば、朝日新聞の植村記者が混同した慰安婦と女子挺身隊の記事及び放言癖の荒船代議士が私的な会合でしゃべった根拠不明の話が、廻り回って「20万人の性奴隷」として定着してしまったのである。恐らく国民もこのような根拠薄弱な発言と記事を元に国連が勧告を出しているなどとは思いもよらないだろう。
 ちなみに、慰安婦を性奴隷と表現することについては、当事者である元慰安婦達が嫌がっており、韓国では一般的に使われていない。朝日新聞を含め左翼活動家は「本質は慰安婦の人権問題だ」と言うが、彼等が現に生きている本人の嫌がる用語を使用して、元慰安婦の人権を踏みにじり、尊厳を貶めているのである。このことは彼等自身が本当は元慰安婦の人権など少しも考慮していない証しである。

4 日本人活動家の動機
 要するに慰安婦について、問題を提起し、拡大するのは日本人なのである。何の利益にもならないのに、彼等は何故血まなこになって日本非難の片棒を担ぐのであろうか。その答えの行き着く所が、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」なのである。これは自虐史観を植え付けるためのGHQの占領政策であって、GHQは日本人に罪悪感を植え付けるため、昭和12年12月9日から徹底した宣伝工作と検閲を行った。そして、自虐史観以外の歴史認識を全て否定した。大東亜戦争は連合国と日本との戦争であり、実質的には米国との戦いであったが、宣伝工作の中では「日本国内の軍国主義者と一般国民との戦い」に摺り替えられてしまった。つまり、日本国民が戦った相手は国内の軍国主義者だという訳である。靖国問題の根底にもこの理屈があり、軍国主義者の代表がA級戦犯という訳である。そしてこの様な架空の対立の図式を現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚した振りをする日本人が現れた。一方、これに反骨を示す学者、言論人、教師も居たが、彼等の合計6万人が公職追放に合わせて、それぞれの職場から追放された。彼等は公職追放が解除されても元の職場に復帰することを潔しとせず、当然、それぞれの職場は自虐史観を受け入れた者達の牙城となった。
 チェコの作家ミラン・クンデラは「一国の人々を抹殺するためには歴史を消し去った上で、誰かに新しい歴史を書かせることだ」と語っている。まさしくGHQが行なった占領政策がこれであり、自虐史観を拡大再生産してきたのが左翼知識人、日教組、偏向マスコミであった。そして韓国の“歴史戦”は、その延長線上にあるのである。我々は韓国に対してダイレクトにケシカランと考えがちであるが、本当に非難されるべきは、我が物顔で活動しながら矢面に立たない前述の日本人なのである。
 余談であるが、8月29日、ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会は日本政府に対し「差別をあおるヘイトスピーチへ」の対応を求める勧告を出した。その際、各国の委員は「従軍慰安婦への対応が全くないうえに、差別発言を放置しているとして、日本政府に強い不信感といら立ちを覚えている」と言うのである。何故国連はこのような勧告を出し、各国の委員はそのような不信感を持つのであろうか。これも実は、左翼活動家や弁護士のロビー活動の結果なのである。世界中を見渡して日本ほど外国人や女性の人権が重視されている国は少ないのに、左翼活動家がそのような認識を植え付けるのである。各国委員は、日本人でありながら自国を批判する人達は正義の士と認識しており、まさか「自虐史観への贖罪が動機となって、自国を貶めている」とは想像もしていない。だからこそ、極めて少数で特異と言っていい、軍隊用語では“不規弾”と言うが、彼等左翼活動家の主張を取り上げるのである。こんな我が国特有の世相にも“歴史戦”の本質が顔を覗かせている。

5 歴史上の事実と認識
 ところで、朴槿恵大統領は“歴史戦”とは言わずに、到る所で「歴史認識」、「歴史の直視」あるいは「正しい歴史認識を持て」と発言している。そうであれば“歴史認識”についても考察すべきであろう。先ずは、歴史上の“事実”と“歴史認識”とはどのような関係にあるのだろうか。事実と認識との関係を示すことは簡単である。コップに半分の酒があるとしよう。酒の好きな人は「もう半分しかないのか」と思うが、苦手な人は「まだ半分もあるのか」と思うだろう。つまり、事実は一つであっても、それをどう認識するかは極端に言えば人間の数だけある。歴史と歴史認識も同じである。過日、中国が韓国の朴槿惠大統領の告げ口外交に同意してハルピンに安重根記念館を開設したが、安重根は明治42年10月26日、ハルピン駅頭で初代韓国総監の伊藤博文を射殺した男である。その事実に対して、安重根を日本側は暗殺者・テロリストと認識し、韓国側は義士・英雄と評価している。もっとも、韓国においても当時の高宗皇帝は「慈父を殺された」と悲しみ・怒っている。これも、一つの歴史上の事実に対し、歴史認識が国の数、人間の数だけ存在する例である。
 したがって、歴史認識を統一することなど出来ない相談である。ところが韓国は歴史認識どころか、その前提である歴史上の事実に対してすらも、世界の歴史学の常識と異なる考えを有している。最近(平成25年11月)、日韓の議員連盟合同総会で「中国も含めた三カ国共同の歴史教科書を作ろう」との共同声明が発表された。しかし、歴史教科書を合意することなど最初からできない相談である。実際に小泉政権時代、「日韓双方の歴史学者によって歴史認識を合致させよう」と外交上の合意を得て、平成14~17年及び平成19年~22年の二度にわたり合同研究が実施された。その中で日韓間の争点として、36年間の日本の朝鮮統治が浮上した。韓国側は「日韓併合はなかった」あるいは「日韓併合は無効だ」と主張した。「その証拠に皇帝高宗の署名がないではないか」と言うのである。下町のアジュモニ(おばさん)が言っているのではなく、れっきとした大学教授や政治家やマスコミ、最近では裁判官までもが主張するのである。当然、歴史学者がその急先鋒である。日本側の学者は「日韓併合は実際にあったのだから、事実として認めたうえで何故そうなったのか、日本側のどこが批判されるべきか検討しましょう」と譲歩した案を提示するが、韓国側の学者は「いいや日韓併合は無効だ。そんなものは最初から無かった」と絶対に譲らず、結局は議論が成り立たなかった。歴史認識とは歴史上の事実をどのように認識するかであるが、その認識の前提となる歴史上の事実についてすら合意できなかった。歴史の事実を大切にする日本は「20万の性奴隷」について、資料等で直ぐに判る歴史上の数値を挙げて「慰安婦全体で3万人以下なのに何故誇大な数値を持ち出すのか」と反論する。しかし、韓国側に言わせると「20万人が嘘だということはハッキリしている。それはみんな知っていることだから」と言うのである。そうであれば、朴槿恵大統領のいう「歴史の直視とは何なのか」となる。もし「歴史とは韓国人の価値観に合う事実だ」ということになれば、極端に言えば歴史は国の数、人間の数だけあることになる。
 最近の韓国の歴史教科書について韓国内で問題になっている事案が面白い。戦後の米軍の英語表記の地図の写真を教科書に載せたところ、当時の米軍の地図には日本海を当然「See of Japan」と表記してある。韓国は1992年に開催された第6回国連地名標準化会議において突然、「日本海をトンヘ(東海)とせよ」と主張し出した。理由は不明であるが、恐らく「日本海と言うとそこに含まれる全てが日本の物のような感じがして、気分が悪い」とか、「自分の東側の海なのに、日本海とは気に食わない」とかの、児戯に類する下らない理由だと思われる。そのような理屈が通れば、世界中の海はどこかの国の東西南北海となってしまい、特定できなくなってしまう。ちなみに、1986年までに発行された韓国の地図でも「日本海」と表示されていた。改称運動を展開し始めたのは1992年以降である。それなのに、「教科書に載せる昔の写真もトンヘとすべきである」と言うのである。つまり、実際にあった当時の写真を「改ざんせよ」と大声で叫んで、学者を先頭に誰も疑義を唱えないのである。
 韓国にあっては、歴史は「何年何月に、ある事象が実際に起こったという事実を対象とするのではなく、こうあるべき、こうあらねばならないという頭の中の観念(情念)の世界」なのである。しかも歴史学者においてさえ、学問的な事実関係はあまり重要ではなく、外向けつまり市民とマスコミ受けするメッセージ性ばかりが重視される。要するに、歴史認識の手前の歴史的事実に対してさえ合意が得られないのに、歴史認識を統一することなど最初からできない相談である。

6 米国の調査と米軍の尋問調書
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年間かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかになった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていた。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。
 米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班の米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。各省庁作業班(IWG)とは、ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録を調査するための各省庁から集められた作業グループで、クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第二次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で2000年に始まった調査である。米国は莫大な人員、具体的には国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)等の要員と巨額の資金(30億円以上)を投じて、7年間をかけて政府組織等に保管されていた未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を目的とした。調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページにのぼり、そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる記録であった。日本に関する文書の点検基準の一つとして、「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」に関わる文書の発見と報告が指示されていた。しかし、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望した」と記すとともに、同調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実推護連合会」も「こうした結果になったことは残念だ」と表明している。またIWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表したが、論文は慰安婦問題について、「①戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を当時、国内で合法だった売春制の延長だとみていた。②その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった」と指摘している。いずれにせよ、IWG調査は、米国国内で慰安婦問題をプレイアップして日本を非難する人々にとっては、失望せざるを得ない結果であった。日本に好意的な米ジャーナリストのマイケル・ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語っている。このように重要な調査が8年近くも埋れていた理由は、慰安婦問題で非難しようとする人達が調査を推進したものの、自分達の意に沿わない結論になったためプレイアップしなかったからと思われる。しかし、米政府の調査であり、議会にも報告されているので、少なくともワシントンの日本大使館は注目して欲しかった。
 一方、前述のマイケル・ヨン氏は自らが生粋の軍人(米陸軍特殊部隊)であった経験から「戦場の指揮官の関心事は作戦指揮と武器・弾薬・食糧の補給であり、日本軍の補給は常に不足していた。それなのに、20万人もの女性を管理し食べさせる余裕はない。それが戦場の常識だ」と述べている。
 ところで、この調査の中で、シンボリックな一例として、米軍が韓国の慰安婦を尋問した英文の調書(米陸軍の公式文書)の要点を紹介する。これは「米国陸軍インド・ビルマ戦域所属情報部心理作戦チーム情報室日本軍捕虜尋問報告第49号」であって、終戦直前の1944年にビルマのミートキーナにおいて米軍が捕虜にした韓国人慰安婦20名(氏名イニシャル・年齢・出身地判明)と雇い主である民間業者2名の尋問調書である。当然、この調書は当時の慰安所、慰安婦の実態に関する極めて重要な資料である。なぜなら、これはうわさ話、あるいは後になってから集めた情報ではなく、その当時、現地で慰安婦本人の尋問に基づいた情報であるからである。しかも、日本軍に対して敵対的な感情を持っていた米軍人の尋問であるにもかかわらず、現在、韓国や国連で言われている“性奴隷”とはかけ離れた慰安婦の実態を示す有力な証拠である。当時の営業形態や階級に対する料金と所要時間、曜日毎の部隊割り当て及び診断日・休養日等が細かく決められており、資料としても興味深い。
 尋問調書の注目点を以下に列挙する。
◇ 慰安婦募集
 日本軍の東南アジア占領区における「慰安業務」に従事する朝鮮人女性を募集するため、1942年5月初旬、日本の民間業者が朝鮮に到着した。これらの業者の勧誘ポイントは、「高額な報酬、気楽な業務で一家の借金の返済ができる、そのうえ、新天地シンガポールでの新たな人生の可能性もある」というものだった。このような説明によって大勢の女性が海外業務に応募し、数百円の前払い金を受け取った。応募した女性の多くは無知、無教育であり、一部の女性はそれ以前に「人類最古の職業」の関係したものも含まれていた。署名捺印した契約書によって家族が前払いを受けた借金の金額により、6か月から12か月の期間、彼女らは雇い主に従うこととなった。
 このようにして約8百人の女性が雇い入れられ、1942年8月20日頃に雇い主である業者とともにラングーンに到着した。彼女たちは、8人から22人のグループに分けられ、ラングーンからビルマ各地の日本陸軍の駐屯地近辺の町村に配された。
◇ 慰安婦達の性格や特性
 尋問によると、朝鮮人「慰安婦」について一般的にいえるのは、年齢は25歳前後、教育程度は低く、幼稚、利己的、気まぐれであるということである。これらの女性の容貌は、日本人または白人の基準からみて綺麗とはいえない。また自己中心的であり、自分自身について語りたがる傾向がある。見知らぬ人の前ではおとなしく、取り澄ましているが、彼女らは「おんなの手管」を心得ている。ミートキーナおよびレドにおいて米軍兵が捕虜である彼女たちに親切な処遇をしたため、彼女たちは米軍兵士が日本軍兵士よりも情にもろいと感じているが、中国兵およびインド兵を恐れていた。
◇ 生活及び勤務条件
 ミートキーナでは通常、2階建ての大きな建物(一般的には校舎)に各自、個室を与えられていた。この個室が彼女らの居間兼寝室であり、営業の場でもあった。ミートキーナでは食事は雇い主が作りそれを彼女たちは買っていた。日本陸軍からの定期的な食糧配給はなかった。彼女らの生活は、ビルマのその他の地域に比べれば、贅沢といえるものであった。とりわけ、ビルマにおける2年目の生活については恵まれていた。慰安婦には食料や物資に厳しい配給統制がなかったためである。また、彼女たちは沢山のお金を持っていたため、欲しいものを購入することできた。彼女らは兵士が故郷から送られてきた「慰問袋」に入っていた品々を贈り物として受取った上に、衣類、靴、タバコ、化粧品なども買うことができた。
 ビルマでは、彼女たちは、日本軍の将校や兵士たちとともに各種のスポーツや催しに参加して楽しんだ。ピクニック、演芸・娯楽、社交夕食会にも参加した。彼女らは蓄音機(レコードプレーヤー)を持っていたほか、町ではショッピングを楽しむことも認められていた。
◇ 料金体制
 営業は、日本陸軍の定めた規則に基づいて行われていた。陸軍は、各地域で活動している各部隊に、価格、優先順位、時間割が必要と考えたようである。尋間により得られた標準的な営業方式と価格は以下のとおりである。
1. 兵士 午前10時~午後5時 1円50銭 20~30分間
2. 下士官 午後5時~午後9時 3円 30~40分間
3. 将校 午後9時~12時 5円 30~40分間。なお将校は、20円を支払うことによって宿泊が許されていた。
◇ 営業時間
 兵士たちは慰安所の混雑についてしばしば不満を漏らしている。この問題を解決するために、軍は各部隊の専用日を定めることとした。秩序を保つため、憲兵も巡回した。第18師団の各部隊の割り当て表は以下のとおりである。
 日曜日 第18師団本部司令部幕僚
 月曜日 騎兵
 火曜日 工兵
 水曜日 休日及び毎週の身体検査
 木曜日 衛生兵
 金曜日 野戦砲兵
 土曜日 輸送兵
 兵士たちは慰安所に入ると、氏名と所属部隊と階級を確認されて後、料金を支払って左側に順番、右側に慰安婦の名前が記入されている約5センチ四方の厚紙のチケットを受け取り、順番待ちの列に並んで自分の番が来るのを待つことになっていた。なお将校は毎日、慰安所を利用することが認められていた。
 特に重要なことは、慰安婦には客を拒否する特権が与えられ、その特権は兵士が過度に酔っている場合等には、しばしば行使された。
◇ 給与と生活条件
 契約時の負債の金額により、各慰安婦は稼ぎの総収入の50%から60%を「雇い主」に支払うことになっていた。慰安婦の一か月の稼ぎの総収入は約1,500円であった。彼女たちは、雇い主に750円返済していた。だが多くの雇い主は食料その他の必要物資の代金として高額を請求し、女性たちに困難な生活を強いていた。一方、1943年の後半、陸軍は負債の返済を終えた女性は帰国してもよいとの命令を発したので、返済した女性は朝鮮に帰国することが認められた。
 彼女たちの健康状態は良好であることが尋間によって確認されている。あらゆるタイプの避妊具が彼女たちに支給されており、また兵士たちも軍が支給した避妊具を持参していた。利用者及び彼女ら自身の衛生について、彼女らはよく訓練されていた。 陸軍軍医が毎週一回慰安所を訪問し、病気の兆候のある女性を発見した場合には、必要に応じて治療、隔離、入院などの処置がとられた。 性病に罹患した兵士もこれと同様の処遇がとられた。
◇ 兵士たちとの関係
 日本兵は一般的に、慰安所に居るところを人に見られるのは「きまり悪い。照れくさい」と思っていたようである。また、ある兵士は「慰安所が客でいっぱいのときに、ならんで順番を待つのは恥ずかしい」と言っていたという。女性たちの意見が一致した嫌いな客は、翌日は前線に行かねばならないので、酔っぱらって慰安所を訪れる将校や兵士たちであった。しかし重要なことは、「慰安婦に対する結婚の申し込みは多数あり、実際に結婚に至った場合もあった」ということである。
 以上の審問調書が示すところは、慰安婦制度は当時国内的に合法であった「売春制度」延長であり、韓国や国連が非難する「性奴隷」を完璧に否定する状態であった。

7 米国の教科書記述とその分析
 米国マグロウヒル社の世界史教科書にトンデモナイことが書かれている。これは米国歴史学者19人が日本を非難した声明と軌を一にしている。以下に教科書記述の具体例を示し、それぞれに解析する。
◇ 「日本軍は慰安婦を強制的に徴集した。」
 実態は前述のとおりであり、重複は避けたい。しかし、米歴史学者19人が声明発表に際し、彼等が連帯しているとしてただ一人実名を挙げた日本人の左翼系歴史学者の吉見義明は、その著書の中で「慰安婦の多くは朝鮮人のブローカーに騙されて慰安婦になった」と記している。また日本のテレビ討論の中でも「朝鮮半島における強制連行の証拠はない」と述べている。つまり、彼等が頼りとする日本人学者も強制連行を否定しているのである。
◇ 「20万人にも及ぶ女性」
 実態は前述のとおり。ちなみに、秦郁彦先生は慰安婦の合計が約2万人と推定し、最も多かったのは日本人で約8千人(4割)、朝鮮人は4千人(2割)と推計している。残りは中国人を含むその他の国籍の女性であった。
◇ 「慰安婦は1日あたり、20人~30人の兵士を相手にした。」
 20万人の慰安婦が1日あたり、20人~30人の兵士を相手にしたとすれば、当時の日本陸軍の外征兵力は約百万人であったので、日本軍の兵士は全員が毎日、4~6回、慰安所に通ったことになる。下世話に言えば、日本軍は戦闘をせずに、慰安所通いが日課だったことになる。アジア各地で激戦に臨み、多くが戦死した日本陸軍の将兵に対し甚だしく実態と乖離している。
◇ 「慰安婦は天皇からの贈り物」
 これを示す証拠も証言も実態もないのに、一国の元首を誹謗・冒涜する記述を教科書に書くことは外交上儀礼上甚だしく非礼である。政府として、断固とした措置を採るべきである。
◇ 「多数の慰安婦を虐殺した。」
 証拠とした資料は何なのか。当方の知る限り、そのような資料は存在しない。もしそのような事実があれば、各地のBC級軍事裁判で戦犯として裁かれた筈であるが、そのような事実もない。少なくとも、いつ、どこで殺害したのかの記録がなければ、何処の国であれ、教科書に書くのは不適切である。
[解説]
 教科書記述にせよ、19人の歴史学者の声明にせよ、中心人物はコネチカット大学のアレクシス・ダッデン教授という女性である。彼女は2005年(H17)に『日本の朝鮮植民地化 対話と力』を出版し、前述の論を展開している。しかし、米国内にも反対する学者が居り、たとえばハワイ大学のジョージ・アキタ名誉教授は「①研究論文の随所に見られるのは、どうにも学者らしからぬ、意味不詳かつ一方的な記述の羅列と時に史実の立証が不可能な出来事に基づく、単純にして怪しげな結論である。②学問の核心部分に対して暴露した杜撰さ。余りにも学者らしからぬ推測であり、もはや開いた口が塞がらぬ。③歴史学者として余りにもマナーに欠けたやり方。根拠となる情報源は記されておらず、おとり商法的記述の好例であり、学者として決して許される行為ではない」と酷評している。鎌倉時代と江戸時代を間違えるなど多くの事実誤認があるアイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』を思い出す。

8 解決策の模索
 では今後、どうすれば良いのであろうか。安倍首相は常々、周辺に「歴史問題は匍匐(ほふく)前進で行くしかない」と洩らしている。普通の外交案件と異なり、正面突破ができないということである。何故なら、大東亜戦争の戦勝国や日本の敗戦で利益を得た国々は、その既得権益を絶対に手放そうとしないからである。
 ところで、最近の朝日新聞が主張するように、慰安婦問題の本質が女性の人権や慰安婦の尊厳であるならば、日本はこれまで誠意をもって対応してきた。ある意味、日本側からすればこれ以上、韓国に譲れるものはない。たとえば仮に、韓国側が主張する「公式な謝罪と政府からの見舞金」を行ったとしよう。その時の韓国政府は矛を収めたとしても、次の政権になれば“元の木阿弥”である。むしろ、支援する日本の左派や韓国の市民団体とマスコミは、今度はそれをネタにもっと過激な要求をして来るに違いない。つまり弱味を見せたら、そこに付け込んでくる。たとえは悪いが、このやり方はヤクザの恐喝のようなものである。
 また、韓国政府は市民団体とメディアの“反日を制御”できていない。韓国もウィーン条約に加盟している。同条約では大使館等の外交施設の安全確保を求めているが、その中では「公館の安寧妨害」や「公館の威厳の妨害」も禁止している。日本大使館の正面の公道上に慰安婦像が立てられており、毎週水曜日にそこでデモが行われているが、これらはウィーン条約に抵触する行為である。これを放置して取り締まらないのは、韓国政府の国際法遵守姿勢の弛緩と国民の民度の低さを示している。
 ところで朴槿恵政権誕生以来、顕著になった中韓の歩み寄りについても触れておく。歴史戦で共同戦線を張るため、朴槿恵大統領が中国の習金平主席に擦り寄っている様子は、国家の主権と言う観点から真に見苦しいが、韓国民はどのように見ているのであろうか。韓国外務省の局長を務めた幹部は「韓国はそれほど中国に傾いていないと思う。韓国は歴史的に中国に対して被害意識がものすごく強い。それこそDNAの中に刻み込まれている」と述べている。本年5月、中国の王毅外相が訪韓した際、「韓国は親類みたいなものだ」と無神経に発言した。これに対して韓国要人の反応は「どういう意味か。気分が悪い」であった。また朝鮮日報に「中国の当局者が韓国側に“朝貢外交に戻ったらどうか”と言った」との記事が掲載された。中国外交官がそんなことを言うはずがないが、その際も「中国は時折、こうした我々を見下した態度を取るから信用できない」との反応であった。要するに、中韓接近には限界があるということである。
 前述のように、韓国の“反日”の裏には、必ずそれと連携する日本の左翼活動家の陰がある。彼等は「良心的日本人」と韓国で持てはやされている。日本側の立場は1965(S40) 年の日韓請求権協定により、「日韓間の戦後補償は慰安婦も含め“完全かつ最終的に解決”された」である。一方、韓国側は「この協定に慰安婦問題は含まれていない」と主張している。日本側としては、この主張への譲歩・融和策として「慰安婦問題に関して法的責任は解決済みだが、道義的責任は認めよう」として、慰安婦に「償い金」を支給するため「アジア女性基金」事業を行ってきた。日本政府としては出来得る限りの誠意を示した。しかし、その時は納得しても、次の政権になると「道義的責任では納得できない。法的責任を示せ」とエスカレートした。韓国に譲歩して善意で河野談話を出し、「アジア女性基金」を作ったのに、結局は失敗した。日本が波風を立てないように積み重ねた外交的配慮は結局、韓国に通じなかった。これまでの日本政府の対応は、公式的には「政府は慰安婦に関する道義的責任を明確に認め、政府最高レベルでお詫びを述べてきた」である。これは具体的には、河野談話と「アジア女性基金」を指す訳であるが、これが結果的に問題をこじらせてきた要因となった。日本側には「これ以上何をしたら解決できる」のか解らない。ついでに、「アジア女性基金」について付言しておくと、約6億円の募金が集まり、政府が約48億円の補助金を支出し、韓国では元慰安婦16人に対し一人当たり5百万円を支給した。その際、当時の首相の署名が入った「おわびの手紙」も渡している。韓国民からは理解を得られなかったが、支給を受けた元慰安婦から「大変ありがとうございます」との丁寧な御礼の返事が寄せられている。このことも、支援している日本人左派や韓国活動団体の主張している実体とは異なっている。
 冒頭で「学問的には既に決着の付いた問題、南京事件に比べ問題の範囲とその発端の経緯が単純明快」と断じたが、これは日本や欧米流の科学的真理追求と歴史の見方・考え方で、観念や情念の社会である韓国では通用しなかった。従って、解決は容易ではないのである。日本人はスパッと解決したいと願っているが、安倍首相の「慰安婦問題は匍匐前進で行く」というのも止むを得ない。
 今後は、解決の方法を二元的にしてはどうだろうか。先ず当初は国連と欧米に向かって史実と今までの元慰安婦への対応を説明して、学問的な事実関係と論理性で争い、納得を得る事が必要である。そしてその間、韓国は放っておけばよい。その後、国際社会での説得の成果をもって国連と欧米と連携して韓国に論理的・科学的に攻勢をかけるのが最善の策である。そうすれば、韓国側も受け入れざるを得ないであろう。このためには、英文での論文や著書の出版が急がれる。
 いずれにしても、かつての両国の指導者が「竹島は重要だが日韓関係全般はもっと重要だ」と認識していたのと同じように、「慰安婦問題は重要だが日韓関係全般はもっと重要だ」との認識を共有するようになれば、普通の隣国として付き合えるのではなかろうか。幸いなことに、両国には米国と言う強力な共通の同盟国がある。少なくとも、現在の国家安全保障は70年以上も過去の慰安婦問題より重要である。ちなみに、中央日報は9日の社説で、習金平国家主席が安倍首相との日中首脳会談に応じたことを受けて「好悪を離れ、国益追求が外交の本質であることを示す“事件”だ。韓国は疎外される可能性を懸念し、苦心するしかない立場になった」と報じ、また朝鮮日報も社説で翌10日、「外交で重要なのは相手への好き嫌いの感情ではなく、“国益”だと思い知らされた」と報じている。韓国といえども、国益に関しては「リアリティを持たざるを得ない」ということの現れである。
 要するに、韓国に対しては直接、韓国に働き掛けることは止め、迂遠なようであるが説得可能な理屈の通る米国及び国連本部に慰安婦の実態を知らしめ、その成果をもって韓国を説得すべきである。ただその際に注意すべきことがある。保守派の中に「韓国軍も悪いことをしたではないか。朝鮮動乱やベトナム戦争の際に多くの女性の人権を踏みにじり、その実態はカネを払った慰安婦よりもっと残酷だ。米軍だって……」という者がいる。気持ちは解るし、一般市民を相手にしている分には問題がない。しかし、政府や真っ当な学者はそのような論法(ディベート)を取ってはならない。結局は「大東亜戦争は是か非か」等のように議論が拡散し、慰安婦問題の解決を阻害する。むしろ相手側がそのような論法を採った場合に、「それは別の問題で別の機会に論議しましょう。今は慰安婦問題に議論を集中しましょう」と諌めなければならない。実は、韓国人の多くに全く同一の論法を採る者が多く、何に関する議論であれ、議論の中で自分が不利になると、「そもそも日本が朝鮮を併合したのが悪い」と議論をすり替えるのである。

無人機の首相官邸侵入(徳田 八郎衛)

偕行社安全保障委員会委員
徳田 八郎衛

1 数々の問題点が噴出
 少なからぬ専門家が内蔵された問題点を指摘してきたにもかかわらず、事故が起こるまで何も改善されない。これは日本だけの現象ではなく近隣諸国や欧米諸国にも見られる悲しい現実である。うつ病の副操縦士による航空機墜落事故、原発事故、紛争地上空を回避しなかったための航空機被弾事故等々。だが今回の「無人機の首相官邸侵入」は、国際的にも恥ずかしい事件であった。事件の概要はメディアで丁寧に報道されているから省略するが、早急に是正すべき問題点は少なくない。立法府は政権と行政府の怠慢を叩き、「以前から警告してきた」と自負するメディアは両者を叱責するが、それほどメディアは完全無欠なのだろうか。それも検証しながら早急に改善を要すると思われる問題点を列挙したい
① 事件の見出し
速報性を誇る放送やネット報道は、4月22日昼過ぎ「首相官邸屋上にドローン落下」と報じた。警備当局からの通知をそのまま伝えたからであるが、「道に落ちていた財布を発見しました」と同じ調子でいいのだろうか。無人機の操縦は、利用熱を喚起したい関連業者や軽薄なテレビが伝えるほど容易にできるものではなく、見えにくい場所からの遠隔操縦は尚更であるから、狙った屋上へ見事に着地させたというのが実態であろう。外紙には「ストライクした」という表現もあった。侵入させただけでなく、(最終的には容疑者の自供で日時は判明したが)いつ着地したのか判らないというのも体裁が悪く、「撤退」を「転進」と言い換えるのと同じ論理で、事を荒立てないように「落下しているのを発見した」と言わざるを得なかったのであろう。だがメディアの解説者まで「落下」「落下」と言い続ける必要はあるのだろうか。

② 経空脅威の監視と対応
無人機の性能や運用に関する我が国の法的規制が遅れているのは、警備当局だけの責任ではない。国土交通省や経済産業省も関係し、EU諸国や米国でもなかなか法制化に至らない複雑な問題であるからだ。だが昨年10月にはフランスで国籍不明の小型無人機*が何度も各地の原発上空へ不法**に侵入して写真やビデオを撮りまくった事件があり、米国でも連邦政府情報機関職員の遊びによる過失とはいえ、今年1月、ホワイトハウス前庭への無人機墜落という事件があったばかりなのに、平時という理由で国家中枢機関への無人機による経空脅威の監視がまったく為されてこなかったし、監視すべきだという建議がどこからも上がって来ていないのだ。これでは大論戦の末、国家安全保障局を設立しても、まだ魂が入っていないのを世界に示したことになる。

遅まきながら今後は立体的な監視を強化するそうだが、発見してからの対処はどうなるのか。具体的には撃墜や無能力化を図らなくていいのだろうか。今回の事件でもホワイトハウス墜落事件でも、使われたのは中国DJI社製の「ファントム」という世界の人気商品であったが、この数百グラムのペイロードを2kg、さらには3kgに向上させる機体改造方策は既にサイトに列挙されている。2kgのプラスティック爆薬といえば、1944年にヒトラー暗殺を謀るシュタウフェンベルク大佐がヒトラーの足元へ置いたものと同程度の殺傷威力を持っているから、当然、撃墜か無能力化が必要であるが、技術的には有人機への対応とは違うものになる。携帯SAMも含めて対空ミサイルは使いづらい。相手は小型目標であるし、ミサイルが人口集密地域へ「落下」すると二次被害を誘導する。それに5万円程度の商用無人機へ百万円もかかるミサイルを発射するのも能がない。そこで有望なのは高エネルギーレーザー(HEL)である。ラインメタル社のように、もう武器システムとして完成させているメーカーもある。いわゆる「グレイゾーン」事態でもないし、治安出動命令も下令されていないから自衛隊には運用させられないというのであれば、自衛隊の協力で教育訓練を受けた上、警備当局自らが運用するより他に術はない。
* 原子炉周辺を飛び回った無人機には、近くから制御せざるを得ない小型機だけでなく、何キロも離れたところから制御できる、翼長2メートルもの大型機もあった。人目を避けて夜中に飛ぶことが多く、当然のことながら高価な夜間撮影カメラが搭載されていることが推定された。
**フランスでは原発ごとに2・5キロの飛行禁止領域が設けられている。

③ 無人機の効能しか伝えなかったテレビ
この無人機が「落下」した直後の4月17日、NHKの「特報首都圏」は、「あなたの上も飛行中!?-大流行ドローン」と題して宅配便や倒れた人を救うAEDが無人機で届けられる夢のような日が将来ではなく、すでに今、到来していること強調した。搭載カメラで農作物の生育も一目で判るという。だが何百メートルも離隔して邸宅が点在し、地平線の彼方まで自分の農場が広がる国ならともかく、50坪程度の宅地や集合住宅が立ち並び、自動車どころか自転車で走れば所有農地が把握できる日本で必要なのだろうか。無人機業界のPRとも思えたが、新しいものが出てきたときにまず持ち上げ、事故や悪用が起こってから「予見されていた」と叩くのはメディア、特にテレビの常套手法であるから、驚く方が幼稚なのかもしれない。だが事故の実例については、十分な紹介は無く、NHKが得意とするはずの記録映像も見せなかった。
そして、悪意ある人の運用により「走る凶器」ならぬ「空飛ぶ凶器」になる可能性や、それを防ぐ法規や物理的手段については全く触れようとしなかった。何しろホテル に重要人物が滞在していても窓を割って2kgのプラスティック爆薬を送り込めるのだ。悪意ある人による有人機の乗っ取りは、「9.11」で実証済みだが、無人機の活用は自分が一緒に死ぬ必要もないから、より採用されやすい。
また巧妙な操作には熟練を要することも伝えられなかった。2006年4月25日早朝、アリゾナ州のリビー陸軍飛行場から制御されながら国境監視の任務についていたゼネラル・アトミックス社製のMQ-9「プリデーターB」が制御不能となってノガレス国際空港の近傍へ墜落した事故は、今も世界の無人機関係者に語り継がれている。「パイロット」はド素人ではなく、運用を委託されていたゼネラル・アトミックス社員で、A型については519時間、B型についても27時間の操縦経験を持つ熟練者であったが、操作手順を間違えて燃料供給をカットしてしまい、機は高度を下げ始めた。そこで彼は機の空地無線リンクを切断し、無人機が自律操縦で行動して高度を回復するよう期待したが、制御不能*のまま墜落する。幸いそこは人家密集地域の背後の丘であった。
*「プリデーター」の大きさは中型ジェット機に近い。国家運輸安全委員会(NTSB)としては捨てても置けず、事故調査の後、連邦航空局(FAA)と税関国境警備局(CBP)へ22件の勧告を行い、連邦航空局と本土安全保障省へは、「国境監視に無人機を多用するのなら、パイロットの訓練を強化せよ」と要求する。パイロットの責任は重いのに、テレビゲームの感覚で操縦されていると委員の一人は嘆いている。有人機では起らないロックアップ(システム操作不能)が無人機では頻発することや、パイロットの訓練システムが機種ごとにばらばらであり、共通の標準が無いこと等が指摘されたが、十分な改善が為されないまま、米国は中国とともに商用無人機を世界に供給し続ける。せめてどのような制御をパイロットが行ったのかを音声で記録するように委員会が求めても、有人機のボイスレコーダーに匹敵する機能は設定されないままだったという。

2 今国会で法規制が可能なのか
 4月24日付産経新聞第1面トップに「ドローン今国会で法規制― 航空法改正、免許制を検討―」と報じられている。だが防衛関連法制審議で多忙な今国会で会期中に十分に審議できるのだろうか。また第14面(社会)には「ドローン規制強化―米英仏厳しく対応―」という見出しの記事が1面記事を追っているが、解説は不十分である。欧米諸国は商用無人機の法的規制を永年検討してきたものの、無人機販売や無人機利用側からのロビー活動が強くて中々制定に至らないのが実情だ。ただ目視範囲内でしか飛行は許可されていないから、まだ検討もしていません、目視距離内という制限もありませんという日本よりも取り組みが進んでいるのは事実である。
 米国のFAAが永年温めてきた原案では、55ポンド以下の小型無人機(SUAS)については、機材の耐空証明やパイロットの免許は問わず、運用のみを規制するとされているので関係業界からは歓迎されている。ただ昼間に、目視距離内で、高度500フィート以下で、速度87ノット以下という運用規制はいいとして、群衆の上空で、また、その行事や活動に直結する目的で飛行させてはならないという規制があるので反発する団体もある。商用の配達への利用規制も基本的には不可なのでアマゾンやグーグルが大反対している。今から公聴会にかければ、結論が出るまでに3年間はかかると予測する向きもある*。日本でも公聴会は必要であろう。3か月程度の審議で法制化できるのだろうか。なおFAA案では、有人機と無人機の空域分離と地上の人々及び所有物への被害極限の二つが大きな柱であり、これによって「無人機産業の将来のイノベーションに応える」としている。では悪意ある人の利用をどうするのか、彼らは大型無人機にのみ関心があってSUASなどは利用しないと思っているのかと心配になる。
* “Small UAS, Big Step”, Aviation Week & Space Technology, March 2-15, 2015, p61

さらにFAAは、カナダに見習って4.4ポンド以下のマイクロ無人機を定義し、高度400フィート以下、速度30ノット以下、パイロットから1500フィート以内での運用と、衝突の被害を極限化できるよう柔らかい材料での製造を条件に、クラスGという低域で自由に運用させる案を作成している。これも公聴会待ちである。この程度の軽量なら、有人機と衝突しても小中型鳥類との衝突程度の被害しか与えないから過去の衝突事例から見ても大丈夫ということであるが、風防ガラスへの直撃や、エンジンへの吸い込みがあれば危険であるという反論も根強い。

3 公共の安全とプライバシーの保護
 一方、欧州航空安全庁(EASA)は、EU諸国のために米国よりもさらに緩い無人機規制案を作成中であり、大きさや性能によって「自由」「限定」「免許」の三段階に分けられる。「自由」は、目視距離内で昼間だけ、高度150m以下で運用でき、空港周辺や環境、保全のための指定区域は避けなければならないが、システムの耐空証明やパイロットの免許、運用申請は一切必要ない。しかし人口稠密地域上空を飛行するのであれば、製造業界の基準に従ったシステムでなければならない。「限定」は、広い空域を必要とし、多くの人々に危険を及ばす可能性のある飛行であり、航空関係官庁への運用許可申請が必要である。「認定」は、有人機に近い活動を行うもので、パイロット個人の技量や運行組織自体の認定も必要となる。重量、速度等による三段階の「線引き」は、今から「ステイクホルダー」、すなわち関連業界の協議に委ねるというから、米国以上に「関連業界の自主規制に依存」といえる。今年末までに、この規制法案は欧州議会へ提出されるが、ある市場調査によれば*、今から2025年まで世界の無人機売り上げは伸び続けるが主力は軍用無人機であり、偵察用と攻撃用だけで総額727億ドルに達すると見込まれる。一方、ホビー用無人機は、軍用に比較すると低価であるものの年間1.5~8億ドルの売り上げ見込みである。その根拠として「衝突・破
損に伴う消耗により、ほぼ毎年買い替えられるから」という。10年経っても操用性も信頼性も大して向上せず、ドンドン壊れて「落下」するであろうという気になる予測数値である。
* “Armed and Profitable”, Aviation Week & Space Technology, March 2-15, 2015, p13

米国もEUも、武器と同様に無人機においても輸出大国であるから業者の声に配慮した規制となるのは避けられないが、プライバシー保護の配慮が討議の的とならないのは不思議なことである。路上監視カメラ設置をめぐる議論では、プライバシー保護と公共の安全の折衷が求められたが、無人機による節度なき写真撮影が常態化すれば、プライバシー保護と公共の安全の両方が脅かされる。それを不可とするのがタイの厳しい無人機規制であり、原則的にカメラ搭載は禁止され、学術や報道等の目的で利用する場合は運用申請と許可が求められる。また小型無人機といえども操縦には免許が必要である。無人機輸入大国日本も、サミット開催を手近に控え、タイを見習ってはどうであろうか。

4 提言
① 拙稿「自衛隊は治安機関か?」にも記したように、自衛隊の本来任務である「国の防衛」に眼をつぶる国民は未だに多い。軍事をおぞましいもの、考えたくないもの、考えてはいけないものとする「平和教育」の成果であるが、治安のために身を捨てて行動し、すでに少なからぬ殉職者を出してきた警備当局にも、「考えたくない」思考は存在する。新しい脅威は、治安関係者にも防衛関係者にも同等に襲いかかるのに、化学戦、核戦、細菌戦、電子戦等の実態を理解し、対抗手段を探るという姿勢を筆者は、警備当局との長い交流において感じることがなかった。松本サリン事件への拙劣な対応や「警察無線聴き放題という実態」がそれを立証したが、「経空脅威などは考えたくない」「それは治安維持の仕事ではない」という思考も、今回の不手際に繋がっている。一般国民のみならず警備当局の方々も軍事について、その脅威や対応についてもっと認識を深めて頂きたい。必要な装備の開発は、防衛当局に任せる、あるいは共同で実施するのが効率的である。脅威の増大は、待ったなしである。
② 無人機の規制には「おくて」、後進国だった日本が、急遽、規制法規を整備するとなれば、海外の法令に範を求めることになるが、「いつもの習性」で米国やEUの法令や判決に従うのは一考を要する。「米国やEUの法規こそグローバルスタンダード」という軽薄な思考、もしくは強要が、サリドマイド被害や農薬被害を生み、遺伝子組み換え作物の押しつけとなっているからだ。いずれも無人機輸出大国であって規制も緩いが、一方、タイや中国のようにはるかに厳しい国もある。人口稠密な国には、厳しい規制にも説得力がある。
③ 高エネルギーレーザー(HEL)や電子戦手段による撃墜・無能力化を早急に実現し、装備化すべきである。平時の自衛隊運用に法的不備があるなら、法令を整備するか、警備当局が「武装警察」となって運用するかのいずれかであり、人員と器材が「出向」するという愚は避けるべきである。イスラエルは、弾道ミサイル要撃の「アイアン・ドーム」にラファエル社の「アイアン・ドーム・レーザー」も加えようとしているが、小型無人機要撃であれば、日本の現有の目標追尾システムとHELで十分対処できる。
                                             (以 上)

集団的自衛権行使が何故いま必要なのか(織田邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

~国会での本質的論戦を期待したい~

(本論考は織田氏が2015年5月に発表した論考である)

現在、安全保障法制を巡る自民党、公明党両党の与党協議が実施されている。本稿が出る頃には法案が提出されているだろう。昨年7月1日、安倍首相は集団的自衛権の限定容認を閣議決定した。閣議決定だけでは自衛隊は動けない。法制化してこそ実効性が生じる。
集団的自衛権については、未だ国民に理解されているとは言いがたい。世論調査によると国民の約30%程度しか理解が得られていないらしい。昨年末の総選挙では、与党は大勝したが、集団的自衛権についてはあえて争点を避けたきらいがある。
我が国を取り巻く情勢は日増しに厳しくなっている。安全保障に待ったはない。政府は、なぜ今集団的自衛権行使が必要なのか、丁寧に説明し、国民の理解を求めていくことが何より重要である。反対する野党も、入り口論に終始するのではなく、この厳しい周辺情勢にあって、どのように我が国の主権を守り、安全を確保していけばいいのか、しっかりと対案を示し、実りある議論を期待したい。
昨年末の総選挙では、自民党は選挙公約で次のように述べていた。「いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備する」
他方、野党第一党の民主党は「閣議決定は立憲主義に反するため、撤回を求める。集団的自衛権の行使一般を容認する憲法の解釈変更は許さない」として「入り口論」に終始し、日本の安全保障政策をどうすべきかの言及はなかった。入り口論に拘泥するのは、一旦中身に立ち入れば党内がまとまらない事情があるからだとメディアは伝えている。真偽のほどは不明だが、次の政権を狙う野党としては、入り口で立ち止まることなく、しっかりとした対案を示すべきだろう。
比較的現実的な公約を示した野党もあった。維新の党の場合はこうだ。「集団的自衛権は、自国への攻撃か他国への攻撃かを問わず、わが国の存立が脅かされている場合において、現行憲法下で可能な『自衛権』行使のあり方を具体化し、必要な法整備を実施する」と。責任政党の矜持が垣間見られる。安全保障に与党も野党もないはずだ。言葉尻をとらえた低劣な議論に終始するのではなく、我が国を取り巻く安全保障環境をどう認識し、日本の安全をどう守っていくかを国民に提示するのは最低限の政党の勤めである。
現代の安全保障環境にあっては、日本の平和と安全は一国では確保できない。近年の中国の急激な軍拡、力による一方的な現状変更の動きは、日本の安全保障に直接影響を与えている。中国は「力の信奉者」である。経済力、軍事力共、米国に次ぐ力をつけた中国の傍若無人な振る舞いは目に余る。その挑戦的行動を抑止できるのは、米国しかいない。
中国も最強の軍事力を有する米国とは事を構えることは避けたいと考えている。だが、今や米国でも一国では手に余るのが実情である。最大の問題は、米国が国際問題に関心を
失いつつあることだ。昨年、オバマ大統領は「もはや米国は世界の警察官ではない」と繰り返し述べた。その結果がウクライナ問題、中東不安定化を生んでいるといっていい。
アジアの平和と安定には米国の関与は欠かせない。メディアは二言目には米国の戦争に「巻き込まれる」と壊れたレコードのように繰り返すが、時代遅れの発想だ。今問われているのは、尻込みしようとする米国を如何に「巻き込む」かである。米国を「巻き込み」、アジアへの関与を続けさせるには、日本が米国と共に、負担や役割を分かち合うことが必要だ。そのためには集団的自衛権の行使容認は欠かせない。
ロバート・ゲーツ元国防長官は離任の辞で「国防に力を入れる気力も能力もない同盟国を支援するために貴重な資源を割く意欲や忍耐は次第に減退していく」と述べた。
トーケル・パターソン元米国国家安全保障会議部長も次のように述べる。「集団的自衛権を行使できないとして、平和維持の危険な作業を自国領土外では全て多国に押し付けるという日本のあり方では、日米同盟はやがて壊滅の危機に瀕する」
「タダメシ、タダ酒を飲むのが家訓」のような今までのやり方では、やがて日米同盟は崩壊し、日本の安全保障は成り立たなくなる。
現行憲法の範囲内でも、集団的自衛権が行使できる余地があるはずだ。「集団的自衛権」と聞いただけでアレルギー反応を起こして思考停止になるのではなく、今の憲法でどこまで可能なのかを模索すべきだ。
「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書は次のように述べている。「憲法の規定の文理解釈として導き出され」た結果、「個別的、集団的を問わず『自衛のため』であれば、武力の行使は禁じられていない」と。
元防衛大学校校長の五百旗頭真氏も、集団的自衛権は、「正当防衛」と同様、「急迫不正の侵害に対し自己または他人の権利を守る自然権」であり、「世界中の国が行使できる当たり前の権利」である。だからこそ、「聡明な外交的判断をもって慎重に行使すべき」であり、「原理主義的に全否定すべきにあらず」と述べている。
米海軍が東シナ海で警戒監視任務の最中に、中国海軍と不測事態が生じた場合を想像すればいい。もし日本が「集団的自衛権の行使はできない」と知らんぷりだと、米国世論は一気に「日本を守る義理はない」と傾くだろう。日米同盟空文化であり、「日本は中国に屈するか、自力で軍拡をするしかない」と五百旗頭真氏は警告する。
中国にとって、日米同盟は目の上のたんこぶである。「中国にとって、最良の日米同盟はここぞと云う絶妙の瞬間に機能しないことだ」と中国高官は語る。集団的自衛権行使の法制化が実現しなければ、中国の思う壺なのだ。集団的自衛権行使は「米国とともに『戦争する国』造り」でも、「アメリカの手先になる」ことでもない。我が国の防衛そのものなのだ。
「風雪に耐えた」憲法解釈を変えることは不当だという主張も誤りだ。法律や憲法などは、時代の変遷、情勢、環境の変化によって解釈を変えて適合させていかねばならない。これ以上は無理だと言うところまで解釈を情勢にあわせていくべきなのだ。今回の行使容
認は極めて限定的であり、十分その余地の範囲内にある。
過去、憲法9条の解釈変更し、自衛隊を合憲としたのに比べたら、「立憲主義からの逸脱」「憲法の根幹を一内閣の判断で変えるという重大な問題をはらむ」という批判は、ためにする批判にすぎない。
堂々と憲法改正をやって変更すべきと主張する人もいる。こういう人に限って、普段「憲法改正反対」と叫んでいる。憲法改正には時間がかかり、今そこにある危機には対応できない。現在の規定では、仮に過半数の国民が憲法改正に賛成し、衆議院で3分の2以上の国会議員が賛成したとしても、参議院議員の3分の1、つまりたった81名の議員が反対しただけで憲法改正の発議はできない。日本人の手で改正できないよう、GHQによって仕組まれた欠陥憲法なのである。「堂々と憲法改正を」という人こそ、「先ずは96条を改正して憲法を国民のものにしよう」と言うべきだが、決してそれは言わない。
日本の現況は、火事が迫り来る家中で、遊びほうけている子供の状況に等しい。「火宅の人」である国家は亡ぶ。国際社会では、「政争は水際まで」が常識だ。安全保障を政局にしてはならない。我が国を取り巻く情勢をどう認識するのか。そして、その情勢下で我が国の安全と繁栄をどう確保すればいいのか。真剣で本質的な国会論戦を期待したい。

日本人よ、誇りを取り戻せ (織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

(本論考は織田氏が「宇佐静男論考集」として2013年1月に発表した論考である)

2011年以降、欧州の財政問題が世界経済にも深刻な影響を与えている。ユーロ圏の財政状況はギリシャが最も厳しいが、スペインも財政破綻寸前にある。
16世紀から17世紀にかけて「太陽の沈まぬ帝国」(スペイン帝国)を作り上げたスペインがなぜここまで落ちぶれたのか。
スペインは1521 年から 1532 年の間にアステカ文明、マヤ文明、インカ文明を滅ぼし、アメリカ大陸の大半をスペインの植民地とした。1580 年にはポルトガルを併合、ブラジルやアフリカ、インド洋に広がる植民地を獲得し、黄金時代を築いた。だが、19 世紀後半には、植民地を失い没落の道を歩む。没落は今なお続き、今日の財政破綻寸前に至る。
スペイン没落の最大原因は、国民が自国の誇りを失ったことだといわれる。スペインでは、かつて子供達に対し、自国はアステカ、インカ、マヤの三つの文明を滅ぼした悪い国だと自虐教育を続けた。その結果、スペインの子供達は自国に誇りを持てなくなった。彼らが大人になり、誇りの喪失は国全体に蔓延した。
自国に誇りをもてなくなった国は衰退の道を歩む。スペインが典型例ということで「イスパノフォビア」という言葉があるくらいだ。
スペインの没落は他人事ではない。「失われた20年」「決められない政治」が続く日本の衰退も「誇りの喪失」、つまり「イスパノフォビア」が原因といわれる。日本人は日本に対し誇りを持てなくなった。日本を悪し様に罵ることが知識人であるかのような風潮がその証左だ。
祝日に日本国旗を門前に掲げる家はほとんど見られなくなった。日本固有の領土である北方領土、竹島が不法に占拠されても、また尖閣列島が奪われそうになっても他人事である。「日本領土は日本人だけのものではない」と平然と口走る首相が出てくる始末である。
戦後、GHQによる巧妙な占領政策がその元凶である。大東亜戦争で日本人の優秀さ、恐ろしさに震え上がった米国は、戦後統治として「二度と立ち上がれない」日本の建設を目標とした。
東京裁判を皮切りに「日本悪玉史観」を普及させ、日本人が自国に対し誇りを持てないよう「イスパノフォビア」洗脳を徹底した。この政策に不都合な歴史書は焚書され、教科書は黒く塗られた。代わりに南京大虐殺や従軍慰安婦など、誇りの喪失に役立つ歴史が捏造された。
学校教育では「日本悪玉史観」が徹底された。学校で使用する歴史教科書は、今なお驚くほど自虐的である。国家や権威、権力は悪と教え込まれた。
セオドア・ルーズベルトが「徳本」(”The book of virtue”)として絶賛し、世界中でベストセラーとなった「教育勅語」は廃止された。
「国家」「公」より「個」「私」を優先し、国家と歴史、民族と文化を貶め、国家、国旗を拒否し、揚げ句の果ては祖先、両親への敬慕、子弟間の礼節まで含めたあらゆる伝統的価値観に背を向けさせた。
「イスパノフォビア」を刷り込まれた人達が現在、日本の政界、財界、官界といった国家の中枢で指導者になりつつある。自国に誇りを持てず、健全な国家観も持たず、愛国心も希薄な指導者の下で、国家が繁栄したためしはない。
安部政権下で教育基本法は改定された。だが、教育現場では日教組による自虐教育は依然続けられている。「イスパノフォビア」が再生産されているのだ。
教育改革が喫緊の課題であることは論を待たない。だが、家庭教育も反省しなければならない。家庭において、親から子へ、日本の良さ、素晴らしさをしっかり伝えているだろうか。教育勅語にある徳目を、機会ある毎、子供たちに教えているだろうか。先ずは親が子供に誇りを持たせなければならない。
かつて日本を訪れたほとんどの外国人は、日本の素晴らしさに感嘆の声を上げた。親はこういった日本の素晴らしさを我が子に伝えていかねばならない。
イギリスの詩人エドウィン・アーノルドは日本の印象をこう語っている。
「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという普遍的な社会契約が存在する」
「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国だ。その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
礼節の国、美しい国土、謙譲で飾ることない性質等、我々は気がついていないが、いずれも日本人の誇りとすべきことである。
イギリスの著名な歴史家アーノルド・トインビーは伊勢神宮に参拝した時、こう語った。
「この聖なる地域(伊勢神宮)で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」
神話から現代へ脈々と繋がる「聖なる地域」を持つこと自体、日本は世に稀有なる国家である。
1856年、初代総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日し、ハリスの秘書兼通訳を務めたヘンリー・ヒュースケンはこう語っている。
「この国の人々の質撲な習俗とともに、その飾りけの無さを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を
聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった。おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ちこもうとしているように思えてならない」
米国が日本を無理やり開国させることにより、日本の素晴らしさが喪失するのではないかと彼は真剣に危惧していた。
江戸時代の生活を研究した米国の女性学者スーザン・ハンレイはこう書き残している。
「1850年に、もし地球上のどこかに住居を決めなければいけないとしたら、私が勤労階級に生まれていたならば日本に住みたい。貴族であったならばイギリスに住みたい」
大多数の勤労階級にとっては、日本が世界一住みたい国だった。
昔の日本だけではない。実は今でも日本は世界が羨む素晴らしい国なのだ。
日本は世界で最も治安の良い国である。日本の犯罪発生率は1.336であり、米国3.466、独国7.383、仏国5.634など主要国と比べても断トツで少ない。
WTO(世界保健機関)が評価する世界各国の「健康達成度」でも日本は総合ランキング1位である。平均寿命、健康寿命、乳児死亡率など全ての面で1位。国民全員が等しく医療にかかれ、負担も少ない。間違いなく日本の医療制度は世界一である。
一時期、日本でも「格差社会」という言葉が流行った。だが、2007年にIMFが「ジニ係数」(格差の度合いを測る係数)を公表したところ、主要国と比較してもフランスについで低い数値、つまり二番目に格差の少ない国であった。この数値が公表されるや、マスメディアも「格差社会」という報道を止めてしまった。日本は世界的にも格差の少ない平等な社会なのだ。
英国のBBCは毎年、「世界によい影響を与えた国、悪い影響を与えた国」というアンケートを世界中で実施している。2011年の結果では「世界によい影響を与えた国」で日本は「良い影響」が57%、「悪い影響」が20%、世界で5位の好位置につけている。肝心の日本人が39%しか「良い影響」と自覚していない。日本自身が日本の良さを喪失している。
日本の漫画、Jポップ、映画なども世界の若者には人気の的である。町並みは清潔で、治安も良い。少し歩けばコンビニもスーパーもある。商店には商品が何でも揃っている。料理ひとつとっても、世界中の料理が東京で食べることができる。味はどこでも一流だ。
安全、快適で暮らしやすさを満喫できる日本、世界中の人が憧れ、羨む国である。もっと胸を張り、誇りを持ってしかるべき素晴らしい国なのだ。
先人達は、我が身を省みず、死に物狂いで素晴らしい日本を残してくれた。祖国に残した父母や恋人を思い、あるいは自分の死後に遺される妻や子の幸せ
を祈り、平和で豊かな祖国の実現を願いつつ祖国のために戦ってくれた。
どこの国でも祖国のために命を捧げた人に対しては、感謝の念をこめ、最大限の儀礼を尽くすものだ。それが戦後、「イスパノフォビア」政策によって、戦闘で散華した者は犬死と嘲られ、生還した者は人殺しのごとく難詰された。未だに総理大臣が靖国神社参拝を躊躇するような状態だ。「イスパノフォビア」政策は日本人の誇りをズタズタに引き裂いた。
日本の再生には、先ず日本人一人ひとりが誇りを取り戻すことだ。実際に日本は誇りを持つにふさわしい素晴らしい国である。自虐的にならず日本のありのままの姿を外国人のように素直に見ればいい。
アインシュタイン博士は語っている。
「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが、今の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一カ所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰ってくる。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。吾々は神に感謝する。吾々に日本という尊い国を創っておいてくれたことを」
日本人よ、誇りを取り戻そうではないか。

防大逍遥歌の誕生と現状(喜田邦彦)

偕行社編集委員
喜田 邦彦

本論考は偕行記事27年4月号から転載するものである。卒業生、在校生の多くから親しまれている逍遥歌の誕生秘話であり、歴史的な貴重な証言でもある。

はじめに
 今年の偕行社の賀詞交歓会もまた、最後は陸軍士官学校歌と防衛大学校逍遥歌で終わった。直後に防大1期生の大東信祐氏は、「俺たちの期は、在校間に逍遥歌を歌ったことがない」と述べられた。「エッ、なぜですか」との質問に、「あれは我々が卒業したあと、4期生が作詞・作曲した歌だよ・・・」
 防大卒業生の宴会では、全員が立って肩を組み1番から4番まで合唱するのが定番になっている。筆者・10期生の防大時代は、ホッケー部活動に明け暮れ、「勝って祝宴、負けて反省会、締めは肩を組んでの逍遥歌」でしかなかった。漫然と、作詞者は不詳、作曲はプロと見なし、酒と共に心地よいメロディー、高邁な歌詞、理想の姿に酔いしれていた。
 50年余にわたり、作詞・作曲された大先輩に失礼しっぱなしである。お詫びと敬意を込め、誕生のエピソード・秘話を書かせていただこうと考えた。ところが、ネットで「防衛大学校逍遥歌」を調べたが、結果に驚いた。
 検索画面トップは、応援団の写真(通常は小原台の全景写真のはず)。続いて「前口上」。歌詞はその後。さらにその「前口上」に、「酒は飲むべし百薬の長 女買うべし これまた人生無上の快楽」等々、バンカラ・不快な言葉が連なっていた。
半世紀余にわたり歌い続けられた逍遥歌も、世相の変化、世代交代の波にもまれ、傷つけられ、変化している。我々世代の同窓生にとって逍遥歌は、熱き血潮の青春時代を振り返る、神聖な魂を呼び起こす歌だった。そこで、その誕生と後の変化を、追ってみることにした。それらを記録し、残すことも、『偕行』誌の役割であろう。

発端 校友会の動きかけ
 昭和33年と言えば、保安大学校が防衛大学校と改称され、小原台に移転した2年後。世相は、60年安保闘争の始まる2年前で、自衛隊・防大に厳しい時代だった。
当時、4学年は3期生、3学年は4期生、2学年は5期生。逍遥歌の作成を目論んだのは、学生の自治活動をつかさどる校友会本部で、学校当局は関与してない。
 校友会の中期学生委員長は、3期生の百瀬友宏氏。校友会本部の役員は5~6名だった。作詞・作曲の審査と発表をした後期の学生委員長は、3学年の4期生、杉原剛介氏(故人)。同期の岩田貞幸氏が総務を担当していた。広島でご健在の氏は、突然の電話インタビューにも気軽に応じられた。
 岩田氏。「当時の防大には、1期生(田崎氏)が作った学生歌、同じく前川氏の応援歌、各大隊には固有の歌があった。いずれも元気のいい行進歌調だったが、在校生の間には自分たちで作った寮歌のようなものが欲しいとの雰囲気があったと記憶している」
 当時の陸上訓練では、疲れた時や演習場帰り、隊歌演習として日本軍の歌ばかり歌っていた。そこで、勇ましい歌に代え、新しいキャンパスの誕生と、新しい住人による歌を作ろうという雰囲気が湧き上がったのかもしれない。逍遥歌の発案者は、中期校友会委員長の百瀬氏だとされる。
 岩田氏の回顧を続けよう。「そこで校友会が、逍遥歌を募集することになり、校友会新聞にまず作詞の募集案内を出した。どんな内容だったかは、記憶してない。
 いくつかの応募があったが、同期生の小長谷学生の作詞がすんなり決まった。審査選考は校友会の委員のみで、学校側や部外の専門家は関与してない。
 続いて作曲を募集したが、初めはなかなか出なかった。締め切り直前、これも同期生の塩瀬君が2曲応募してくれた。これをブラスバンドで演奏してもらい、現在のメロデーにすんなり決まった。だから、記憶に残るようなエピソードはなかった。しかし、非常にいい歌詞であり、いいメロディーに仕上がり、選考委員としても自信を持っていた」
 「ネットに掲載されている『前口上』はありましたか」との質問に、「逍遥歌以外にそんなものは募集しなかったし、応募作品にもなかった」「今も、気楽に逍遥歌を合唱して楽しんでいます」と、懐かしさが伝わってくる回答を頂いた。

応募 作詞・小長谷聡氏
 逍遥歌の誕生余話の企画をまとめ、小長屋氏に電話で執筆を依頼した。ところが氏は静岡から出向いてこられ、「今はまだ書く気になれない」と固辞された。その際、昭和33年6月25日と、7月8日の毎日新聞コピーを提示された。女優・有馬稲子氏の防大訪問記と、大江健三郎氏の「防衛大学校生は世代の恥辱」発言が掲載された記事である。この事件が、逍遥歌の歌詞が誕生する背景にあり、それが氏の筆を鈍らせたのであろう。
そこで、筆者がインタビューしてまとめることで、ご協力のお許しを得ることができた。小長谷氏には、雑駁・浅学な質問に対しても丁重に「です、ます」で答えて頂いた。回答や口調にもそのお人柄がうかがえるので、そのまま掲載させてもらう。
 「歌詞応募の動機は何でしょう?」「演習に行っても、軍歌しかありませんでした。また当時は、観音崎を回る40kmマラソンがありました。そんなとき、何か自分たちの歌が欲しいと考えました。3期生が卒業を控えた時期だったと思いますが、校友会紙で逍遥歌の募集を見ました。そこで応募した次第です」
 「毎日新聞のコピーをお持ちになりましたが、有馬稲子女史の防大訪問記事への反発や、再軍備の流れに反対する大江健三郎氏の『防衛大学校生は同世代の恥辱』への強い反発があったようですが?」
「毎日新聞に山口進学生(6期生)がそれに対する反論―祖国日本のために黙々と専念している防大生―を投稿したところ、学校側から注意を受けたと聞きました。一方、毎日新聞はそれを掲載して『防大生は誇りか恥辱か』と言う論争を煽りました。
私たちは非常に悔しい思いをし、人文科学教室の上田教授に相談しました。先生からも、『今は歯をくいしばって耐えよ』との指導を頂きました。ゴミを出しながらきれいな家を誇り、そのゴミ集める人を蔑み貶めるような進歩的文学者やマスコミに対して悔しい思いをした時期で、それが歌詞につながったのです。(筆者注 歌詞の2番、「鉄腕鍛ふる若人の 高き理想を誰が知る」。3番、「真理の光身に浴びて 平和を祈る影長し」。4番、「星影寒く胸に入る、忍びて春を待ちながら」)
「後に大江氏はノーベル賞を受賞しますが、今も、ノーベル賞の選考基準は何なのかと、憤りを感じています。彼らに対する『こだわり』は、逍遥歌を汚すことになるので言いたくない。執筆を控えさせていただきました。それが正直な現在の心境です」
 「作詞について伺います。鶯声凍る・・・に始まる文語調の語彙はいかにして学ばれたのでしょう?」「高校の教科に漢文がありましたが、その程度です。詩集は、島崎藤村の『若菜集』を愛読していました。当時、各中隊は短歌、書道、絵画等を展示発表する文芸活動を行っていましたが、それには積極的に参加していました」
 「作詞は、すらすら書けたのでしょうか?」「何となく、書いたというか・・・構成は単純です。1学年から4学年の間の主要行事を入れる。四季折々の特性を出す。学生生活の朝昼夕夜を意識する。陸・海・空の思いを込める・・・で仕上げました」
 「その後の逍遥歌の状況についてのご感想は?」「実はその後、防大に2回勤務しています。13期~15期生時の小隊指導教官と、20期生頃に学校企画室で学制改革を担当しました。その時、誰かから『3番の「チリ」は「霧」の間違いではないか』と指摘されました。作詞当時、台上は赤土の埃だらけ、教室から帰るとベッドに土埃が積もっていました。防大に再勤務した時は『緑のおかべ』で、昔の面影はなかったです。だから、時代と共に歌詞は変っていくのかなとの思いが強くなったのです」
 「歌詞の最後を『アンドロメダが西に舞う』で締めるのは抒情的でいいですね」
「いやあれは、流星群を書いた抒情ではなく、ギリシャ神話の英雄に思い寄せました。 
アンドロメダはケフェウス王とカシオペア女王との間に生まれた美しい娘で、女王が娘の美貌を誇って海の精女を蔑んだため海人の怒りに触れ、娘が海の海獣の餌食になろうとしたところをペルセウス王子が怪物を退治して囚われの鎖を切り、アンドロメダを自由の身にしたギリシャ神話の英雄に、防大の学生を重ね合わせたのです」
筆者は、この話を初めて聞いた。胸が締め付けられる思いがし、ギリシャ神話も知らずに歌ってきた不明を強く恥じ、次の質問までしばらく時間がかかった。
 「最後に、後輩たちに一言お願いします」「歌詞も時代と共に変化します。3番の「たれか知る」は「だれが知る」に、4番の「4年・よとせ」は「よねん」に変化しています。時代に合った新しい歌を作られればいいですよ」
 筆者は最後に、「作詞の素晴らしさ、作曲の心地よさは不滅です。防大が小原台にある限り、青春を燃やした証として歌い続けられるべきです」と答えるのが精いっぱいだった。

応募 作曲・塩瀬 進氏  
奈良におられる塩瀬氏もお元気で、電話の質問に快く応じていただいた。しかしそのやり取りを「Q&A」で書くより、氏が数年前に4期生のホームページで書かれた文字・文章の方が、臨場感も伺えるのでそれを抜粋して紹介させて頂く。
 抜粋¦¦やり場のない焦燥感と、鬱積したエネルギーを発散させるため、運動部(硬式野球部)の練習に励みすぎ、授業中も自習時間もほとんど夢の中で過ごし、落第ギリギリの超低空飛行を続けていた3学年のある日、校友会新聞『小原台』を開いたら、逍遥歌に応募した歌詞の入選記事が目にとまった。
 逍遥歌を作るため、次は作曲を募集するとの案内と、入選作が紹介されていた。詩歌にあまり興味はなかったが、作詞者が同期の小長谷君であることに興味を覚え、第1節から読み始めた。
 一度さらっと読み通したが、再度、行を追って読み進むうち、何とも言えない感動を覚えた。2度、3度と読んでいるうち、自然に頭の中で旋律の付いたメロディーになっていた。
 今でも不思議に思うが、苦労して曲を付けたという記憶は全くない。小長谷君が書いたあのすばらしい詞は、書かれた時にすでにその行間にあの逍遥歌の旋律を持っていたに違いない。そしてたまたま、私の感覚が彼の琴線に触れて共鳴し、それを書きとめたのではないかと思えてならない。それはまた、混沌の時代に先駆けて小原台で起居を共にする若者の身が、感受することができる「魂の叫び」だったかもしれない。
 そして更に不思議なことに、年を経るにつれ、自分が逍遥歌の作曲者であるという意識や自負が、次第に遠のいていき、あの逍遥歌は小原台上で、いつの頃からか誰かが歌いはじめ、ごく自然発生的に生まれた歌だったかのような、ほのかな追憶に代わっていた。
 小長谷君とは教務班も訓練班も違ったので、親交はなかった。だが、彼の素晴らしい文学的才能に大変感心した。当時の防大に文科系の専攻学科はなく、1学年時の一般教養として人文学科が唯一の文科系だった。学生歌『海青し・・・』を作詞された1期生の田崎氏をはじめ、当代一流の文学的才能を発揮された先輩方は他にも多数おられ、これが防大生の文化活動の水準の高さを示していた。
 その日の夜、例によって自習時間に飽きた私は、逍遥歌の入選作詞を読み返していたが、昼間のあの旋律がまだ頭に残っていた。単純なメロディーなので、作曲に応募するほどの自信はなかったが、何気なくノートに五線を引き、書き留めておいた。
 そんなことがあって約1ヵ月たち、私は逍遥歌のことをすっかり忘れ、相変わらず野球の練習と居眠りの日々を過ごしていた。ある夜、自習時間が終わり、日夕点呼の少し前と記憶している。突然、同期生の岩田君が部屋に来て、「君は逍遥歌を作曲したと言ってたが、募集の締め切り日が明日なので、応募したらどうか。応募者が思ったより少ないので、今、校友会で手分けして集めている」と言った。
 それではと言うことで机の中を探したが見当たらない。消灯間際にやっと見つけ出し、もう一度読んでみたが単純なメロディーなので、とても人前に出せる代物ではない。そこで別の旋律をつけ、もう1曲を準備して2曲のメロディーを岩田君に渡した。
 岩田君がなぜ私のノートのメモのことを知っていたのかわからない。多分、同じ訓練班だったので、何かの時に自分がしゃべったのだろう。
 それから2~3日後、同じ中隊(第3大隊第2中隊だったと思う)のブラスバンド部員だった3期生の則松さんが目を丸くして私の部屋に来られた。
 「おい、君は、あの逍遥歌を本当に自分で作曲したのか?」と尋ねられた。私は、何か悪いことをしたのかと思い、「はい。一応私が書いたのですが、何か・・・」といいかけると、「イヤー、驚いたなー。おめでとう、君の曲が入選したよ。しかも2曲ともだ」
 校友会ではブラスバンド部を中心に選考委員会を作り、作曲者の名前を伏せて全員で選んだ結果、最後に2曲が残り、それがいずれも私が提出した曲だったと、興奮気味に言われた。そしてその2曲のうち、最終的に選ばれたのが、なんと先にメモしておいた単純な方の旋律だったというわけだ。
 私は防大学生として当時も今も、あまり模範的な人物ではなかったと反省しているが、思いがけず、逍遥歌の作曲者と言う大変な栄誉をいただき、防大卒業生の一人として、何とか母校の名誉を傷つけることなく、30有余年の自衛官勤務を全うすることができたと、深く感謝している。
 そして折に触れ思い出すのは、あの偉大な槇先生の教えと、小長谷君の素晴らしい詩を生んだ原野の名残のある広々とした小原台の風景と、岩田君や選考委員会の方々のご尽力です。そして40数年(当時)もの間、歌い続けてくれた防衛大学校同窓生の皆さんの、小原台精神にも深く感謝したいと思っています¦¦抜粋終わり。
 塩瀬氏のご所見を補足するため、幾つか質問させていただいた。「失礼ですが音楽の素養は何時身につけられたのですか?」
「自分は中学時代からバイオリンをやっており、湘南交響楽団とも関係があった。防大がダメなら音大受験だと考えていたこともあるほどの音楽好きだった」
 「作曲の応募については?」「同じ部屋の岩田君に提出を催促されたので応募した。しかし、採用された曲は旋律が単純で、小長谷君の立派な詩に不似合いではないかとの不安が離れなかった。逍遥歌の入選発表会が体育館で行われた際も、壇上に小長谷君と二人で立ち、中央音楽隊の須磨隊長が指揮するフルバンドで見事に演奏される逍遥歌を聴いたが、果たして皆が歌ってくれるだろうかとの疑念はが残った」
 「ご自分の作曲と認識されたのはいつ頃でしょうか?」「防大卒業後は、幹部候補生学校、富士学校(特科BОC)、航空学校(BОC操縦)を経て中方飛行隊(八尾)、第5飛行隊(帯広)に赴任したが、その間、逍遥歌のことはすっかり忘れていた。たまたま帯広に赴任してきた赤坂強君(13期生)が、『防大で皆が歌う逍遥歌の作曲者が先輩のお名前と同じなんですが、まさか…』という出来事があった。この時『ああ後輩たちは歌っていてくれてたんだ』と、何とも言えぬ感動を覚えた。あの入選発表から数年を経て、初めて逍遥歌の作曲者であったことを認識した」
 「現在、楽譜には編曲岩井氏の名が入っていますが?」「レコーディングした際に曲の一か所半音を上げた箇所があり、そのため編曲の表記になっている。歌っている人にはあまりわからないし、逍遥歌としてのリズムには影響ないでしょう」
 「この歌が後輩に歌い続けられていますが、ご所見を」との質問に、「我々の頃の台上は赤土のホコリが舞っていました。それから60年近くたちます。陸上自衛隊は海外にまで派遣され、立派に成長しています。このメロディを愛してくれ、時に歌ってくれている後輩の諸君に対し、深く感謝しています・・・」
 「ネットに『前口上』が付けられていますが、ご存知ですか?」「当時はなかったですね。4期生会でも時々『逍遥歌には不似合いでは…』と話題になりますが、時の流れでしょうか」と鷹揚な対応を示された。

関係者の思い出、所見等
 1期生・大東信祐氏、防大を卒業して任官、2年後に6期生の隊付訓練を真駒内駐屯地で引き受けた際、逍遥歌を初めて知った。その印象は、心地よいリズムと、思い出深い歌詞であり、後輩がこんな歌を作ったのかとの驚きだった。その後、防大生の指導教官も務めたので、一面で小原台上の変化も目にしつつ歌っている。
 4期生・冨澤暉氏、岩田君と塩瀬君は私と同じ3大隊に、小長谷君は4大隊にいた。だから別に謀ったわけでも何でもない。偶然そうした才能に恵まれた仲間が、それぞれの動機に基づいて、協力した成果である。
 この歌が作られた背景として、間接的に有馬稲子女史の防大訪問があったとされるのは、本当かもしれない。当時、前期の校友会学生委員長3期生の谷希夫氏が女史の防大訪問時の案内等を実施した。私どもはそれを羨ましく眺めていた。女史は毎日新聞の取材に応じ、「防大生は凛々しく、優しい」とほめそやした。全国の若者達のマドンナが防大学生を褒めたことに「これは危険」と見た大江氏が、「同世代の恥辱」とかみついたのだろう。まだまだ、「自衛官は税金泥棒」と罵られ、某一流女子大のアンケートで「防大生のもとにはお嫁に行かない」が多数を占めていた。
 大江氏の見解に対し、防大生は大いに反発した。だが反論・発言の機会は与えられなかった。しゃべれない、やり場のない焦燥感はあったろう。小長谷君が「悔しい」といい、塩瀬氏が「鬱積した」と述べたのはそれを示していると思う。そうした気持ちを抑え、昂然と前に進みたいということではなかっただろうか。
 塩瀬君は、バイオリンをこよなく愛する音楽家だった。BОCで富士学校に入校した時(航空科だったので野戦特科と一緒の教育を受けていた)、機甲科の歌として「吼えろエンジン」という歌を作曲してくれた思い出がある。その作詞はやはり同期の船木捷彦君が担当した。これら同期生が作詞・作曲した歌だけはこの年になっても空で正調で歌える、というのが自慢だ。
 小長谷君は、控えめで温厚な文学青年だったと記憶している。ネットで逍遥歌に「前口上」が付けられているが、当時そんなものはなかった。彼があのような品のない言葉を使う筈がない。
 その逍遥歌が、時を経るにつれ変化しているのは残念だ。1番、「小原台」のフレーズで音程が変わっている。原曲は、「オ」よりも「ハ」の方が高いのだが、後輩方は「オ」と「ハ」の音程を同じに歌っている。4番、「4年の波」の読み方が「よとせ→よねん」と変わった。最後の「アンドロメダが西に舞う」を、今は2回繰り返すが、初めは一回限りだった。
 逍遥歌が発表された当時、普及活動としてブラバンの人達から食堂で教わったのかどうか良く覚えていない。まだ、レコードはなかったと思う。
 16期生・井上廣司氏(元防大幹事) 学生時代、防大逍遥歌は、心にしみる歌としての記憶がある。入校直後に、逍遥歌と防大学生歌を教えられたが、学生歌の方は印象が薄く、学生間では「会食の歌」との呼び名が一般的で、親近感は薄かったように思う。
 それに反し、逍遥歌は親しみを込めて歌われていた。当時は学生運動が盛んな時期でもあり、彼らに対する反発もあって、宴会など酒が入ると誰かが応援団の「前口上」をつけて歌ったものである。
 自分が4学年になると、クラブ活動後、夕日が空を染めたりすると、曲の最後の「アンドロメダが西に舞う」の一節が心にしみ、卒業と言う文字を想ったものだ。
 防大幹事として、30数年ぶりに母校に帰って感じたことは、防大学生歌が学生の間に浸透していることだった。私自身、年を重ねたためか、学生歌もいいなと感じた。
逍遥歌も歌い継がれていたが、我々の時代の様に集まれば逍遥歌というより、集まれば学生歌という印象だった。「前口上」も、その後に入校した女子学生が文句をつけたとは聞いていないが、今では少し言いづらい雰囲気ではある。
 大江健三郎の国辱発言は、伝え聞いているが、逍遥歌との関連は知らない。今の防大学生も知らないと思う。

おわりに
 素案ができた時、小長谷様から手紙が届いた。「愚作の件でお手数を煩わし、申し訳ありません」。そして、歌詞1番の「並木」がユーカリから欅(けやき)に代わったこと。3期生の卒業式で逍遥歌等を歌おうと槇校長に申し上げたところ、「卒業式にふさわしくない」といわれたこと。防大も陸軍士官学校並みに61期生が入校したこと。小原台に1期生が残された「緑こそわがやすらい」の記念碑が、いつまでも続くことを祈念する、と之内容が綴られていた。
 小長谷氏が執筆を固辞された気持ちがわかるような気がした。多くの同窓生はこの歌を、「放歌高吟する寮歌」と勘違いしてきたのだ。だから防大の期か進むにつれ、宴会の歌、応援の歌、「前口上」の添付と、牡蠣殻を付けて純粋さを失わせてきたのではなかろうか。
「逍遥」とは、大地を歩きながら哲学することであり、赤土の小原台はそれにふさわしい場所だったが、今はない。自衛隊に対する国民の認識も、90%が評価する時代である。
「新しい革袋には新しい酒を」。4期生が作られた逍遥歌は、我々世代が胸に秘めておけばいいのかもしれない。それが、歴史に晒されるモノの宿命であろう。
 はじめは簡単に余話を書くつもりだったが、関係各位の思いを知るにつけ、あれもこれもと長くなってしまった。拙い文を連ねたことをお詫びするとともに、ご協力をいただいた方々に深く御礼申し上げます。  
(2015.02.08)
防衛大学校逍遥歌
     作詞 小長谷 聡
     作曲 塩瀬  進
     編曲 岩井 直溥
一 鶯声凍る風とけて 
        並木かげろふ小原台
   北に都を見下ろして
        南に磯の数え歌
   青き裳に安らいで
        花の香りを移さなん
 二 船首に砕くる青き波
        雲わき上がる海原に 
   鉄腕鍛ふる若人の
        高き理想を誰か知る
   遠く高楼かえりみて
        共に奏でんかいの歌
 三 塵も静かにをさまりて
        紫紺に暮るゝ富士の峰
   巻き雲あかく映ゆる時
        思索は深し天地の
   真理の光身に浴びて 
        平和を祈る影長し
 四 星影寒く胸に入る
        忍びて春を待ちながら 
   観音崎にたゝずめば
        四年の波は夢のごと
   木枯らしに和し笛吹けば
        アンドロメダが西に舞ふ


戦後教育が推し進めた「日本の自殺」(織田邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

(本論考は織田氏が「宇佐静男論考集」として2012年6月に発表した論考である)

37年前の1975年、「日本の自殺」という論文が雑誌に掲載された。高度経済成長で謳歌する繁栄が、永遠に続くかのような軽薄な気分が日本中に蔓延する中、迫り来る内部崩壊の危機に警鐘を鳴らす論考だった。今年1月、某新聞が取り上げて話題になったが、現代日本の深刻な病弊を驚くほど正確に予言している。
文明の没落は、宿命的なものでなく、災害や外からの攻撃などによるものでもなく、基本的には社会の衰弱と内部崩壊を通じての「自殺」である。
戦後教育について、過保護と甘えの中に低迷し、生活環境が温室化している現状を憂い、自制心、克己心、忍耐力、持久力のない青少年が大量生産され、強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かな感受性、責任感などを欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量発生すると警告した。
その帰結として、適切、不適切を見分ける感情の欠落、他人および他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳無視、自分自身への過大な関心、判断力、思考力の衰弱など、国民の幼稚化を予言した。
福祉や自由、平和、平等にも恐るべきマイナスの副作用がある。この自覚を欠くとき、福祉国家は人間と社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化すると喝破している。37年後の現代社会を見透かした論考である。
日本は今、内政、外交共、惨憺たる閉塞状態にある。経済は「失われた10年」と言われて既に10年以上が経過した。昭和42年に達成した世界第二位の経済大国の地位からも陥落した。一世帯あたりの平均給与も減少し続け、今や20年前の水準を下回っている。失業率は上がり、格差問題が生じ、少子高齢化も進んだ。回復の兆しは一向に見られず、状況は悪化の一途を辿る。
税収は平成2年の約60兆円をピークに、平成23年は約41兆円にまで落ち込んだ。一方、年金を含む社会保障費は昭和45年には約3.5兆円だったが、平成23年には約108兆円にまで膨らんだ。今後、社会保障費は増加の一途をたどり、平成37年には150兆円を超えると予想されている。まさに「無秩序と放縦」の社会福祉だが、こんな状態が長続きするわけがない。
確かに社会福祉は進んだ。だが我欲は肥大化し、自由には責任が、権利には義務が付随するという基本的摂理も理解できなくなった。国民の「生きる力」は減退し、自殺者は毎年3万人を超えている。身の丈を超える権利の要求は、1000兆円に迫る財政赤字を生んだ。このままでは必ず財政は破綻する。やがて訪れるであろう財政破綻を誰もが認めながら、何一つ手だてが打てない。それどころか、「子ども手当」「高校授業料無料化」「最低保障年金」など欲望肥大化は留まるところ知らない。少子高齢化を考慮すると、消費税増税は避けて通れない。だが消費税増税一つ決められない。もちろん消費税増税には経済成長戦略が車の両輪として欠かせない。だが、この経済成長戦略も描けない。消費税増税のみが暴走すると、結果的に増税しても税収は減り、財政破綻を加速することになりかねない。
抜本的な改革がない限り、そう遠くない将来、財政は破綻する。そうなれば年金も公務員給与も払えなくなり、公共サービスはストップする。街には失業者やホームレスが溢れるだろう。
エネルギー政策もそうだ。原発は54基全てが止まった。だが再稼働に対するリーダーシップは見られない。電力不足の穴埋めは、今のところ火力発電所に依存せざるを得ない。原油が高騰する中、電気料金の大幅値上げは避けられない。原発再稼働に反対する人が、臆面もなく料金値上げにも反対する。幼児レベルの程度の低さだ。
電力料金が上がると、国内製造業は当然、国際競争力を失う。多くの工場は海外移転を余儀なくされる。益々、失業者は増える。自殺者も増えるに違いない。普通の人なら誰でもわかる。
今夏、昨年以上の節電努力をしたとしても、地域によっては大規模停電が発生する可能性がある。不意の大規模停電は都市を大混乱に陥らせ、最悪、死者が出る始末となろう。
この深刻な成り行きに、多くの日本人は薄々気がついている。だが、どこか他人事である。比較的はっきりしている将来を、分かっていながらズルズルと状況に流され、ついには自らのコントロールさえ失って破綻を来たすというお馴染みのパターン。大東亜戦争に引きずり込まれていった日本の姿そのものだ。
「あらゆる文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅する」と歴史家トインビーは言った。ベニスの歴史家ジョバンニ・ホテロも言う。「偉大な国家を滅ぼすものは、決して外面的な要因ではない。何よりも人間の心の中、そしてその反映たる社会の風潮によって滅びる」と。
日本は戦後、確かに豊かになった。だが今、内部から溶解しつつある。プラトンは、ギリシャが没落した原因を、名著「国家」の中でこう言った。
「欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な自由の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会を崩壊させていった。」現代日本の姿、そのままではないか。
トインビーはこうも述べる。「いかなる国家も衰退するが、その要因は決して不可逆なものではなく、意識をすれば回復させられる。国家衰退の決定的要因は自己決定能力の欠如だ」と。だが「自己決定」を牽引するリーダーが日本にはいない。
戦後教育はリーダー育成を拒んだ。エリート教育を差別だとする「悪平等主義」は国家リーダーの必要性さえ否定し、「自己決定能力」を喪失させた。
日教組イデオロギーに代表される戦後教育は、差別反対、人間平等の下に、画一主義と均質化を教育の世界にもたらした。リーダーの必要性を否定し、皆が平等であるべきだという幻想を教育の場に持ち込む国で、リーダーが生まれるはずがない。
「人間は全て平等。できの悪い生徒ができるのは全て社会に責任がある。子供は皆同じように努力したのだから、全部同じ点をつけるのが正義」とした偽善的「オール3」教育、「お手々つないでゴールイン」に代表される悪平等主義は、優秀な子供、努力する子供達のやる気を失わせ、教育レベルの低下だけでなく、生きる活力を減退させた。
人間の個性化、教育の多様化を理解せず、エリート教育を差別として否定した戦後教育は、次の世代を担うべきリーダー出現を阻害しただけでなく、日本の民主主義体制を衆愚制へ転落させるのを手伝った。
戦後教育の最大の誤りは「個」や「私」を最優先したことだ。「国家」や「権威」は悪であり、敵対する存在とし、「公」に尽くすことは教えなかった。「公」より「私」が優先された結果、目先の利害しか考えず、部分を見て国全体が見えず、「国の将来」は他人事となった。
大震災では「絆」を叫ぶ一方、瓦礫処理は拒絶する地方住民。国の電力事情など一顧だにしない原発再稼働反対。エゴと放縦、大衆迎合主義の蔓延の中に自滅していく姿はギリシャの没落と重なる。
「日本の自殺」とも言うべき現状を打開するには、どうすればいいのか。「私」を犠牲にしてでも「公」に殉ずる覚悟、つまり「公の復活」という意識改革、教育改革を推し進めることに尽きる。
「公の復活」には、祖国への誇り、国家意識の回復が欠かせない。「国家」や「公」に尽くすことは本来、人類普遍の価値である。「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国に対する愛である」とローマ帝国の歴史家キケロは語る。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と新約聖書にもある。戦後教育が避けてきた人類普遍の価値を取り戻すしかない。
戦後の自虐史観教育は祖国への誇りを失わせ、「内部からの社会的崩壊」を助長した。チェコの作家ミランクンデラは言う。「民族を抹殺するに一番良い方法は、その民族の記憶を失わせることである」と。先人が気概を示した栄光の歴史はあえて避け、負の歴史のみ子供に刷り込む。これでは祖国への誇りは生まれない。周辺諸国からの内政干渉圧力に屈し、自虐史観を押し付ける歴史教育は、日本を衰退させる間接侵略に手を貸しているようなものだ。
戦後の「吉田ドクトリン」体制も国家意識喪失に手を貸した。最も大切な国防をワシントンに任せ、自らは金儲けに専念するという吉田ドクトリンは、健全な「公」の精神を蝕んだ。国家は国民を守るべき共同体である。にもかかわらず、国民はその国家を支える義務を負わない。この無責任性は随所に首をもたげる。
現職の総理大臣が「日本列島は日本人だけのものじゃない」と嘯く。現役国会議員が臆面もなく外国での反日デモに参加する。危機意識のないまま情緒的に外国人参政権を持ち出す。日本は国家の中心から溶融し始めている。
「公の優先」という価値には目を背けた戦後67年。「正義」「名誉」「犠牲」「勇気」等、人類の普遍的価値は喪失し、モラルは地に落ち、我欲は肥大化した。「生命と私生活」のみが社会目標となった結果が、現在の体たらくである。
日本の社会的崩壊は、加速しつつ進行している。他人事ではない。国家の崩壊は国民一人一人に取り返しのつかない大被害をもたらす。今後、我欲を捨て、公に尽くす犠牲的精神を取り戻さない限り、この流れを押しとどめるのは難しい。
日本に残された時間は短い。日本の崩壊を防ぐには、戦後教育の成果である「虚ろな社会の風潮」から速やかに脱却しなければならない。国民一人一人が「私」を捨て、「公」に殉ずる気概を回復させるしかないのだ。

「待ったなし」の集団的自衛権行使法制化 (織田邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

(本論考は織田氏が「宇佐静男論考集」として本年2月に発表した論考である)

昨年7月1日、安倍首相は集団的自衛権の限定容認を閣議決定した。閣議決定だけでは自衛隊は動けない。法制化してこそ実効性が生まれる。この通常国会で法案が審議される予定だ。いよいよ安倍政権も正念場を迎える。
集団的自衛権については、未だ国民に理解されているとは言いがたい。メディアによる偏向したネガティヴ・キャンペーンもあって、閣議決定以降、内閣の支持率は下がった。世論調査によると国民の約30%程度しか理解が得られていないようだ。
昨年末の総選挙では、アベノミクスを前面に押し出し、与党は大勝した。だが集団的自衛権についてはあえて争点を避けたきらいがある。わが国の周辺情勢は日増しに厳しくなっている。安全保障に待ったはない。政府は集団的自衛権行使の必要性を丁寧に説明し、国民の理解を求めていくことが何より重要である。
総選挙では、自民党は選挙公約で次のように述べていた。「いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備する」
同じ与党の公明党は「安全保障法制の整備にあたっては、閣議決定を的確に反映した内容となるよう、政府・与党で調整しつつ、国民の命と平和な暮らしを守る法制の検討を進める」としていた。
他方、野党第一党の民主党は「閣議決定は立憲主義に反するため、撤回を求める。集団的自衛権の行使一般を容認する憲法の解釈変更は許さない」と述べ、政策の進め方、つまり入り口論に終始し、安全保障をどうすべきかについては言及しなかった。入り口論に拘るのは、一旦中身に立ち入れば党内がまとまらない事情があるからだろう。体面にこだわり、現実の厳しい国際情勢から目を背けているようにしか思えない。
同じ野党でも維新の党はまだ現実的だった。「集団的自衛権は、自国への攻撃か他国への攻撃かを問わず、わが国の存立が脅かされている場合において、現行憲法下で可能な『自衛権』行使のあり方を具体化し、必要な法整備を実施する」と述べている。責任政党の矜持が垣間見られる。今国会では、入り口論で終始するのではなく、何故今、集団的自衛権行使が必要なのか、根本からの議論を期待したい。
昨今の厳しい安全保障環境にあっては、日本の平和と安全は一国では確保できない。近年の中国の急激な軍拡、力による一方的な現状変更の動きには、隣国日本の命運がかかっている。中国は「力の信奉者」である。経済力、軍事力など、米国に次ぐ力をつけた中国の挑戦的行動を抑止し、紛争を回避するには、米国の力を借りるしかないのが現状だ。
中国も最強の軍事力を有する米国と事を構えることは避けたいと考えている。だが、今や米国でも一国では手に余るのが実情である。紛争を抑止するには、日米の強力なタッグマッチが必要とされている。問題は米国が国際問題に関心を失いつつあることである。昨年、オバマ大統領は「もはや米国は世界の警察官ではない」と繰り返し述べた。その結果がウクライナ、中東に不安定な状況をもたらした。
アジアの平和と安定には米国の関与は欠かせない。日本に今問われているのは、内向きになる米国を如何に「巻き込む」かである。メディアが叫ぶように米国に「巻き込まれる」のを懸念することではない。内向き傾向の米国にアジアへの関与を続けさせるには、最小限の集団的自衛権行使を認め、日本が米国と負担や役割を分かち合うことである。
ゲーツ元国防長官は離任の辞で次のように述べた。「国防に力を入れる気力も能力もない同盟国を支援するために貴重な資源を割く意欲や忍耐は次第に減退していく」
米国の力が欠かせない日本にとって、「米国の意欲や忍耐」を減退させない努力が何としても必要である。
トーケル・パターソン元米国国家安全保障会議部長も次のように述べる。「集団的自衛権を行使できないとして、平和維持の危険な作業を自国領土外では全て多国に押し付けるという日本のあり方では、日米同盟はやがて壊滅の危機に瀕する」
「タダメシ、タダ酒を飲むのが家訓」のような今までのやり方では、日米同盟が崩壊するだけでなく、日本は世界で孤立し、安全保障自体が成り立たなくなる。
現行憲法の範囲内でも、集団的自衛権が行使できる余地があるはずだ。「集団的自衛権」と聞いただけでアレルギー反応を起こして思考停止になるのではなく、今の憲法でどこまでできるかを模索すべきなのだ。
昨年、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が出した報告書は次のように述べている。「本懇談会による憲法解釈の整理は、憲法の規定の文理解釈として導き出されるもの」であり、「個別的、集団的を問わず『自衛のため』であれば、武力の行使は禁じられていない」
維新の党が選挙公約で述べた「集団的自衛権は、自国への攻撃か他国への攻撃かを問わず、わが国の存立が脅かされている場合において、現行憲法下で可能な『自衛権』行使のあり方を具体化し、必要な法整備を実施する」方向性と一致する。これが常識なのだ。
元防衛大学校校長の五百旗頭真氏も、集団的自衛権は、「正当防衛」と同様、急迫不正の侵害に対し「自己または他人」の権利を守る「自然権」であり、「世界中の国が行使できる当たり前の権利」であると述べる。だからこそ、「聡明な外交的判断をもって慎重に行使すべき」ものであり、原理主義的に「全否定すべきにあらず」なのである。
米軍が近海で日本防衛の警戒中、中国軍と何らかの摩擦が生じた時を考えてみればいい。日本が「集団的自衛権の行使はできない」と知らんぷりだと、米国世論は一気に「日本を守る義理はない」と傾くだろう。日米同盟空文化であり、日本は中国に屈するか、自力で軍拡をするしかないと五百旗頭真氏は警告する。
米国とは事を構えたくない中国にとって、日米同盟は目の上のたんこぶである。「中国にとって、最良の日米同盟はここぞと云う瞬間に機能しないことだ」と中国高官も語る。昨今、中国はあの手この手を使って日米分断を図ろうとしている。集団的自衛権の法制化が遅れ、あるいは廃案にでもなれば、中国の思う壺だということを日本人は自覚すべきである。集団的自衛権の行使は「米国とともに『戦争する国』造り」でも、「アメリカの手先になる」ことでもない。我が国の防衛そのものであることを政府は国会審議でしっかり説明すべきである。
「風雪に耐えた」憲法解釈を変えることは不当だ、だから反対という主張もおかしい。法律や憲法などは、時代の変遷、情勢、環境の変化によって解釈を変えて適合させていかねばならない。これ以上は無理だと言うところまで解釈を情勢にあわせていくべきなのだ。今回の限定行使容認は、十分その範囲内にある。過去、自衛隊を合憲と憲法9条を解釈変更したのに比べたら、「立憲主義からの逸脱」「憲法の根幹を一内閣の判断で変えるという重大な問題をはらむ」という批判は為にする批判にすぎない。「国民を脅かして憲法解釈を行おうとしている」と非難するなら、せめて代替案を言うべきだろう。「憲法解釈の変更は絶対してはならない。そういう事態が生じたら、国民に犠牲が出てもやむを得ない」とまで言ってようやく責任政党といえる。
堂々と憲法改正をやって変更すべきと言う人もいる。こういう人に限って、普段「憲法改正反対」と叫んでいる。憲法改正には時間がかかり、今そこにある危機には対応できない。国民の過半数が憲法改正に賛成し、衆議院で3分の2以上の国会議員が賛成したとしても、参議院議員の3分の1、つまりたった81名の議員が反対しただけで憲法改正の発議はできない。日本人の手で改正できないよう、GHQによって仕組まれた欠陥憲法なのである。「堂々と憲法改正を」という人こそ、「先ずは96条を改正して憲法を日本国民のものにしよう」と言うべきだが、決してそれは言わない。全く自己矛盾している。
マスメディアが流す、偏向したネガティブキャンペーに対しては、国民がそれを見抜かねばならない。秘密保護法案審議を思い出してもらいたい。朝日新聞は「国民の知る権利」が侵されると反対の急先鋒に立った。だが、数年前の「尖閣ビデオ映像流出事件」では、次のように書いている。「外交や防衛、事件捜査などの特定分野では、当面秘匿することがやむをえない情報がある」「再発防止のため情報管理の態勢を早急に立て直さなければならない」と。秘密保護法案審議時に叫んだ「国民の『知る権利』『報道の自由』を守れ」とはどう繋がるのか。こういう二枚舌に国民は騙されてはならない。
またぞろメディアは「戦争をしない国から、戦争が出来る国への転換は果たされた」と煽動の声を上げている。NHKまでが「抑止力を高めることによって必ずしも戦争を防げるわけではない。むしろ逆と云うこともある」といった国際社会で通用しない論理を公共の電波で垂れ流す始末である。
日本の今の状況は、外が火事なのに、家中で遊びほうけている子供の状況に等しい。国民が「家宅の人」である国家は必ず亡ぶ。安倍政権には正々堂々の法案審議を求めたい。同時に国民一人一人には、審議を見守り、嘘を見破り、自分の頭で考えることが求められる。

「平和憲法守るなら」の下句は「邦人救えぬ自衛隊」(織田邦男)

中国がまっとうになるまでに必ずある摩擦を戦争にしないために必要なこと

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

(本論考はJBプレス:27年3月13日の記事を転載するものである)


マット安川 安保法制の協議が進んでいます。元航空自衛隊空将の織田邦男さんに、集団的自衛権の解説や必要な法改正、今、日本がやるべき安保政策などをお聞きしました。

集団的自衛権は戦争をしないために絶対必要なもの

織田 いま安保法制の与党協議が行われていますが、中身は技術論、あるいは入り口論に終始しています。例えば、風雪に耐えた憲法解釈を変更するのはまかりならんといった入り口論で終わっていて、非常に分かりにくい。
 一番欠けているのは、現在の世界の情勢がどういうもので、その情勢において国民の暮らしと命をどう守るかという本質的な議論がないことです。駆けつけ警護がどうのとか、恒久法、憲法解釈、あるいはホルムズ海峡がどうのというのは技術論なんです。その根本のところをしっかり議論してもらいたい。
 私は35年間、安全保障に携わったプロとして言えば、集団的自衛権というのは戦争をしないために絶対必要なものです。しかも、防衛関係費をそんなに増やさなくても済む。
 いまの防衛費は約5兆円です。社会保障費が100兆円で毎年1兆円ずつ増える中、防衛関係費はそんなに増やせないわけです。その中でどのように国民の暮らしと命を守るのか。
 いまの国際社会における最大の関心事は、台頭する中国にどのように対峙するのかということです。我われにとっては隣国です。今回の全人代(全国人民代表大会)でも、今年の国防費は10%を超えている。
 中国の国防費は過去27年間ずっと増えており、1989年に比べると40倍になっています。この10年間でも4倍に増えている。しかも、それには研究開発費や宇宙開発は入っていない。そうやってどんどん力をつけ、中国は力の信奉者ですから、東シナ海や南シナ海で挑戦的、挑発的な行動を取ってくるわけです。
 それにどう対応するのかという時に、戦争をするわけにはいかない。冷戦時代のように封じ込めによって抑え込むこともできない。ではどうするか。関与政策と言っていますが、中国に国際法や国際規範を守るようにみんなで誘導していこうと、これしかないと私は思うんです。
 それには2つ条件があります。1つは、中国に圧倒されてはダメだということです。圧倒されたら言うことを聞かないし、誘導に従わない。もう1つは、中国をまっとうな国にするには20~30年かかりますから、その間に摩擦は必ずあります。その時に戦争にならないようにすることです。ヘッジをしっかりやらなければいけない。


安全保障議論を深めるのに役に立たないメディアや国会議員

 そのためには、日本は米国としっかりスクラムを組んで、中国をいい方向に誘導していくしかないんです。そこで最大の問題は、米国が最近、国際問題に関心を失いつつあることです。
 オバマ大統領は昨年、米国はもはや世界の警察官ではないということを繰り返し言いました。だからいまウクライナや中東で混乱が起きているわけです。これは非常にまずいことであって、内向きになる米国をどうしても引っ張り出さなければならない。
 ところが、日本のメディアは集団的自衛権について、ふた言目には巻き込まれる、巻き込まれると、壊れたレコードのように言っています。
 違うんですよ。米国を関与させる、関与政策に巻き込んでいかなければいけないんです。そのためには何が必要かといえば、いままで米国が負担していた重い役割をある程度分かち合うことです。
 それには集団的自衛権は必須なんです。いままでのように米国に全面的に庇護してもらっては、もはや日本は生きていけない。集団的自衛権は他国を守ることでも、米国の手先になることでも、米国を助けることでもなく、わが国の防衛そのものなんです。
 ですからその点で、メディアには責任があると思います。安全保障というのはなかなか分かりにくく、一般の国民にとっては触れる機会が少ない。だからこそ正確な情報を国民に知らせるというのがメディアの役目なんです。
 しかし今回の防衛省設置の件でも、極めて偏った報道をするから、ふだん自衛隊を知らない人はあたかも旧日本軍かのように思ってしまう。
 ある新聞では、集団的自衛権と言ったとたん、憲法は葬られ、ナチスの手口、歯止め利かぬ恐れ、際限のない軍拡競争につながる、国家の暴走、戦争加担の恐れ、などと書く。
 そんなことあり得ません。国連加盟国の中で、日本だけが唯一集団的自衛権が行使できない国なんです。世界がやっていることを日本はなぜできないのか。他国ならいいの、なぜ日本だけは明日にでも侵略戦争を始めるということになるのか。根本のところに日本人の自信のなさがあるのではないかと私は思います。
 国会議員もそういう新聞記事にすがって質問している。自分の考えではない。しかもベースがない根無し草です。しっかりと根拠、背景を持って言うならいいんですけど、新聞の見出しを安倍(晋三、首相)さんに聞いているだけだから、答えるほうも断片的になる。だから論議が深まらない。
 メディアには頭のいい人も有識者もいるんだから、しっかりとその背景を伝えて、その上でしっかり議論してもらいたい。ただ、私も新聞などから取材を受けて、正しく説明する
んですが、それが本社にいくとなかなか文字にならないんですよね。

憲法9条を守るのであれば、国民に犠牲が出る覚悟も

 憲法9条が大事だと言うのもいいんです。ただし、下の句も言ってくださいと。いまは海外で邦人救出ができません。受け入れ国が認めたとしてもです。
 かつてイラン・イラク戦争で約200人の日本人がテヘランに取り残されるという事件がありました。各国は自国民を助けに行った。ところが、日本の自衛隊は安全が確保されているところにしか行けないため、結局、トルコ航空が助けてくれたんです。
 これは極めて恥ずかしい話ですよ。民間航空が行けるんですから、自衛隊も絶対に行けるんです。それが行けないような法律になっている。
 今回の集団的自衛権の議論でも、駆けつけ警護の問題があります。例えば、自衛隊が国際平和協力活動で紛争地に行ったとします。現地では日本人のボランティアも活動している。
 そのボランティアがテロ組織に襲われた場合、そこに自衛隊もいたとしても助けられないんですよ。助けに行ったら法律違反で指揮官は罰せられるからです。そういうことを知っている日本人がどれだけいるのか。
 それを知った上で、仕方がないというのであれば、それでもいいと思います。しかし、日本人ボランティアが殺されたとしたら、自衛隊は何をやっているんだと絶対に言われますよ。
 ですから、平和憲法が大事だと言うのであれば、下の句を言ってくださいと。つまり、そういう危機の時に自衛隊は邦人を助けられませんから自力でなんとかしてくださいというようなことですね。

国防力とは鉄板の上に建てた氷の塔と同じ

 国民のみなさまによく分かっておいていただきたいのは、国防力というのは、鉄板の上に氷の塔を建てているようなものだということです。下から熱しているので、ほっとけばどんどん低くなる。だからこそ常に努力して氷の塔の高さを一定にしなければいけないわけです。
 そのためにはおカネが要る。しかし、年間1兆円も2兆円も増やすというわけにはいかない。だからこそ米国の力を借りて日米同盟でスクラムを組んでやると。
 国防費もそんなに増やさなくていいようにして、国民の生命と財産を守れるようにしなければいけないわけです。そのためにはやはり役割分担をしなければならず、集団的自衛権が必要なんです。
 これから集団的自衛権を含めた安全保障法制の国会議論が活発になると思いますが、そういう根本的な議論を国会でやってもらいたい。技術論や入り口論ではいけない。そして、野党にはしっかりと代案を出してもらいたい。下の句を言ってもらいたい。こうすればいいというものを。それが本当に責任ある政治だと思います。

有事の際、海外の邦人救出はしなくて本当にいいのか(織田 邦男)

国民の耳に優しいことしか言わない国会議員の大問題

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

(本論考はJBプレス:27年3月18日の記事を転載するものである)

通信が3月6日~9日に実施した世論調査によると、海外での邦人救出に自衛隊を活用することに「賛成」の人が34.6%に対し、「反対」は51.1%と慎重意見が上回ったという。

自衛隊を使わずどうやって救出するのか?
人質救出に失敗の日本、危機対応力への疑念高まる
 現在の安全保障法制の与党協議では、受け入れ国の同意を前提に、海外で危機に陥った邦人の救出を自衛隊が行えるようにする法整備を検討している。
 だが、自民党支持層でも「賛成」が44.1%で「反対」が42.0%、公明党の支持層に至っては反対が57.7%だという。
 「慎重意見」の人たちには「危機に陥った邦人を救出しなくていいのか」「救出するなら、どうやって救出するつもりなのか」と聞いてみたい気がする。
 戦後、安全保障を米国に委ね、米国によって「配給された自由」を謳歌してきた結果、国家の安全保障のみならず、自分の安全さえも他人事のようにとらえるようになったのだろうか。
 在外邦人救出は他人事ではない。明日にでも自分の身に降りかかり得る事案である。
 慎重派の人たちは、実態を正確に把握していないまま、「自衛隊が戦火に巻き込まれる」といったメディアのネガティブキャンペーンによって、ただ漫然とした不安感を抱いているだけなのかもしれない。ならば、国民に正確な知識を与えない政府、そしてメディアの責任である。
 では、現状はどうなっているのか。自衛隊法第84条の3に「在外邦人等の輸送」が規定されている。

海外にいる邦人は「棄民」に等しい
 「防衛大臣は、外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があつた場合において、当該輸送において予想される危険及びこれを避けるための方策について外務大臣と協議し、当該輸送を安全に実施することができると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる。(以下略)」
 この条文からも分かるように、自衛隊は「邦人輸送」はできても「邦人救出」はできない。しかも「輸送を安全に実施」できる見通しがなければ自衛隊は派遣できない。
 国際常識からすれば非常に奇妙な規定である。安全が確保されないからこそ自衛隊が行くべきなのであり、安全が確保されているなら民間航空会社に頼めばいい。
 現状では、安全が確保されなければ、日本政府は在外邦人を救出する手段を持たない。外国軍隊に日本人も助けてくださいとお願いするしかない。
 外国軍隊は当然自国民を優先して救出するはずだ。余席があれば日本人も助けてくれるかもしれない。だが「満席です、ごめんなさい」と切り捨てられることも十分あり得る。
 国民の生命を守るのは国家の責務である。邦人が海外で苦境に陥った場合、最後の手段として軍隊を派遣してまで救出しようとするのは諸外国では常識である。日本の現状は言わば「棄民状態」なのだ。
 過去、次のような事案が実際に生起している。
 1985年のイラン・イラク戦争時、イラン政府は上空を飛行する航空機は撃墜すると宣言した。テヘランには邦人216人が残され一刻も早い脱出が求められた。日本政府は民間航空会社に臨時便の要請をしたが、労働組合により拒否された。

外国の好意でこれまでは危機を乗り越えてきたが・・・
 幸いにも、親日のトルコ政府がトルコ航空を派遣し、邦人216人全員を救出してくれた。1890年、トルコのエルトゥールル号が和歌山沖で遭難した時、献身的な救助活動をしてくれた日本人への恩返しというトルコ国民の善意に助けられたのだ。
 1997年、カンボジアにおいて軍が衝突、銃撃戦になった。この時は440人の邦人がタイ軍用機により救出されている。
 1998年、インドネシアで暴動が発生。5000人近い邦人は、日本政府がチャーターした民間航空機などにより国外に退避できた。
 1998年、アフリカのエリトリアで発生したエチオピアとの国境紛争の際、3人の日本人が現地に残された。政府はチャーター便などが派遣できず、米軍機に搭乗させてもらって国外に避難した。
 1999年、東チモール暴動の際、邦人23 人が政府チャーター便でインドネシアに避難している。
諸外国の場合はどうだろう。
 1976年、テロリストにハイジャックされたイスラエル人105人を救出するため、イスラエルはエンテベ空港に軍を投入。銃撃の末、人質を救出している。

人質救出は「自衛権行使」と米政府
 1979年、在イラン米国大使館人質事件において、米軍は人質救出のため軍隊を投入した。だが作戦は失敗に終り、結果的には人質は救出できなかった。軍事行動を非難された米国政府は「米国民の救出を目的とした自衛権行使」と主張している。
 1997年、アルバニアにおいて治安が急速に悪化。ドイツ政府は空軍を派遣し、銃撃戦の状況下でドイツ国民を救出した。
 2011年、リビアで内乱が勃発。英国は早々に空軍機をトリポリ空港に強行着陸させ、在リビア英国人を全員救出した。
 中国は自国民退避のため、海軍フリゲート艦を派遣。韓国は、大韓航空機、チャーター船、海軍駆逐艦をリビアに急派した。この時、在留日本人23人(2月25日時点)はスペインの軍用機や米国のチャーター船に乗せてもらって退避した。
 このように、諸外国は人数の多寡にかかわらず、海外で苦境に陥った邦人を救うためには、チャーター船、民航機はもちろんのこと、最後の手段である軍隊を派遣してでも国民を守るという国家の責務を果たそうとする。これが国際常識である。
 2013年、アルジェリア南東部イナメナスのガス田施設でプラント建設大手、日揮(横浜市)の日本人駐在員17人を含む多数の外国人がイスラム武装勢力に拉致され、結果的には日本人10人の犠牲者が出た。

邦人救出に必要な情報収集能力
 また今年の新年早々、イスラム国に人質になった湯川遥菜氏、後藤健二氏の両名が殺害されたことは記憶に新しい。北朝鮮ではいまだに多くの拉致被害者が生存していると言われる。
 こういった海外での人質事件にまで、自衛隊を派遣すべきと筆者は主張しているわけではない。
 情報能力を含め、今の自衛隊にその能力はない。自衛隊はスーパーマンではない。世界中、どこにでも駆けつけて、危機に陥った邦人を救えるわけではないのだ。まずは、米国のCIA(中央情報局)、英国のMI6(秘密情報部)といった同様の情報機関を創設し、情報収集能力を高めるのが先決である。
 邦人救出も様々な状況が考えられる。
 自衛隊の能力を超える任務が浮上してきたら、プロである自衛官が「そんな任務はできません」と大臣に直接意見具申すればいい。今回の防衛省設置法12条改正でそれは可能になる。だが、自衛隊の能力で十分可能な邦人救出まで禁じているのが現行法制なのだ。
 受け入れ国の同意があれば、少なくとも、上記の日本人が関わった事案については、すべて自衛隊機による邦人救出は可能であったと考える。筆者は航空自衛隊の輸送機や政府専用機を預かる部隊指揮官を経験したので明言できる。
幸いにも、上記事案については事なきを得た。だが、そのたびに日本だけ救援機が来てくれなかったと在外邦人から抗議と不満の声を聞いた。
 現状の「棄民状態」を放置し、事なかれ主義にどっぷりと浸かりながら、事が起きた場合、何故政府は我々を見捨てるのかと嘆く。政治の怠慢であるが、国民にも声を上げない責任がある。

邦人救出のための法案を骨抜きにした旧社会党
 現行の「邦人輸送」法案審議の際、非武装中立という空想的平和主義を標榜してきた社会党が連立政権の一角をなしていた。当初、社会党は「自衛隊の海外派兵に道を開く」として反対する姿勢をとっていた。
 その後、連立政権維持の立場から妥協案として「安全が確保されない場合は邦人輸送を実施しない」と主張し、「邦人救出」は「邦人輸送」へと骨抜きにされた経緯がある。
 「武力行使目的でなくても派遣された自衛隊が戦火に巻き込まれるおそれがある」「居留民保護の美名による軍隊進出を許してはいけない。戦前の日本軍の海外出兵の大きな口実の一つが、居留民保護であった」と主張し、安全が確保されなければ自衛隊は派遣しないと決めた。
 だが、この主張は全くの時代錯誤であり、いまだに化石のような発想が良識の府を支配していることに愕然としたことを覚えている。
 自衛隊は旧軍とは違いシビリアンコントロールが徹底している。政府の決定なくして自衛隊は全く動けない制度になっている。危険状況はケース・バイ・ケースであり、その都度、政府が状況を判断し自衛隊派遣の是非を決めればいい。
 自衛官は適切な命令さえあれば、日本人を救うためには身の危険を顧みず行動する。だが、法整備が整っていなければ行動はできない。それはシビリアンコントロールを遵守するからだ。
 漠然とした不安に駆られて「自衛隊が在外邦人救出に海外に行くのは反対」と主張する国民がいても不思議ではない。だが国会議員がそれでは困る。

国民の人気取りに走り解決策を提示しない国会議員
 「では、どうするか」という代替案を出さねばならない。もし代替案がなければ、「自衛隊は派遣しない。だから最悪の場合、救えなくともやむを得ない」と「下の句」まではっきり言わねば、あまりにも無責任だ。
 最近の国会審議を見ても、「上の句」は主張するが「下の句」を避けようとする傾向がある。「下の句」は耳に痛い。だからと言って「下の句」を言わないのはポピュリズムの極致であり、当事者意識がなさすぎる。
 「公務員削減」を主張するが「だからサービスは低下してもいい」との「下の句」は言わない。「年金は納めない」と豪語する人がいる。だが「老後の面倒は自己責任で」という「下の句」は決して言わない。
 「米軍基地反対」と叫ぶ人が「だから防衛費増大を」と言ううのを聞いたことがない。学生時代に成田闘争に参加した国会議員が、何の恥じらいもなく成田空港から外遊するのも釈然としない思いだ。「下の句」を追及しない国民にも責任はある。
 安全保障の議論は「代替案」と「下の句」を提示してこそ実りある議論になる。これから安全保障法制の審議が始まる予定だ。反対する政党は是非、「代替案」と「下の句」を示すべきだ。
 誰も考えないことを考える、考えたくないことを考えるというのが安全保障の基本である。次もまた「幸運に期待」するというのは政策とは言えない。
 事態が発生してからでは遅い。ブザマな慌て振りを世界に晒すことのないよう、イマジネーションを働かせ、国民の命と暮らしを守れる法整備をしておかねばならない。
 そして国民が漫然とした不安に駆られることのないよう、政府はしっかりと説明しなければならない。こういうことを世論調査結果が教えてくれている。

敗戦時の教育変革と教育再生(榎本 眞己)

偕行社教育問題PT委員
  榎本 眞己

1.はじめに
日本は、昭和20年8月15日にポツダム宣言を受託し、戦争を終結させた。受託したポツダム宣言の6条には「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を除去する」とあり、また7条には「6条の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまで日本国を占領する」と示されていた。これにより日本は連合国最高司令官総司令部(以下、「GHQ」という。)の占領下におかれ、戦前の国家体制とそれを支えた精神的基盤が大きく変更されることとなった。その一つが教育である。戦前と戦後で変わらない同じ日本人に異質の文化である「物の見方・考え方」を教育によって植え付けるのであるから混乱が生じるのは当然であり、その混乱は現在も続いている。そこで、まずGHQの下で日本の教育はどのように変革されたのかを振り返り、その変革が戦後日本の教育に及ぼした問題(混乱・困惑)を紹介する。次いでこのような問題の改善を図るべく、戦後初めての大きな教育改革が第一次安倍政権時に「教育再生」として行われた。この「教育再生」により改正された主要法律等の特徴を概観し、これらを踏まえ、今後私どもが取り組むべきことを考察する。

2.敗戦時の教育変革
(1)GHQによる教育に関する変革指示
昭和20年8月から27年4月のサンフランシスコ講和条約発効まで我が国の教育は占領軍によって管理されており、GHQから数々の教育変革に関する指令等が発出された。その具体的な指示事項は次のとおりである。
ア 「日本教育制度に対する管理政策」(昭和20年10月22日)
学校の教育内容から軍国主義、超国家主義を廃し、代りに基本的人権の思想に合致する諸概念の教授および実践の確立を奨励することとされたものであり、戦前に軍に協力した者が排除され、反軍思想の者が返り咲くこととなった。また教科書に書かれている事を墨で塗ることとなった。
イ 「教育及び教育関係者の調査、除外、認可に関する件」(昭和20年10月30日)
軍国主義的、極端なる国家主義的諸影響を払拭するために、また軍事的経験或は軍と密接な関係ある教員並に教育関係者と日本占領の目的及政策に対し反対の意見を持つ者とを凡て解職することが命ぜられた。
ウ 「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに拡布の廃止に関する件」(昭和20年12月15日)
国家神道の廃止、神祇院の解体、軍国主義や国家主義的イデオロギーの禁止。また神道の礼式や教え、神話、公文書に「大東亜戦争」・「八紘一宇」等の軍国主義・国家主義に関連する用語を使用することの禁止等が命ぜられた。
エ 「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」(昭和20年12月31日)
修身、日本歴史、地理の授業を停止し、これら三教科の教科書と教師用の指導書や教材の没収と廃棄処分が命令された。
(2)米国教育使節団の来日(昭和21年3月)と同使節団による変革勧告
昭和21年3月、マッカーサーの要請により、27名の米国使節団が来日し、わずか一か月半で戦後日本の教育改革のための具体策を立案し、マッカーサーに勧告。主な変革勧告は①米国流の民主教育の実施、②文部省権限の縮小と地方公共団体への教育委員会の設置、③国定教科書の廃止、④男女共学と六・三・三制の導入、⑤教員養成を師範学校から新制大学で、⑥PTAの導入であり、これらはやがて施行された。但し、⑦漢字、ひらがなの廃止ローマ字表記は勧告されたものの識字率が高いために実現しなかった。
(3)歴史・地理の再開(昭和21年6月、同10月)
このような中、総司令部の認可された教科書に基づき、昭和21年6月に地理が、同10月に日本歴史の授業再開が許可。このため戦前の教科書に掲載されていた神話は全てなくなり、古代の内容は考古学となった。また修身の復活は再開が許可されないことが明らかになった。
(4)教育基本法及び学校教育法の公布と学習指導要領の刊行(昭和22年3月)
昭和21年11月に公布された日本国憲法に基づき、昭和22年3月に「教育基本法」及び「学校教育法」が公布され、5月には学校教育法に基づき総司令部の強力な示唆のもとに「学習指導要領 一般編」と「各教科編」が刊行された。これが教育の基準として、また教科書作成の準拠となった。
(5)学制改革(昭和22年4月)
「学校教育法」に基づき学制改革が行われた。旧制の複線型教育から単線型教育の六・三・三・四制の学校体系への変更がなされた。また義務教育期間も9年に延長、単線型教育を推進するため小学区制・男女共学・総合性(同一学校に普通科と職業科の多様な過程を併設))が打ち出された。
(6)社会科の新設(昭和22年9月)
アメリカのバージニア州で使用されていた社会科の翻訳とも言える「社会科」がGHQの指導に基づき昭和22年に新設され、9月から授業が開始された。しかしながら今まで日本が実施していた修身、地理、歴史とは性質が異なる異質のものであった。
(7)教育勅語の失効(昭和23年6月)
GHQは占領当初から教育勅語が神聖化されていることを問題視。このことから文部省は昭和21年に奉読や神聖的な取り扱いをしないことを通達。その後、昭和23年6月に衆議院及び参議院において教育勅語等の排除(失効)を決議。
(8)教育委員会の新設(昭和23年7月)
戦前は、教育に関する事務は国の事務とされ、地方では府県知事及び市町村長が国の教育事務を執行していた。そこで米国教育使節団が提言し、教育の中央統制を排除するため地方公共団体の長から独立した公選制・合議制の「教育委員会」が設置された。

3.日本の教育に及ぼした問題(混乱・困惑)
GHQの要求は、日本の国柄をよく知らないまま一方的に日本の民主化を促そうとするものであり、さらには受託したポツダム宣言にある通り懲罰的な色彩も有していた。このためGHQの推し進める教育変革は、わが国の文化的風土に即しがたいものがあり、しかも新教育の理念と制度の樹立に急であり諸条件の整わないまま実施されたため、必要以上の困難と混乱を引き起こし、伝統的な精神文化を継承できない次の世代を産むこととなった。占領政策が日本の教育の及ぼした問題(混乱・困惑)の主要な点は次のとおり。
(1)教育理念
神道への国家関与の否定、修身教科の廃止と歴史教育内容の修正と相まって戦前教育の理念ともいえる教育勅語の廃止は、永い歴史・伝統の中で培ってきた価値観が否定されただけでなく、日本人の精神的支柱を引き抜いたと同様のもとなった。そのような中で教育勅語の代わりに設けられた教育基本法の理念は「民主主義、個人の尊厳の重視、真理と平和を希求する人間の育成、普遍的人類・個性豊かな人間の育成」であり、今までの教育徳目が道徳という永遠不変のであったものから主義・思潮という可変のものとなった。このことは先生に戸惑いと混乱を引き起こした。またこのような主義・思潮的な教育は日教組の誕生とともに政治の干渉を許すこととなった。
(2)教育の質
分岐・複線型の戦前の教育体系を単線型の六・三・三・四制に変えることにより、旧制の高等学校、高等専門学校及び高等師範学校を大学に格上げし、県ごとに新制大学を設置したことにより大学数が激増した。また小中学校は小学区制としたために教育が画一化された。これらはいずれも教育の質の低下を招いている。
(3)教育に関する責任及び教育委員会の存在
文部省の権限が制限され、教育委員会が設置されたことにより、教育における国と地方、首長と教育委員会との責任が不明確となった。しかも学校等を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、これを執行するとされた「教育委員会」は、首長から独立した非常勤の委員による合議制の執行機関というユニークな機関のため、素早い意思決定が不可、当事者意識が欠如、名誉職化した委員構成、事務局の決めたことを鵜呑みするだけ等、十分にその機能が果たせていない等の問題点が指摘されている。
(4)教育者の質
旧制の師範学校は卒業後に教職に就くことを前提に学費が支給されたので、経済的に困っている多くの優秀な人材が集まった。しかし新制大学の教育学部では、人材が集まらない結果となり、「デモ・シカ先生」を生むこととなった。このような教職員の能力の低下は、生徒の学力の低下、いじめや子どもの自殺等を産み、子どもたちの学ぶ意欲やモラルの低下にまで影響を及ぼすだけでなく、教職員自身の犯罪行為をも頻発することとなっている。
 さらに教育現場から情熱溢れる教諭・教師が排除され、戦前忌避されていた容共的思想のある教師等が復活するようになった。しかも「民主化の一環」として昭和20年12月には日教組の母体となる教員組合の結成がGHQから指令され、組合が成立した。このため学校がマルクス主義者の巣窟のようになってしまい、40年代の学生闘争の大きな要因となった。
(5)社会科の誕生
新設された「社会科」の目標は、昭和22年5月に刊行された「学習指導要領 社会科編」によると「児童が自分らの属する共同社会を進歩向上させることができるように社会生活を理解させ、社会的態度や社会的能力を養うことにある」とされた。このため学習領域が人間の営みや、あらゆる社会事象を含み、内容の広さにおいて広く、しかも質的に生活に結びつけようとしている点で、修身・地理・歴史と合わせたものとも性質が異なり、教育史上全く新しい教科ができたと解され、混乱と困惑とを招いた。

4.教育再生の概要
(1)経緯
平成11年に文部科学省に設けられた教育改革実施本部において教育基本法の改正論議が起き、平成15年3月に中央教育審議会が「教育基本法」の改正を遠山文部科学大臣に答申した。これにより平成18年4月政府は改正案を国会に提出し、同年12月に60年ぶりに「教育基本法」が改正された。さらに平成19年1月の教育再生会議において教育三法(「学校教育法」、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」、「教育職員免許及び教育公務員特例法」)の改正が提言された。そして3月に中央教育審議会は「教育基本法の改正を受けて緊急に必要とされる教育制度の改正」を答申した。
これらを踏まえ、政府は平成19年6月に教育三法の改正案を成立させた。(教育三法の一つである「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は平成26年にも改正)また学習指導要領の改訂は平成20年3月に「小中学校学習指導要領」が、平成21年3月には「高等学校・特別支援学校学習指導要領」が文部省告示により改訂された。
今まで基本法の改正については、日教組等の根強い反対運動もあり、これまで論議さえタブー視されてきたものが60年ぶりに改訂されたことは歴史的意義を有する。これによって占領政策によって敷かれたレールの上を走ってきた教育行政が大きく修正されることになったと言っても過言ではない。以下、改正された法律等の特徴を紹介する。
(2)改正教育基本法について
改正された教育基本法は、前文に「伝統を継承し」の語句が追加され、教育目標に「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が明記された。
GHQの占領下において作成された教育基本法の案文では「伝統の尊重」が書かれていたもののGHQの指導で削除されたこと。また「愛国心」という言葉こそ使われていないが、「我が国と郷土を愛する…態度を養う」という言葉が盛り込まれたことはいずれも画期的である。なお十条で「家庭の教育」が、十一条で「幼児期の教育」が。さらに第十三条で「学校、家庭及び地域住民等との相互の連携」が新設され、今まで顧慮されてこなかった学校以外の場所で機会をとらえて子供を教育することとされた。また教育行政についても「国と地方公共団体との適切な役割分担」が追加明記された。 
(3)改正教育三法について
 平成18年12月に改正された教育基本法の新しい教育理念を踏まえ、平成19年6月には教育三法が100時間を超える国会審議を経て可決・成立した。なお、教育三法の一つである「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は、さらに平成26年にも改正された。その特徴は次の通りである。
ア 学校教育法の一部改正
義務教育の目標を定めるとともに、幼稚園から大学までの各学校種の目的・目標を見直し、学校に副校長等の新しい職を置くことができることとし、組織としての学校の力を強化した。以下に特徴ある事項のみ抽出し紹介する。
○学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
○我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
○家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
○読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
イ 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正
平成19年の改正は、いじめや未履修問題等への対応を巡り、教育委員会や学校に対する信頼が大きく損なわれていること、また教育における政治的中立性の確保や地域住民の意思の反映等を可能ならしめるため、教育委員会の責任体制の明確化・体制の充実及び教育における国の責任の果たし方等が規定された。
平成26年の改正は、合議制の執行機関である教育委員会、その代表者である委員長、事務の統括者である教育長との間で責任の所在の不明確さ、教育委員会の審議等の形骸化、危機管理能力の不足といった課題に対し、教育委員長と教育長とを一本化し、新たな任務の教育長のみを置くこととした。また教育長は首長が議会同意を得て、直接任免・罷免を行うものとし、任免された教育長は教育委員会の会務を総理し、教育委員会を代表するとされた。なお本改正の施行は平成27年4月1日である。
ウ 教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部改正
良き先生こそが教育再生の鍵を握っていることから、10年に一度の教員免許更新により、資質と能力をリニューアルできる教員免許更新制を導入し、あわせて不適格教員を教壇に立たせなくすることにより、教員に対する信頼を確立する仕組みがつくられた。
(4)学習指導要領の改訂について 
改正学校教育法等に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定める「学習指導要領」の「小中学校学習指導要領」が平成20年3月に、また「高等学校・特別支援学校学習指導要領」が平成21年3月に、それぞれ文部科学大臣告示により改訂された。
その基本的考え方は、『教育基本法改正等で明確になった教育の理念を踏まえ「生きる力」を育成し、(中略)道徳教育や体育などの充実により、豊かな心や健やかな体を育成』とあり、教育内容の主要な改善事項の一つとして中学では「伝統や文化に関する教育の充実」が挙げられている。このため国語では「ことわざ、古文・漢文の音読など古典に関する学習を充実」、また社会では「歴史教育(国の形成、近現代史の重視等)、宗教、文化遺産(国宝、世界遺産等)に関する学習を充実」するとある。さらに算数、音楽、美術、技術・家庭では「そろばん、和楽器、唱歌、美術文化、和装の取扱いを重視」が、保体/中1・2では「武道を必修化」が、また総合的な学習の時間の学習の例示として、「地域の伝統と文化」がそれぞれ追加された。
さらに小学校では道徳の充実として「先人の伝記、自然など児童生徒が感動する魅力的な教材を充実」、「道徳教育推進教師を中心とした指導体制を充実」とある。
学習指導要領の改訂に基づき小学校は平成23年度から、中学校は平成24年度から、高等学校は平成25年度(数学、理科は先行実施で平成24年度)から実施されている。

5.今後の私どもの取り組み
(1)中学校教科書採択への取り組み
学校の教育でも特に中学生への教育は、人間関係も広がり、社会の一員としての自分の役割や責任の自覚が芽生えてくる時期の教育であり重要である。一方、教科書の検定・採択・使用の周期は4年であり、今年はこの中学生が使用する教科書の検定年度(教育再生以降2回目であるが、新学習指導要領の全面実施後初めて)であり、採択は来年度(平成27年度)である。採択とは文部科学省の検定に合格した複数の教科書の中から、どの教科書を使用するかを決定することであり、それは教育委員会の決定事項である。公立中学校の場合は市区町村教育委員会、都立・県立中学校の場合は都道府県教育委員会で、私立学校はそれぞれの学校が、それぞれ選ぶこととなる。この教育委員会は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正」に伴い、平成27年4月1日に施行され組織を大きく変更することは既に述べたが、再度重複を厭わずその特徴を説明する。
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左図のとおり、教育委員会の代表者が一人になり、一人になった教育長及び教育委員会委員を首長が任免できることである。そして首長は総合教育会議を主催し教育委員会が実施する業務の大綱を策定等することとされている。また今まで教科書の選定が、教育委員会の諮問する教科書審議会あるいは教科書審議会が調査依頼する教科書調査研究委員会の報告に基づき行われていたため、教職員の意向が大きく反映されていたが、来年度以降は首長の主催する「総合教育会議」の大綱で「教科書採択の方針」を示すことが可能となったわけであり、いわばトップダゥン的に採択の考え等を示すことができるのである。
このことを踏まえ、来年の中学校教科書選定は教育基本法以下各法律等や制度が改正され、すべてが整った最初の選定であり、従前とは異なるという事実を国民に啓蒙し、良い教科書選定のための国民運動を起こすべきである。そして首長にあるいは教育総合会議メンバーに新教育基本法の考えや新学習指導要領の趣旨に沿う教科書を選定することを直接要望すべきである。但し私立や国立中学は各学校単位であるので、国立の場合は学校長に、私立の場合は学校長及び理事長・理事に要望すべきである。
また教育委員会は、教科書審議会からの意見提出を受ける前後に教科書展示会を実施(各自治体で異なるものの概ね27年6月中旬頃から約2週間、詳細は各自治体のホームページで確認することが必要)する。その際、会場には必ず意見提出箱等が設置されているので、教育基本法等の改正趣旨に適合した教科書を採択するよう意見を提出することも有効である。
(2)青少年育成への地域活動
感受性の強い青少年は両親・兄弟等や先生・友達だけでなく、社会から大きな影響を受けている。例えば「車の通らないところで赤信号を待つ大人の姿を見た子供は渡るのを躊躇する」というようなことは社会が青少年に提供できる一つの教育である。だからこそ今般、新教育基本法第十三条で「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする」とされたのである。私どもはこの趣旨を体し、地域において青少年を対象とする講座等の主催や補佐、学習支援、学童保育の手伝い等の各種活動に積極的に関与すべきである。
(3)護国神社等への参拝奨励
今般、教育基本法第十五条で「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」と「一般的な教養」という語が挿入された。
次は文部科学書のホームページに書かれている本条項の改正趣旨である。
『これは戦後、日本人が宗教に関することを極端に排除してきたことにより、日本人の道徳心・規範意識が著しく廃退していることが考慮されてなされたものである。例えば、給食の際に「いただきます」と手を合わせることさえ宗教に関わるとの理由で取り止めたり、社寺にお参りすることが宗教教育にあたるとして修学旅行から排除したりする戦後教育の風潮により、わが国の精神的価値観を子供たちに学ばせる機会が失われました。このため自然への畏敬の念や、生命の大切さなど、特定の教派・教義をこえた宗教的情操について教えられてこなかったのです。』
「戦没者の慰霊顕彰」を事業の一つとする偕行社会員は、改正教育基本法第十五条に「宗教に関する一般的な教養…は、教育上尊重されなければならない」との文言が加えられたこと、また本改正の国会答弁において「宗教が日本人の精神に与えている影響が大きいことを認めた上で、学校教育においても適切に教えていくことが必要である」と答弁されたことを踏まえ、身近(親族を含む肉親や地元)な青少年に対し靖国神社や地域にある護国神社等への見学(参拝)を啓発すべきである。

5.終わりに
GHQは占領政策によりその目的を達成し、1952年に占領を終えた。しかし破綻も見られた。その一つは軍隊を保持できない新憲法を施行させたにもかかわらず、1950年に勃発した朝鮮戦争により、施行3年後に警察予備隊を創ることとなったことである。一方、教育面ではこのような風穴が開けられることは全く無かった。しかし平成18年になって教育基本法が改正され、平成19年には教育三法等を改正する「教育再生」が行われ、それは現在も進行中である。このことは戦後のGHQによる行き過ぎた教育変革を再生するものである。この教育再生をさらに推し進めるためには新教育基本法等の趣旨等を国民に啓蒙し、本趣旨に基づく適切な教科書が採択されることが必要である。しかし法令が改正され、教科書が良くなったとしても、それを教えるのは先生であり、最終的には立派な先生が居て初めて真の教育再生が可能となる。とは申すものの現在の先生の徳義や情操レベルは現在の国民精神レベルと同じであり、先生にだけ国民精神以上のものを期待するのは酷である。
先般、憲法9条をノーベル平和賞に申請し、ノーベル平和委員会からノミネートされたことに対し、「受賞の可能性」というような報道がなされた。平和確保のための努力を何もせず、ひたすら「諸国民の公正と信義に信頼」し、他国のことに目をそむけ自国の一国平和のみを希求することでノーベル平和賞をもらえると信じるなら、命がけで「女子にも教育を受ける権利がある」と訴えるマララ・ユスフザイさんに失礼であり、このような意見を許す日本人の考えを問題とすべきである。このような他力本願の考えを改善し自立する日本人、ひいては良い先生を育てるためには教育再生もさることながら、究極的には憲法改正を必要とするのではなかろうか。


[参考文献]
・子供に教える正しい日本史   歴史教育問題研究会
・戦後教育の素顔        丸田 淳            日本教師会
・国家安全保障の基本問題    飯田耕司            三恵社
・教科書調査官の発言      村尾次郎            原書房
・歴史教科書への疑問 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会 展転社
・教育の正常化を願って     市村真一            創文社
・占領下における教職“追放”  池田 憲彦
・教育再生(8月号)                      日本教育再生機構
・文部科学省ホームページ

日本人は世界で最も危険な民族なのか?(織田邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

防衛省設置法改正に「文官統制」なる造語を使い噛みつく大メディア
(本論考は著者が2015年3月5日、JBPRESSに発表した論考である)

政府は防衛省設置法改正案に防衛官僚(背広組)と自衛官(制服組)の位置づけを見直す法案を今国会に提出する。防衛官僚と自衛官双方の縦割りを解消して、自衛隊の部隊運営などの効率化を図ることを目的とするものだ。

「文民統制」はあっても「文官統制」はない
人質救出に失敗の日本、危機対応力への疑念高まる
 この記事が出た途端、早速日本のメディアは、またぞろシャドウ・ボクシング的な見出しを掲げて、ありもしない危機を煽り出した。
「制服組、増す影響力 揺らぐ『文官統制』 防衛省設置法改正案」(朝日)
「防衛省改革 文民統制を貫けるのか」(毎日)
「防衛省設置法 文官統制の規定廃止 派兵推進の政治家と『軍部』が直結」(赤旗)
「『文官統制』廃止案問題は 制服組暴走の抑止低下」(東京)
 政府を批判するのはメディアの役目である。だが、批判するからには、もう少し全般状況を把握し、背景を勉強してからにしてもらいたい。そもそも「文民統制」(シビリアン・コントロール)という言葉はあるが、「文官統制」という言葉はためにするメディアの造語である。
国会での予算審議を垣間見ても、いかに的外れな、そして現実と乖離した議論に貴重な時間を費やしているのかと暗澹たる気分になる。かつて市ヶ谷で、制服組として勤務した者の正直な感想である。

共産主義国と日本だけのシステム
 現行の防衛省設置法12条とは以下のとおりである。
(官房長及び局長と幕僚長との関係)
第十二条  官房長及び局長は、その所掌事務に関し、次の事項について防衛大臣を補佐するものとする。
一  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する各般の方針及び基本的な実施計画の作成について防衛大臣の行う統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長(以下「幕僚長」という。)に対する指示
二  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関する事項に関して幕僚長の作成した方針及び基本的な実施計画について防衛大臣の行う承認
三  陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部に関し防衛大臣の行う一般的監督
 端的に言えば、防衛大臣が統合幕僚長や陸海空の幕僚長を指揮・監督する際、背広組の官房長や局長が防衛大臣を直接補佐する仕組みと言える。このようなシステムを取り入れている軍隊は、共産主義国家の軍隊以外にはない。
 共産主義国家の軍隊は党の軍隊であり、末端の部隊まで政治将校(文官に相当)が配置され、政治将校の許可なく部隊を動かすことはできない。基本的にはクーデターを恐れるからだ。

世界情勢の変化を全く理解できない朝日新聞
 日本の場合、旧日本軍が暴走した経験から、「軍による安全」より「軍からの安全」を重視した法体系になっている。自衛隊創設当時は、それこそ「箸の上げ下ろし」まで背広組が関与したと聞く。
 朝日新聞は次のように述べる。
 「自衛隊の効率化や意思決定の迅速化などを理由に掲げるが、制服組(陸海空の自衛官)の影響力は増大する。背広組(文官の防衛省職員)の影響力低下で、現場の自衛官の暴走が万一にもないのか。チェック態勢の確保に加え、防衛相の責任が一層問われる」
 「影響力増大」「暴走」「チェック態勢」などの文言が踊っているが、いかに現状に無知か、認識が実態と乖離しているか。これが日本を代表する新聞かと愕然とする。この記事を見た一般国民は、錯覚して自衛隊を満州事変前夜の帝国陸軍と同一視するに違いない。
 現在の自衛官たちは戦後の平和教育を徹底して受け、骨の髄まで「国民の自衛隊」が浸透している。この記事のように「影響力増大」をもくろみ、「暴走」しようと思っている制服組などどこにもいない。
 ありもしない敵を勝手に作り、それにファイティングポーズを取るシャドウ・ボクシングのようなものだ。我々制服組から見ると非常に滑稽でさえある。
 過去、国際平和協力活動などでは、ほとんどの場合、むしろ制服組の方が慎重であり、背広組(外務省も含め)の方が「前のめり」であった。筆者はイラク派遣を担当したのではっきり断言できる。現場で死傷者が出るのは自衛官であり、それに責任を持つ制服組が慎重になるのは当然なのだ。
 創設当時と大きく変わったのは、国際情勢の変化である。自衛隊の任務は広がり、災害派遣や国際平和維持活動派遣など、背広組だけでは自衛隊を動かせなくなった。また自衛隊活動の透明性も以前に比して、より求められるようになった。

伝達を数時間も遅らせる文官への報告義務
 かつては設置法12条の下で「防衛参事官制度」があった。重大事項は防衛参事官という局長級以上の官僚だけで構成する会議で決定していた。陸海空幕僚長、および統幕議長は参事官会議の正式構成員でもなかったのだ。
 (参考人のような形で参加はしていたが)これでも10年前くらいまでは、防衛庁は機能していた。訓練以外、実際の行動もそう多くなく、スピーディーな意思決定が求められる時代ではなかったからだ。
 だが、自衛隊の任務の広がりを受け、「軍事の素人である『文官』を逐一かませた意思決定で果たして自衛隊は適切に行動できるのか」「国民に責任を負えるのは『文官』ではなく、国民の負託を受けた政治家だ」といった声が上がった。もはや制服の意見をないがしろにして、背広組だけでは適切に対応できなくなったのだ。
 当時の石破茂防衛大臣の英断で、この悪名高き「参事官制度」は廃止された。各幕僚長を含めた制服組と背広組が一体となった「防衛会議」で意思決定が行われるようになったのは、防衛省にとって大きな前進だった。
 30年前、筆者が初めて六本木(市ヶ谷に移る前の防衛庁)勤務になった時、その非効率性に呆れ、驚いたものだ。
 ある時、戦闘機が墜落した。ことは急を要するにもかかわらず、事故速報を防衛庁長官に報告するのに、一番よく分かっている制服組が、防衛長官に直接会って報告することは許されなかった。
 12条の規定があるため、制服組はまず背広組に説明をしなければならない。そして背広組が防衛長官に報告するわけだ。
 だが、背広組は戦闘機については全く素人である。説明は、戦闘機の構造、飛行原理、つまり「いろは」から始まり、訓練の詳細、事故の推定原因に渡り、事細かく丁寧に説明しなければ理解は得られない。背広組は長官の御下問に備え、あれこれ制服組に追加質問をしてくる。
 背広組の報告準備を手伝っているうちに、簡単に2~3時間は経過し、結果的に防衛長官に対する報告は遅れる。その結果、なぜ報告が遅いのだと、制服組がお叱りを受けることになるわけだ。

冷戦時代の「古き良き時代」は過去の遺物
 まして素人の背広組が素人の防衛長官に説明するのだから正しく伝わるわけがない。最初から制服組が防衛長官に報告すれば、数分で事足りるものを・・・と硬直した官僚制度にほとほと呆れたことを思い出す。
 事故後の飛行再開についても、同様であった。
 なぜ安全に飛行再開ができるのかを背広組に納得してもらわねば、大臣への飛行再開の上申は上がらない。またもや「いろは」から説明し、背広組に納得してもらわねばならない。
 だが、飛行再開は、事故速報に比してはるかに技術的、専門的問題であり、文系の背広組には理解してもらうのに骨が折れる。あっという間に数週間が過ぎてしまい、飛行再開準備がとっくに整っている部隊の士気は著しく低下した。
 冷戦時における牧歌的な「古きよき時代」だったから通用したのかもしれない。だが、そんな悠長なことは、さすがに今は時代が許さない。事故が発生したら、直ちに制服組が大臣の元に説明に赴き、その場に背広組が同席して報告を聞くように改善されたと聞く。
 「各般の方針及び基本的な実施計画の作成」や「指示」についても、統合運用が一元化され、背広組、制服組は一体となって防衛大臣を支えているはずだ。このように設置法12条の規定は業務実態と乖離が進み、既に有名無実となっているのだ。
 有名無実だから廃止せず、残しておいてもいいのでは、という意見もあるようだ。だが、残す弊害はむしろ大きい。
 背広組の中には、設置法12条を「背広組の優越」と誤って認識している者も中にはいる。ごく最近でも、某次官などは幕僚長が部屋を訪れても、机の上に投げ出した足を下ろすこともなく、横柄に対応していたという。直接聞いた話なので間違いない。

背広と制服組間に不信感を募らせる「文官統制」
 こういう誤った「文官統制」が「背広と制服の不信の構造」になっていることも確かなのだ。
 これからの安全保障環境は特にスピーディーさが要求される。昨年7月の閣議決定でも、「グレーゾーン対応」について「・・・手続きを経ている間に、不法行為による被害が拡大することのないよう、状況に応じた早期の下令や手続きの迅速化のための方策について具体的に検討することとする」とされた。
 冷戦時代のような官僚的で建前が先行する省内手続きでは、今の安全保障環境には、もはや対応できない。今回の一連の防衛省改革は「制服と背広」が渾然一体となって防衛大臣たる「文民」を支え、時代のニーズに応えようというものなのだ。
 諸外国の軍と比較すれば、まだまだ制約的である。統合幕僚長の配下に背広組の副長職ポストを置くことが計画されているのもその1つである。共産主義国家のような「文官統制」の仕組みがなお組み込まれているのだ。
 諸外国の軍令系統と比較すれば異様と言える。だが、新世代のスマートな背広組も育ってきたことだし、旧日本軍のイメージを引きずっている自衛隊としては、これくらいはやむを得ないのかもしれない。
 こういう背景にもかかわらず、またぞろ「制服組に都合のいい情報が防衛相に優先的に上がる可能性も排除できない」「軽々に進めていい話ではない」(毎日)となるのは、いったいなぜなのだろう。
 ただの勉強不足だけではなく、日本人のマインドに潜在する虚ろなイメージが作用しているに違いない。
 秘密保護法案の時もそうだった。これから本格論戦となる集団的自衛権もそうだが、世界中の国がやっていることをやろうとすると、メディアはなぜか、日本だけが「暴走する」と絶叫する。

国連加盟国の中で唯一認められていない国
 集団的自衛権は、国連加盟国の中で、日本だけが唯一行使ができない国である。普通の国に認められているものが、なぜ日本に認めてはいけないのだろう。
 他の国ならいいが、日本ならなぜ「憲法は葬られ、『ナチスの手口』」「歯止め、きかぬ恐れ」「際限のない軍拡競争につながる」「国家の暴走」「戦争加担の恐れ」「思うがままに武力を使いたい」(以上、朝日新聞)となるのだろう。不思議な国だ。
 前防衛大学校長の五百旗頭真氏は、「集団的自衛権」は「自己または他人を守る自然権」のようなもので「世界中の国が行使できる当たり前の権利」である。だからこそ「聡明な外交的判断をもって慎重に行使すべき」であり、「原理主義的に『全否定』すべきにあらず」と述べられている。それなのにメディアはなぜ、日本政府だけが「聡明な外交的判断」ができないと決めつけるのか。
 米国のアジア研究学者ベン・セルフ氏は次のように語っている。
 「全世界の主権国家がみな保有する権利を日本だけには許してはならないというのは、日本国民を先天的に危険な民族と暗に断じて、永遠に信頼しないとする偏見だ。差別でもある。日本を国際社会のモンスター、あるいはいつまでも鎖につないでおかねばならない危険な犬扱いすることになる」
 今回の設置法12条改正論議を聞いていてつくづく思う。日本が「国際社会のモンスター」であり、「いつまでも鎖につないでおかねばならない危険な犬」だと差別しているのは、ほかでもない日本人自身なのだ。
 熱いストーブに乗ってしまった猫は、二度と熱いストーブには乗らない。ただし、冷たいストーブにも乗らないという。
 そこまで日本人は日本人を信用できないのだろうか。この歪んだマインドは、自分自身に誇りや自信が持てないことに原因があるのだろう。
 これにはメディアの責任が大きい。著名なジャーナリストであるウオーター・リップマンは「ステレオタイプを打破することがジャーナリストの役目である」と述べている。だが逆に、日本のメディアは「軍は暴走する」というステレオタイプなイメージに縋って自衛隊を語っているようだ。
 戦後日本の平和国家としての歩み、国民主権、民主主義、自由や人権の定着など、世界各国と比較しても、日本人は自信をもって堂々と胸を張れるはずだ。自衛隊は世界一規律の厳格な軍隊である。
 もっと日本人を信用してもいいのではないだろうか。そろそろ自信をもって「軍からの安全」から「軍による安全」へのマインド転換を図る時期ではないかと思う。


「偽善的な戦後教育からの脱却を」(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

(本論考は著者が2010年12月発表した論考である)

 二十数年前、米国に留学した時のことである。当時、息子は四歳であったが良い経験になるだろうと思い米国の幼稚園に入園させた。もちろん英語は全くできなかった。その息子が最初に覚えてきた英語は、米国国旗に忠誠を誓う宣誓の文言だった。
米国の幼稚園では毎朝国旗掲揚が行われ、国旗に対し園児全員に忠誠を誓わせる。毎日交代で一人の園児が宣誓の文言を代表して朗読するわけだ。
「最大の国防はよく教育された市民である」と第三代米国大統領トーマス・ジェファーソンは述べているが、これが米国の強さなのだと改めて感心したのを覚えている。
留学を終え帰国した後、日教組の教育研究集会の新聞記事を読んで驚いた。ある教師が「子供達が自主的に挨拶をしたいな思ったら、挨拶を教えます」と述べていた。「何とバカな」と憤りを覚えると共に、米国の学校教育との落差に愕然とした。
善悪の分別がつかない子供達に自主性を求めるなんぞ、自主性尊重という美名に隠れた教育の放棄である。自主性といえば一見もっともらしい。だが子供達に必要なことは、米国教育に見られるように先ずは当たり前のことを強制してやらせることなのである。
挨拶などに理屈はない。挨拶が大切かそうでないかを子供に判断させる必要はない。先ずは強制的に挨拶させることである。挨拶をすることにより自然に礼儀を覚え、人に対する思いやりを体得する。そして挨拶や礼儀は結局、人の為に、人に迷惑をかけず、更にできたら人の為になるよう所作することだと自覚するようになる。実行によって挨拶の大切さを体得させるのが教育なのだ。
この教師の発言は戦後教育を象徴している。子供の人権尊重といえば誰も反論できない。だが人権を尊重して挨拶を子供の自主性に任せるのは偽善である。偽善を押し付け、善悪の分別がつかない子供達に判断を丸投げする。結局、子供達は挨拶を教えられることもなく、挨拶の重要性を体得することもできず、挨拶すらできない大人へと育つ。まさに人権無視の教育なのだ。最近、挨拶もできず人間関係に馴染めず、社会に出て鬱病になる若者が増えているという。「引きこもり」やニート、フリーターが三百万人にも上る。まさに戦後教育の犠牲者なのだ。
報道によると教育現場も酷い状態だという。学校から秩序が消え、授業が成り立たない「学級崩壊」現象は全体の20%にも及ぶという。生徒が荒れ、先生
に暴力を振るったりするのは、自主性尊重、個人優先、人権尊重といった戦後教育の負の成果である。
卒業式の季節がくると、日の丸掲揚について賑やかな話題になるが、こんな国は日本だけである。諸外国では卒業式に限らず、儀式で国旗が登場しない国はない。この10月、チリで起きた炭鉱落盤事故で奇跡の救出劇が放映された時、チリ国旗を片手に、国民が一つになって喜び合っていた。海外ではこれが普通である。だが日本では晴れの卒業式でも教師が日の丸に背を向け国家斉唱を拒否したりする。
日本の戦後教育は、国家は悪であり敵対する存在とする偏ったイデオロギー色の強い教育がなされてきた。国家や権威を否定し、「個」や「私」を何より優先させた。思想、信条を押し付けてはならないとの美名のもと、教育現場で国旗、国歌を否定し続けてきた。海外で生活したことのある人なら、日本の教育の異常さが良くわかるはずだ。
人は所属する組織や団体に帰属意識を持つのが自然である。オリンピックで掲揚される日の丸を見ると自然と目頭が熱くなるのは本能である。
米国では幼稚園の時から毎朝、国旗を掲揚し、右手を胸に当てて宣誓させる。国を思う心を育み、人の為、社会の為、国家の為に尽くすことを教える。だが戦後日本の教育では子供心に芽生える愛国心を否定し、国家は悪であり敵対する存在だとする偏向思想を押し付けた。
「平和」とは「争わないこと」と教えられ、「個性尊重」は「我ままの尊重」になり下がる。「民主」とは「個人の我ままを認めること」と同義語となり、「国益や公の価値追求」は「平和と民主主義を危うくする」と教えられる。こんな教育は何か変だと、偽善的なものを感じる感受性豊かな頭の良い子供達こそが学校に背を向け教師に反抗する。子供が学校で荒れ、教師に反抗するのは戦後教育に対する反発なのだ。
筆者がこう断ずることができるのは、35年間の自衛隊での教育経験があるからだ。学校で手が付けられなかった問題児、コンビニの前で「ジベタリアン」であった無気力な若者、引きこもりで親を心配させた者など、どんな若者でも自衛隊に入隊して数ヶ月の新隊員教育を受けると見違えるように変身する。たいていの親は卒業式で息子の変わりように驚き涙を流す。
自衛官の犯罪は、マスコミは鬼の首を取ったかのように大げさに報道するが、自衛官の犯罪率は日本人の犯罪率の1/10~1/15に過ぎない。イラク派遣でも自衛官の規律正しさ、モラルや士気の高さは諸外国の軍隊から絶賛された。多国籍軍の会合で自衛隊には軍法も軍法会議もないと説明した時、諸外国の将軍は驚愕の声をあげた。「では、何故あんなに高いモラルが保てるのか」と。イラク派遣を通じ筆者は自衛隊の教育は間違っていないと確信できた。
自衛隊の教育は何が違うのか。一言で言うと「戦後教育」の否定である。「国家」や「公」は「個」、「私」より優先し、「事に臨んでは危険を顧みず」国家や国民に奉仕することが最も尊い行為であることを徹底して教育する。自らを犠牲にしても他人を救うという行為が如何に崇高であるかを体得させる。
日常生活では分刻みの規則正しい生活をさせ、「早寝、早起き、朝ごはん」を実践させる。毎朝、国旗掲揚で「君が代」を聞き、国旗に対し威儀を正し敬意を表することを身に付けさせる。頭髪や服装容儀を常に端正にさせ、職場環境は整理整頓、清掃を徹底する。時間厳守を指導し、挨拶、上官に対する敬礼、礼儀、節度ある挙措動作などを指導する。
自衛隊の教育は、軍事訓練を除けば諸外国の学校で実施している人間教育と同じである。英国で元貴族階級の子弟達が行く寄宿舎でのエリート教育そのものである。要は躾やマナーなど普遍的な人間教育を強制し、有無を言わせずやらせるのだ。
教育は強制から始まる。とにかく、繰り返しやらせる。最初は夢中でその意義など分からないが、やっている内にその強制される所作に潜む意義、重要性、有益さに目覚める。人に迷惑をかけないことから始まり、人に尽くす喜びを覚える。「利他」の精神の崇高さを自覚したとき、人は真の紳士、淑女に変身する。災害派遣に出動した自衛官の目つきを見れば分かる。真剣な眼差しに人に尽くす喜び、満足感が満ち溢れている。
摂氏五十度にも上る炎天下の砂漠で黙々と任務に邁進するイラク派遣隊員を見たとき、彼らに武士道のDNAが受け継がれているのを見た思いがした。日本人はもともと武士道のDNAを持っている。だが戦後教育がこのDNAを毀損し埋没させてきた。だが武士道のDNAは教育によって萌芽させうる。自衛隊の教育はそれを実証してきたのだ。
強制は苦痛を伴うものだ。だが苦痛に耐えてこそ忍耐力がつき、人間として大きく成長する土台ができる。「幼き頃、肉体的苦痛を味わったことのない子供は、成長して必ず不幸な人間になる」とコンラッド・ローレンツ(オーストリアの動物学者)も言っている。
現代日本の惨状は戦後教育の負の成果である。福沢諭吉は語る。「政治上の失策の影響は大きいが、それに気づいて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで傷跡は残らない。しかし教育の場合はアヘンのように全身に毒が回って表面に現れるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する」
戦後教育の誤りを認め、一日も早く教育を是正しなければならない。先ずは教育は強制から始まる。日本の再生は偽善を排除した教育の再生なくして叶わないのだ。

2月15日(徳田 八郎衛)

偕行社安全保障委員会委員
徳田 八郎衛

グラフィックス1.jpg写真説明
「英国製品に替えて日本製品を買おう」というキャンペンであるが、海上輸送能力が貧弱で到底、需要を満たせなかった。

1 世界史的な意義
 国の定めた祝日も含めて数々の記念日がある。防災記念日といえば、以前は「関東大震災を忘れるな」の9月1日だけだったが、今は1.17や3.11も加わった。これに各業界が勝手に命名する「○○の日」や国連が定める「△△の日」なども併せていくと毎日が何かの日になってしまう。それらに埋没する2.26や7月7日、12月8日などの日が持つ意味を知らない若い人、さらには中年の人も増える一方であるが、一概には責められない。これに加えて国際化やグローバリズムを追い風とし、農耕民族的伝統行事の衰退に乗じ、カタカナの記念日も蔓延する今日、70年も前のできごとなど覚えきれないのだ。幸い両陛下や総理も臨席の8月6日や8月15日となると、メディアも大きく報道するから若い人にも認識されている。10万人以上が焼殺された東京爆撃の3月10日や、他府県出身将兵の戦死者約66,000名に対して、その約2倍の沖縄県人が民間人あるいは軍人・軍属として戦没した沖縄戦の終結日、6月23日も、東京都や沖縄県だけの記念日に留めず、国民全体で慰霊したいものである。

 だが鎮魂や、主語不明のまま「過ちはくりかえしませんから」と懺悔する記念日だけでなく、日本が世界史を書き換えた記念日もあっていいのではないだろうか。その一つが2月15日、シンガポール陥落の日である。もちろん戦時中のような「勝った、勝った」のお祝いの日ではない。鎮魂、懺悔、贖罪の日でもある。しかしながら白人の植民地支配を崩壊させる第一歩となった日でもあるのだ。シャルル・ド・ゴールは、ロンドンへ亡命の身でありながら「これは、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」と日記に記した。チャーチル首相は、2ヶ月前の12月10日に「プリンス・オブ・ウエールス」と「レパルス」の沈没の報告を受けた時が「戦争の全期間を通じて、最大の衝撃であった」と戦後の回顧録に記しているが、それが東洋艦隊の喪失だけでなく、続くシンガポール陥落を予期しての衝撃でもあったことは間違いない。とはいえ、当時の人々が受けた衝撃は、英国(軍)の権威の失墜だけであり、連合軍の反撃が成功した暁には回復できるものと見ていた。彼らが植民地主義の崩壊を実感するのは、日本の敗北に伴う旧植民諸国の復権がアジアの目覚めた人々によって拒否され、旧植民地が次々と独立した時であった。最大の衝撃は、ディエンビエンフーの陥落である。したがって2月15日は、アジア民族の解放に成功した日ではないが、その始まりの日であったことは間違いない。7日後に蒋介石はインドへ飛んだ。狙いは連合国の一員としての中印連携強化と「援蒋ルート」の開発である。戦争協力を訴えて民族運動指導者のネルー、ジンナー、さらにはガンジーにさえ会っている。英国側には、1日も早くインドへ政権移譲せよと訴えた。以前から米国にインド統治の改革を迫られていた英国は、中国からも迫られて「インドの指導者たちをなだめる」ことを真剣に考えるようになる。

 この日にチャーチルが何と述べたかの記録はないが、シンガポール攻防戦に先立ち、彼は「将兵や民間人の犠牲を厭わず死守せよ。司令官と高級将校は、部隊とともに死ね。大英帝国と英国陸軍の名誉にかけて」と命令し、その命令が戦後公開されるまでに40年もの年月を要した。これまた不名誉なことに、まったく遵守されなかったが、シンガポールの重要性を知るチャーチルならではの厳命といえよう。1996年までにシンガポール攻防戦について英語だけでも168冊の書籍が刊行されていたにもかかわらず、新たな情報公開を受け2000年以降に続々と新事実と考察を述べる書籍が刊行され、史家のブライアン・ファーレルなどは、「シンガポール防衛と陥落:1941―42」の冒頭で、「さらなる本が必要な理由」を詳細に記した。植民地を失った英国人の方が、我々、日本人よりもこの日の意義や功罪を明確に認識しているように思える。これらの情報公開に加え、シンガポール攻防戦50周年を迎える頃から、日英双方の専門家、それも戦史や政治史だけでなく東南アジア史全体を研究する専門家が、資料を交換し合同の研究会を開催するのが常態化した。それまでは双方とも、自国の「生き証人」中心の史料編纂であったのが一変する。頑丈な宮田の自転車を現地の博物館で見ることなく「日本軍は、盗んだ自転車で進軍した」と記すような書籍は、たとえ過去のベストセラーであっても消えていくのではないだろうか。

2 血債の塔
だが郷土が戦場となり(華人の中には中国本土から戦火に追われて来た者もいたが、大半はシンガポール生まれであった)、さらに日本軍の過酷な占領を体験したシンガポールの人々は、英国人とは違う目でシンガポール攻防戦をとらえている。日本軍侵攻に伴う戦禍と殺戮は語り継がれていくが、白人の植民地支配、日本降伏に続く反英闘争と民族間の対立、待望の独立に伴う必死の民族調和への努力、日本との協調なくしては不可能だった経済立国という流れを知る思慮深い人々は、近親に犠牲者がいても暖かく日本人と接してくれる。殺戮から運良く逃れたリー・クアン・ユー初代首相も、日華事変勃発以来の抗日運動家だったリー・クーンチョイ第3代駐日大使も、親日的だった。日本政府に戦中の被害への個人補償を求める運動も取り上げなかった。有難いが、これに甘えてはいけない。シンガポール人口300万強の8割を占める華人の声も政治家は無視できないからだ。1965年にマレー連邦から分離してシンガポール共和国となった2年後の2月15日、リー首相は、戦争記念公園を整備して高さ68メートルの「血債の塔」を建て、日本の上田常光大使も招いた上、自ら除幕式を行って占領直後の殺戮だけでなく、占領期間中の抗日運動や過酷な取り調べで落命した「すべての民間人」を追悼するとともに、毎年の2月15日を全面防衛日(Total Defense Day)と定めた。追悼だけの日ではないことと、多くの日本軍占領地で8月15日を解放の日とするのと異なり、敗北の日を選んでいることが注目される。2月15日こそが忘れてはいけない日なのである。

当地の心優しい政治家や教育者は、「いつまでも過去を謝り続けないでいいが、この行為を忘れないでくれ」という。戦後50年にあたる1995年の式典で日本の川村知也大使も「われわれはここであの戦争を反省し、次の世代にもこのような事実があったことを伝えます」と述べている。一方、陥落50周年の1992年の式典に参列した占領史研究家たちは、心温まる風景を伝えている。シンガポール・マラヤ防衛のために落命した英印軍兵士2,3943名の氏名を刻銘した壁が並ぶクランジ戦没者共同墓地で当日早朝に開催された追悼式典では、当地の捕虜収容所で虐待された老兵たちが「あの仕打ちを忘れないし、許さない」といきまくし、参加を希望していた日本人団体も、参加を歓迎しないと知らされていた。ところが午後に中国系シンガポール人が開催する血債の塔での追悼式では、日本大使も在留日本人も招待された。喪服の日本人もいた。犠牲者数は、日本側推計の6千名と中国側推計の5万名という大きな幅のままであったにも係らず、華人の側から和解の手が差し伸べられたのである。

ところが、「このような事実」を知らない人が増えてきた。「寝た子は起こすな」と、知らせない人もいる。ついに「そのような事実はなかった」と主張する人も現れ始めた。以前のシンガポールガイドブックは必ず紹介していた血債の塔も、今では日本を代表する旅行業者のものと「地球の歩き方」くらいしか記載しなくなった。ショッピングや食べ歩き重視のガイドブックは当然無視しているが、これでいいのだろうか。1980年頃の在住者には「あそこへは日本人は行きづらい」という人も多かったが、今は「そんなもの、気が付かなかった」人も現れる始末である。
「そのような事実」については、工作機関を率いた藤原岩市少佐も「国軍の栄光を汚す恥ずべき行為」と断じ、「2月16日からインド国民軍の編成にかかりきりだったので知らないうちに粛清が進められた」と嘆いている。筆者の父も開戦の日の早朝シンガポールで拘留され、インドで抑留生活を送った後、翌年5月、外交官交換船に便乗して帰国の途中、ロータリアンとして交遊のあった華人の半数が殺戮されたことを知って愕然とする。日本軍の命令で発行年月日を1942年ならぬ(紀元)2602年と記した新聞の広告は、「お父さん、どこに居るの?」という尋ね人で埋まり、市民が怖れる憲兵隊本部にも、まだ帰らぬ父への差し入れを届ける子供が群をなし、涙が止まらなかったという。ちなみに、「皇軍」がシンガポールへ突入すれば、抑留日本人が解放されると期待していた内地の家族たちは、一向に見つからない事態でパニックに陥った。虐殺されて海へ流されたという推測も流れ、筆者の母は「未亡人」として紙上で紹介された。

3 献金強要
これが戦時国際法や陸戦法規に反することはいうまでもないが、さらに反省すべきことは、このような大規模な殺戮の計画が、25軍司令部の正式な意思決定手続きを経ずに策定され、実行されたことである。正式の文書が残されていないので、「検挙の基準」は、シンガポール警備司令官として殺戮の責任を問われて刑死した河村参郎少将の証言しかないが、粛清の最大の狙いは抗日分子にあったはずなのに、「華僑義勇軍参加者」や「中国抗日救援基金関係者」だけでなく「教師、記者、専門職、社会的地位の高い者」、「政府職員」、「5万ドル以上の資産家」をも検挙基準に加えたのは、華人社会の指導的な人材の根こそぎ根絶を図ったとしか思えない。ドイツやロシアがポーランドで行った手法と同じである。残った半数のロータリアンは、恐らく出頭を免じられた50歳以上の人々だったのであろう。
さらに悪いことに、作戦行動としての粛清の後、統治を引き継いだ軍政部(1942年7月以降は格上げで軍政監部)の華僑工作が実に拙劣であった。マレー人やインド人には友好的に、華人には厳しく接して民族離反を図るだけでなく、過去の反日・援蒋活動の贖罪として5000万円の献金を全州の華僑協会に求めた。軍政目標の一つである「民心把握」の原則にもとると内務省から派遣の文官たちは反対し、陸軍省も華僑弾圧の行き過ぎを懸念して再考を次官名の文書で求めてきたが、軍政部長を兼任する25軍参謀副長に代わって実質的に軍政部を取り仕切っていた次長の渡邊渡大佐(4月以降は軍政部長)は、「彼らの資産の半分を自発的に献金」「軍政資金を現地調達し南方経営経費を削減せよとの中央の方針に適う」と返答して押し切った。陸軍省は、その5000万円の使途にも釈明を求め、渡邊は「難民救済住民供託基金」や「南方建設のための青年人材養成機関」など、現代にも通用するような国際的事業を列挙して遂に了承を得た。
中国での占領・統治行政の豊富な体験と総力戦研究所での戦力・軍政研究の実績を買われてマレー進攻前に着任した渡邊であったが、敵性住民の心をこちらへ引き寄せる「宣撫」の心は一かけらもなかった。殺戮事件を追い討ちする献金事件により、抗日共産ゲリラの結束は一段と強固となり、その抵抗運動に正当性をもたすことになったと同年7月に軍政監部警察部長として着任した大谷敬二郎憲兵大佐は、戦後の手記で酷評している。同情的なマレー人に助けられた抗日ゲリラは、終戦時には総勢1万名、8個大隊に成長した。ビルマ防衛戦に必死の日本陸軍が、広報戦・宣伝戦の担い手である放送局職員さえも現地召集で二等兵に仕立てている非常時に、8万名の大軍をマラヤから動かせなかったのである。

殺戮も献金も、幕僚が独走したとはいえ実施させたのは25軍司令官山下奉文中将である。満州へ転属する1週間前の6月25日、血を吐くような思いで集めた5000万円を奉呈する華僑協会代表に「これは、これまでの援蒋、援英の罰から救うものではない。今後しなければならないのは日本軍との協力である」と警告した山下中将は、マニラで刑死する前、「パーシバル中将との降伏会談で、イエスか、ノーかと机を叩いて威嚇した」と新聞に書きたてられた誤解を解いておきたかった、と悔やんだといわれるが、殺戮や献金については何も述べていない。パーシバル中将の「混乱を避けるため1000名の武装兵保持」という懇願をあっさり認め、隷下部隊にも不祥事発生を恐れて市内への進入を禁じ、香港やマニラで行ったような盛大な入場式は行わず、遺骨を抱いた部隊代表が静かに市街を行進させるに留めた。勝って奢らぬ日本軍の真摯な姿を世界に伝えた名将であっただけに、この2つの汚点は残念でならない。ちなみにスマトラではヤマシタの名声は高く、その名を冠した図書館さえ残されている。

4 広報攻勢が不可能に
その後も軍政当局は、中国本土との連絡交通の遮断、官吏への不採用、華僑学校の再開遅延、教育用語としての中国語禁止などで華僑社会を抑圧しただけでなく、マレー人やインド人に対しても、「西欧教育教科の全廃、八紘一宇の思想に基づく日本精神の涵養、教育用語は日本語、マレー語に限定し、英語、オランダ語、中国語を禁止」を強制して反感を高めた。「皇民化」である。「共栄圏共通語としての日本語普及」は、中央が定めた「占領地処理要領」に示されているから、これを推進したのは当然であるが、さらに日本の祝祭日行事への参加、「日の丸」掲揚、宮城遥拝、『君が代』斉唱、天皇陛下万歳三唱等が軍政部の発案で強制された。毎月8日の大詔奉戴日には、宣戦布告詔書の謹読、昭南神社・忠霊塔への参拝が義務付けられた。四大節奉祝行事への参加行き過ぎを案じる軍中央からの「訓告」を受けても止まなかった。日本軍人への敬礼、都市・道路・ホテル・劇場等の日本名称化、紀元年号、日本標準時の導入を強制し、ついに42年10月には、州(市)長官宛てに渡邊総務部長名で「公文書からの英語追放、英字新聞の発行禁止、英文郵便物の引き受け停止、店舗看板等の英語使用禁止」まで定めた通達が送られる。

救いとなるのは、これらの行為を非とする良識ある日本人も少なくなかったことである。陸軍省の占領行政担当者は、何度も次官名で注意を喚起したものの、現地の司令官が黙認、もしくは奨励するので制止できなかったが、前内務次官の大達茂雄昭南市長は「民心に不安、動揺、混乱を起こすのみ」と反対し、実施を拒否した。施行も延期に延期を重ね、1943年5月、ついに軍政当局は通達を撤回する。その後の大達は、帰国して初代東京都長官(東京都知事)に就任し、空襲の際に校長がご真影を守って殉職するのを恐れ、「ご真影の疎開」を首都空襲に先立って実施させた。戦後も吉田内閣の文相として日教組の影響抑制に奮戦し、教育2法を成立させる硬骨の士であった。
華僑協会が必死で集めた5000万円献金は、2回の期限延長をもってしても集まらず、最終期限6月末に至っても2800万円にしか達しなかったが、横浜正金銀行昭南支店長の努力で2200万円が融資されて華僑協会は救われた。外務省の指示に背いてユダヤ人を救った杉原千畝が「日本のシンドラー」として教科書にも掲載されるのなら、この横浜正金銀行の快挙も「寝た子を起こすな」ではなく、広く紹介すべきではないのだろうか。

理解者であった山下中将が転出した後、軍政監部で孤立していた渡邊大佐が1943年3月に東京へ転出したことにより、行き過ぎた「日本化」は、かなり修正され、44年5月には華僑団体指導者や青年たちと軍政当局との交流が図られ、45年5月には総務部長梅津弘吉少将が「これまでのマライ民族対策は完全に間違っていた」と非を認めたが、完全に手遅れであった。大谷大佐の回想に「華僑社会からの軍政協力は得られず、印僑、欧亜人(ユーラシアン)社会に、次は自分たちに日本軍の怒りが及ぶのではないかと不安を抱かせた」とあるように、全土に不安が充満していた。流通を支配する華僑の反発と日本海軍の海上交通維持破たんでタイ、ビルマからの米の輸入は途絶えがちとなり、鉱物資源産業の荒廃や食糧・医薬品・生活必需品の払底に伴うインフレで人心は離れた。イスラム教徒やヒンズー教徒への天照大御神を祭祀する昭南神社礼拝強制は、立派な文化侵略である。藤原少佐の奮闘によるインド国民軍(INA)の誕生は快挙であったが、印度兵捕虜全員が加わったのではないし、タミール人は関心を寄せなかった。藤原の信任が厚く、INA司令官に選ばれたモハン・シン大尉も、大東亜共栄圏の明細説明を日本軍に求め、「山下将軍は、新秩序(New Order)や共栄圏(Co-Prosperity)について雄弁だったが、この共栄がよく判らなかった。どうやら日本が栄(Prosperity)を受け持ち、我々が共(Co)の部分を受け持つらしい」と落胆している。
根本的には、中国を反日、親英、親共に追いやったまま、中国を除外した大東亜共栄圏の建設を図ったのが間違い
であったが、藤原少佐の様に異文化理解や異民族と同じ目線で交流・対話が出来る人物が、25軍要職に居なかったのが悲劇の原因といえる。中核となるのは軍政当局であるが、中国北部の占領地での中国人との接触も長く、総力戦研究所での研究実績もあり、さらに日本陸軍にありがちな「山下中将と昵懇な」という理由で登用された渡邊大佐の武断軍政は論外であった。彼は「作戦当初は、作戦に平行し、思い切った重圧が必要」と1941年5月に陸軍大学校で講演するほどであったから、その武断軍政は経験と信念に基づいていた。だが彼は、英人と接して磨かれたシンガポール・マラヤ華僑の国際的な見識やエネルギーを理解出来なかったといえる。
シンガポールは、太平洋の島々とは大違いで、欧州と変わらぬ近代都市であるばかりか、スイス領事館、スイス赤十字代表、デンマークやスイスの貿易商は残留して活動していた。世界に向けた広報戦・宣伝戦には絶好の要地であった。欧米との有線通信(海底ケーブルによる通信)は途絶したが、放送無線電信・電話は健在であり、勝ち戦の段階では虚偽の放送を行う必要もなく、また多数の捕虜・民間人の消息を伝えることで連合国での視聴率も高まる。日清・日露戦争の頃と同様に日本軍は国際法規を守るだけでなく、人種差別をせず、植民地支配からアジアの兄弟を解放する武士道の軍隊、というイメージと実績を喧伝すれば、南京事件も含めた中国大陸での悪評の挽回にもなったのである。だが、作戦的な勝利は誇れても、続く殺戮、献金強要、日本化は、世界に報じるコンテンツではなかった。

ちょうどドイツのスパース・チャンドラ・ボースも1941年11月にベルリンから放送を始め、翌年2月19日からは世界に向けた自由インド放送を開始する。シンガポールではINAも結成され、東京では「中村屋のボース」
の放送も始まった。そして反日的とされてきたガンジーの発言が、一時、一転する。4月22日、「英国は整然とインドを去るべきで、シンガポール、マラヤ、ビルマで冒した危険をインドで冒すべきではない。英国はインドを守れない」と記した書簡を英国に送った彼は、続いて「英国が撤退すれば、インドは日本と折り合うことができる」と各地の集会で述べ始める。日本にとっては絶好の、しかも唯一度の広報戦のチャンスであるが、藤原機関の後を継いだ岩畔機関はINAを制御できず、モハン・シンを幽閉し、士気旺盛だったINAはバラバラになった。これでは広報攻勢に出られない。
多くの史家が、ミッドウェー海戦やガダルカナル攻防戦を太平洋戦争の天王山と位置づけているが、筆者には、シンガポール占領の「勝った、勝った」に続く失策のオンパレードこそが、外交戦、広報戦での天王山に思える。しかも自分で墓穴を掘っている。これらの反省と教訓も含めて、多くの人に2月15日を見直して頂きたいと願うものである。

「暴力」と愛の鞭を混同してはならい(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は著者が平成25年5月、「つばさ会だより」に発表した論考である。

昨年、桜宮高校バスケットボール部主将が体罰を受け、自殺した。報道によると、生徒は自殺の前日まで、顧問の男性教諭から暴力的な体罰を執拗に受けていたという。クラブ活動で生徒を自殺させてしまうような体罰は、暴力そのものであり、もはや教育でも何でもない。
この事件以降、スポーツ名門校などにおける部活指導の体罰が次々と告発され、オリンピックにまで飛び火した。メディアの過熱報道も手伝ってか、「体罰は全面的に悪」という「空気」が蔓延しているようだ。しかしながら、今日本中で喧しい体罰論議は、いかにも冷静さを失っていると感じてならない。
かつて日本には「愛の鞭」という美しい言葉が存在した。今この日本語は消滅しつつある。「愛の鞭」まで体罰だからいけないというのは偽善に思えてならないのだ。
私は決して暴力を肯定するものではない。だが、「愛の鞭」と「暴力」は明らかに違う。「愛の鞭」は「子供達を進歩させることを目的とした力の行使」であり、「暴力」は「自分の鬱憤をはらすことを目的とする力の行使」である。
体罰が「暴力」である限り、決して認められるものではない。だが、子供を想い、子供の成長、そして進歩の為に、時に「愛の鞭」は欠かせないこともあるのではないだろうか。
「子供が受けるべき最初の感謝すべき教訓、それは両親よりの平手打ちだ」とキエルケゴール(哲学者)は述べる。「子供には大人から叱られる権利がある」といわれるように、「愛の鞭」は子供が受ける権利であり、先生や親は子供に与える義務さえある。
報道によると、現在、小学校の学校現場は2割のクラスが学級崩壊状態だという。先生の話を聞かない。勝手に教室を動き回る。給食時間ではパンや牛乳を投げあう。教室や廊下はゴミだらけ。全く授業にならず、教師は自信を喪い、多くの教師が辞め、そして鬱病になったりするという。これこそ「愛の鞭」をも「暴力」と決めつけ、「子供の人権尊重、自主性尊重」という偽善に支配された戦後教育の成果ではないだろうか。
メソポタミアの昔から、手がつけられない子供はいた。そういう子供に対しては、口でだめなら肉体的苦痛で強制していくしかない。これは、古代から経験に裏付けられた実践的な知恵である。
米国では一切体罰を禁止している。その代わりに、「ゼロトレランス」という冷徹な施策を採っている。言って聞かない子は排除する、つまり矯正専用の学校に強制入校させる。教師への暴力は直ちに警察を関与させる。しかも例外は認めない。レーガン大統領は「ゼロトレランス」で荒れた学校を建て直した。これも一つの方法だろう。だが、東洋的感覚からすると、いかにもビジネスライクで「愛」が感じられない。
紳士の国イギリスのパブリックスクールでは、現代でも教育現場で本物の鞭が使われているという。イギリスのエリート育成のあり方は、長期にわたる熱心な模索の結果、文化の中に内蔵されている。「愛の鞭」も大国として受け継がれてきた歴史的ノウハウなのだ。

またマレーシアやインドネシアのような教育熱心な新興国では、教師による鞭打ちが容認されている国も多い。
ちょっと話は逸れるが、「愛の鞭」と通底している事例がある。日教組の教育研究集会である教師が発言した。「子供達が自主的に挨拶をしたいな思ったら、挨拶を教えます」と。偽善にまみれた教師の言葉にあきれかえった覚えがある。
善悪の分別がつかない子供達に自主性を求めるなんぞ、自主性尊重という美名に隠れた教育の放棄である。自主性といえば一見もっともらしい。だが子供達に必要なこと、当たり前のことは、強制してやらせることが教育の第一歩である。
子供の人権尊重、自主性尊重といえば誰も反論できない。その結果が2割に及ぶ学級崩壊ではないか。人権尊重と言いながら、実は子供への教育を放棄し、子供の人権を無視しているのだ。
教育は強制から始まる。強制は苦痛を伴うものだ。だが苦痛に耐えてこそ忍耐力がつき、人間として大きく成長する土台ができる。苦痛に心が萎えそうになったとき、「愛の鞭」で奮起をさせることは決して悪いことではない。「監督の平手打ちで目が覚めました」と一流のプロ選手もテレビで語っていた。
「愛の鞭」と「暴力」の境界は、なるほど難しい。だからといって「愛の鞭」まで全面否定するのは誤りである。絶えざる苦悶と反芻の結果、やむを得ず振るう「愛の鞭」は許容しなければならない。
現在の軽薄な「空気」は、教師を萎縮させるに違いない。良かれと思っても「愛の鞭」をふるえなくなるだろう。この「空気」は自己膨張を続け、やがて大声で叱咤激励することも「暴言、パワハラ」と非難されるようになりかねない。そうなれば学級崩壊は2割に止まらないだろう。「愛の鞭」と「暴力」の安易な混同が、日本の崩壊につながることを我々は自覚すべきである。

中国の侵略から日本を守るための最新戦略 日米共同「Air‐Sea‐Land Battle」の提言(渡部悦和)

(本論考はJBプレスから転載するものである)

偕行社安全保障委員会委員
渡部 悦和

国は、富国強軍をスローガンとして世界第2位の経済大国となり、軍事的にも米国に次ぐ世界第2位の軍事大国となった。
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中国海軍の駆逐艦〔AFPBB News〕
 中国の国防費は、過去26年間で約40倍、過去10年間で4倍に急増し、その強大な軍事力を背景として、東シナ海や南シナ海において強圧的に振る舞い、日本をはじめとする米国の同盟国や友好国にとって重大な脅威となっている。
 中国は当面、アジア・太平洋地域における米国の関与・影響力を排除し同地域の覇権を握ることを目指し、最終的には米国をも凌駕する国家を建設し、習近平国家主席が掲げる「中華民族の偉大なる復興」を実現しようとしているのであろう。
 日本の防衛およびアジア太平洋地域における米軍の作戦を考えた場合、中国の人民解放軍(PLA: People's Liberation Army、以下PLAと記述する)の接近阻止/領域拒否(A2/AD: Anti-Access/ Area Denial、以下A2/ADと記述する)戦略にいかに対処するかが中心的テーマとなる。
 米国では海軍や空軍を中心としてエア・シー・バトル(ASB: Air - Sea Battle、以下ASBと記述する)やその対案としてオフショア・コントロール(注1)(OC: Offshore Control、以下OCと記述する)などが提案されている。
 一方、我が国においては、急速に軍事力を増強する中国を念頭に、日本防衛のために様々な試みがなされてきたが、米国の戦略と密接に調整された包括的な防衛戦略が発表されていない。
 本稿においては中国に対する抑止と対処の基本的な構想を紹介し、最終的にはPLAのA2/AD戦略に対する日米共同の抑止・対処構想としてのASLB(Air- Sea- Land Battle)構想を提言する。
 ASBは、米海軍および米空軍を中心として提案されている中国のA2/ADへの抑止および対処の構想であるが、陸上戦力(Land Forces、陸上自衛隊、米陸軍、海兵隊など)の関与が欠落している。
 南西諸島の防衛を検討してきた陸上自衛隊の防衛態勢の構築の過程で明らかになったことは、第1列島線の重要な一部を構成する南西諸島の防衛が、米軍のASBの成功にとって極めて重要な条件となる事実である。
 さらに言えば、自衛隊が南西諸島を防衛し、そこを拠点として地対艦ミサイル、機雷、潜水艦などによりPLAの接近を阻止することが米軍のASBに新たな命を吹き込むことになる事実である。
 陸上自衛隊の関与が不可欠であるならば、その作戦はASBではなく日米共同のASLBである。海空戦力に陸上戦力が加わることにより、抑止・撃破構想としてのASLBは、ASBに向けられた批判のかなりの部分を克服できるようになる。
 また、米国の研究者や研究機関の論文を読むと、陸上自衛隊による南西防衛の様々な検討成果が彼らの論文に受容されていることが明瞭である。
 特に、陸上自衛隊の南西防衛の考え方、例えば各島を拠点とし、地対艦ミサイルや機雷をチョーク・ポイント(注2)に集中し、PLAの艦艇を撃破する構想が米国の安全保障研究者に受容され、さらに陸自の考え方を発展させた新たな構想が米国の研究者から提案されているのである。
 なお、本稿は日本戦略研究フォーラムの「日本の防衛戦略研究グループ」(筆者もその一員)で議論されてきた内容(その多くは用田和仁・元西部方面総監の研究成果である)や海上自衛隊幹部学校の数々の論文、そしてASBの古典と言ってもいいCSBA(戦略・予算評価センター)の“AirSea Battle(注3): A Point-of-Departure Operational Concept”や米統合参謀本部内に設置されたAir-Sea Battle Office(以下ASBオフィスと記述する)の“AIR-SEA BATTLE”をはじめとして、米海軍大学教授のジム・トーマス(Jim Thomas)やトシ・ヨシハラ(Toshi Yoshihara)など米国の安全保障研究者、RAND研究所などの各種論文を原文で読み込み参考にした。
1 中国の重層的なA2/AD能力
(1)米軍が初めて経験する戦場に到達できない可能性
 米軍は、冷戦間、前方展開戦略を採用し、欧州正面においては主として西独に、アジア太平洋正面では特に日本と韓国に前方展開基地を確保していた。しかし、冷戦終結後に旧西独にあった前方展開基地から大部分の米軍が撤退し、日本や韓国に駐屯する兵員数も減少していった。
 米軍は現在、一部の地域で前方展開を継続しつつも有事に際しては米国本土から部隊を緊急展開する戦略を採用している。この米軍の緊急展開を妨害するのがPLAの接近阻止(A2)なのである。
 PLAのA2の目的は、米軍を西太平洋地域から排除することであり、さらに言うと第2列島線内に米海軍の艦艇を侵入させないことである。米軍は、PLAのA2/AD能力の向上により、戦域に到着できない可能性を認識するに至った。この危機感を背景として国防省内に設置されたASBオフィスを中心として、A2/ADに対処する作戦・戦術としてのASBを検討しているのである。
(2)A2/AD能力の骨幹は中・長距離ミサイル
 ロバート・ハディック(Robert Haddic) が書いているように(注4)、米軍とPLAの戦いの焦点は、どちらがより長い射距離の兵器を保有し、それを有効に活用するかにある。A2/AD を採用するPLAは、中・長距離ミサイルを骨幹とし、長距離爆撃機とミサイルの組み合わせ、潜水艦発射火力の開発・取得・配備に注力している。
 A2/ADの特徴は自ら遠方に打って出るというよりも、自国の近海で相手が来るのを待ち構えることである。中国領土・領海付近からの長距離火力の発揮により米軍の接近を阻止し、作戦地域の利用を拒否しようというのがA2/ADである。
 A2/AD型装備は、弾道ミサイル、対艦ミサイル特に対艦弾道ミサイル(ASBM)、巡航ミサイル、対空ミサイルなどのミサイルとその運搬・発射手段であるミサイル発射台、爆撃機、潜水艦、水上艦艇である。
 エヴァン・ブラーデン・モンゴメリー(Evan Braden Montgomery)が指摘しているように(注5)、中距離核戦力全廃条約(Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty、以後INF条約と記述する)の存在ゆえに、米国はINF条約を守りアジア太平洋地域においても500キロから5500キロの射程の地上発射型ミサイルの開発・取得・実験を抑制している。
 一方、PLAはINF条約に関係なく短距離・中距離・長距離のミサイルの開発・取得を推進し、INFが中国のA2/AD戦略の中核を担う兵器となっている。中国のINFは、米軍の空母などの艦艇にとっての脅威であるのみならず、在沖縄米軍基地などに対する脅威でもある。以下、ロバート・ハディックの論考(注6)の内容の一部を紹介する。
 中国は対艦巡航ミサイルASCM(antiship cruise missiles)としてYJ-83(160キロ)、SS-N-22 Sunburn(250キロ)、SSN-27 Sizzler(300キロ)を保有し、いずれも米軍の Harpoon ASCM(124キロ)を凌駕している。
 また中国の航空機Su-30 Flanker(1500キロ)に YJ-12対艦巡航ミサイル(400キロ)を装備するとその到達距離は1900キロとなり、米国の空母搭載の航空戦力であるF/A18E/FおよびF-35Cの航続距離1300キロや海軍のトマホークの射程1600キロを凌駕している。
 また、PLAは、地上発射の地上目標攻撃用の弾道ミサイルや巡航ミサイルを多数保有していて、西太平洋の米軍基地を制圧する能力を保有する。そして、航空機発射巡航ミサイルの射程は3300キロでグアムやマラッカ海峡は射程内である。また、PLAの対艦弾道ミサイル(ASBM: Anti-Ship Ballistic Missile)であるDF-21D(1500キロ、2000キロ以上という説もある)は、米空母などにとって最も脅威となる兵器である。
 以上のように、アジア太平洋正面におけるミサイル分野においてはPLAが優位になっている。PLAは、ミサイルおよび航空機によるアウト・レンジ戦法(敵の射程外から火力を発揮してこれを撃破する戦法)を採用し、米軍等の兵器の射程外から火力を発揮しようとしているのである。
(3)PLAの追求する短期限定作戦
 中国は、多くの分野でPLAを凌駕する米軍と本格的な戦争をしようとは考えていないであろうが、短期限定作戦を実施する可能性はある。PLAの短期限定戦において、先制攻撃は常套手段である。
 米軍や自衛隊の行動に先駆けて、弾道ミサイル、衛星破壊兵器(ASAT)、サイバー作戦・電子戦さらには特殊部隊や武装民兵などを活用して、あらゆるドメイン(陸・海・空・サイバー空間・宇宙)において先制攻撃を実施し、米軍や自衛隊の弱点を衝くであろう。
 PLAが米軍の弱点として認識しているのは、米軍の兵力展開の基盤となる前方展開基地、空母、米軍の作戦・戦闘の基盤であるC4ISR機能である。PLAは、これらの目標に対する先制攻撃を実施するであろう。米軍および自衛隊にとっては、この先制攻撃からいかに生き残るかが大きな課題である。
 また、ASBMや外洋に展開した潜水艦、水上艦の対艦巡航ミサイルおよび機雷などによって空母を始めとする米海軍および米空軍に対するA2/ADにより、第2列島線以東(中国沿岸の1500Nm(ノーティカルマイル=海里)つまり約3000キロ以遠)にこれを排除することを企図するであろう。
2 エア・シー・バトル(Air -Sea Battle)
 米軍が、4年ごとの国防計画の見直しであるQDR2010においてASBに初めて言及して以来、ASBの大部分が秘密指定されていて、詳細な全体像を窺い知ることはできないが、逐年その内容は進化しているものと思料する。
 一方で、ASBに関してはいくつもの批判がある。
 例えば、「ASBは中国本土縦深に対する攻撃も辞さないために核戦争までエスカレートする可能性がある」、「ASBの中核となる兵器を整備するだけで余りにも膨大な軍事費が必要である」、「ASBが余りにも米海軍と米空軍の予算獲得に焦点が当てられ、統合作戦の視点を欠いている」、「ASBは戦略ではない。単なる兵器や部隊の運用を論ずる戦術か作戦レベルである」などである。
 これらの批判を受け、統合参謀本部は、陸海空の統合作戦の観点や陸・海・空・宇宙・サイバー空間のすべてのドメイン(領域)を網羅した作戦構想が重要であるという観点からJOAC(Joint Operation Access Concept)を発表した。
 そして、2011年にはASBオフィスが新設され、海空のみならず陸軍や海兵隊の人員も参加して検討が継続され、2013年にはASBに関する数少ない公式文書である“AIR-SEA BATTLE(注7)”がASBオフィスから発表され現在に至っている。
(1)エア・シー・バトルの意義と目的
 ASBは、A2/AD環境下において敵の攻撃を抑止し、抑止が失敗した場合には敵を撃破するための構想である。つまり抑止の構想であり対処の構想である。この点は極めて重要な点である。
 例えば、CSBAのリポート(注8)によると、ASBの最も重要な目的は「戦争に勝利すること」ではなく、西太平洋における通常兵力による軍事バランスを維持し、「紛争を抑止すること」である。
 つまり、抑止する側の米国が自らの国益を守り、国際秩序を維持するという米国の断固たる「能力」と「意思」をASBという形で中国に対して明示し、中国の挑発行為や不法行動を抑止することが最重要な目的である。
 また、ASBオフィスの文書によると、「ASBの目的は、単に作戦をより統合的に実施するだけのものではなく、すべてのドメイン(領域)にわたる作戦上の優位を増大させ、各軍種の能力を強化し、その脆弱性を軽減することである。ASBは、国際公共財における行動の自由を獲得・維持する米国の能力を確実にするものである」と記述している。
(2)ASBの位置づけ
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図1「戦略とASB等との関係」。出典:ASB Officeの“Air-Sea Battle”
 ASBは戦略ではない。図1に示すように、ASBは、国防省の戦略指針(DSG: DoD’s Strategic Guidance)を頂点とする体系の中で統合作戦アクセス構想(JOAC)の下部構想である。
 なお、JOACは、統合部隊が作戦地域へのアクセスを確保し、A2/ADの脅威を乗り越えていくための指針となる原則と能力を明示している。
 ASBは、「戦略を目指した作戦構想(an operational concept looking for a strategy)」(注9)であるが、「戦略の三歩手前」であるというのが現実の位置づけであろう。
(3)ASBの前提条件(注10)
 以下の前提条件を見るといかに厳しい環境下で米軍は中国と戦うのかがよく分かる。
●米国は先制攻撃をしない。米国は中国の第1撃に耐えてASBを遂行する。
●相互核抑止は維持されている。
●(中国に対する)情報活動は限定され、(PLAの攻撃に関する)警告時間は短い。
●日本と豪州は米国の頼れる同盟国である。
●米国および中国の領土は共に聖域ではない(注:攻撃対象となり得る)。
●宇宙は戦場となる。
●米国にとって長期戦が有利である。中国を海上封鎖できる。米国の目標は、中国の迅速な勝利を拒否することである。
(4)ASBの特徴(注11)
 ASBオフィスの文書を中心としてASBをまとめると以下のようになる。
ア ASBの中核の考え方はNIA/D3である。つまり、ネットワーク化され(networked)、統合化された(integrated)部隊による縦深攻撃(attack-in-depth)を実施し、敵部隊を混乱(disrupt)、破壊(destroy)、打倒(defeat)することである。つまり縦深にわたり、PLAのC4ISRネットワークを混乱させ、PLAの兵器システムなどを撃破し、PLAが使用する兵器や体制を打倒することである。
イ クロス・ドメイン作戦(ドメインを跨ぐ作戦:cross-domain operations)が重視される。ASBでは、陸・海・空軍の統合作戦を包含したドメイン間作戦(陸・海・空ドメインでの作戦にサイバー空間と宇宙での作戦を付加した作戦)が強調されている。5つのドメインによる作戦は相互に密接な関係があり、協調が重要である。
ウ 遠距離打撃能力が必須
 地理的縦深性を持つ中国のA2/ADに対抗することを目的としたASBを成功させるには、遠距離打撃能力の向上が重要である。そして、この遠距離打撃戦力のターゲットは中国本土の目標を含む点がOCとは違う点である。
 米軍は、冷戦終結後に空軍の遠距離打撃戦略を見直し、次期遠距離打撃戦力の整備を中止したためにその再構築が急務である。そのため、後述する相殺戦略(Offset Strategy)で提案されている将来の兵器例えば、厳しい環境下でも相手の縦深深くに侵入できる高高度長期滞在無人航空機(RQ-4後継のステルス機)、艦載無人攻撃機(MQ-XやN-UCAS)、長距離爆撃機(LRS-B)などの開発・取得が必要である。
エ 同盟国と友好国の支援が不可欠
 米国防省がASBを公表した目的は、同盟国や友好国と脅威認識や作戦構想を共有するとともに、同盟国に安心を付与することであった。
 PLAの攻撃による被害を局限しつつ西太平洋からインド洋にわたる広大な地域において作戦を遂行するためには、既存の前方展開基地や後方補給施設の抗堪化に加え、中国のミサイル攻撃圏外に位置する新たな展開基地の確保が不可欠である。このため、米軍は同盟国およびその他の協力国の支援なしには作戦が遂行できないのである。
(5)ASBの2段階(two stages(注12))作戦
 以下の記述は、CSBAの“AirSea Battle: A Point-of-Departure Operational Concept”を主とし、布施哲氏の「米軍と人民解放軍」、Jeffrey E.Kline and Wayne P.Hughes “BETWEEN PEACE AND THE AIR-SEA BATTLE”などを参考にした。
 ASBの特徴の1つは、PLAによる先制攻撃による被害を局限し、米軍にとって有利な長期戦に持ち込むことにある。作戦にあたっては、日本とオーストラリアが同盟国として行動するとともに海・空兵力(注:陸上戦力である陸軍や海兵隊が欠けている)が一体となって任務を遂行する。
 この際、海、空、宇宙およびサイバー空間などのすべての領域において圧倒的な優位を保つことが前提となる。
 作戦は大雑把に区分すると次の2つのステージに区分されるが、5つのドメインすべてにおいて同時並行的にあらゆる作戦が実行されていて厳密には2つのステージに区分できない場合がある。陸上戦力の投入は、空・海の優勢が確立し、陸上戦闘の態勢が整った後に実施される。
第1段作戦
 第1段作戦は防勢作戦である。
1.サイバー空間および宇宙空間を含めた5つのドメインすべてにおいてPLAの先制攻撃に対処しなければいけない。PLAの先制攻撃に耐え、部隊および基地の被害局限を図るとともに、すべてのドメインにおける優越の奪回に努める。
 第1段階の最も顕著な特徴は、米海軍と米空軍の主力兵器(空母や航空機)がPLAの攻撃による被害極限のために一時的に後方に退避する点である。日本など米国同盟国は、米海軍と米空軍の主力を欠いた状態で第1段階を耐えなければならないのである。
 例えば、米空軍機はPLAの先制攻撃の兆候を捉え、一時的に中国のミサイル攻撃圏外の飛行場(オーストラリア、テニアン・パラオ、サイパンなど)へ退避する。そして米海軍の空母などの大型艦艇もDF21-Dなどの対艦ミサイルの射程外に退避する。
 第1段階で最も活発に活動するのが水中優勢を獲得している米軍および同盟国軍の潜水艦であり、所要の海域(特に第1列島線内の東シナ海や南シナ海など)に展開しPLANの潜水艦や水上艦艇を撃破する任務に従事する(注13)。
 また、海軍および同盟国のイージス艦は、地上の防空部隊とともに前方基地のミサイル防衛に当たる予定である。
 PLAの大規模な先制攻撃に耐えるために、PLAのミサイルによる先制攻撃の兆候を察知し得るシステムを構築するとともに、グアムや日本にあるC4Iシステムおよび主要基地の抗堪力の向上、兵器や基地施設の分散化が必要である。
2.盲目化作戦(Blinding Campaign、C4ISRネットワークを破壊、混乱させること)を実施する。ASBにおいては、戦闘のカギを握る緊要な目標を捕捉し、攻撃すること(Scouting Battle)が極めて重要になる。
 このため、第1段作戦の重心は、敵のC4I(指揮・統制・通信・コンピューター・情報)ネットワークを盲目化し、C4Iの優越を獲得することにある。
 作戦は宇宙・サイバー空間および海中を含んで遂行され、地上施設への精密爆撃やサイバー作戦、電磁攻撃、さらには海中通信網の破壊などによって敵の宇宙監視システム、衛星破壊システム、OTHレーダーおよび情報通信網などを無力化する。
 また、PLAの遠距離情報偵察(ISR)・攻撃システムを制圧する。敵のミサイル脅威に対抗して空母を含む海軍の重要目標の行動の自由を確保するため、空軍は敵の宇宙配備型洋上監視システムの盲目化を図るとともに遠距離打撃兵力によって敵の情報通信網および攻撃システムを無力化する。
 加えて、陸上基地の被攻撃機会の低減を図るため、スタンドオフ兵器や長距離精密爆撃によって敵の地上配備型遠距離水上監視システムおよび弾道ミサイルの発射機を破壊する。海軍の潜水艦および空母艦載機(航続距離の長いステルス機を運用している場合)などは、空軍による敵の防空システムの攻撃を可能にするため、敵防空システムの偵察および攻撃支援を行う。
 以上の盲目化作戦が成功して初めて、第2ステージに移行することができる。
3.作戦の終始を通じて、空、海、宇宙およびサイバー空間を制圧し、支配を維持するように努める。
第2段作戦
1.第2段作戦は攻勢作戦である。盲目化作戦の成果を得て、一時後方に退避していた空母や空軍の航空機などが攻勢作戦に参加する。あらゆる領域において主導権(制海権、制空権、サイバー空間の優勢、宇宙の優勢など)を奪回し、維持する作戦を実行する。
 さらに、弾道ミサイル撃破および遠距離情報偵察・攻撃システムの制圧作戦などを、スタンドオフおよび突破型の攻撃を併用して継続する。航空機による水上打撃戦および第1列島線沿いの対潜水艦戦を継続的に実施する。
2.「遠距離封鎖(distant blockade)作戦」を遂行する。
 米軍および同盟国は、遠距離封鎖を実施するが、潜水艦により中国の艦船を撃破させることを主とするのではなく、海上阻止作戦(MIO: Maritime Interdiction Operation)を実施する。 この際、南シナ海、インド洋、西太平洋にかけてのチョーク・ポイント(マラッカ海峡、ロンボク海峡、スンダ海峡など)における作戦を重視する。
3.作戦レベルにおける後方支援態勢(兵站)の維持・復旧活動を継続する。
 沖縄や西日本の基地の脆弱性に鑑み、基地機能を維持するため、同盟国を含む地上部隊は、基地被害の早期復旧を図る。特にグアムは重要。また、SLOC維持のため、同盟国および米海軍は、対潜水艦戦を中心として重要航路および港湾の防護にあたる。
3 米研究者および研究機関による「PLAに対するA2/AD」 とASLBの提言
 南西の防衛において陸上自衛隊が実施しようとしていることは、我が国の防衛作戦であると同時にPLAに対する接近阻止A2である。このことを理解している人は少ない。
 ASBは、PLA海軍(PLAN)やPLA空軍(PLAAF)が第1列島線を越えて第2列島線まで侵攻することを阻止する構想である。一方、対中国A2は、PLANやPLAAFが第1列島線に接近することを阻止する構想である。
 当然ながら対中国A2の方がASB構想よりも望ましい。ここで重要になってくるのが第1列島線からの対艦火力および対空火力の発揮である。
 対中国A2を我が国が実施しようと思えば、第1列島線を構成する南西諸島を死守し、各島々を不沈空母として、PLANおよびPLAAFに対して対艦火力および対空火力を発揮し、その接近を阻止する必要がある。
(1)Toshi YoshiharaとJames R. Holmesによる『米国式非対称戦争』
 米海軍大学の教授であるヨシハラとホームズの共著である『米国式非対称戦争』(Asymmetric Warfare, American Style)(注14)は、我が国の防衛とASBを考える際に多くの示唆を与えてくれる論文である。
『米国式非対称戦争』の主要点
●東アジアにおけるASBは、中国が対象であると明言すべきである。
●陸上戦力をアジアの第1列島線および南西アジアの特定の地点に配置することでASBを改善することができる。
●米国単独でPLAのA2/ADに対抗するのではなく、同盟国を使いPLAに戦闘力の分散を強いる。
 最も適した場所が琉球諸島(注:これはヨシハラとホームズの呼称で、実際には南西諸島のことであるので、以下南西諸島と記述する)であり、そこにA2/AD兵器(陸自の88式地対艦誘導弾や地対空ミサイル、潜水艦など)を配置することにより、PLAの水上艦艇、潜水艦、航空機のチョーク・ポイント通過を阻止することができる。
 自衛隊が南西諸島においてPLAに対するA2/ADを実施することを推奨する。これらの島々は中国にとって占領するほどの大きな価値がないために、戦争のエスカレーションも防止できる。
●PLAに対するA2/ADを実施する場所は、南西諸島のみならず朝鮮半島の韓国、ルソン海峡を制するフィリピンのルソン島である。米国と日・韓・比がPLAに対して同時に複数正面の前線を開いたら、PLAは第1列島線に封じ込められたと認識するし、北から南への移動にも危険を感じるであろう。
●第1列島線にA2/AD能力のある陸上戦力を展開することにより、PLAに犠牲を強要し、PLAの戦力の分散を図り、米海軍および空軍の作戦を容易にし、最終的にはPLAの侵攻を断念させる。この態勢をPLAに示すことにより抑止を達成する。
 これらの作戦について「AirSeaLand Battle?」と表現している。
●ASBが描く中国本土の目標に対する打撃ではなく、同盟国の配置部隊(allied disposal forces)は、その致命的な打撃を公海などの公共空間(in the commons)で作戦するPLA部隊に限定することになる。この地理的な制限は、核攻撃に至るエスカレーションの可能性を減少させることになる。
●最終的には、陸上および海上戦力(land-sea forces)は、平時において米国と非同盟国(シンガポール、ベトナムなど)との米軍のアクセス(例えば米陸上部隊の駐留など)を巡る外交交渉に柔軟性を付与する。
●米国とその同盟国が適切に部隊を配置し、適切に兵器を装備することは、地図上にラインを引くことになる。PLAのA2/AD部隊がそのラインを越えたならば、堅固で致命的な抵抗に遭うことになる。接近阻止と領域拒否は双方で機能するのだ。PLAの戦時における作戦空間は沿岸地域に限定され、海空の回廊の使用は強い抵抗に遭うことになる。
『米国式非対称戦争』に対する若干のコメント
●「米国式非対称戦」の趣旨を高く評価するが、南西諸島を舞台とした陸上自衛隊の南西防衛の中核的な考え方を明らかに受容している。つまり、陸自の地対艦誘導弾や地対空ミサイル、海自の潜水艦や機雷、空自のF-15やF-2などによる統合作戦により、PLAの水上艦艇、潜水艦、航空機のチョーク・ポイント通過を阻止するという発想である。
●米国単独でPLAに対抗するのではなく、第1列島線を構成する同盟国や友好国を使ってPLAに対抗することは国力が相対的に低下している米国の立場からは至極当然の発想である。そして、その利点がASBに対する批判点であった「核戦争へのエスカレーションの危険性」を回避する解決策になっているという説明は妥当である。
●しかし、第1列島線で戦う同盟国や友好国にとっては、米軍は中国本土を戦場とすることを避けて我々の領土・領海・領空周辺を戦場とし、我々の犠牲の下で(厳しい表現をすると「我々を踏み台として」)作戦を遂行するのだという不満は残るであろう。
●第1列島線を構成する同盟国や友好国のPLAに対する戦いが対中国A2/ADであるという発想は、米国からの一面的な視点であり、同盟国や友好国にとっては自国の防衛そのものであり、死活的な意味を持つ。特に日本にとって対馬~九州~南西諸島~与那国は我が国固有の領土であり、この領土を防衛する1つの手段として、領土を発射基地とする対艦ミサイルおよび対空ミサイルによる対処構想(米国の観点では「対中国接近阻止」構想)があるのだ。
●彼らの論文で提示した作戦構想を「AirSeaLand Battle?」と表現しているが、明確にAir- Sea- Land Battleと表現すべきである。Air-Sea Battleに陸上戦力を加えたAir-Sea- Land Battle構想にすることにより真の統合作戦および共同作戦になる。
(2) 米国のシンクタンク「ランド」(RAND)注15による提言
 米国のRAND Arroyo Centerが発表した“Technical Report: Employing Land-Based Anti-Ship Missiles in the Western Pacific”は、米陸軍G-8から委託された論文であり、「太平洋軍の作戦地域における中国との紛争において、如何にすれば地上軍(land forces)が重要な役割を果たすことができるか?さらに、中国との紛争を抑止するためには何が必要で、いかにそれを実施するか?」を焦点として記述されている。
 ランド論文は、ヨシハラとトーマスの「米国式非対称戦争」と極めて類似した論考であるが、制すべきチョーク・ポイントの地理的範囲を拡大している。この構想が実現するとPLAを南シナ海および東シナ海に封じ込めることができる。
 ここで1点指摘しておきたいことは、ヨシハラ・トーマス論文と同じ様に、ランド論文も陸上自衛隊の南西防衛の考え方を取り入れている点である。南西防衛の考え方がランドでも受容されている証左である。
図2「陸上部隊が対艦ミサイルを配置するチョーク・ポイント」。出典:ランド論文を基に筆者が作図したもの
 このAir-Sea-Land構想における米陸軍の役割は、地上発射型の対艦ミサイル(ASM)でPLA特に海軍(PLAN)の艦艇に対し接近阻止を実施することである。
 つまり、東シナ海から南シナ海に存在するチョーク・ポイント周辺にASMを効率的に配置することにより、PLANの活動を制限し、東シナ海と南シナ海の中に閉じ込めるという構想である。
 図2で赤色に塗りつぶされた部分がASMによるPLANに対する接近阻止/領域拒否地域である。ヨシハラらの対中国接近阻止構想をさらに地理的に拡大し、PLANを南シナ海に閉じ込めるとともにPLANの海上交通路を閉鎖しようという意図が看取される。
 この際、チョーク・ポイント周辺の対艦ミサイルの運用は米陸軍も担当することになる。極端なケースでは、すべてのチョーク・ポイントを米陸軍の対艦ミサイルが担当する案が考えられるが現実的ではない。
 普通に考えられるケースは、チョーク・ポイントを領有する各国が自ら対艦ミサイルを保有し運用するケースであり、該当国は日本、韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールである。これらの諸国が米国の海軍や空軍と調整した統一行動をとることによりPLANの封じ込めが完成することになる。
 特にマラッカ海峡を封鎖できれば効果絶大である。地形的に見て、マレー半島とスマトラ島に挟まれた狭く長い地域であれば、地上配備の対艦ミサイルの効果は大きいであろう。マラッカ海峡は、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイが関係する海峡であり、ランド案の実現にはこれら諸国の同意が必要であるが非常に難しいであろう。
 また、このランド論文は、中国のA2/ADに対抗する米海軍と米空軍主体のASBに対し、米陸軍の役割を加えたAir-Sea-Land構想を提言するものである。そして、このAir-Sea-Land構想は、中国のA2/ADに対して米国版の「対中国A2/AD」としての特徴をも保有していることを指摘しておく。
(3)自衛隊に対中国A2(接近阻止)を求めるヨシハラ論文
 米海軍大学のトシ・ヨシハラ(Toshi Yoshihara)教授は、その論文(注16)において、「中国のA2/ADに対し、日本もA2/ADで対抗せよ」という示唆に富む提言をしている。
 彼は、PLANが驚くべき勢いで戦力を強化し、自衛隊が劣勢になっていると分析し、この状況を打破するためには日本自体がPLAに対するA2を採用することであると指摘している。
ヨシハラ論文の主要点
1.中国との軍事競争で厳しくなっている日本の立場を逆転させる1つの方法は、日本側が接近阻止戦略を逆に採用することである。日本の対中接近阻止は、初動(先制攻撃も含まれる)において主導権を確保しようとする中国側の企図に対し高価な犠牲を強いることになるし、米国が増援部隊を当該戦域に派遣するための時間をかせぐ。
 日本の海洋地勢は、中国に対し天然の優位性を保持している。南西諸島は、黄海および東シナ海から太平洋の外洋に至る重要なSLOC(海上交通路)上にある。南西諸島が中国軍の接近阻止圏内に存在する一方で、これら諸島の戦略的地形は中国に対して形勢を逆転できる機会を日本に提供している。
 列島沿いに対中国A2/ADの部隊を配備することにより、日本は中国の水上部隊、潜水艦、空軍が太平洋側に進出する重要な出口を抑えることができる。日本は実質的に中国の死活的なアクセスを拒否できることになる。
 第1列島線内に中国軍を閉じ込めておくことにより、戦域内に進出する米国の増援部隊はより安全な接近が可能になり、米海軍および空軍力の戦闘地域へのより急速な展開ができる。日本が中国海上戦力の接近を阻止すればするほど、米国は攻勢作戦に没頭できる。
2.陸上配備の地対艦ミサイルなどによる対艦攻撃は有効である。狭い水域で洋上防衛するのに加え、南西諸島そのものが日本の接近阻止力に寄与できる。例えば、列島全域に分散された車載式の対艦および対空ミサイル部隊は恐るべき障壁を構成する。
 有事において、PLAの指揮官たちはこの有効な阻止作戦に対しこれら諸島を制圧する誘惑に駆られるかもしれない。しかし、そのような努力は、中国の人的資源と兵器などを消耗させることになる。これら諸島は北京にとって本来的に価値があるわけではないので、中国指導部は事態をエスカレーションさせる価値はないと見なすかもしれない。
 陸上自衛隊の車載型88式対舟艇誘導弾は、南西諸島での理想的な兵器となり得る。射程110マイルの88式は、島内奥地から洋上の艦艇を攻撃できる。適切に配置されたASCM部隊は琉球列島の狭い水域すべてをカバーし、中国の水上艦部隊が東シナ海東部に立ち入るのを不可能にする。
 陸上自衛隊は、88式の後継として12式ASCMの調達を開始し始めた。この新しいミサイル部隊は、海峡や近海に位置するPLANにとって大きな危険となる。「射撃して、移動する」ことが可能なこれらの機動プラットフォームは、報復攻撃から逃れるために、夜間または偽装し分散して移動できる。
 日本のASCMの脅威を排除しようとすることは、中国軍に幅600マイルにわたる地理的正面に対応させることである。空軍力と弾道ミサイル、巡航ミサイル攻撃に頼る中国の軍事行動は、彼らの限られた弾薬や機体、乗員の損耗率を高めるだろう。
 88式や12式対艦誘導弾、そして移動可能な防空部隊という、大量の、残存性の高い、安価な兵器は、中国側に高い代償を支払わせ攻撃兵器を消耗させ、その割には乏しい領土しか獲得できず、太平洋側への突破作戦が見通しのつかないものになる。
 南西諸島に対艦・対空ミサイル部隊を急速投入できるオプションを持つことは、PLAの攻撃可能領域を公海上および日本領域内に限定することになる。そのような空間的制限は、事態のエスカレーションの可能性を減らす。
3.潜水艦戦が重要である。海自が潜水艦を16隻から22隻に増加させることは、日本が自ら接近阻止を行うことを示唆している。この歓迎すべき決定は、PLAに対する海中優勢を日米同盟が維持する一方で、この伝統的な優勢領域をさらに強化するものだ。
 海中の戦いでは、PLANの対潜水艦戦に関する伝統的な弱点につけ込むことができる。
 海自の潜水艦は有事において、南西諸島に沿ったチョーク・ポイントを通過しようとするPLANに脅威を与えることができる。
4.機雷戦が重要である。日本はすでに、南西諸島のチョーク・ポイントから太平洋に出ようとする中国の水上戦闘艦および潜水艦に脅威を与えるだけの膨大な機雷の在庫があるし、日本の洗練された機雷は、狭い海峡を通り抜けようとする艦艇および潜水艦を目標として製造されている。
 適切に敷設された機雷原は、列島による障害壁の東側へ向かう中国艦艇の行動を遮断し、彼らが燃料・弾薬などの再補給のため母港に帰投するのを妨害する。
 対潜戦と同じく、中国海軍は対機雷戦にも弱く、この弱点を衝くべきである。交戦時において日本の機雷の脅威を排除することは、中国にとって極めて困難である。PLAが東シナ海全域で制海権と航空優勢を手に入れない限り(日本領域近くでは特に両方とも難しいが)、中国が効果的に機雷を無力化し、リスクを許容可能にすることは極めて困難である。
5.PLAの火力に対する残存が重要である。
ヨシハラ論文に対する若干のコメント
●自衛隊に対中国接近阻止を求めるヨシハラ論文の全体の趣旨は妥当である。自衛隊特に海上自衛隊との交流が深いヨシハラ教授であるだけに、自衛隊の現状を理解した論考になっている。そして、南西諸島を舞台とした陸上自衛隊の南西防衛の中核的な考え方を明らかに受容していて適切である。
●米国単独でPLAに対抗するのではなく、第1列島線を構成する日本の自衛隊を使ってPLAに対抗する発想は米国の視点としては当然である。しかし、第1列島線を構成する我が国のPLAに対する戦いが対中国接近阻止であるという発想は、米国からの一面的な視点であり、日本にとっては自国の防衛そのものであり、死活的な意味を持つ。
 我が国の防衛は日米同盟に依拠している現実があり、日本防衛と米国にとっての対中接近阻止を両立させるという発想が必要なのであろう。
4 日米共同のAir- Sea- Land Battle(ASLB)を提言する
(1) ASBからASLBへの転換により日米共同の戦略が構築される
 米陸軍は、冷戦期の1980年代、Air Land Battle(ALB)というドクトリンを打ち出し、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍の大規模な攻撃に対抗しようとした。
 このALBは、陸軍と空軍主体のドクトリンであり海軍戦力が欠けていたが、戦場が欧州の大地であり自然なことであった。しかし、米軍が現在検討中のASBは、海軍と空軍中心の作戦構想であり、地上戦闘力としての米陸軍や米海兵隊の役割は極めて影が薄い。
 ASBオフィスが“Air-Sea Battle”で指摘しているように、5つのすべての空間(ドメイン)での作戦を連携させなければいけない(注17)。空と海の空間での作戦に陸の作戦を加味しなければいけない。そうすることにより、Air-Sea Battleは、陸上戦力特に陸上自衛隊を加えた日米共同のAir- Sea- Land Battle (ASLB)となる。
 既に記述してきたように第1列島線を陸上戦力が堅守し、PLAの第1列島線以東への接近を阻止することがASBでもOCでも不可欠になる。陸上戦力を加味するとASBの成功の可能性が高まるのである。
 その陸上戦力には米陸軍や米海兵隊だけではなく米国の同盟国の陸軍も加えるべきである。特に我が国の南西諸島においては、その陸上戦力の骨幹は陸上自衛隊である。陸自が敵の攻撃以前に第1列島線を確保し、戦いの終始を通じて堅守し続けること、そして島々を不沈空母とすることが不可欠なのである。
 現在、陸上自衛隊は南西諸島の防衛に焦点を当て、与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島に部隊を配置する予定である。この方針は極めて適切であり、南西諸島を不沈空母として陸自が堅守する態勢を築くことが、日本の平時から有事にわたる全期間の安全保障に直結するのみならず、米軍のASBの成功にとっての前提条件になる。
(2)ASLBは日米共同の「対中国A2/AD」の側面を持つ
 戦術の原則から考えるとA2/ADは、何も新しい考えでも中国独自の発明でもない。それを単純に表現すると「敵を努めて遠くに阻止する」ということである。ヨシハラが主張するように、我が国が中国に対し日本版のA2/AD戦略を採用することは米国側から見て非常に有力な案である。
 しかし、米国側にとって対中A2/ADであったとしても、我が国にとっては日本の防衛そのものである。南西諸島における防衛は、米国から見ればASBの前提となる望ましい条件を作為するための対中A2/ADである。
 構図的には米国のASBの構想の中に我が国の南西防衛が組み込まれている。心情的には抵抗感もあるが、日米は運命共同体であり、日米が協力して中国に対抗していくことは不可避なのである。
(3)日米共同のASLBにおいて大切な諸点
1.PLAの航空攻撃や大量のミサイル攻撃などから生き残ることである。そのためには隠蔽・掩蔽、分散、機動性の発揮が大切になる。まず築城による基地、駐屯地の抗堪力を高めること、最終的には、PLAの火力に耐える地下要塞を構築する必要がある。
2.陸上自衛隊の対艦ミサイルが海空戦力と連携してPLA艦船に常に脅威を与えることが重要である。そのためにはPLAのDF-21などによるアウトレンジ戦法に対抗して、長射程の対艦巡航ミサイルおよび対艦弾道ミサイルの開発・取得・装備が必要である。
3.陸・海・空ドメインでの統合作戦にサイバー空間および宇宙での作戦を包含したクロス・ドメイン作戦を重視し、その訓練を頻繁に実施すべきである。
4.海・空部隊の作戦は、「ネットワーク中心の作戦」(NCW: Network Centric Warfare)であるが、陸上自衛隊はNCWを実施する能力が不十分である。
 例えば、陸自SSMを統合運用する場合に、陸のC4ISRが海空のC4ISRと十分には連接されていない。そのため、効果的な統合運用を可能にする指揮・統制・通信・コンピューター・情報・相互運用性・監視・目標補足・偵察システム(C4I2STAR:通常のC4ISRに相互運用性Interoperabilityと目標補足Target Acquisitionを付加)を早急に構築する必要がある。
5.PLAの航空攻撃やミサイル攻撃に対する統合の防空能力、日米共同の防空能力を強化すべきである。将来的には、高出力レーザー兵器を日米共同で開発し、PLAのミサイルによる飽和攻撃にも対処できる体制を構築すべきである。
6.PLAの弱点である対機雷戦を強いることである。南西諸島のチョーク・ポイントなどに対し適切に機雷を敷設することは我の勝ち目である。
7.PLAの弱点である対潜水艦戦を強いることである。
 ASBでもOCでも第1列島線の内側の海域において日米の潜水艦は作戦することになっている。日米のPLAに対する水中優勢を徹底的に活用すべきである。また、台湾からフィリピンに伸びる第1列島線を考えると豪州の潜水艦部隊との共同も今後重要になる。
(4) ASLBにとっての米国防省の相殺戦略(Offset Strategy)の意味
 本稿を書き始めた時にCSBAのロバート・マーティネジ(Robert Martinage)が相殺戦略に関する論文(注18)を発表し、米国で話題になっている。相殺戦略がASLBに与える影響は大きく、無視できないと思うので若干触れてみる。
 相殺戦略とは、「我の優位な技術分野をさらに質的に発展させることにより、ライバルの量的な優位性を相殺しようとする戦略」である。
 PLAのA2/AD能力が今後さらに進化していく状況下において、米国が重視すべき優越分野については、「無人機作戦」、「長距離・ステルス航空作戦」、「海中ドメイン」、「複合的なシステムエンジニアリングと統合」だという。
 そして具体的な技術・兵器については、厳しい環境下でも相手の縦深深くに侵入できる高高度長期滞在無人航空機(RQ-4後継のステルス機)と艦載無人攻撃機(MQ-XやN-UCAS)、長距離爆撃機(LRS-B)、電磁レールガンと高出力レーザー兵器などである。
 これらの技術は、ASLBを現在この時点で遂行する際の難しい諸問題(中国本土の縦深深くの目標を打撃する能力とかPLAのミサイルの飽和攻撃に適切に対処できる能力)を解決するものであり、重大な意味を持つ。これらの分野特に電磁レールガンや高出力レーザー兵器は、我が国の防衛にとっても極めて重要な分野であり、今後とも相殺戦略には注目する必要がある。
結言
 アジア太平洋地域における最大の脅威は富国強軍の道をひた走る中国であり、相対的に国力を低下させている米国にとって、単独で中国に対抗するのは荷が重く、日本をはじめとする米国の同盟国や友好国との連携により中国の脅威に対抗するのが現実的である。
 特に我が国は、中国との間に尖閣諸島を巡る領土問題を抱え、日本にとって中国は直接的な脅威である。
 かかる状況の中で最も大切なことは、中国の他国侵略を抑止することである。対中抑止態勢の確立こそ喫緊の課題である。本稿で提言する日米共同のASLBは、実際的で効果的な対中抑止戦略であると同時に抑止が破綻した場合の対処戦略でもある。
 中国のPLAに対しては、自衛隊の統合作戦は当然であり、どの軍種が欠けても日本の防 衛は成立しないし、さらに米軍との共同作戦も不可欠である。
 第1列島線を巡る戦いは統合・共同作戦にならざるを得ない。その際に、海軍戦力と空軍戦力については海自と米海軍、空自と米空軍が密接に共同するのは当然であるが、陸上戦力は陸上自衛隊が担当せざるを得ない。
 そして、統合・共同作戦を成功させるためには平素からの演習が不可欠である。頻繁に統合任務部隊を編成し、統合演習を繰り返し、その練度を向上させるとともにその教訓を基に、実用的で強靭なC4I2STARシステムを構築することが極めて重要である。
 また、米軍との日米共同訓練も重視し、特にクロス・ドメイン作戦の観点からの質の向上が重要である。さらに、日米共同を基盤として、米国が追及する同盟国や友好国とのネットワーク構築を、ASLBを触媒としてアジア太平洋全体に広げることが目標となろう。

「クリミア併合」から日本が学ぶこと(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は著者が平成27年1月に発表した論考である。

昨年2月、ウクライナのビクトル・ヤヌコーヴッチ政権は、欧州連合(EU)との協定締結断念を機に、親ロシア姿勢に対する国民の反発が広がり、退陣を余儀なくされた。政権退陣によって生じた国内混乱に乗じ、ロシアはロシア系住民保護を名目にロシア軍をクリミアに展開した。3月11日、これに呼応してクリミア自治共和国議会は、ウクライナからの独立を宣言した。
 3月16日に実施された住民投票ではロシア編入への賛成票が95%を超え、クリミア自治共和国最高評議会は、ロシア編入を求める決議を行った。続く18日、ロシアは米国や欧州連合(EU)が突きつけた制裁を尻目に、クリミア自治共和国を併合する条約に署名し、クリミアは事実上ロシア領となった。
 ロシアとウクライナの両国関係は決定的に悪化し、ウクライナ東部では親ロシア派と
ウクライナ軍との小競り合いが続いた。この結果、ロシアは6月からウクライナへのロシア産天然ガスの供給を停止した。この冬、ロシアからのガス供給がなければ、ウクライナは50億立方㍍のガスが不足するとされ、数十万人の凍死者が出ると予想されていた。
ロシアのウクライナ併合に強く抗議して制裁を科すEUは、ロシア産の天然ガスに約3割を依存する。その半分がウクライナを経由するという事情があり、EUはロシアと交渉した結果、昨年10月末、ウクライナへのガス供給再開が合意された。だが、あくまで冬季限定であり、エネルギー問題は何ら解消されていない。
 そもそも、ロシアによるクリミア半島併合というような行為は、19世紀ならまだしも、21世紀にはあってはならない。何故、国際社会は易々とこの蛮行を許してしまったのか。実はウクライナについては国際連合が領土の統一性を保障していた。この保障を「ブタペスト合意」という。では、この「ブタペスト合意」はどのように結ばれたのだろう。
 ソ連邦が崩壊した1991年、ソ連領であったウクライナ領内には、ソ連の核弾頭が約1900発あった。ウクライナはソ連崩壊に伴う独立に際して、当初、この核弾頭を引き続き保持する意向を示した。勿論、ロシアのみならず西側諸国も猛反対した。ロシアは核拡散を危惧する米国、英国とともにウクライナ政府と交渉し、NPT(核拡散防止条約)加入、核兵器撤去を条件として1994年12月、「ウクライナの主権と領土の統一性の維持を3カ国が保障」するという「ブタペスト合意」が4か国で結ばれた。この後、フランス、中国も加わり、国連の全ての常任理事国が参加する合意となった。これが「ブタペスト合意」である。国連の常任理事国が全て参加する合意なので、国連そのものが保障する合意といってよい。
 ところが先述した通り、ウクライナ国内の混乱に乗じ、ロシア軍がクリミアに展開し、クリミア自治共和国議会はウクライナからの独立を宣言。クリミア自治共和国最高評議会は、ロシア編入を求める決議を採択し、ロシアはクリミア併合の条約に署名した。かくして「ウクライナの主権と領土の統一性」は失われた。国連が保障した約束が、いとも簡単に反故されたわけだ。これは我々日本人に対する重大な警鐘である。日本では「国連中心主義」「国連主導」といった地に足のつかない美辞麗句、空想的観念的平和論がまかり通っている。だが今回、国連は肝心な時に日本を守ってくれるような組織では決してないという現実が我々に突きつけられたわけだ。
 「ブタペスト合意」が一片の紙切れになったことに対し、中国の人民日報はいち早く報じた。「西側世界は国際条約や人権、人道といった美しい言葉を口にしているが、ロシアとの戦争のリスクを冒すつもりはない。約束に意味はなく、クリミア半島とウクライナの運命を決めたのは、ロシアの軍艦、戦闘機、ミサイルだった。これが国際社会の冷厳な現実だ」
 国連が如何に無力な存在であるかが白日の下に晒されたわけであるが、日本のメディアは何故かこれを取り上げようとはしない。国際社会の問題を決めるのは、国際連合でもIMFでもG20でもなく、「力」が決めるという厳しい現実は日本のメディアにとって「不都合な真実」なのであろう。
 メディアのみならず多くの日本人は、「国連は正義」であり、国連は困った時に助けてくれるスーパーマンのような存在と幻想を抱いている。だが、現実は大きく異なる。国際社会で「国連中心主義」と真顔で言おうものなら、嘲笑の対象になる。まさに日本の常識は世界の非常識なのだ。
 驚くことに、国政経験豊かな某ベテラン政治家にしてそうである。彼はウエブサイトで次のように述べている。「日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。我々は国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる」
他国も国連中心であるべきとも述べているが、国連中心主義で本当に日本を守ることができると思っているようだ。経験豊かな大政治家とあろうものが、驚くべき国際感覚の欠如である。「ブタペスト合意」の結末を見るまでもなく、国連は驚くほど無力である。スーダンのダルフール地方での大量虐殺さえ阻止できなかった。1972年から200万人の死者を出し、400万人が家を追われ、60万人の難民が発生した。
 1992年から始まったマケドニア駐留の国連予防展開軍の任期延長問題では、マケドニアが台湾と国交樹立したと言う理由で、中国は拒否権を行使した。その結果、マケドニアは再び民族紛争の戦場に戻ってしまった。
 1990年、イラク軍がクエートに侵攻した時も、フセインを説得し、イラク軍を撤退させることはできなかった。2010年、黄海で韓国哨戒艦「天安」撃沈事件が発生した。韓国政府は調査結果に基づき、北朝鮮に責任があると国連に提起した。だがこの時は中国が慎重姿勢を崩さず、「強力な制裁決議」には程遠く、「北朝鮮の犯行」さえ特定できなかった。
 国連は、常任理事国5カ国によって事実上支配されている。国連は加盟各国にとって国益争奪の場であり、国家のエゴと妥協の場に過ぎないのが現実である。そもそも国連とは、第2 次世界大戦の勝利者である「連合国」が、勝利者による勝利者のための平和を守るために創られた機構である。「ウクライナ併合」は奇しくも国連の実像を直視させられた。
 現在の安全保障常任理事国には中国とロシアという日本にとっての直接的軍事脅威が2国も含まれている。日本が危機に陥った時、安全保障理事会が日本に有利な決定を下すとは思えない。むしろその逆だろう。仮に有利な決定を下したとしても、国連が日本を守ってくれないのは、「ブタペスト合意」がいとも簡単に反故された事実で分かる。国連を日米同盟に代わる存在とみなしていたらそれは大きな誤りなのだ。
 筆者は国連が無用の長物だと主張したいわけではない。国連は、1945 年に設立されて以降、国際社会で最も広範な権限と普遍性を有する唯一至上の国際組織である。加盟国は193カ国にのぼる。国連を舞台として日本の考えを主張し、各国と協調して日本の国益を追求していくことは極めて重要である。ただ、国連は力もないし、正義でもない。自国の安全保障を委ねる存在には成り得ないと主張しているのだ。
 「ブタペスト合意」の反故は、我々にこれまでの国連至上主義が如何に錯誤と欺瞞に満ちているかを教えてくれている。国際社会は力によって動いている。これは人民日報が述べるとおりである。この現実から決して目を逸らしてはならない。現状をしっかり見つめ、力の拡充、つまり防衛努力を怠ってはならない。
 安全保障には徹底したリアリズムの追及が必要である。見たくない現実も直視しなければならない。「国連中心主義」などは、現実から目を背け、国連に対する幻想に酔っているだけである。国連では日本を守れない。国連は日米同盟に代わるものにはなり得ない。日米同盟なくして日本の防衛は成り立たない。筆者も将来にわたって安全保障を米国に任せていいとは決して思わない。だが、残念ながら、現在は自衛隊と日米同盟に国の安全を依存せざるを得ないのが現実なのだ。
 日本は単独で中国とは対峙できない。北朝鮮の核の恫喝にも自力では成す術を持たない。日本は核も攻撃力も持たない。情報分野もほとんど米国頼りである。貿易立国日本の生命線、日本経済の血液ともいえる原油輸送ルート、シーレーンも事実上、米海軍第7艦隊が守っている。自衛隊の装備もほとんどが米国の軍事技術に依存している。
専守防衛といった国際的には非常識な軍事政策を唱えることができるのも日米同盟があるからである。米国の軍事的存在に国家の安全を依存するしかないのは悲しいが現実なのだ。これが嫌なら、憲法を改正して強力な軍隊を持つしかない。だが、これも時間と莫大な金がかかる。
 我が国の安全保障政策に「国連か日米同盟か」という問いかけは無用である。国連か日米同盟かの選択を迫られたら、間違いなく「日米同盟」である。国連は正義でもないし、力もない。国連への「幻想」「信仰」をいい加減に捨てよと「ウクライナ併合」は教えてくれている。

日本人は歴史に自信を持って立ち向かえ(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は著者が平成26年6月に発表した論考である。

韓国の朴槿惠大統領は昨年2月に就任して以来、強硬な「反日」姿勢に終始している。翌3月には「加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」と発言した。就任以来、米国を皮切りに諸外国を歴訪したが、異例なことに日本には訪問せず、行く先々で日本を批判するという「告げ口外交」を展開している。
韓国では「反日」の言動をとれば国民の支持率が上がる。歴代大統領は、任期後半になると支持率が下がるため、「反日」を利用して支持率を上げようとした。李明博前大統領は就任当初、「私はそういうことはしたくない」と発言していたが、任期後半になって支持率が落ちるとやはり同じ手口を使った。
「加害者と被害者という歴史的立場」と朴大統領は言う。これを否定はしないが、当時の世界情勢を振り返れば、植民地は珍しくなかったし、歴史を現代の価値観で裁くことは愚かなことだ。当時の「植民地支配」を今、「絶対悪」と裁いても意味はない。
日本の朝鮮統治は「世界で最も残虐な植民地政策」と一方的に糾弾されている。だが、客観的資料をもとにして歴史的事実を公平に見れば、日本の朝鮮統治は決して「植民地支配」ではなかったことは明らかである。これまで朝鮮統治については、他の植民地の統治状況との比較すらタブーとされ、事実は捻じ曲げられ、日本が一方的に悪者に仕立て上げられてきた。
米国では日本の朝鮮統治に関する実証研究が進んでいる。最近、米国研究者が史実に基づき、客観的に検証した研究論文が注目を浴びている。日本でも「『日本の朝鮮統治』を検証する」という翻訳本が出版された。この研究では、日本の朝鮮統治を「植民地支配」と同一視している過誤はあるが、同時代の他の植民地保有国と比較しても、日本の統治は「九分通り公平だった」と結論付けている。韓国の民族主義史観に対して、アメリカ人研究者が客観公正な立場で検証した意味は大きい。
「七奪」は日本を糾弾する際のキーワードである。「主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源」の七つを日本は奪ったという非難である。「主権」を奪ったのは事実である。だが、この時代の朝鮮は、政治は腐敗堕落し民衆は極貧の状態に置かれていた。国家の体をなしておらず、独立国といえる状況ではなかった。半ば清国の属国であり、やがては南下政策をもくろむロシアに征服されることが予想される状況だった。
清の属国になろうが、ロシアの属国になろうが朝鮮の勝手と言えばそれまでだが、朝鮮がロシアの支配下に入ることは、日本の安全保障上受け入れること
はできなかった。このため国家の命運をかけて日露戦争を戦った。戦後も朝鮮を近代国家にして、ロシアの防波堤にしようとした。こういった国際情勢も無視できない。
「国王」は奪われたのか。大韓帝国皇帝は統治権を天皇に委譲したが、朝鮮の皇室はそのまま維持された。財政的にも日本が保障した。皇太子李垠殿下には日本の皇族である梨本宮方子女王が嫁ぎ日韓皇室の融和を図った。朝鮮の貴族も合計して76名が侯爵、伯爵、男爵の地位を与えられている。ビルマの王室やハワイの王室が英米によって消滅させられたのとは明らかに違う。国王を奪われたと非難するならば、何故、独立回復後、朝鮮皇室を復興しなかったのか。
「人命」を奪ったという非難もフェアでない。日本は、朝鮮の「義兵軍」による反乱(1908-09)を鎮めるために、推定1万7千6百人の朝鮮人犠牲者がでたのは事実である。だが諸外国の植民地統治と比較すれば異例なほどの穏健な統治であった。
フランスはインドシナ戦争(1945-54)で百万近いインドネシア兵士や民間人を殺害した。アルジェリア独立戦争(1954-62)では50万以上の現地人が亡くなった。オランダはインドネシア独立戦争で10万人のインドネシア兵を殺戮し、推定10万人もの民間人を殺害している。
犠牲者数が少ないから良い統治だと言っているわけではない。朝鮮に近代国家を建設するため多く努力がなされた。衛生状況は格段の改善が図られ、疫病の流行は1920年が最後となり、乳児の死亡率が激減し人口増につながった。日露戦争後には人口は980万人だったが、併合後の1912年には1400万人に急増した。1926年には1866万人、1938年には2400万人、併合前の2.4倍に増加している。
教育にも日本は全力を投入した。1906年に交付された「普通学校令」を朝鮮総督府が推進し、併合直前には100校あった小学校が1915年には410校、1936年には2500校、1944年には5213校となり、義務教育の就学率は飛躍的に増加した。1924年には京城帝国大学が創設された。東京帝大、京都帝大、東北帝大、九州帝大、北海道帝大に続く6番目の帝国大学であった。大阪帝大や名古屋帝大より早く作られたのだ。こういうことは「植民地統治」ではありえない。
「国語」についてもそうだ。朝鮮総督府はハングル語の教育も重視した。ハングル語は1443年、李朝4代目の国王、世宗によって始められた。だが1506年、11代目の国王、中宗によって廃止された。復活したのは約400年後の日本統治時代である。1938年、親日派の朝鮮人が南次郎総督を訪れ、「朝鮮語の全廃」を提案した。だが南総督は「日本語の使用はよいが、朝鮮語の排斥はよくない」と述べ、朝鮮語の普及を推進した。「国語」を奪われたとは事実ではない。
「創氏改名」を強制して無理やり「姓氏」を奪ったというのも間違いだ。朝
鮮では申告制で、誰でも申告すれば日本名に変えられた。この制度は朝鮮人の強い要望で実現したものである。日本名の方が中国人に対して威張れるといった背景があったという。
「土地」を奪ったという話も、事実と反する。実際には朝鮮総督府が農地を調査し、所有者が明らかでない土地を接取して、払い下げたというのが事実だ。その土地は全体の約3%に過ぎず、正当な売買によって取得した土地をあわせても6%に満たない。
治山治水事業も日本からの莫大な費用で推進された。水田面積は増大し、農業生産が飛躍的に拡大した。1910年まで1000万石を一度も越えることのなかった米穀収穫量が、1930年代になると、常に2000万石を突破した。
電力事業でも日本は多くの水力発電所を建設している。当時、日本の発電所が出力4万5千キロワットという時代に、白頭山、豆満江に15万キロワットの発電所を作り、鴨緑江流域には7箇所もダムを建設した。特に水豊ダムは高さ102m、出力70万キロワット(戦後の黒部ダムでも33.5万キロワット)という巨大なダムである。これを3年かけて作り、エネルギーを確保した。交通インフラについても鉄道網の拡大に努力し、1910年には総延長1040kmの路線が1945年には6632kmに達している。
重要なことは、これらがほとんど日本からの資金で賄われたことだ。伊藤博文は併合にはお金がかかるという理由で、併合に反対だったことはあまり知られていない。朝鮮総督府はつねに資金面で窮乏しており、負債はかさむ一方だった。総督府予算の財源は大半が借金で賄われており、1941年には債務が10億3500万円に達している。
日本政府は累計約21億円を朝鮮に注ぎ込んだが、これは現在の貨幣価値で63兆円にのぼるという。第3次日韓協約が締結された07年からの38年間で、日本は1日45億円の血税を朝鮮に援助したことになる。「朝鮮の福祉は本国の日本人の犠牲の上に成り立っているようなものだ」と米国研究者は述べる。「略奪と搾取」に代表される植民地支配とは真逆なのだ。
日本が朝鮮の国民的威信を傷つけたことは否定しない。だが、この時代の朝鮮は、政治は腐敗堕落し民衆は極貧の状態に置かれていた。日本はこの朝鮮を日本と同じような近代国家にしようと腐心した。その結果、米国研究者が語るように、「大韓帝国初代皇帝だった高宗(在位、1863-1907)の治世を含む李朝時代(1392-1910)に比べて、朝鮮の全体的状況は改善された」のだ。
英国統治下にあったインドでは、1874年から79年の間に推定400万人の餓死者が出ている。一方、1905年から1945年の間には、朝鮮では一度も飢饉はなく、餓死した人もいない。朝鮮統治を可能な限り客観的に検証した二人の米国人研究者は次のように結論付けている。
「朝鮮の近代化のために、日本政府と朝鮮総督府は善意を持ってあらゆる努力を惜しまなかった」「日本の植民地政策は、汚点は確かにあったものの、日本の統治政策が当時としては驚くほど現実的、穏健かつ公平で、日朝双方の手を携えた発展を意図したものであり、同時代の他の植民地保有国との比較において、『九分通り公平almost fair』だったと判断されても良い」
朝鮮半島の人々は、こうした歴史的事実を直視すべきだろう。日本の朝鮮統治は「植民地政策」ではなく「朝鮮近代化政策」だったのだ。
韓国の「反日」は、とどまることを知らず暴走を続けている。これは我々にも責任がある。激しい「反日」言動にたじろぎ、客観的事実を遠慮して発言しないことが「反日」を増長させた面もある。
「歴史を直視せよ」という。それは双方に求められていることで、日本だけに求められているわけではない。我々日本人も客観的な事実を踏まえ、言われなき批判に対しては毅然として反論しなければならない。かつて「善いこともした」といって罷免された閣僚がいる。米国の研究成果にもあるように、実際「善いこともした」のである。日本人は歴史に自信を持って、毅然として振舞うべきである。事実から目を背ける限り、日韓関係は永遠に正常化しないのだ。

靖国問題の真実~中国の「三戦」に負けないために~(織田 邦男)

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

本論考は「つばさ会だより」(平成26年5月号)に投稿した論考を転載するものである

昨年12月、安倍首相が靖国神社に参拝して以来、中国、韓国は、ヒステリックな対応を続けている。また米国の「失望」発言が、中韓両国の日本非難を勢いづかせた。
日中関係は尖閣諸島国有化以来、冷え切ったままであり、韓国も朴槿惠大統領が就任以来、異常なまでの反日姿勢を鮮明にしている。
中韓両国は、靖国参拝について、「戦犯」が祭られていることを理由に「人民の感情が傷つけられる」として大々的に反日キャンペーンを張っている。だが、これは単なる「外交カード」であり、「三戦」(心理戦、世論戦、法律戦)のカードにすぎない。
日本は韓国とは戦争しておらず、韓国が戦犯を非難する理由はない。当時は朝鮮の人達も日本人として大東亜戦争を戦った。戦犯として処刑され、靖国神社に祭られている人もいる。
中国はアジア太平洋の覇権獲得に邁進しており、その障害は日米同盟にある。「靖国=ファシズム回帰」のキャンペーンを張ることにより、戦勝国対敗戦国の構図を作り、日米間にクサビを打ちこみ、離間を企てている。習近平国家主席は国内問題も抱え、対日強硬策で政権の求心力を高めようとしている。「靖国」はそのツールの一つなのだ。
米国の「失望」は、「靖国」の正義より「揉め事は起こさないでくれ」とのオバマ政権の内向き姿勢の表れである。米国では靖国問題など、ほとんど知られていない。中国は「安倍首相はA級戦犯が祀られる靖国神社に参拝し、侵略戦争を美化しようとしている」と「三戦」を仕掛ける。だが、日本が理路整然と反論しなければ、実情を知らない米国民は中国の言い分を信じてしまう可能性がある。「三戦」に負けないためには、先ず我々日本人が靖国問題ついて正確な知識を持たねばならない。
中国が主張するA級戦犯14人が合祀されたのは、昭和53年10月17日である。翌年の昭和54年、春の例大祭前(4月19日)に毎日新聞によってスクープされた。だがこの時、中国は全く問題視していなかった。
A級戦犯合祀報道の 2 日後、キリスト教徒の大平正芳首相が春季例大祭に参拝した。翌 5 月に時事通信の取材に応じた中国の最高指導者鄧小平は、首相の靖国参拝にもA級戦犯にも触れていない。大平首相はこの年の 12 月、中国を訪問した。だが、この時も熱烈歓迎されている。翌年55年の終戦記念日には、鈴木善幸首相以下閣僚が参拝しているが、この時も全く問題にしていない。
昭和56年には、毛沢東がA級戦犯だった畑俊六元帥(終身刑だったが54年に釈放)の訪中を持ちかけている。畑元帥は申し入れを固辞したが、毛沢東は、日本との関係正常化を目指し、元軍人を含む「右派」への工作を画策していたという。もともと中国はA級戦犯など問題にしていなかった証左である。
その後、昭和60年までは首相が毎年参拝しており、戦後だけでも、昨年の安倍首相の参拝を含めると計68回に上る。
問題にしたのは中国でなく日本国内だった。国内ではメディアをはじめ左翼勢力が、靖国神社への公式参拝を政教分離や歴史認識などから問題視した。一部のメディアは卑劣にも中国に注進する。いわゆる「御注進ジャーナリズム」である。注進された中国は、「靖国」が外交カードとして使えることを初めて自覚したのである。
昭和 60 年(1985 年)8 月 14 日、中曽根内閣はメディアの反発に応える形で、政府統一見解を出した。正式な神式ではなく、省略した拝礼によるものならば、公式参拝は政教分離には反しないとの見解である。
翌日、閣僚を引き連れ、玉串料を公費から支出する公式参拝に踏み切った。メディアはここぞとばかりにセンセーショナルに報道した。メディアは、①A級戦犯合祀、②政教分離、③歴史認識などの問題を掲げ、公式参拝を問題視して中国に取材攻勢をかけた。卑劣な「御注進ジャーナリズム」を繰り返したわけだ。中国は貴重な「外交カード」を手にしたとほくそ笑んだに違いない。
一連の騒ぎを受け、中曽根首相は、昭和 60 年を最後に首相在任中の参拝を止めてしまった。後藤田官房長官は「公式参拝が日本による戦争の惨禍を蒙った近隣諸国民の日本に対する不信を招くため」との談話を発表した。中曽根首相は「靖国参拝により中国共産党内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出てはまずいと考えた」と述べている。まさに「御注進ジャーナリズム」に屈した形となり、「靖国」という外交カードを定着させた罪は重い。 外国の識者は「靖国」をどう見ているのだろう。ペンシルベニア大学名誉教授のアーサー・ウォルドロン氏は述べる。
「中国共産党にとって真の狙いは、日本の指導者に靖国参拝を止めさせることよりも、日本の指導層全体を叱責し、調教することなのだ。自国の要求を日本に受け入れさせることが長期の戦略目標なのだ」「靖国は大きな将棋の中の駒の一つにすぎず、日本がそこで譲歩すれば、後に別の対日要求が出てくる。最終目標は中国が日本に対し覇権的な地歩を固めることなのだ」
南カリフォルニア大学のダニエル・リンチ教授は次のように語る。
「中国は近代の新アジア朝貢システムでの日本の象徴的な土下座を求めている。アジアでの覇権を争いうる唯一のライバル日本を永遠に不道徳な国としてレッテルを貼っておこうとしている」
中国は靖国神社からA級戦犯を外せば解決すると言い続けてきた。神道では祭神を分離することはできない。仮にできたとしても、必ず次はBC級を外せと言い出すに違いない。「外交カード」である限り、譲歩しても次々に新たな対日要求が出てくるのだ。
そもそも「A級戦犯」については戦勝国の定義である。そして戦犯はA、B、C級を問わず、国内法上は既に犯罪者ではない。
昭和27年4月28日に講和条約が発効した時、講和条約11条の規定により、引き続き服役しなければならない1200人余りの戦犯の方々がおられた。これらの方々に対する国民の同情が集まり、釈放を求める署名が4000万人にも上った。国民の釈放運動を受け、政府は条約に基づき関係各国に戦犯の赦免勧告を行った。国会も圧倒的多数で同様の決議を可決している。
戦犯の御遺族を援護するため遺族援護法、恩給法の改正がなされ、昭和27年5月1日には、木村篤太郎法務総裁の名で「連合国の軍事裁判により刑に処せられた者は国内法上の犯罪人としない」旨、正式な通知が出されたのだ。戦犯関係者の靖国合祀もこういう手続きを経て行われた。今のメディアは、こういう歴史的事実は完全に無視している。だが我々日本人自身がしっかりと事実関係を押さえておく必要がある。
家族や祖国を護るため、命を懸けた先人に感謝の誠を捧げ、追悼するのは国民の義務である。こんなことは他国にどうこう言われる筋合いのものではない。まして国際情勢に左右されるようなことがあってはならない。
昭和 20 年、日本を占領した GHQ は、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設しようとした。この時、ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッター神父はマッカーサーに対し次のように語った。
「いかなる国家も、国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義
務がある。それは戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」「我々は、信仰の自由が完全に認められ、いかなる宗教を信仰する者であろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊が祀られるよう進言するものである」
マッカーサーはビッター神父の真意を理解した。彼の進言により靖国神社は焼き払いを免れた。彼の言がまさに靖国参拝の原点なのである。
ジョージタウン大、ケビン・トーク教授は次のように述べている。
「米国民が戦死者に敬意を表す場所であるアーリントン国立墓地には、米国大統領が参拝するが、南軍の兵士が眠っているからといって奴隷制度を肯定することにならない」
A級戦犯合祀を理由に「靖国」を非難することが如何に不合理であるか。「靖国」の経緯について、米国はじめ国際社会に対し堂々と説明し、中国の「三戦」に敢然と反撃しなければならない。
私事にわたるが、筆者の叔父も靖国神社に祀られている。パイロットだった叔父は、昭和18年11月20日、ギルバート諸島上空にて散華された。享年二十歳だった。筆者がパイロットになったのも、叔父の遺影を見て育ったことが大きく影響している。二十歳という若さで、骨も帰らず、子孫も残さず、国のために散った叔父は、戦死しても「靖国に帰る」を心の拠り所にしていたに違いない。靖国神社に国家の指導者が参拝しないのは、先人との約束違反なのだ。
先人の日本に対する「熱い思い」のお蔭で、現在の平和と繁栄があることを我々は忘れてはならない。国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼し、顕彰することのない国家が繁栄したためしはない。
靖国参拝は、日本人の心の問題であり、相互内政不干渉たるべしと、「三戦」に反撃しなければならない。日本人が毅然として靖国参拝を続ければ、外交カードの効力は消滅する。そのためには我々自身が靖国問題の真実を知らねばならないのだ。

ロシアを窮地に追い込む原油安と経済危機(渡部 悦和)

偕行社安全保障委員会委員
渡部 悦和

止まらぬルーブル安で経済破綻寸前、窮したプーチン大統領は何を仕出かす?

本論考はJBプレスから転載するものである

2014年も残り少なくなってきたが、この1年間の世界の動きを安全保障の観点特にウクライナ紛争が世界全体に与えた影響を中心として考察してみたい。

 国連が発表したデータ(12月7日時点)によると、今年4月から始まったウクライナ東部での紛争で4634人が死亡し、1万243人が負傷した。死者の中には7月に親ロシア派の武装勢力に撃墜されたと思われるマレーシア航空機の乗客乗員も含まれている。
 これは大変大きな数字で、いかに大きな損害がウクライナ紛争によりもたらされたかが分かる。この損害の責任の大半はロシア、特にウラジーミル・プーチン大統領にある。プーチン氏の命令により実施されたクリミアのロシアへの編入後の3月18日に実施した演説の瞬間が彼の栄光の絶頂だったのであろう。
 その後のウクライナ東部へのロシア軍の侵攻に伴う欧州・米国・日本などの対ロシア経済制裁と原油価格の急激な下落が今後長く続くと、ロシアの財政破綻の可能性もあると言われている。
 プーチン氏の栄光は半年しか続かなかったのである。彼は今後、自らが命令したロシア軍によるウクライナ侵略の報いを受けることになる。

欧州を震撼させたロシア軍によるウクライナ侵攻
 NATO(北大西洋条約機構)加盟国にとってロシアによるクリミア編入とウクライナ東部への軍事侵攻は衝撃的であった。冷戦終結以降で最大の衝撃的出来事であると指摘するNATO関係者が多い。
 1991年のソ連崩壊以降、ロシアとの戦争を真剣に想定してこなかったNATOはその軍事費を逐次削減し、その能力を低下させてきた。そのために、今回のロシア軍の不法な行動にもなす術がなかったのである。
 ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連書記長は、ウクライナ紛争後の欧州情勢について「新たな冷戦が始まった」と述べたが、その表現が適切であるかどうかは別として、直感的にそれに近い思いを抱く人は多いと思う。
 クリミア編入には歴史的な背景があり、ロシア人にとってクリミアはロシア領だと信じている者が多いし、クリミアで生活しているロシア人も多かった。そして、ウクライナへクリミアを割譲したのはウクライナ出身のニキータ・フルシチョフ書記長(当時)であった。ロシア民族からウクライナ民族への「同胞のプレゼント」として送られたのだ。
 当時の彼にはまさかソビエト連邦が崩壊し、ロシアとウクライナに国が分かれるとは予想だにしなかったであろう。
 今回のウクライナ編入は明らかにプーチン大統領の決断であり、比較的迅速にロシア軍特殊部隊を派遣し、クリミア自治共和国では2月27日以降、議会と政府庁舎、空港を占拠させ、各地でウクライナ軍施設を包囲し、投降を促し、次々と支配下に入れた。

 プーチン大統領は、ロシア軍による活動を否定し、「地元の自衛勢力が活動したのだ」と発言したが、多くのマスコミが現地で直接取材した結果としてロシア軍であると断定しているし、米国のバラク・オバマ大統領も「ロシア軍がクリミア半島を侵略している」と主張した。

 3月16日クリミアでロシアへの編入を問う住民投票が行われクリミアがウクライナから独立することを大多数が支持した。翌17日にはプーチン大統領がクリミア独立を承認、24日にはロシアのクリミア編入が事実上完了した。

 その後、親ロシアの反政府グループがウクライナ東部を占領する行動に出たためにウクライナ政府軍との間で戦闘が繰り返された。

 ウクライナ軍は、一時は親ロシアグループを敗北寸前にまで追い詰めたが、1000人以上に及ぶロシア軍のウクライナ侵攻により形勢は逆転し、ロシア軍の攻勢が続き、ウクライナ大統領ペトロ・ポロシェンコ氏は9月5日、停戦を受け容れざるを得なかった。

 この間、マレーシア航空17便が7月17日、何者かに撃ち落されたが、ウクライナ政府は即座に「親ロシア・テロリスト・グループの犯行である」とし、証拠として撃墜に関する通信記録を世界に公表した。

 しかし、親ロシアグループとプーチン大統領は「ウクライナ軍の犯行である」と全く正反対の主張を繰り返したが、世界的には親ロシアグループの犯行であるとする者が多い。

 今回のウクライナへの軍事侵攻について、プーチン大統領は国際社会に向けて嘘をつき続けている。ウクライナ政府や4月13日に米国務省が発表した「ロシアの作り話」により、ロシア軍のウクライナ領内での軍事活動は明らかであるにもかかわらず、それを否定し続けている。我々は心してプーチン大統領と付き合っていくべきなのだ。

原油価格の急落
 右の図1「WTI原油価格の推移」を見てもらいたい。
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 今年前半の原油価格は1バレル90~100ドルの幅の中で比較的安定的に推移し、また最近4年間原油の値段も1バレル110ドル程度で安定してきたが、7月以降急激に低下した。
 特に11月末からの下落は急激なものとなり今や1バレル58ドル台(12月12日現在)になり、7月の100ドルから40%も下落し、産油国であるロシアにも多大の影響を与えている。
現在の世界秩序を「Gゼロ」、つまり世界の諸問題の解決に向けて努力する大国がない世界だと主張したイアン・ブレマー氏のツイッターをフォローしていると、彼がいかに原油の動向を気にしているかが分かる。今後とも原油の値段が国際情勢に大きな影響を与えることになり、その動向が注目される。

二重苦に悩むロシア
 ロシアが原油価格の低下と欧米諸国による経済制裁というダブルパンチに苦しんでいる。まず、欧米諸国による対ロシア経済制裁は、プーチン大統領が主導したクリミア併合とウクライナ東部への軍事侵攻に対する制裁であり、身から出た錆である。
 他国への侵略という国際法違反に伴う当然の報いであるが、この経済制裁がルーブル安、物価上昇、貿易収支の悪化、財政悪化をもたらしている。かかる状況において急激な原油価格の下落がさらにロシアを苦しめることになった。今やデフォルト(債務不履行)に陥る可能性がささやかれている。
 ロシアの経済は、高い原油と天然ガスに支えられる一本足打法に例えられ、輸出の7割、連邦予算の半分を石油ガスが占めている。他の有力な産業を育ててこなかった弱点が明瞭になっている。
 ウクライナ紛争に伴う経済制裁とオイル価格の急激な下落によりロシアの通貨ルーブルも急激に下落し、その防衛のために今年だけで6回も政策金利を上げ今や17%の高い値になっている。
 特に6回目の引き上げは10.5%から17%への大幅な引き上げであった。このレベルでの高い政策金利では将来的な経済成長が見込めなくなるが、ルーブルの急激な下落を是が非でも食い止めたいという思いが伝わってくる。それほど、ロシアは追い込まれているのである。
 クリミア併合とウクライナ東部への軍事侵攻に対するしっぺ返しは、NATOによる軍事的制裁を待つまでもなく、原油価格の低下と欧米諸国による経済制裁により達成されているのである。
 クリミア編入直後のプーチン氏の絶頂期は短期間で終わり、今後は経済的な不振が彼を苦しめることになろう。プーチン氏は、高い原油によりその権力基盤を構築できたのである。経済的な不振は軍にも大きな悪影響を与えることになる。
 その意味ではしばらく続いていたロシアン国防費の増強も終わることになろう。この事実は、ロシアのウクライナ侵攻以降、プーチン大統領の軍事的な脅しに苦しめられてきたポーランドやバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)にとっては少しばかりの安心材料になるのであろう。

この原油安を誰が仕かけたのか
 今回の急激な原油安で苦境に立たされているのが原油輸出国であり、その中でも特に困っているのが、ロシア、イラン、ベネズエラだと言われている。これらの国々は、国際社会の中で問題国家であるとされている国々であり、特に米国にとっては好ましくない国々であろう。
 私が驚くのは、これらの問題国家が最も打撃を受ける原油安がこのタイミングで起こったことである。誰か戦略的に急激な原油安を演出したとしか思えないのである。
 世界中で言われているのが、「サウジアラビアがこの原油安を仕かけている」という説であるが、この説は真実の一端を説明しているが、すべてではないと思われてならない。
 一般的に原油安の要因は以下の3点であると言われている。
(1)米国のシェールオイルの生産が拡大し、世界の需給バランスに大きな影響を与えたこと
(2)世界的な景気の低迷により原油需要が低迷していること
(3)OPECが原油の減産で一致できなかったこと、特にサウジアラビアが価格低迷を甘受し、減産に応じていないこと
 特に、サウジアラビアの動向に注目が集まっている。サウジアラビアの国家財政にとっては85ドルが必要だという説があるが、まだ価格低下に対し財政上の余裕があり、減産するつもりはない。
 サウジが原油低下を放置する狙いは米国のシェール産業だと言われている。米国のシェールオイルの開発が採算割れになる水準まで相場が下がるのを待つのだと言う。シェールオイルへの投資を減退させ、その生産量を低下させ、サウジの世界における市場シェアを守るというのだ。
 私には米国とサウジアラビアがある程度の協調をしてこの原油安を演出しているのではないかと思えてならない。狙いは、ロシアへの制裁である。傍若無人に振舞うプーチン大統領に対する懲罰の意味合いがあるのではないかと思っている。
 誰がこの原油安を仕かけたにしろ、プーチンに対する懲罰という点では絶好のタイミングであったと思うのだ。
 今のところ、原油が60ドル以下の状態が長く続くという意見は少ないが、いつまでこの状態が続くかは分からない。サウジアラビア以外のOPEC加盟国の中では、UAE(アラブ首長国連邦)、クウェートは外貨準備に余裕がある。数年間赤字でも大丈夫である。
 石油価格低下により大きな損害を受ける国々の中ではロシア、イラン、イラク、ベネズエラなどが注目されるが、特にベネズエラは100~120ドルが必要であると主張しているが、50%のインフレと外貨不足に悩まされ、反政府運動が吹き荒れている。
10%の石油価格の低下により世界全体では0.1%の経済成長が可能であると言われている。12月12日の時点で60ドルを切ったから、110ドルの時代からすれば40%以上の下落であり、0.4%以上の景気底上げ要因となる。我が国の経済にとっても安い原油やガスは利点が大きく、努めて長くこの状況が続いてもらいたいものである。

プーチン大統領の栄光と挫折
 プーチン大統領のクリミア編入以降の支持率は80%以上であり、ロシア国民の愛国心をいかに高揚させたかが推察される。しかし、現在の80%を超える高支持率は長くは続かないであろう。
 なぜなら、ロシアの二重苦は徐々にロシア国民の生活を直撃していくからである。プーチン氏のクリミア編入とウクライナ東部への軍事侵攻に対する評価は後世の人々に任せるとして、彼の栄光の絶頂は、ロシアのクリミア編入直後に実施された3月18日の演説であるような気がする。
 彼にとっては3月18日の演説は最も華々しい演説であり、多くのロシア人を熱狂させ嵐のような拍手が会場を揺るがしたと報道されている。
 プーチン大統領は、帝政ロシアがかつて支配したクリミアの歴史から説き起こし、1954年にロシア共和国からウクライナに帰属を変更したフルシチョフを批判するとともに制裁を発動した欧米諸国を厳しく批判し、自らの行動を正当化したのだ。
 国際的な孤立をいとわず、軍事力を背景に断固として国益を追求するプーチン氏はオバマ氏とは正反対の強いリーダーだと評価する人が多い。
 佐藤親賢氏の『プーチンの思考』(岩波書店)によると、米国への敵意をむき出しにするプーチン氏であるが、彼は決して当初から米国との関係悪化を望んできたわけではなく、彼の対米批判の理由は突き詰めれば、「自分の価値観を押し付けるな、他国の内政に干渉するな」というところに尽きるという。
 「大国ロシアの復活」を目指すプーチン氏にとって、冷戦終結以降のジョージ・W・ブッシュ元大統領に典型的に見られる、独善的に思える米国の価値観の押しつけには我慢がならなかったのであろう。
 冷戦終結直後のどん底だったロシア経済を復活させたのは原油価格の上昇であった。高い原油と天然ガスのお蔭でロシアの財政には余裕ができ、最悪の状態であったロシア軍も急激な国防費の上昇により質量ともに強化されてきた。


図2 ロシアの国防費の推移 出典:平成26年版 防衛白書

 右の図2「ロシアの国防費の推移」で明らかなように、ロシアの国防費は1910年以降、大幅に増加している。
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 2014年の国防費は2010年の国防費の約2倍であり、急速に国防力の強化を図ったことが分かる。この軍事力を背景としてウクライナでの軍事作戦を展開したのである。
 プーチン大統領は、2025年までに20兆ルーブル(2014年国防費の8倍)以上の予算をかけ兵器の近代化を図る計画である。国防分野の予算のみは全省庁一律の5%以上の歳出削減の唯一の例外となっている。驚くべきことに、経済危機の真っただ中にもかかわらず近代化計画を推進しているのである。
 現在ロシアでは、新たな軍事飛行場の建設、数百機の戦闘機および新たな戦車部隊の導入が進行中である。ロシアは、最新の原子力潜水艦を取得し、最新の長射程ミサイルの開発を実施し、海軍の新造艦艇8隻を取得しようとしている。
 米国、ドイツをはじめとするNATO諸国がその国防費を増加できなくて反対に減少させようとしている状況の中でロシアの軍備増強の断固たる決意には警戒が必要である。
 しかし、今回の欧米諸国による経済制裁と原油価格の急激な低下はプーチン大統領を悩ませ続けることになろう。財政破綻の危機も予想される一方で、ロシア経済の悪化はロシア国民に耐えがたい痛みを与えることになろう。
 その過程の中でプーチン氏に対する支持率は確実に低下していく。プーチン大統領の栄光から挫折への転落が始まるであろう。
 プーチン氏は、2000年から8年間にわたり大統領としてロシアを統治し、その後4年間、首相として勤務したのち、2012年に再び大統領に就任し現在に至っている。現在のロシア憲法は、1期6年の大統領職を連続2期まで認めている。プーチン氏は、現在の80%を超える支持率をキープできれば、最長で2024年まで在任可能だ。
 仮に2018年に再選されて4年以上務めれば、旧ソ連時代の最高指導者ブレジネフの在任期間(1964~82年)を抜いて、スターリン以降、最も在任期間が長い指導者となる。我々は最長2024年までプーチン氏とつき合わざるを得ないのである。長く厳しいロシアとのつき合いを覚悟しなければならないのだ。
 しかし、現在の経済的な苦境をプーチン氏は克服できるのであろうか。私にはプーチン氏の挫折が始まったように思えてならない。

今後の注目点
 孤立化し、二重苦に悩むロシアが今後いかなる行動をとるであろうか、今後の注目点についてまとめてみた。
(1)ロシアは中国との連携を進化させるであろう。
 財政破綻の危機にあるロシアは、中国に助けを求め、中国との連携を深めることになろう。ロシアは、中国との間で30年間で4000億ドルの天然ガス売買契約を締結したしたが、今後もエネルギーの買い手としての中国との関係は注視すべきであろう。
 また、ロシアの優れた軍事技術がどの程度中国に流れていくかも注目される。中国はロシア製の兵器を少数購入することにより、その技術をコピーし中国製と称する戦闘機などを開発してきた。
 例えば中国の戦闘機J-11はロシアのSu-27のコピーだし、 中国の艦載機J-15はロシアの艦載機Su-33のコピーである。中国は今後、戦闘機F-35を取得予定であるし、超音速対艦ミサイルSS-N-26の購入を希望していると言われている。
 ロシアの高度な軍事技術が中国に利用されると、アジア太平洋地域の軍事バランスに大きな影響を与える。ロシアにとって武器の売買は重要な外貨獲得の手段であり、どの程度中国に妥協して武器の輸出をしていくか注目される。
(2)ロシアは、この二重苦の中でも2015年の国防費を増額しようとしているが、いつまで右肩上がりの国防費の上昇が続くか注目されるところである。
 特に我が国周辺では、北方四島に駐屯するロシア軍の状況がどうなるか、ロシア航空機や艦艇による我が国周辺での活動がどうなるか、中国とロシアの共同軍事演習がどうなるかが注目される。
(3)ロシアはBRICSとの連携を強化するであろう。
 BRICSの中でも中国との関係は上述の通りであるが、特にインドとの関係強化も図るであろう。アジア太平洋地域での中国・ロシア・インドの関係緊密化が要注目である。
 そして、BRICS開発銀行の創設である。南アフリカを加えたBRICS5カ国は、世界の人口の約45%を占め、中国及びロシアは国連の常任理事国であり、ロシア、中国、インドは核保有国でもあり、政治・軍事的にも世界的な影響力がある。
 経済的にも、BRICS5カ国の国内総生産(GDP)合計は世界の25%程度であり、米国の20%程度、EU(欧州連合)の20%をすでに超えている。その意味ではBRICS開発銀行の創設は必然であるとも言えるが、その動向は要注目である。
(4)上海協力機構(SCO:Shanghai Cooperation Organization)との連携を強化するであろう。
 SCOは、中国とロシアの安全保障枠組みにとって最重要な組織であるが、2001年に上海で設立された。中国は、旧ソ連との間に長大な国境線を有していたが、ソ連崩壊とともにソ連から分離独立した国々と国境線を共有することになった。
 独立したばかりの国々はテロなどにより不安定な状況を抱えていた。中国やロシアとしては不安定な国々との国境を共同管理したいという狙いもあり、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの6カ国を正式加盟国とするSCOを発足させた。
 ロシアは、SCOの利用することにより米国の秩序に挑戦することになろう。
(5)筆者が恐れるのが、原油の価格高騰を目的とする原油関連施設に対する攻撃である。特に、サウジアラビア国内の原油関連施設に対する攻撃はインパクトが強く、原油の急激な下落を終焉させることになるかもしれない。
(6)日本とロシアの関係は、安倍晋三首相とプーチン大統領の比較的良いとされる個人的関係にもかかわらず、非常に難しいものになるであろう。
 北方領土問題や天然ガスのロシアからの調達問題など、我が国は同盟国米国と調整しながらも日本の国益を実現するしたたかな外交を展開する必要があろう。

米国国防長官の交代(徳田八郎衛)

偕行社安全保障委員会委員
徳田 八郎衛

1 6年間に3人が離任した国防長官
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 2014年12月5日、オバマ米大統領は、チャック・ヘーゲル国防長官の辞任を認め、後任にアシュトン・カーター博士を任命した(写真参照)。中東での外交防衛政策についてヘーゲル長官とオバマ大統領の不一致は、広く伝えられてきた。だが政策の相違とはいえ、大統領就任から6年間に3人の国防長官が辞任するのは、異常である。ワインバーガーは、SDIを提唱して世界に論争を巻き起こしたレーガン大統領を6年間も支えたし、マクナマラやシュレジンジャーのように後任の大統領に乞われて「二君」にまみえた長官もいる。43歳で長官に抜擢されたラムズフェルドも25年後に再登壇して二人の大統領に仕えた。
オバマ政権も、ブッシュ前政権との外交防衛政策の連続性を誇示する目的もあってロバート・ゲーツ長官を留任させた。CIAの分析官から長官に昇任した経歴を持ち、中東情勢に適った貴重な人材であったが、3年務めた後、自認する。イラク侵攻の後始末に追われる通算5年の勤務は、心労が絶えなかったと同情される。後任のレオン・パネッタは、ゲーツと同様にCIA長官経験者であったが、1年半で辞めた。次に元共和党上院議員のチャック・ヘーゲルに就任を乞うが、わずか半年で閣内から去った。シリアやイラク、アフガニスタンへの軍事介入に関する政策の不一致や、オバマ大統領と人間性が合わないというだけの理由では説明できないほどの急テンポの辞任である。以前にも、ジョンソン大統領とベトナム戦争問題で袂を分かつマクナマラの辞任で急きょ就任したクラーク・クリフォード、誰もが去っていく末期のニクソン政権で保健教育福祉長官から横滑りしたエリオット・リチャードソンのように1年以内に退任する長官もいたが、これらは自他ともに認める暫定的な長官であり、バネッタやヘーゲルのように「やる気十分」の長官の辞任とは混同できない。
相次ぐ辞任の大きな原因は、ホワイトハウスの安全保障関係補佐官からの細かい関与(マイクロマネージメント)であろうという囁きは以前から存在したが、ヘーゲル辞任によって堂々と報じられるようになった。一例として挙げられるエピソードは、ゲーツ長官がアフガニスタンを訪れた際、現地の特殊作戦部隊司令部にホワイトハウスからの直通電話が設置されているのを知って激怒し、その電話線を引きちぎった事件である。似たような「逸話」は、キューバ危機やベトナム戦争でも生じた。マクナマラ長官が、現場でピケットラインを張る艦長や密林に潜む中隊長に、通信網の発達を悪用し、待機位置についてまで細かく指示したという悪評である。もちろん誇張されているが、「いつも軍に細かい指示を出す、あの長官だから、やりかねない」と見る人々の間で抵抗なく流布していった。
しかし、これは国防省という組織内での細部関与であったが、大統領府の補佐官からの細部関与となれば、正道ではない。キッシンジャー、ブレジンスキー、コンドリーザ・ライスなどの優秀な大統領補佐官と国務・国防長官との軋轢は、当然あったが、彼らは外交防衛政策立案段階での調整や「密使」に徹し、現地指揮官を「指導」するとか、報告を求めるという越権行為はなかった。現在の安全保障補佐官は、前国連大使のスーザン・ライスであり、ヘーゲル長官が着任早々中東対応で対立したことはよく知られているが、彼女の就任は2013年であるから、ゲーツ長官を激怒させた「特殊作戦部隊への直通電話」に責任はない。だがオバマ政権は発足以来、「大統領補佐官の細部関与」だけでなく、外交防衛政策が国防省の意向や軍の能力を無視したままホワイトハウス主導で決定されるのが常態化していたのであれば、3長官の立腹は最もといえよう。

2 国防省を知り尽くした学者
 誰もが尻込みしそうな悪環境の中でオバマ大統領が起用したのが「国防省を知り尽くした学者」、「もっと早く登壇させてもよかったテクノクラート」「礼儀正しいが精気の塊」と評されるハーバード大学ケネディ行政大学院教授アシュトン・カーターである。クリントン政権時代の1993年から3年間、物理学者の彼は、国際安全保障担当の国防次官補として「仇敵」ロシアへの軍事での対応と核兵器管理問題に没頭した。二極態勢での国際政治学や核管理・軍縮を論じる政治学者はゴマンといても、「相手が消滅した際の処置」を説く教科書などは皆無の状況で、カーターは、ウクライナ等の旧ソ連諸国の核兵器廃棄を推進し、失職した核・ミサイル技術者を米国へ招へいして核拡散を防いだ。1999年にはブラウン元国防長官と共に北朝鮮へ派遣されて核濃縮を進める北朝鮮と交渉にあたっている。オバマ政権の発足後は、2009年から2011年まで、予算削減の逆風の中、装備取得と年間500億ドルに及ぶ研究開発担当の次官を、2011年から2013年まで、減ったとはいえ年間6000億ドルに達する国防予算と240万人の人員を管理する副長官を務めている。前述のどの長官よりも長い国防省勤務である。パネッタ元長官が回顧録で「彼はいつも機関室の役割を務めた」と記したのは、カーターの職務と仕事ぶりの両方を表している。技術や装備の実務と限界を熟知した参謀が作戦計画や運用にあたるのだから、長官としては余人をもって代え難かったに違いない。
 議会から「民主党にも共和党にも信頼される人物」と評されるだけあって、議会での承認(正確には確認、コンファメーション)は順調に進むと見られている。彼は時の政権に関係なく学者として国防に携わってきた実績を持つ。国防長官を補佐する国防科学評議会、国防政策評議会に長期間加わってきたし、ブッシュ政権の下でコンドリーザ・ライス国務長官を補佐する国際安全保障顧問会議のメンバー、上院外交関係委員会の政策顧問グループの座長、米本土ミサイル防衛の白チームの一員、国際安全保障と軍備管理についての国立科学アカデミー委員会の委員でもある。9・11同時中枢テロ4年前の1997年、「破滅的テロ研究グループ」を結成し、ドイチェ前CIA長官と二人で議長を務める一方、1998年から2000年にかけてウィリアム・ペリー元長官を主査とする「北朝鮮政策レビュー」の副主査となり、再び北朝鮮を視察する。2001年から2002年にかけ国立科学アカデミーの対テロ科学技術委員会で委員を務め、国土安全保障省の設立にも助言している。学術分野でも、アスペン戦略グループ、米国物理学会(ASP)、国際戦略研究所(IISS)等のメンバーであり、米国芸術科学アカデミー(AAAS)会員にも選ばれ、「インターナル・セキュリティ」誌の編集長も務め、見事に物理学と国際政治学の二束のわらじを履きこなす学者だ。イランの核開発への対応では、強烈なタカ派と見られている。2006年にカーネギー国際平和基金から刊行の報告書ではイランの核保有を防ぐために武力行使か武力での脅しを提唱した。
 ハンディキャップが一つある。前任の3名には軍歴があったが、カーターには無い。大学在学中にROTC(予備役将校訓練団)に入り、青年時代に軍務を経験した人が長官に選ばれやすいのは、他省庁と違って国防省の特徴であるが、ヘーゲルの場合は、高校を卒業してから電機専門学校を経て陸軍に徴兵され、ベトナムで2年間戦っている。大学進学は除隊後である。このような長官は将兵の人気も高い。一方、現在60歳のカーターは、40年前の大学生時代にはベトナム反戦運動の影響で東部のアイビーリーグではROTCが閉鎖されたままであったからROTCや軍務とは無縁であった。だが不思議なことに、次官や副大臣の頃から将兵間での人気は高い。それは「金ぴか」の兵器を排し、本当にユーザーのためになる装備の開発や配備を追い求めてきたテクノクラートの実像が、軍種ごとの部局や関係部隊へ伝えられてきたからであるが、それに加え陸軍病院へ度々出向き、即席爆発装置(IED)による負傷者を見舞うと共に、防護衣や防護装置の改良やハイテクを活かした義手義足の開発に取り組む姿も好感を持って迎えられている。

3 SDIを解説できた男
 これまでのカーター紹介は、多くの米国メディアが報じるものと同じであるが、これから記す紹介、すなわち物理学者カーターをワシントンと結びつけた「SDI(戦略防衛構想)の技術的可能性の分析」についてまで記すメディアは皆無に近い。イエール大学で物理学と中世史を専攻して卒業したカーターは、3年後の1979年、オックスフォード大学で理論物理学の研究で学位を取得する。テーマは素粒子に関するものであり、間もなく携わるSDIにも、後に扱う膨大な兵器システムにも全く関係がない。だが幸運は、「ポス・ドク」研究員としてMITでシステム分析に携わっていた時に訪れた。まだSDIという用語も登場しない1983年春にレーガン大統領が演説で求めた「核兵器を無効にする兵器システム」が、高エネルギーレーザーや粒子ビーム兵器の開発によって近い将来に実現可能となるか否かの調査委託が同年秋、議会から議会技術評価局(OTA)を経て舞い込むのである。
 国防省の秘資料にもアクセスしながら翌年書き上げた「弾道ミサイル防衛技術」、すなわち指向性エネルギー兵器に依存したSDIの技術的可能性の分析は、指向性エネルギー兵器そのものの将来性には深入りせず、「もし、衛星搭載が可能になったとしても」、それらが活躍できるのはICBMが弾道飛行する終末段階や中間段階では無く、発射直後のブースト段階だけであること、しかし、それが非常に困難であることを細部にわたって数理的に実証する。「不可能ではないが、非常に難しい」という結論は、弱冠30歳のカーター一人の名前ではなく、数々の防衛宇宙産業の技術者や退役海空将官、マクナマラ元長官、ペリー元長官等の権威者と連名で下されているが、起案者が彼であるのは一目瞭然である。発足したばかりのSDIO(SDI局)や高エネルギーレーザー開発の推進者、衛星搭載兵器を推す空軍関係者は激怒し、執拗な個人攻撃まで加えるが、図示してもゴチャゴチャする複雑なSDI兵器ステムを、判りやすく体系的に解説した文書は、この報告書の他にはなかった。
 システム分析も物理学も国際政治学もすべて理解した稀有な学者として政治家や軍にも注目されたカーターは、これに続き、指向性エネルギー兵器だけでなく運動エネルギー兵器(ミサイル)も含めてSDIの技術的可能性を検討したフレッチャー報告の執筆者にも加えられ、学者と行政官の二束のわらじを履いて走り始める。30年後の今から振り返っても、彼の分析は正鵠を得ていた。数々のビーム兵器は、どれ一つ、衛星搭載可能な程度の軽量化が成功せず、弾道ミサイル防衛は、グラハム退役陸軍中将たちが提唱した運動エネルギー兵器で進められている。SDI論争の決め手となった「弾道ミサイル防衛技術」で一番喜んだのは、1970年代から営々としてSDIならぬATBM(戦術弾道ミサイル迎撃)をペトリオットに託して進めてきた米陸軍であったといわれる。後になって「やらせ」実験であったのが露見するが、カリフォルニアから発射された疑似ICBM弾頭をクエゼリン環礁で「弾丸が弾丸を撃つ」ように迎撃するHOE(ホーミング・オーバーレイ実験)を1984年春に成功させたのは彼らであったからだ。
 頭脳明晰、問題解決能力抜群、さらに官僚機構や議会にも説得力を発揮するカーター新長官に期待する人は無数である。30年間、政権や官僚機構の中にあっても自由な発想を曲げなかったからだ。とはいえ北朝鮮やイランの核開発だけでなく、イスラム国やタリバンにどう対処するのか、ホワイトハウスの細かい関与にどう対処するのか、前途は多難である。だが「意志あるところに道は開ける」となれば、カーターは、米国だけでなく世界を救うことになるであろう。

危機到来を予感させるヘーゲル国防長官解任[渡部悦和)

本論考は26年12月8日JBプレスに掲載された論考を転載するものである。

偕行社安全保障委員会委員
渡部悦和

米国のチャック・ヘーゲル国防長官は11月24日、辞任すると発表した。このニュースを最初に伝えたニューヨーク・タイムスによると、ヘーゲル長官は、バラク・オバマ大統領の圧力により辞任せざるを得なかったようである。つまり解任である。

解任されたヘーゲル長官
オバマ大統領、アジア歴訪を4月に再設定 関係強化目指す
 我が国にとって、オバマ政権内における数少ない日本の理解者を失うことになる。大きな損失であり、残念でならない。
 ヘーゲル氏は、任期を2年残して事実上解任されることになったが、かねてヘーゲル国防長官とオバマ大統領の側近たち特にスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官との意見の対立が報道されてきた。
 オバマ大統領を支えるスタッフについて、アジア太平洋のことを本当に理解しているエキスパートがいないのではないかという懸念が米国内外にあった。その典型例はライス氏であるが、オバマ大統領はまたしても評判の良くない側近を擁護し、国防長官を排除することとなった。
 中間選挙において敗北を喫したのを契機に、不手際が目立つライス氏やジョン・ケリー国務長官を更迭するのではないかという報道がなされていたが、最終的には側近ではなく、外様であるヘーゲル氏が辞任することになった。
 ライス氏やケリー氏こそ辞任すべきだと思っている人たちは多いと思う。彼らの残留により、今後2年間のオバマ政権の安全保障分野での混迷は継続すると予想され、我が国もそのことを覚悟して対処する必要がある。
 ヘーゲル氏の辞任により、オバマ政権6年間で3人の国防長官(ロバート・ゲーツ、レオン・パネッタ、チャック・ヘーゲル)が辞任することになったが、ゲーツ氏とパネッタ氏は、辞任後回顧録を出版しオバマ大統領を厳しく批判している。
 その批判の焦点は、オバマ大統領の軍の最高指揮官としての資質に対する疑問である。決断力の欠如、軍に対する信頼感の欠如、最高指揮官としての責任感の欠如などである。
 オバマ大統領の誠実で真面目な性格や弱者に対する思いやりとか地球環境に対する配慮とか評価すべき諸点は認める一方で、こと軍の最高指揮官としての資質については2人の元国防長官の評価に同意せざるを得ないのである。
いずれにしろオバマ政権は今後2年間続き、その間において何が起こるか分からない。日米関係をいかに適切なものにしていくかが我が国の課題である。

ヘーゲル氏を評価する
米軍、西アフリカから帰還の全兵士を隔離へ
 ヘーゲル氏は共和党の上院議員であったが、オバマ大統領の三顧の礼により国防長官に就任した。
 ヘーゲル氏は、見かけはパッとしないが、ベトナム戦争に下士官として従軍した経験があり、軍隊と軍人の本質を理解し、戦場で苦労する軍人に共感することができる長官であった。この点が、オバマ大統領とヘーゲル氏の根本な違いである。
 筆者は、今回のヘーゲル氏の辞任を同情的に見ているが、ヘーゲル長官をなぜ評価するかについて記述する。
(1)日米同盟の重要性を深く認識し、小野寺五典防衛大臣(当時)ともツーカーの関係であり、日本の立場をよく理解してくれていた。
 例えば、2013年4月に米国防長官として初めて、「米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約5条が尖閣諸島に適用される」と明言した。その後、オバマ大統領が同様の発言(「日米安保条約5条が尖閣諸島に適用される」)を2014年4月の日本訪問時にすることになった。
また、今年5月にはシンガポールにおけるシャングリラ会合において、傲慢に行動する中国に忠告を与えるとともに日米同盟の強固さをアピールした。以下に、ヘーゲル氏のシャングリラ会合におけるスピーチの主要な部分を紹介する。
●安倍首相の集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈見直しを支持する。
●(中国の)上空通過と航行の自由を制限するいかなる試みにも反対する。中国による東シナ海での一方的なADIZ(防空識別区)の設定(これには日本が実効支配している尖閣諸島も含まれる)には米軍は拘束されない。
●オバマ大統領は尖閣諸島に対して日米安保条約が適用されることを明言した。
●日米は、この20年間で初めての日米ガイドラインの見直しを行う。安全保障環境の変化および自衛隊の能力向上を反映して日米関係が進化することを確信する。
●昨年12月の普天間代替施設の建設承認のお蔭で戦力再配置のロードマップで完全合意ができた。そして、米国の最新兵器を日本に配置してきた。例えばグローバル・ホークの三沢基地配備、F-22の嘉手納配置、MV-22オスプレイの沖縄配置である。
●アジアにおける米軍の態勢は優先される。特に日本、韓国およびグアムにおける米軍の態勢は優先される。
 このように主張したのだ。
(2)強圧的な中国に対して融和的な姿勢が目立つオバマ氏の側近の中で、中国に対し厳しく対峙した数少ない閣僚であった。
 例えば、中国が提案する新たな大国関係について本質的な態度をとったのはヘーゲル氏であり、オバマ氏の側近であるライス氏でもケリー国務長官でもない。2人はしばしば中国寄りの発言をし、日本をはじめとする同盟国や友好国に懸念を抱かせているのである。
 ヘーゲル氏はシャングリラ会合において次のように中国を批判している。
 「中国は、南シナ海を平和、友情、協力の海と呼ぶが、南シナ海における要求を主張する一方的な行動を続けている。中国は、スカボロー礁への接近を制限し、セカンド・トーマス礁におけるフィリピンの長期にわたるプレゼンスに圧力をかけ、数か所で領土要求活動を開始し、パラセル諸島近くの論争海域にオイル・リグを設置した」
 「米国の立場は明確で一貫していたもので、領土問題にはどちらの立場にも立たないが、いかなる国家であろうと脅迫、強制、軍事力の脅威を利用してその要求を強く主張することに反対する」
 「諸問題を外交、確立された国際的ルールや国際的規範に基づいて解決することを選ぶか、脅し(intimidation)や強要(coercion)による解決を選択するか、この地域はテストされている」
 「米中の軍対軍の関係における道ははるかに遠い。サイバー問題において、中国は米中サイバー作業グループを停止させたが、引き続き中国側にサイバー問題を提起する。なぜなら、サイバー空間における誤判断やエスカレーションの危機を低減させることが必要である」
 これらは極めて妥当な発言と言えるだろう。
(3)ヘーゲル氏は、オバマ大統領の政策を分かりやすく説明する代弁者であった。次のような彼の発言がそれをよく物語っている。
 「リバランス(米国のアジア太平洋重視の政策)は、ゴールではない、約束でもない、ビジョンでもない、現実なのだ」
 「オバマ大統領がウエストポイントで発言したように、米国は、常に世界の舞台でリードしなければいけない。我々がリードしなければ誰もリードしない。問題は、米国がリードするか否かではなく、いかにリードするかである」
 「米国の最大の強みの1つは同盟国および友好国のネットワークである。マーシャル将軍の言葉にあるように、国力は、ただ単に陸軍、軍艦、航空機の数にのみ基づくものではなく、同盟国と友好国の強さにも基づくものである」
 このような指摘は同時に、暗に強圧的に行動する中国には本当の同盟国や友好国がないことを示唆している。
(4)現在、中東に於いて最大の問題になっているイスラム国の脅威を強く訴え、イスラム国への断固たる対処を主張した。
 彼は、空爆だけではイスラム国を打倒できないとして、地上部隊の投入を主張している。陸海空の統合作戦が不可欠な現代戦において、地上作戦と空爆の併用は常識であり、彼の主張は戦術的には正しい。
 しかし、オバマ大統領にとって「地上部隊を派遣しない」という主張は彼の対テロ戦争の骨幹であり、譲れない一線である。だが、オバマ氏が考えている地上戦においてイラク陸軍を活用することや、シリア内の穏健な反政府グループを活用する案は「言うは易く行うは難し」の案であり、対イスラム国の作戦が成功しない確率は高くなる。

ヘーゲル氏ではなくオバマ大統領の側近3人が問題である
1か月以内に銃規制の具体案、米大統領
 オバマ大統領が中間選挙の大敗を受け、何人かの閣僚などを交代して人心の一新を図るのではないかという米国内外のマスコミの予測があった。その予測の中で名前が挙がっていたのがライス氏やケリー氏であった。このマスコミの人物評価は正しいと思う。
 筆者はさらにジョー・バイデン副大統領も辞任すべきだと思っている。それほどにこの3人は外交を含む安全保障分野においてオバマ大統領の足を引っ張っていると思えてならないのだ。
 ただし、不適切な人選をして、米国の安全保障政策を評判の悪いものにしているのはオバマ大統領自身の任命責任である。

スーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官の問題
 11月27日付の英フィナンシャル・タイムズ紙は、オバマ大統領は最近、長年信頼を寄せてきたライス氏を長とする「忠臣たちからなるチーム」を重視していると指摘している。
 ライス氏のやり方には仲間の民主党議員や彼女に近い外交関係者からも、「不躾で不愉快だ」という不満が出ている。それが時には日本、ドイツ、フランスなどの主要同盟国との関係がぎくしゃくする原因になっている。
 彼女は、2013年11月20日にワシントン市内の大学でスピーチした際に、米中関係について「新たな大国関係(new kind of great power relations)を機能させようとしている」と、中国は喜ぶが、日本が受け容れることができない発言をし、我が国を始めとする米国の同盟国に不安感を与えてしまった。
 米中の「新たな大国関係」については米中の思惑が違っている。つまり、中国としては、「中米は対等の関係である。米国は、中国が核心的利益と見なすチベットや新疆ウイグル自治区、台湾、東シナ海、南シナ海の諸問題に対しては口出ししない。さらに、太平洋を中米で二分し、それぞれの区域のことに関しては介入しない」という解釈である。
 米国にとって中国との新たな関係とは、「中国を国際社会における責任ある大国として、グローバルな諸問題解決に尽力し、国際法や国際的な基準に則って行動する国家となることを期待する」というものであるが、中国は決して米国の望むような国にはならないであろう。
 ライス氏が我が国をさらに不安にしたのが、同じ講演での尖閣諸島を巡る発言だった。
 「米国は主権の問題には立場をとらない」「日中の対立を先鋭化しないよう平和的で、外交的な方法を探るよう両国に促す」と発言した。
 これは尖閣諸島を実効支配する日本の立場や挑発的な行動に出る中国を無視した発言である。さらに、ライス氏は、日米安全保障条約が尖閣に適用されるという方針にも触れなかった。あまりにも中国寄りで日本の立場を軽視した発言であると言わざるを得ない。

ケリー国務長官の問題
 ケリー国務長官は、世界中の紛争などの火消しのためにめまぐるしくシャトル外交を繰り返しているが、見るべき成果が全くない。
米国務長官がクーデター後のエジプトを初訪問
 立派な外交官は、行動する前に、自分が解決すべき最も優先順位の高い案件は何で、その解決のための戦略や方策を持っているべきであるが、ケリー長官の動きを見ていると彼は本当に外交戦略を持っているのだろうかという疑問を抱かざるを得ない。
 また彼はアジアについてはもともと関心が薄く、失言長官としても有名である。数々の失言とアジアに対する無知さは、国務省の外交努力を台無しにしている。
 例えば、ケリー長官から「どうして日本はアジアで孤立しているのか」と問われた知日派の元米政府高官が、「それは中国と韓国だけのことで、日本の安倍政権は他のアジア諸国から歓迎されている」と答えるとびっくりしていたという。
 また彼は、4月25日にワシントンで開かれた日米欧の有識者による政策協議「三極委員会」で講演し、「中東唯一の道はパレスチナ独立国家樹立による2国家共存だ」と指摘し、「それができなければ、イスラエルは二級市民を作るアパルトヘイト国家になりかねない」と失言し、ユダヤ人の団体や共和党から引責辞任を求められた。この種の失言は数多くある。

バイデン副大統領の問題
 バイデン副大統領も評判が悪い。元国防長官ゲーツ氏によると、「バイデン副大統領はうぬぼれが強く、過去40年間の外交や国家安全保障に関するほとんどすべての主要政策で誤ちを犯してきた」と手厳しく批判している。
 10月5日付のトルコのZaman紙によると、バイデン副大統領は、自らの失言がトルコと米国の間に緊張を生んだとして、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に謝罪した。
 その失言とは、イラクとシリアでテロを起こしているイスラム国(IS)が勢力を拡大した際に、トルコも役割を果たしたという趣旨のものである。
 バイデン副大統領は、ハーバード大学で行った会見で、エルドアン大統領が、「あなたは正しかった。私たち(トルコ)は、多くの人間が(シリアへ)渡る許可を与えた。今は国境を封鎖しようとしている」と述べたと発言した。
 エルドアン大統領は、この発言に対し強く反発し、「絶対にこのような発言をしなかった」と述べた。エルドアン大統領は、バイデン副大統領に謝罪を求め、「この件に関して、もしバイデン氏がこのような発言をしたとしたら、彼はもう対話の相手ではない。トルコをこのように非難して責任を負わせるのは間違いである」と述べた。
 バイデン氏は、エルドアン大統領に電話をかけ、自らの発言について謝罪した。
 また、11月26日、イスラム国に対する対応でトルコのエルドアン大統領を説得しに行き、本人はある程度の成果があったとうぬぼれていたが、その直後27日にエルドアン大統領が厳しい米国批判を展開して面目丸つぶれになってしまった。
 エルドアン氏は、シリア内戦における米国の出しゃばり(impertinence)をこきおろしている。バイデン氏は、イスラム国に半分支配されているコバネ市を奪回するためにトルコは協力すべきだと圧力をかけに行ったのであるが、エルドアン氏は「我々は、米国の出しゃばり、(トルコの立場をわきまえない)無頓着さ、終わりなき要求に反対しているのだ」と公の場で米国及びバイデン副大統領を批判したのだ。

元国防長官ゲーツ氏とパネッタ氏のオバマ大統領批判
アフガンでの戦闘任務、2013年中に移譲 その後は後方支援に NATO
 オバマ政権6年間で3人の国防長官が辞任することになった。最初がゲーツ氏で、次いでパネッタ氏、そして今回のヘーゲル氏である。ゲーツ及びパネッタ両氏は、国防長官辞任後回顧録を出版し、その中でオバマ大統領を厳しく批判している。
 まず、ブッシュおよびオバマ両政権で国防長官を務めたゲーツ氏がその回顧録“DUTY”でオバマ大統領を厳しく批判している。
 ゲーツ氏は「オバマ大統領は、自らに仕える司令官を信頼せず、自らの戦略を信じていない。この戦争を他人事のようにとらえている。オバマ氏にとってアフガン戦争は撤退するだけのものだ」と指摘している。
 また、ドニロン前大統領補佐官ら側近が取り仕切るオバマ政権の態勢を歴代政権の中でも最も中央集権的で、安全保障に口を出すと指摘し、国防省の部下には「ホワイトハウスには情報を与えすぎるな」と指示していたと明かしている。これらの証言でも明らかなように、オバマ大統領とゲーツ国防長官や将軍の関係は緊密なものではなかったのである。
 対テロ戦争を主に国内政治として扱う習慣は執務室にまで持ち込まれ、オバマ氏自身の政策を台無しにした。アフガニスタンの場合が特にそうだ。ゲーツ氏は2010年初頭までに、そうした結論に至ったという。
 一方、パネッタ氏は、「オバマ政権はイラクで米兵を残留させずに失敗したが、アフガニスタンでは来年も米兵1万人を残留させる交渉を成立させて同じ轍を踏まなかった」と述べた。またそれと同様に、シリアの反体制穏健派への軍事訓練・武器供与を決断したのは「遅れたが、しないよりは良かった」と話している。
 さらに「もし米国がリーダーシップを発揮しなければ、他にどの国も代役はできない」、「政府も大統領も、世界のどの場所であろうと空白を放置できないことを認識した。放置すれば、そこは間もなく制御不能となり、わが国の安全保障を脅かす」と述べた。
 予算を巡る米議会との駆け引きにおいて、オバマ氏が「自分の考えを通す信念に欠け」、しばしば「戦いを避け、不満を述べるだけで機会を逸していた」と非難している。
 オバマ大統領による2012年の「レッドライン」発言は、シリアのアサド大統領が内戦で化学兵器を使用すれば、米国は軍事介入に踏み切ることを表明したものだが、アサドが化学兵器を使用したにもかかわらず、米国は軍事介入を避け、シリアの化学兵器放棄を国際協調の枠組みの中で進めることを選んだ。
 このことが米国の信頼性に打撃となり、米国の影響力が弱くなっていることを世界に印象づけることになってしまった。パネッタ氏やクリントン前国務長官、当時のデービッド・ペトレイアスCIA(米中央情報局)長官はシリアの反体制穏健派に武器供与する計画を支持していたが、オバマ氏は逡巡し、この問題を議会に投げてしまったという。

オバマ大統領のリーダーシップに対する疑問
 米国の相対的な国力が低下し、巨大な財政赤字削減の圧力の中でウクライナ紛争やイスラム国との戦いなどグローバルな諸問題を解決するのは非常に難しい。オバマ大統領が直面している難局を見事に乗り越えることは誰にとっても難しいことではあるが、オバマ氏のリーダーシップに筆者は違和感をもっている。以下3点指摘する。
(1)対テロ戦争の最高指揮官としての熱意・責任感の欠如
 オバマ大統領のイラクやアフガニスタンにおける戦争指導には最高司令官としての熱意を感じることはできない。オバマ氏からすれば、対テロ戦争はブッシュ氏から引き継いだ負の遺産であるという本音がどうしても出てしまうのであろう。
 対テロ戦争に熱心でない大統領と第一線で命を落としていく兵士の間には大きな溝があるように思えてならない。この点が、対テロ戦争におけるオバマ大統領の最大の問題点である。
(2)軍隊および軍人に対する軽視
オバマ大統領の6年間を観察して気づくのが軍隊および軍人に対する軽視である。例えば、今年9月23日の国連総会に参加する際、大統領専用機Marine Oneから出てきたオバマ大統領は、彼に敬礼する若い海兵隊員に対し右手にコーヒー・カップを持ったまま答礼をした。
 この行為はLatte Salute(カフェラテ敬礼)と呼ばれ、軍隊においては許されない行為である。軍の最高指揮官に対し敬意をこめて敬礼する若い軍人に対し余りにも礼を失する行為である。
 この行為に対し国内外から数多くの批判が寄せられたが、これがオバマ氏の軍に対する軽視の典型例である。そんな些細なことを批判しても始まらないと言う人は軍隊の何たるかを知らない人である。
 軍人は軍の最高指揮官である大統領の命令によって任務を遂行するのであり、そのために命を落としたり、両手両足を失うこともある。だからこそ軍人の敬礼には心からの敬礼を返すのが常識なのだ。
 13年間続いている米国の対テロ戦争において死亡した米国軍人は6800人以上であり、負傷者は5万2000人以上である。この膨大な犠牲者数に対して軍の最高指揮官としていかなる思いでいるかが問われるのである。
(3)オバマ政権に対しては、国家の秩序、社会の秩序を維持することの重要性を深く認識していないのではないかという疑問がある。
 ヘーゲル長官が辞任を発表したと同時期に米国のファーガソンにおいて暴動が起こった、黒人少年を射殺した白人警官の不起訴が決定したことに誘発された暴動である。国内の治安を維持する必要性を再認識した米国人は多かったと思う。
 筆者が疑問に思うのは国内の治安維持のために不可避的に成立したタイの軍事政権やエジプトの軍事政権に対するオバマ政権の不適切な批判である。
 米国の批判ゆえに両国政府は米国を離れ、中国やロシアの側に立つ可能性がある。各国には各国の事情があり、国内の治安を維持するための行動があることを認め、クーデターによる軍事政権であると言うだけでお節介な批判をしないことである。自らの価値観の押しつけこそ米国は慎むべきである。

今後2年間のオバマ政権に対する我が国の対処法
 オバマ大統領の任期はあと2年間であるが、この2年間において起こるであろうグローバルな諸問題に対してオバマ政権は適切に対応できるであろうか。もちろんグローバルな諸問題に対しては当事者自らがその解決に向けて全力で対処しなければいけないが、米国に期待される役割や責任も大きいのである。
 しかし、ライス氏を中心とするオバマ側近グループが今後2年間、安全保障を取り仕切ることになるので、この分野において多くは期待できないであろう。
 そして、ヘーゲル氏の後継が誰になるにしろ、過去3人の国防長官が味わったと同じ困難を味わうことになるであろう。
 特にイスラム国への対処、「中華民族の偉大なる復興」を目指す中国への対処、ロシアのプーチン大統領の他国侵略には毅然とした態度で臨んでもらいたいものであるが、過去6年間のオバマ政権の対処を振り返ると、多くを期待することはできず、大きな紛争が起こらないことを願うだけである。
 我が国にとって今後、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、日米防衛協力ガイドラインなど多くの日米間の課題があるが、日本の国益を中心として主体的に粘り強く日米交渉に当たってもらいたいと思う。
 必要であれば、米国の次期政権の誕生を待って交渉するくらいの覚悟が必要である。焦って日米合意を追求する必要はない。
 我が国にとっては、益々レームダック化するオバマ政権を揺さぶる中国や、ロシア、北朝鮮の動きを警戒しつつ、これに適切に対処することが重要である。
 特に来年2015年は第2次世界大戦終戦70周年の年である。中国などは、米国をも巻き込んで敗戦国日本の孤立化を狙ってくるであろう。だからこそ我が国には強くて賢いリーダーの下に、ぶれない安全保障上の諸施策の推進が待望されるのである。
 米国の歴史において大統領末期になると歴史に名を残したいという大統領が結構いる。典型的なのはオバマ氏の前任のジョージ・W・ブッシュ氏である。彼は、政権末期に北朝鮮との関係を改善し歴史に名を残そうとし、あまりにも不適切な外交を展開したが、オバマ氏が同じ轍を踏まないことを望む。
 歴史に名を残そうという思いは、オバマ氏自身が主張してきた「馬鹿なことをしない」の「馬鹿なこと」そのものである。特に安全保障分野で馬鹿なことをすると世界の平和と安定に重大な影響を与えることになる。
 我が国にとって日米同盟は生命線であることに変わりはなく、覚悟して今後予想される諸問題に米国と協調しつつも、我が国として主体的に対処すべきであろう。

「新型大国関係」という名のまやかし(織田 邦男)

本論考は26年12月初旬に発表した論考である。

偕行社安全保障委員会委員
織田 邦男

 今年の7月、第6回米中戦略・経済対話が北京で実施された。開幕式で習近平主席は、「中米の『新型大国間関係』を努力して築こう」と題したスピーチを行った。「新型大国間関係」については、習近平が副主席の時から言及し続けており、「互いの『核心的利益』の尊重」などを主張している。
中国にとっての「新型大国間関係」とは、米中が対等の立場で、それぞれの核心的利益を認めることである。つまり米国に対して、チベット、ウイグル、台湾の問題、そして東シナ海、南シナ海での係争には口を出すなということだ。これはアジアから米国を追い出し、アジアにおいて中国が覇権を握ることを意味する。
 昨年6月、カリフォルニア州で実施された米中首脳会談でも、習近平は「太平洋には米中両大国を受け入れる十分な空間がある」と述べ、太平洋の分割統治を示唆した。実は太平洋分割統治の提案はこの時が初めてではない。2008年3月の米上院軍事委員会公聴会で、米太平洋軍司令官ティモシー・J・キーティング海軍大将が発言している。2007年5月、司令官として初めて中国を訪れた際、米国がハワイ以東を、中国がハワイ以西の海域を管理してはどうかと中国側から提案されたという。

キーティング司令官は、この中国高官発言を「中国人民解放軍が抱いているかもしれない戦略構想」を示していると指摘し、中国は「明らかに自国の影響力が及ぶ範囲を拡大したいと考えている」と証言している。
90年代後半、中国海軍出身の劉華清中央軍事委員会常務副主席が「海軍発展戦略」を打ち出した。2010年には九州から沖縄、台湾、フィリピンに至る第一列島線以西の制海権確保し、2020年までには小笠原諸島、グアム、豪州にいたる第二列島線以西を支配する。2040年には米海軍と対等な海軍力を保有し、ハワイ以西の太平洋を支配するという戦略である。
 習近平が示唆する太平洋分割統治構想も根はこの戦略にある。この戦略が実現されれば、米国は尖閣諸島をめぐる領土係争に関与できなくなり、日米同盟も有名無実化する。生命線であるシーレーンも事実上中国に支配される。日本の生殺与奪を中国が握ることを意味しており、決して認められない。日本のメディアは何故かこれを伝えない。
オバマ政権はこれまで習主席が提案する「新型大国間関係」に対し、明確な態度を示さなかった。だが昨年11月、スーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官が「新たな大国間関係を機能させようとしている。これは米中の競争は避けられないものの、利害が一致する問題では協力関係を深めようとしていることだ」と語り、初めて受け入れを示唆した。今年3月の米中首脳会談では、オバマ大統領が「新しいモデルの二国間関係」を強めていくことで米中が合意したと発言した。米国の言う「新しいモデルの二国間関係」と中国の「新型大国間関係」は、今のところ同床異夢である。7月の米中戦略・経済対話ではむしろ米中の対立の溝が鮮明になった。
米国にとって、あるべき米中の二国間関係は、両国が国際社会における責任ある大国として、グローバルな諸問題解決に尽力し、国際法や国際的な基準に則って行動することを期待するというものである。だが近年の中国の行動を見るに、権利は主張するが大国としての責任を果たさないことが明確になってきた。地球環境保護、気候変動、あるいは貧困問題などについて適切な対応をとろうとしない。自由航行などの国際規範も遵守せず、サイバー空間でも不適切な活動が目に余る。7月の米中戦略・経済対話終了後、ケリー国務長官は「新型大国間関係」について次のように一蹴した。「習近平氏が何度も新型の大国関係について話すのを聞いた。だが新しい型とは言葉ではなく、行動によって定義されるべきだ」
 ラッセル国務次官補も米上院外交委員会の公聴会で「我々の考えはかなり異なっている。中国は核心的利益に介入しないよう求める。だが、我々は核心的利益が議論の対象にならないとは考えられない」と発言している。
 先月号でも指摘したように、近年、力をむき出しにした中国の挑発的行動は目に余る。2013年11月には東シナ海に日本と重複する防空識別圏を一方的に設定し、あたかも管轄権を有するかのような国際法に違反する運用を開始した。12月には南シナ海で公海上を航行する米海軍イージス巡洋艦カウペンスに対し、航行を妨害する行動をとった。今年1月には南シナ海に漁業管轄権を一方的に設定した。
 中国は南シナ海の9割に相当する海域の海洋権益を主張している。9つの破線で囲んでいるために「九段線」(Nine Dash line)と呼ばれている。この海洋権益の主張には全く根拠がない。5月には西砂諸島におけるベトナムとの係争海域で、一方的に石油掘削作業開始し、ベトナム漁船と衝突を繰り返した。5月、6月の両月、日本の防空識別圏の内で自衛隊機や米軍機に対し、中国のSu27戦闘機が異常接近を繰り返すという非常識な行動をとった。あたかも東シナ海、南シナ海は自分の領域であるかのような国際法違反のオンパレードである。こういったやりたい放題の行動は、中国が力をつけ、自信を持ってきた証左である。同時に、米国がシリアやウクライナで示した弱腰な姿勢、あるいは中国の「太平洋二分割論」に対する米国の曖昧な態度が中国を増長させている。
 中国は「力の信奉者」である。国境を決めるのは「力」であり、ルールは「力」を持つ者が決めると考えている。中国は3年前、GDPで日本を抜いて世界2位の経済大国となった。軍事力も26年間軍拡を続けた結果、40倍の規模に成長した。この10年間でも4倍に増強され、米国に次ぐ「力」を保有するようになった。2020年には軍事力、経済力ともに米国を凌ぐと言う専門家も入る。「力」を有する者が支配し、やりたい様に振舞うのは彼らの常識である。まさに現代版「華夷秩序」「冊封体制」であり、昔からの伝統的発想は今なお生きている。
 現在の国際社会は、圧倒的な「力」を有する米国の優越で平和が保たれるという「パックス・アメリカーナ」の状態である。これを「力」をつけた中国が、軍事力を背景にした中国の覇権で秩序が保たれる「パックス・シニカ」に変更する。これが「偉大な中華民族の夢」なのだ。「新型大国間関係」が暗喩する「太平洋二分割論」は「パックス・アメリカーナ」から「パックス・シニカ」への過渡期として、ハワイを境に東西を分割支配しようと云う暫定的なものなのだ。
 この5月、上海で実施された「アジア相互協力信頼醸成措置会議」(CICA)で習近平が「アジア新安保構想」を提唱した。習近平はその中で「アジアの問題はアジアの人々が処理し、アジアの安全はアジアの人々が守る」と述べた。互いの主張や領土保全、内政不干渉を尊重し、平等な立場で安全に関する協力を推進という「アジア安全観」の下、「平等協力」をうたう新外交戦略だと主張している。だが実態は、アジアから米国を排除し、中国が支配者に取って代ろうとする魂胆が見え見えである。
 6月にも「平和5原則」に関する北京での式典で習近平は述べている。「主権と領土保全の侵犯は許さない。お互いに核心的利益を尊重しなければならない。国際法を歪曲し、『法治』の名で他国の正当な権利を侵害することには反対する」と。だが現実には、「国際法を歪曲し、『法治』の名で他国の正当な権利を侵害」しているのは中国である。
中国は周到な時間をかけ、「新型大国間関係」を繰り返し持ち出してきた。米国もその「まやかし」に、ようやく気が付き始めたようだ。だが本当は、その「まやかし」に真っ先に気が付かねばならないのは、日本人である。「新型大国間関係」で最も被害を被るのは日本なのだから。
 安倍首相は地球を俯瞰する外交で「まやかし」の打破に懸命である。地道かつ頻繁にASEAN諸国やヨーロッパを回り、10月には訪問国が50か国を超えた。短期間にこれだけのトップ外交を展開した首相はおそらく居ないだろう。
 5月の第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)では基調講演を行い、中国の南シナ海進出を念頭に「日本は,ASEAN各国の,海や,空の安全を保ち,航行の自由,飛行の自由をよく保全しようとする努力に対し,支援を惜しまない」と発言し、多くの国が拍手で賛同を示した。6月のG7サミットでも「東シナ海及び南シナ海での緊張を深く懸念。国際法に従った平和的解決を支持」する宣言を発するのに成功した。
 孤立した習近平主席は次のように語った。「中国人民は平和を愛し、和をもって尊しとなし、己の欲せざるところを人に施すことなかれと主張する。周辺外交の基本理念は、親・誠・恵・容(寛容)だ。(中略)広大な太平洋は、中米という2大国が共有できるスペースは十分にある。新型大国間関係を軌道に乗せるべきだ」と。口調はマイルドになったが、目指す方向性は変わっていない。
 今後とも、あの手この手で「新型大国間関係」を米国に働きかけていくだろう。日本は米国に対し、この危うさを指摘し続けなければならない。日米両国民は、こういう「まやかし」に騙されるようなことがあってはならない。

ブッシュが壊しオバマが傷を広げた世界平和(渡部悦和)

本記事は12月1日付、JBPRESSに掲載された記事を転載したものである。

偕行社安全保障委員会委員
渡部悦和

米国の対テロ戦争(War on Terrorism)を総括する
世界の至る所で紛争が発生し、極めて不安定で不幸な状況が続いている。ウクライナ東部ではウクライナ軍とロシア軍に支援された親ロシア派テロリストとの間に激しい戦闘が生起した。一応の停戦合意がなされたが、今後の展開は予断を許さない。
 また、シリアおよびイラクではイスラム国(IS: Islamic State)やアルカイダが、アフリカではボコ・ハラム(ナイジェリアのタリバンと呼ばれるテロ組織)やソマリアのアル・シャバブなどのイスラム過激派集団が活発に活動している。
 特に残忍極まりないイスラム国は、国際社会における大きな脅威となっている。一方、アジアにおいては中国の軍事力を背景とした強圧的な対外姿勢により周辺諸国との領土問題に解決の兆しがない。
 混乱を極める世界情勢の背景は何なのか。米国が世界の警察官としての役割を果たせなくなったのが1つの理由である。なぜ、米国がその影響力を低下させてしまったのか。最大の要因は、米国の対テロ戦争特にイラク戦争開始以降の米国の不適切な対応にある。
 特に当時のジョージ・W・ブッシュ大統領の傲慢さと独善に対するイスラム教徒をはじめとする世界の怒りが背景にある。
 米国の著名な戦略家ブレジンスキー(注1)は、その著書『SECOND CHANCE』(日本訳「ブッシュが壊したアメリカ」)においてブッシュ大統領を手厳しく批判し、「イラク戦争の最も重大な影響は、アメリカのグローバル・リーダーシップが信用を失った点だ。もうアメリカの大義では世界の力を結集できなくなり、アメリカの軍事力では決定的な勝利を収められなくなった。アメリカの行動は同盟を分裂させ、対立相手を結束させ、敵と悪党に塩を送った。混乱に陥れられたイスラム世界は、アメリカに激しい憎悪で応えた。アメリカの政治手腕に対する敬意は先細りとなり、アメリカの指導力は低下の一途をたどっていった」(注2)と指摘している。
 まさにイラク戦争はパンドラの箱を開ける行為だったのだ。米国の影響力は低下する一方で、多くのイスラム過激派が米国に対する怒りや憎悪ゆえにその活動を活発化させ、残忍な活動を中東やアフリカを中心に展開しているのである。
 そして、中国やロシアなどの米国主導の秩序に反対する国々も自国の国益に沿った反米的な活動を活発化させたのである。その結果がロシアによるクリミア編入とウクライナ東部へのロシア軍の侵攻である。世界中の紛争は、イラク戦争あるいは対テロ戦争というパンドラの箱から出てきたのである。
 ISAF(International Security Assistance Force:国際治安支援部隊)を構成する米軍などの各国戦闘部隊は、アフガニスタンでの戦闘任務を終了し、2014年末までにアフガニスタンから撤退する。
 2001年の9・11以来続いてきた13年間に及ぶ米国の対テロ戦争の大きな節目を迎えるに当たり、本稿ではその戦いについて現時点までの総括を実施する。
 結論的に言えば「13年間の対テロ戦争は成功したとは言えない」というのが筆者の評価である。当然ながら、筆者の結論に反対する人もいるであろう。大切なことは、米国の対テロ戦争について活発な議論をし、総括することであり、そうすることにより現在の混沌とした世界情勢に対する解決策を見出すことである。

1 世界の混乱は米国の対テロ戦争特にイラク戦争に起因する
【東西冷戦終結以降の米国に対する過大評価とその現実】
 冷戦の真っただ中の1978年に自衛隊に入隊した私にとって、冷戦終結はにわかには信じられない画期的な出来事であった。冷戦の終結そして何よりもソ連崩壊は全世界に大きな影響を与え、それが現在の様々な紛争の遠因となっている。
 ブレジンスキーが指摘するように、「ソ連崩壊の1991年以降、世界の人々は米国が無敵であると思い込み、米国は自らの権勢がどこまでも広がると夢想していたが、イラク戦争後の占領政策が失敗したことにより、これからの思い込みと夢想はもろくも崩れ去った」(注3)のである。
 イラク戦争やアフガニスタン戦争で米国が苦戦を強いられる以前は、米国を「唯一のスーパーパワー」と表現する者が多かった。しかし、米国が推し進めたいわゆる「テロとの戦い」が示した現実は、米国は大国ではあるが、すべてを単独で解決できるスーパーパワーではなかったという事実であった。
 世界の安全保障を考える際には、EU、日本、中国、ロシア、UNの協力が欠かせないことを、米国はテロとの戦いを通じて認識することになるのである。
【9・11NY同時多発テロと世界から支持された当初のアフガン侵攻作戦】
 9・11NY同時多発テロは米国のみならず世界各国に大きな衝撃を与えた。民航機をハイジャックし、世界貿易センタービルとペンタゴンに対する自爆テロを敢行した大胆な行為にブッシュ政権も米国民も驚愕し、その驚愕がテロリストへの怒りへと転換していった。
 そして、「アフガニスタンのタリバン政権が9・11の主犯たちをかくまっている以上、米国にはタリバンを抹殺する必要性と権利がある」という米国の主張は、世界のほぼ全域から支持された。
 米英軍を中心とした有志連合は、10月7日、「テロリズムに対するグローバルな戦争」(Global War on Terrorism)としてアフガニスタンでの「不朽の自由作戦」(Operation Enduring Freedom-Afghanistan , OEF-A)を開始したが、この時点では米国の行動に対する世界的な支持があった。
 2003年まで、世界各国は当然のように、米国大統領の言葉に信頼を寄せ、彼が事実と断言したことは、そのまま事実として受け取られたのだ。
 世紀のテロ行為に衝撃を受けた米国民は、ブッシュ大統領のもとで結束を強めていった。「ブッシュにとって9・11とは、一人の人間として天啓に触れ、特別な使命を授けられた機会であった。この思い込みは、ブッシュに傲慢と紙一重の自己過信を与えた」(注4)のだ。ブッシュ大統領は9・11を機に、同盟国の意向にかまわず、自らの思うがまま行動する一国行動主義に陥っていくことになる。
【パンドラの箱を開けてしまったイラク戦争】
 ブッシュ大統領は、2003年3月19日、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由としてイラク戦争「イラク自由作戦」(Iraq Freedom Operation)を開始した。そして、バクダッドを陥落させ、フセイン政権を打倒したのである。
 イラク戦争の大義はイラクの大量破壊兵器の保有であったが、実際にはイラクは大量破壊兵器を保有していなかった。しかし、ブッシュ大統領は、バグダッド陥落から2カ月が経っても、相変わらずシレッとした顔で「我々は大量破壊兵器を発見した」と言い張ったのである。
 そのツケは国際社会からの信用の低下となって表れた。米国は、国際社会から信用をなくし、正当性を疑われるようになったのである。
 これまで米国が正当性を認められてきたのは、おそらく、米国の行動と人類の基本的利益が、ある程度まで一致していたからだろう。
 しかし、正当性を失ってしまっては、国は弱体化をまぬがれない。同じ結果を達成するのに、以前よりも多くの資源を投入しなければならないからだ。こうやって、ソフトパワーの喪失はハードパワーの喪失につながっていったのである。(注5)
 ブッシュ大統領は、イラク戦争を強行することによりパンドラの箱を開けてしまったのである。その箱からは米国でさえ制御不可能な様々な厄介なものが出てきたのだ。
 まず主要国(ドイツ、フランス、カナダなど)の信頼を失ってしまった。ブッシュ大統領は9・11以降、世界の指導者たちに対しても「あなたが我々の味方でないなら、あなたは私の敵である」と発言し、その傲慢で独善的な姿勢はひんしゅくを買うことになり、同盟国であるドイツ、フランス、カナダさえも明確にイラク進攻に反対した。
 次いで、イスラム世界との決定的対立である。
 ブッシュ大統領がイラク戦争を十字軍の戦いであると言えば言うほど、全世界のイスラム教徒を激怒させ、イスラム社会との全面衝突を引き起こしてしまった。彼は、傲慢にも「イスラム教徒にキリスト教を源流とする自由と民主主義を教えてやる」という態度をとったのである。民主主義や自由の押しつけは、安定化をもたらすどころか、各国で社会内部の緊張を激化させたのである。(注6)
 さらに膨大な戦費と膨大な犠牲は徐々に米国の国力を低下させていったのである。イラク戦争に費やされたコストの見積もりに関しては8000億ドルから3兆ドルまで様々な計算結果があるが、この膨大な戦費は米国の膨大な財政赤字の原因となった。
 イラク戦争における米軍人の戦死者は4500人、負傷者は3万2000人であり、特に米陸軍はその後遺症に苦しんでいる。イラク戦争は米国の世界的名声と信用に甚大なダメージを与えた。米国の影響力の低下はイラク戦争に始まったと言える。

2 サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」と対テロ戦争
【「文明の衝突」の趣旨】
 冷戦終結直後の1993年、ハーバード大学教授のサミュエル・ハンチントンは、「文明の衝突」を発表し、世界中の人々に衝撃を与えた。多くの学者たちが、冷戦終結後の世界は、「グローバルな国際社会の一体化が進む」と思っていたが、ハンチントンは彼らとは全く反対の考えを示したのである。
 彼は、「冷戦終結後の世界は、むしろ数多くの文明の単位に分裂してゆき、それらが相互に対立・衝突する流れが、新しい世界秩序の基調となる」と主張したのだ。
 多くの学者、政治家たちは驚き・ショックを受け、見当違いな批判をハンチントンに浴びせたが、現実はハンチントンが予言した通りになったのだ。特に日本では、「冷戦後の世界は、平和と協調の時代となり、軍事力や国家というものがその存在価値を失う時代となる」といったユートピアを唱える学者もいたが、その説が完全に間違いであったことは歴史が証明した。
 ハンチントンが「文明の衝突」で最も言いたかったことは、「文明の衝突は世界平和の最大の脅威であり、文明に依拠した国際秩序こそが世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置だ」(注7)ということである。その他の注目点を4点にまとめると以下のようになる。
(1)歴史上初めて国際政治が多極化し、かつ多文明化している。近代化によって何か意味のある普遍的な文明が生み出されるわけではないし、非西欧社会が西欧化するわけではない(注8)。
(2)米国人は、世界が米国一極体制であるかのように行動したり発言したりするのはやめるべきだ。世界は一極体制ではない。世界の重要な問題に対処するためには、米国は少なくともいくつかの大国の協力を必要とする。米国の指導者は慈悲深い覇権国という幻想を捨て、自国の利益や価値観が他の国々のそれとおのずから一致するという考えを捨てなければならない。実際はそうでないからだ(注9)。
(4)西欧文明の指導者は、他の文明を西欧文明に染め上げようとしてはいけない。西欧文明のユニークな実質を維持し、守り、新しくする責任がある。西欧文明の他の文明への干渉が最も危険な不安定の要因となり、グローバルな紛争の要因となる(注10)。
(5)西欧は普遍主義的な主張のため、次第に他の文明と衝突するようになり、特にイスラム諸国や中国との衝突は極めて深刻である(注11)。
【「文明の衝突」の趣旨を無視したブッシュ大統領】
 ブッシュ大統領は、全く見事なまでにハンチントンの忠告を無視したのである。そのために、米国のみではなく、世界中が多くの悲劇を経験することになったのである。あまり勉強しないブッシュ大統領が「文明の衝突」を読み、その内容を理解していれば歴史は違った方向に向かっていたのかもしれない。
【「文明の衝突」の趣旨を結果的に実践した自衛隊】
 当時の小泉純一郎政権は、2003年12月から2009年2月までの間、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」に基づき自衛隊をイラクに派遣した。
 自衛隊のイラクでの活動は、多方面から高く評価されたが、その評価の大きな要因はハンチントンの「文明の衝突」の趣旨を実践したこと(ハンチントンの文明の衝突を知っていたかどうかは別にして)にある。
 つまり、イラクにおいて「郷に入っては郷に従え」を合言葉に、イラク人の民族・宗教・文化・風俗・習慣を尊重し、自らの価値観を押し付けなかったからである。
 例えば、2004年1月16日付の現地サマーワ新聞は、「我々は我が県に日本隊が到着するまで、この道徳と倫理を保持した立派な人々について何も知らず、感情のかけらもない技術革命により、全世界の心を支配するつもりだろうと思っていた。しかし、日本国陸上自衛隊が県内に到着して数週間の内に、サマーワの人々は彼らが「古きニッポン」の子孫として、愛情と倫理にあふれた人々であることを見出した。彼らは偉大なる文明を保持するとともに他の国を尊重し、他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ」と伝えている。
 この自衛隊の他の文明に対する態度はイラクにおける活動のみならず、海外における活動ではいつも重視されている態度である。結果的に、ハンチントンの精神を実践したのはブッシュ大統領ではなく、自衛隊だったのである。

3 イラク戦争をはじめとする対テロ戦争がもたらしたもの
 イラク戦争を始めとする対テロ戦争がもたらしたものを以下2項目列挙する。つまり、「米国の国力及び影響力の低下」、「イスラム過激派の台頭」である。
【米国の国力および影響力の低下】
 ブレジンスキーがその著書『SECOND CHANCE』で指摘するように、「イラク戦争は米国の世界的名声に甚大なダメージを与えた。イラク戦争開戦以来、世界における米国の信用は低下の一途をたどっている」のであり、「国際社会から信用を無くし、正当性を疑われるようになった米国は、弱体化をまぬがれない」のである。(注12)
 米国の国家情報会議(The National Intelligence Council)が発表した将来予測“Global Trends 2030”によると、「2030年において米国は、かつての覇権国からトップ集団の1位に留まる」と指摘し、「圧倒的な力を背景に世界を同一の方向に向かわせてきた覇権国が存在しない2030年の世界」になると指摘している。(注13)
 そして、米国に関するシナリオとして、(1)楽観シナリオ「再成長する米国」と(2)悲観シナリオ「没落する米国」を提示しているが、国力を算定する2つのモデルの中で4変数モデル(GDP、人口、軍事費、技術投資の4つが変数のモデル)では、2030年頃に中国の国力が米国の国力を抜き、2048年頃にインドが米国を抜くと予想している。
 また、7変数モデル(GDP、人口、軍事費、技術投資、健康、教育、統治の7つが変数のモデル)では2042年頃に中国が米国を抜くと予想している。下図は4変数モデルでの予測を示している。
 膨大な連邦財政赤字の要因の1つが対テロ戦争における膨大な戦費である。その膨大な財政赤字削減のために国防費の強制的削減(sequestration)が予定されており、軍事力の低下が将来的に不可避な状況になっている。米国国力低下は対テロ戦争がもたらしたものである。
【イスラム過激派の台頭】
 ブレジンスキーが指摘するように、「反イスラムのにおいを漂わせるテロとの戦争は、イスラム世界の言論を反米で一致させ、この土壌から次々と生まれ出たテロリストたちが、アメリカとイスラエルに対してテロ活動を展開していった。イスラム過激派の主張である外国人と異教徒の排斥も、やはりテロとの戦争で民衆に受け入れやすくなった」(注14)のであり、民主主義の押しつけは、安定化の見通しをもたらすどころか、各国で社会内部の緊張を激化させたのである。
 今後の米軍戦闘部隊のアフガニスタン撤退以降、イスラム国にいかに対処するかが大きな課題になる。そのため、イスラム過激派の台頭については、「5 オバマ大統領の対テロ戦争」で紹介する。

4 オバマ大統領の対テロ戦争
【ブッシュ大統領から負の遺産を引き継いだオバマ大統領】
 バラク・オバマ大統領は、地に落ちた米国の名誉の回復を託されて大統領に選出された。彼は、イラク戦争及びサブプライムローンに端を発するリーマン・ショックという2つの極めて大きな負の遺産を受け継いで政権を発足させざるを得なかった。
 リーマン・ショックからの立ち直りは何とか果たせたが、対テロ戦争の負の遺産の解消にはいまだ成功していない。それほどにこの負の遺産の解決は難しいのである。
 オバマ大統領は、国内の保守派の反対を押し切ってイラクからの米軍撤退(2011・12・18)を実施した。これはオバマ大統領の選挙公約に則った行為である。イラク戦争の大義に疑問を抱き、対テロ戦争の犠牲の大きさを認識する過半数の米国人の支持を得たイラクからの米軍撤退であった。
 イラクの統治はイラク人に任せる、他のいかなる外国人もイラクの統治に関して正当な権利を持ちえないという当たり前の認識を多くの米国人が共有したのである。
 一方でオバマ大統領のアフガニスタン政策には問題がある。彼は、イラクからの米軍の撤退とともにアフガニスタンでの米軍の活動を重視することを決定したが、この決定は不適切であった。
 イラクからの撤退と同時にアフガニスタンからも早期に撤退すべきであったというのが私の結論である。イラクの統治の責任はイラク人にしかないのと同様に、アフガニスタンの統治はアフガニスタン人に任せる、他のいかなる外国人も正当な統治の権利を持ちえないのである。
 当然ながら、米国のアフガニスタンでの活動はうまくいっていない。うまくいかないのは当たり前で、アフガニスタン政府要人は、外国の援助に頼り、自国を統治しようという当事者意識に欠け、汚職がはびこる中で外国の軍隊がどんなに頑張ってもその努力は徒労に終わる運命にある。
 そして、オバマ大統領のアフガニスタンにおける戦争指導には最高司令官としての熱意が希薄である。ブッシュおよびオバマ両政権で国防長官を務めたロバート・ゲーツ氏がその回顧録『DUTY』でオバマ大統領を厳しく批判し、「オバマ大統領は、自らに仕える司令官を信頼せず、自らの戦略を信じていない。オバマ氏にとってアフガン戦争は撤退するだけのものだ」(注15)と指摘している。
 また、ドニロン前大統領補佐官ら側近が取り仕切るオバマ政権の態勢を歴代政権の中でも最も中央集権的で、安全保障に口を出すと指摘し、国防省の部下には「ホワイトハウスには情報を与えすぎるな」(注16)と指示していたと明かしている。
 これらの証言でも明らかなように、オバマ大統領とゲーツ国防長官や将軍の関係は緊密なものではなかったのである。オバマ大統領からすれば、ブッシュ前大統領から引き継いだ負の遺産であるという意識が本音としてどうしても出てしまうのであろう。
 対テロ戦争に熱心でない大統領と第一線で命を落としていく兵士の間には大きな溝があるように思えてならない。この点が、対テロ戦争におけるオバマ大統領の最大の問題点である。
【オバマ大統領の演説と現実の乖離】
 オバマ大統領のウェスト・ポイントでの演説と現実の対応とはかなりの差がある。
 つまり、2014年5月にウェスト・ポイントにおいて、「米国が世界においてリードしなければならない。米国がやらなければ、他に世界をリードする国はない」と発言し、「新たな世界において、米国が世界をリードするか否かではなくて、いかに世界をリードするかが問われている。米国の平和と繁栄を確実にするだけではなく、平和と繁栄を地球全体に拡散しなければいけない」、「21世紀において米国の孤立主義は選択肢ではないということは絶対的に真実だ。米国の国境外で起こることを無視する選択はとらない」と発言したのである。米国が再び世界の警察官としての役割を果たすと宣言したに等しい。
 しかし、実際には、ウクライナの紛争においてはロシアに対する経済制裁をしただけである。経済制裁だけではウクライナにおける紛争は解決できないし、イラクで活動するイスラム国の脅威に対し米国が実施している空爆にも限界がある。しかし、オバマ大統領は、地上軍の投入を常に否定している。ここにオバマ大統領の演説と現実の対応の乖離を認識せざるを得ないのである。
【オバマ大統領が開始した対テロ戦争:イスラム国(IS)との戦い】
 現在、世界的な脅威となっているIS(オバマ政権ではISではなく、常にISIL:Islamic State in Iraq and the Levantと呼んでいる)は、チャック・ヘーゲル国防長官が8月21日の記者会見で表現したように、「巧みな戦略と戦術上の軍事能力などこれまでに見たどの組織よりも洗練され、資金も豊富で、単なるテロ組織を超えた存在」であり、現在最も残忍で実力のあるイスラム原理主義組織である。
 このISへの対応はオバマ大統領にとって喫緊の課題であり、ISとの戦いをイラクで開始し、その範囲はシリア領内の目標に対する航空攻撃にまで拡大している。イラク戦争とアフガニスタン戦争の終結を掲げて大統領になったオバマ氏が、皮肉にも新たな対テロ戦争を開始したのである。このISとの戦いは残り2年間のオバマ政権の対テロ戦争の中心になるであろう。
 ISは、イラクのアルカイダ(AQI: al-Qaeda in Iraq)から派生した組織であり、イラク戦争を背景として、直接的には3年に及ぶシリア内戦を経て台頭してきた。ISは、シリアのラッカを首都とし、シリアからイラクにかけた広大な地域を自らの領土として宣言した。次図でも分かる通り、チグリス川とユーフラテス川沿いの重要な地域を占領している。
 ISは、国際武装組織アルカイダとは違い、領土を確保し、社会基盤を構築し、国家を建設する意思がある。ISをアルカイダと同列に扱うことはできない。ISは、CIA(米中央情報局)の見積りでは3万人以上の勢力で、約3000人が西欧出身だと言われている。
 彼らは、自らを聖戦士と呼び自らはFive Star Jihad(5つ星聖戦)に参加しているという。しかし、大部分のイスラム教徒は、ISを単に犯罪者集団とみなし、ISの思想や残忍な恐怖支配を批判している。
【ISとの戦い】
 米国は、当初イラクで活動するISに対して空爆を実施してきたが、地上軍の投入や空爆をシリアにまで拡大することをしてこなかった。しかし、オバマ大統領は、9月10日の “Statement by the President on ISIL”および9月13日の“Remarks of President Barack Obama Weekly Address”によりISILを撃破することを宣言し、そのために以下の様な戦略を発表した。
(1)空爆をイラクのみならずシリア領内にも拡大する
(2)地上でISILと戦うイラク軍、クルド人の部隊、シリアで活動する穏健な反アサド武装勢力への支援(武器供与・情報・訓練支援)を拡大する
(3)ISILの攻撃を防ぐために対テロ能力を強化する
(4)ISILのために避難を余儀なくされた人々に対する人道援助を拡大する
(5)以上の4つの項目のために、広範な対ISIL有志連合(coalition)を形成する
 イスラム国家を打倒するためにはアサド政権との共同作戦も不可欠であるが、米国が今までシリアのアサド政権を批判し対立してきた経緯から、その実現は困難である。
 上記5原則に基づき、シリア領内での空爆が9月22日から開始された。しかし、空爆のみではISを打倒することはできず、地上部隊の作戦との連携が不可欠であるが、オバマ大統領は米地上軍の投入を否定している。
 そのためにイラク軍、クルド人の部隊、比較的穏健な反アサド武装勢力などによる地上作戦との連携が重要となる。つまり、ISに対し米国単独では対応できないのである。
 そのため、多くの同盟国および友好国と有志連合を形成してISに対処することが不可欠になるが、9月22日、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、ヨルダン、バーレーンおよびカタールは、米国によるシリアのISに対する爆撃に協力したのである。米国単独の作戦ではなく、有志連合による作戦が機能し始めたのは望ましいことである。そして今や60カ国以上が有志連合に参加を表明している。今後とも有志連合の拡充を図るべきである。
対テロ戦争におけるオバマ大統領とブッシュ前大統領の違い
 オバマ大統領は明らかにブッシュ大統領の対テロ戦争を反面教師にしている。ブッシュ大統領の傲慢な一国行動主義に対して、努めて多くの国々を有志連合の中に取り込み、「米国一国対イスラム世界」という対立の構図を努めて避けようとして いる。この姿勢は極めて妥当である。
 オバマ大統領は、ISをイスラム教を信奉する集団と認めず単なる殺人集団と規定し、キリスト教対イスラム教という文明の衝突の構図を徹底的に避けようとしている。彼が採用する「文明の衝突の回避」という姿勢は極めて妥当である。
【オバマ大統領のたび重なる決心の変更】
 ここで指摘したいのがオバマ大統領の度重なる決心の変更である。シリア内戦において「シリアによる化学兵器の使用はレッドラインを越えるものである」と軍事的介入を2013年8月に警告しておきながら、米国民や議会の支持が少ないとみるや最終的に軍事力の使用を断念したのはその典型である。
 また、シリア内戦に対し武力による介入をしないと決定した際において、「米国は世界の警察官ではない」と発言して、米国内外からあまりにも消極的であると批判された。その後のウェスト・ポイントにおけるスピーチでは「米国が世界においてリードしなければならない。米国がやらなければ、他に世界をリードする国はない」と発言し、世界の警察官復活を連想させる発言をしている。
 そして、大統領は、シリア国内での空爆は実施しないと言い続けてきたが、ISによる2人の米国人ジャーナリスト殺害に対する米国人のISへ怒りをみてシリア国内の目標に対する空爆を決断した。
 また、1人目の米国人が殺害された際の記者会見で「戦略をまだ持っていない」と失言し、共和党やメディアの集中砲火を浴びた。この世論の反発に反省し、シリア国内の空爆に方針転換をしたのかもしれない。
 オバマ大統領の決断は、状況の変化に対応した柔軟な決心の変更だと言えなくもないが、日和見主義的であるという批判をまぬかれることはできない。その揺れ動く決心がISに対する新たな対テロ戦争の開始につながっていったのである。
 いずれにしろ、オバマ政権が決心したISの撃破は短期間では終わりそうもない。いつISを打倒できるのか将来の予測がつかない対テロ戦争に突入したことになる。残り2年の任期しかないオバマ政権では解決できず、新たな対テロ戦争は次の政権に継承されるのであろう。

5 対テロ戦争13年間の教訓
(1)世界の紛争の原因を追究していくと二元論的な見方がその根源にあると私には思えてならない。我と彼、敵と味方、キリスト教とイスラム教、イスラム教の中でもスンニー派とシーア派など二元論的な見方が充満している。二元論はしばしば人を不寛容にするし無慈悲にするし不幸にする。イスラム国はその典型な例である。
 我々には、自分とは違うもの例えば他者への理解、他者を認める寛容さ・度量が求められる。特に、世界各国の指導者にはそれが必須である。視野の狭い独善的なナショナリズムや排外主義は紛争の原因であり、避けるべきである。
 違いを認め合いながら協調すること、共生することが大切である。特に米国、中国、ロシアなどの大国は、自らの価値観や自らのルールを他国に押し付けないことである。
(2)しかし、現実の国際情勢の中で多くの文明の衝突を目撃する。例えば、異文明に対する敵意をむき出しにするイスラム原理主義集団やウクライナ紛争などは典型的である。次に問われるべきは、これらの現実的な紛争にいかに対処するかであるが、脅威の度合い及び紛争の態様に応じて現実的に対処せざるを得ない。
 例えば、現在大きな脅威になっているイスラム国の様な残忍で自分たちの考え以外の考えを一切拒否し殺害を繰り返すような組織をイスラム教に基づく組織として認めることはできない。単なる殺人集団であり、排除すべきである。
 彼らが装備する武器、部隊運用の巧みさなどを考慮するとこちらも武力で対処せざるを得ない。その際に、これらの諸問題の解決に際し、米国にのみに頼ることは不適切である。米国を支える同盟国、友好国などの有志連合で対処することが不可欠である。
(3)我々がアフガニスタンやイラクで目撃したことは、軍事力による政権の打倒や破壊は可能でも、国家の再建は非常に難しいという事実である。オバマ大統領がウェストポイントで主張した「第2次世界大戦以来、我々が高い代償を払った失敗は、自制をすることなく、結果を考えないで、国際的な支持と行動に対する適法性を確保することなく、払うべき犠牲について国民に伝えることなく、進んで軍事的冒険に突入したことに起因する」という指摘は妥当である。
 安易に軍事力を使用してはいけない。軍事力の使用は最終的な手段であり、軍事力を使用する際には国際社会が認める大義が必要であることを肝に銘じるべきである。特に地上戦力(陸軍、海兵隊)の投入は最後の最後にすべきである。
(4)その国の国民以外誰もその国の将来に最終的な責任を負うことはできない。脆弱な諸国(fragile states)の再建は困難であるが、当該国以外の他国がその再建を一方的に担うことはできない。
 現在、世界中で活発に活動するアルカイダとその関連組織(IS、タリバン、アルカイダ、ボコハラム、アル・シャバブなどの)の活動拠点となっている脆弱諸国(イラク、アフガニスタン、イエメン、ソマリア、リビア、パキスタンなど)に対して、9・11以来多大の戦後復興の努力がなされてきたが、所期の目的を達成していない。投資した資金に比較して成果がマッチしていない。それほどに脆弱国の再建は難しいのである。
(5)ハンチントンの指摘である「日本文明は、一国のみで文明を形成する家族を持たない文明であり、日本は米中対立の中でどっちつかずの迷いを見せて孤立する危険性がある。また、米国と日本との関係は、米国が欧州の同盟国との間で築いているような、打ち解けた、思いやりのある親しいものであったことはないし、これからもそういう関係が築けるとは考えにくい」を肝に銘じ、日本は覚悟して主体的に自らの未来を切り開くべきである。
 その一方で、自衛隊が海外での活動で示してきたように、他国の宗教・風俗習慣・価値観などを認め、受容し、謙虚かつ真摯にそれに対応する姿勢を貫くことが世界の模範となる。その寛容で誠実な姿勢を貫き通すべきである。
(6)軍人としてのあるべき姿=真のシビリアン・コントロールとは
 イラク戦争を主導していったのがブッシュ大統領とネオコンであるディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官、ウォルフォ・ヴィッツ国防副長官であった。政治家、実業家、学者であった。
 一方、イラク戦争に反対したのがコリン・パウエル国務長官、リチャード・アーミテージ国務副長官であり、両者ともに軍人出身である。パウエル氏は、黒人として初めて統合参謀本部議長として、ブッシュパパの湾岸戦争の時に手腕を発揮した生粋の軍人出身であり、アーミテージ氏も海軍出身の元軍人である。
 現在のデンプシー統合参謀本部議長もまた将来の明確な見通しのない軍事力の使用について常に反対する立場でオバマ大統領を補佐している。オバマ大統領が問題解決のための軍事力特に陸軍の使用について消極的なのは本人の信念であると共にマーティン・デンプシー統合参謀本部議長の助言も大いに影響をしている。
 なぜ、これら軍人が安易な軍事力の使用に反対するのか。答えは簡単で、真の軍人ほど軍隊の可能性と限界、戦争の悲惨さを知っているからである。

6 結言
 米国の13年間にわたる対テロ戦争は成功したとは言えない。そしてその原因の中で特に大きな原因がジョージ・W・ブッシュ大統領のイラク戦争にあったと記述してきた。
 無謬の人はいないし、無謬の国家も存在しない。人は時に状況判断を誤るし、国家もまた状況判断を誤る。大切なことは、状況判断を誤ったならばそれを速やかに認め、訂正することである。
 しかし、9・11以降の米国はそうすることができなかった。そのために、全世界においてイスラム過激派たちの無法行動を許し、ロシア・中国などの米国中心の世界秩序に反対する諸国の反米的行動を招くことになったのである。
 イラク戦争以降、世界において「米国は世界秩序の守護者なのか?破壊者なのか?」という議論が湧き上がったが、多くの人々が「ブッシュ大統領はやりすぎた」と思っている。
 あまりにも好戦的なブッシュ大統領を反面教師にしたオバマ大統領に対しては「言葉だけで、あまりにも行動しない。対テロ戦争を遂行する最高指揮官の自覚に欠ける」と批判する声が多い。
 世界最強の米国の大統領には世界の厳しい目が向けられ、最善の決心と行動が求められるのである。オバマ大統領には今後の適切なISなどへの対処を期待したい。
注1:ズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Brezinski)は、カーター大統領の国家安全保障担当の大統領補佐官を務め、米国を代表する戦略家である。彼のブッシュ大統領批判は極めて厳しいものであるが、多くの米国人も彼の意見に同調するであろう。
注2:ズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Brezinski) ,“SECOND CHANCE (Three Presidents and the Crisis of American Superpower) ”の日本訳「ブッシュが壊したアメリカ」、徳間書店、P173
注3:同上P25
注4:同上P166
注5:同上P172
注6:同上P182
注7:Samuel P. Huntington, “THE CLASH OF CIVILIZATIONS AND THE REMAKING OF WORLD ORDER” ,The Free Press, P13
注8:サミュエル・ハンチントン、「文明の衝突」、鈴木主税訳、集英社、P21
注9:サミュエル・ハンチントン、「文明の衝突と21世紀の日本」、鈴木主税訳、集英社、P85~P86
注10:Samuel P. Huntington, “THE CLASH OF CIVILIZATIONS AND THE REMAKING OF WORLD ORDER” , The Free Press, P311~312
注11:サミュエル・ハンチントン、「文明の衝突」、鈴木主税訳、集英社、P21
注12:「ブッシュが壊したアメリカ」P172
注13:The National Intelligence Council 発行の“Global Trends 2030”
注14:「ブッシュが壊したアメリカ」P175
注15:Robert M. Gates,“DUTY”, P557
注16:Robert M. Gates,“DUTY”P512

集団的自衛権行使から集団安全保障へ(冨澤暉)

本記事は10月29日付、JBPRESSに掲載された記事を転載したものである。

1.用語の理解について
 日本人の多くはこれまで、「正当防衛」「集団的自衛権行使」「集団安全保障措置」等の言葉を良く理解せぬまま防衛問題を議論してきた。共通の正しい言葉で話し合うことが、今、何よりも重要である。
 日本語・独語・露語では「正当防衛」(国内法上の用語)と「自衛」(国際法上の用語)を別の言葉で表現するが、英・米語では「self defense」の一語で両者の意味を表す。例えば10月に発表された日米防衛協力指針(ガイドライン)中間報告中の日米協力例の一つ「訓練中の米艦艇が攻撃された場合の装備品等防護」は確かに「self defense」だが、これは日米艦隊を一体のものと見なした場合の「正当防衛」のことであって、日本語でいう「集団的自衛権行使」のことではない。
米海軍ではこれを「unit self defense」と言うそうで、1~2年ほど前から話題に上がっていたものだが、「これはどういう意味か」と聞いたら米語に詳しいある人が「あれは正当防衛のことですよ」と教えてくれた。海上自衛隊も最近はこれを真似ており、隊法第95条の「武器等防護のための武器使用」を適用し、(通常は指揮関係のない部隊を含む)訓練参加部隊全てを一体のものと見なし、その中の何れかの艦艇なり装備が被害を受けた場合には「正当防衛に当たる範囲において」相手に反撃し危害を与えても良いようになっているらしい。正にグレーゾーンにおける武力行使そのものである。
この例が何故「自衛」でなく「正当防衛」なのかについては聞いていないが、どうやら自衛の目的には「財産の防護」という項目はないのに、正当防衛の目的にはそれがあるためらしい。それにしても、この例が今や国際慣習法になっていると言う点についてはなお疑義が残る。
 一方で、米国に対する日本の「集団的自衛権行使」というのは、米国がその国家主権を守るのに単独では対応できず、公式に日本政府に援助を要請し、これに応えて首相が自衛隊に出動命令(防衛行動命令)を与え、この命令に従って自衛隊が行動することである。
装備品等も国家主権の一部には違いないだろうが、米国の装備品を守るために首相が出動命令を発出する筈もなく、またこれは、とてもグレーゾーンなどで臨機に即応できる性質のものでもない。
 7年前(第1次安倍内閣)の安保防衛法制懇における研究4事例は、全て集団的自衛権行使に関わるものとされていた。しかし、本年5月の最終報告書には、それとは別に①「グレーゾーンにおける武力行使」と②「集団安全保障措置での武力行使」に関わる事例が付け加えられた。
「グレーゾーンにおける武力行使」というのは明確に有事(戦争)とは言えない状態(即ち、防衛出動下令前)における奇襲対処の話である。これは1978年に当時の栗栖弘臣統合幕僚会議議長が「防衛出動下令前に奇襲を受けたとき、自衛隊は超法規的行動を取らざるを得ない」と発言し事実上の免職となって以来、放置されてきた問題である。
「集団安全保障措置における武力行使」とは、国連により承認された多国籍軍やPKO等に参加して武力行使をする、という問題であり、これまでの内閣法制局の解釈では集団的自衛権行使が認められない以上、これも認められないとされてきたものである。

2..集団的自衛と集団(的)安全保障の違い
 集団的自衛は「その権利を行使しても許される」という権利の法理に立ち、その目的は「特定他国を守ること」にあり、英法の「妻子等の自衛」に起源を持つ。無論、その権利は行使しなくても良い。
 集団安全保障は「感謝(奉仕)の意をこめて参加すべきもの」とする義務(obligation)の法理に立ち、その目的は、特定他国の防護ではなく「国際社会の平和(秩序)を守ること」にある。英法の「犯罪の防止」に起源を持ち、不参加への罰則はないが、不参加は恥ずべきものとされる。
 私はかねてより「集団的自衛権行使よりも集団安全保障措置への参加を優先すべし」と主張してきた。しかし当時、日本では集団的自衛と集団安全保障の違いを理解する人は殆どいなかった。
 しかるに本年5月の安保防衛法制懇報告には「国連PKO等や集団的安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」という文言が明記された。私はこの文言に感動を覚えた。
 この報告に対し安倍首相は「集団安全保障の場における武力行使は決してしない」と大いに後退した発言をした。私個人としては期待外れのものであったが、国民の空気を読む政治家の判断としては当然のことであったのかも知れない。
 ところが閣議決定の約1ヶ月後(8月6日)に、財団法人・日本国際フォーラム(伊藤憲一理事長)が「積極的平和主義と日本の進路」という政策提言を総理大臣に提出し、更に産経・朝日・毎日三紙に、各1頁全面を使った意見広告を出した。その結論の第一は「国連の集団安全保障措置には、軍事的措置を伴うものを含めて、参加せよ」であり、第二は「PKO法の所要の改正および国際平和協力基本法の制定を早急に実現し、もって世界的な集団安全保障の整備に貢献せよ」であり、第三に「集団的自衛権の行使容認を歓迎し、必要な法制度の早急な整備を求める」であった。この提言には同フォーラム内外の72名の著名人(政治家・学者・官僚OB・評論家等)達が署名していた。私自身はこの提言に署名していないが、これを読んで「我が意を得たり」の思いであった。
 なお、集団安全保障と集団的安全保障はもともとcollective security の訳語で同じ意味である。日本では1980年代までは集団的安全保障と言っていたが、90年代からいつの間にか「的を外して」集団安全保障と言うようになった。

3.世界の現状に合わせて考える
 米軍は一般に自国及び特定の他国を守るための自衛行動を必要とせず、地域または世界の平和(秩序)を維持するために、多国籍軍や有志連合軍を構成し、その中核として戦闘する(またはその戦闘を準備して、それに対抗するものを抑止する)のが通常である。
 しからば日本は米国を中核とする諸国連合とともに集団安全保障の枠内で多国間訓練を実施し、環太平洋合同演習(リムパック)で既に実施しているように、豪・印・韓・東南アジア諸国等とともに、さらには中国をも招いて、世界の平和(秩序)維持に貢献すべきなのである。
ホルムズ海峡の機雷掃海も「米軍と自衛隊だけで対応する」などと非常識なことを言わず、湾岸諸国や中国を含む多くの石油(ガス)輸出・消費国、さらにはイランをも招いて多国間訓練をし、機雷敷設を抑止することが大事である。それでも実際に機雷が敷設されたならば、数カ国軍が協力して機雷を排除しなければならない。通常、障害物にはその排除作業を妨害する火力が多種多量に準備されている。その指向火力を無効化し、情報・兵站力を幅広く確保しつつ安全に掃海する仕事は1~2国の力では難しいからである。
また、集団的自衛権を発動するには被侵略国からの要請が必要なのだが、海峡に主権を持つイランとオマーンが共に要請を出すことは通常考えられない。この海峡封鎖は特定国家を侵略するためのものではなく、中東の石油・ガスを輸出不能とし、世界の平和(秩序)を混乱し破壊しようとするものなのだから、出来れば国連が立ち上がり、それが出来なくても「この指止まれ」と有志連合軍を募って、あくまでも集団安全保障措置として対応すべきものである。
この際、第一線戦闘部隊の役割を担うか後方兵站部隊に任ずるかは問題ではない。現代戦では後方部隊でも前線と同様の損害が出るのが通常である。後方支援に徹したアフガンでのドイツ連邦軍も50名以上の戦死者を出し問題となったが、ドイツは引き続き域外(NATOの非5条任務=集団安全保障任務)軍事支援を継続している。
 先の9月、シリア国内のイスラム国空爆にあたり、当初、米国は自衛権発動による有志連合軍だと主張したが、同時に外交活動によりG-7はじめ国連加盟国多数の支持そしてシリア自身の暗黙の了承までとりつけた。こうなるとこの有志連合軍の行動は、国連安保理決議がないにも拘わらず、「自衛」から「集団安全保障措置」に変わったと言わざるを得ない。
今後の、防衛に関わる国民的論議の中で、「集団的自衛権行使から集団安全保障措置へ」の理解が深まることを期待している。                      了 

サンゴ密漁を仕組んだ中国政府のしたたかな狙い(織田邦男)

本記事は11月12日付、JBPRESSに掲載された記事を転載したものである。

尖閣諸島奪取の訓練か、あるいは第2列島線突破の予行演習か

今年9月以降、サンゴ密漁の中国漁船団が小笠原諸島周辺海域に来襲している。海上保安庁によると、9月初旬には領海周辺で十数隻、10月初旬から中旬には30~50隻、10月末時点で212隻を確認した。

【漁船の活動を中国政府が支援しているとの見方も】
 菅義偉官房長官は11月4日の記者会見で、中国漁船によるサンゴ密漁について、外交ルートを通じた再発防止の申し入れをしたことを明らかにした。中国側からは「重大性を認識しており、漁民に対する指導など具体的な対策に取り組んでいる」との説明があったという。
 中国外務省の洪磊副報道局長は5日の記者会見で、この件に関し、「中国は一貫して赤サンゴの違法採集に反対している」と表明し、「中国は関係者を教育、指導するとともに厳しく取り締まっている」ことを強調した。さらに「中日の法執行部門が適切に協力し問題を処理できるよう望む」として、日本側と協力して対応に当たりたいと述べた。
 こうした中国側の声明にもかかわらず、7日には同諸島周辺で漁船191隻を海保が確認した。中国密漁船団は台風20号の接近に伴い、一時的に同諸島から離れたものの、大半が再び近海に戻り密漁を再開している。
 佐藤雄二海上保安庁長官は「サンゴは1キロ600万円の高値で、一獲千金を狙って来たのではないか」と述べ、海洋権益拡張を狙う中国政府の動きとの関連性はないとの見方を示した。
 他方、海洋問題に詳しい山田吉彦東海大学教授は「中国の漁船団は基本的に中国海警局の管理下にあり自由に動き回ることはない。(中略)中国側による密漁抑止の動きは消極的だ。むしろ、中国当局の関与を疑う」と述べている。
 中国問題に詳しい宮崎正弘氏も「珊瑚密漁は表向きのこと。実態はまさに第二列島線突破のための『海上民兵』の下訓練である」と述べる。
 また、ジャーナリストの櫻井よしこ女史は、「商業目的であるというところから疑う必要がある。中国漁船の移動距離は往復4000~5000キロ、燃料費は1隻数百万円もかかる。民間人がそこまでして漁をするはずがない。中国政府が絡んでいるのは明らか」と語る。
 7日から北京でAPEC(アジア太平洋経済協力)閣僚会議が始まった。威信をかけた北京APECの最中に中国政府が「密漁漁船団」を主導することは考えにくい。「反習近平派」の仕業という声もあるが、真偽のほどは分からない。
 この真偽は別に置くとしても、我々は中国の「海上民兵」の実態について正しく把握し、警戒しておくことが重要だ。近年、中国は漁民を偽装した「民兵」を尖兵として活躍させ、目立たぬように既成事実を積み重ね、最終的に実効支配を奪取するという手法をとるようになった。
現在の国際環境では、係争地に軍を出動させれば国際社会の糾弾を受けやすい。これを避けるため、軍艦や公船を使わず、漁民になりすました「民兵」を正面に出すわけだ。
 海上保安庁の発表によると、尖閣国有化以降、公船による領海侵犯は1年目216隻、2年目101隻と減少傾向にある。これに対し、中国漁船によるものは2012年には39隻だったが、2013年には88隻、そして2014年には207隻(9月10日時点)と激増傾向にある。これらはほとんどが漁船を装った海上民兵といわれている。

【スイスに相当する領土を中国に掠め取られたインド】
 日本ではなぜかあまり報道されないが、海南島の潭門港には、海上民兵組織が存在する。1985年に創設され、現在は約2300人規模(2012年)の組織である。任務は「漁業による領有権主張」と、環礁埋め立てなどの「建設資材の運搬支援」などである。
 中華人民共和国憲法55条には「1 祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国のすべての公民の神聖な責務  2 法律に従って兵役に服し、民兵組織に参加することは、中華人民共和国公民の光栄ある義務」とある。中国当局は近年、「光栄ある義務」である民兵組織を積極的に活用するようになったのだ。
 今年5月、ベトナム沖で石油掘削作業を一方的に開始した際、オイルリグを取り囲むように多数の船舶が出動し、ベトナム船との衝突を繰り返した。中国側約100隻の船舶のうち、約90隻が民兵組織の漁船だった。潭門港には習近平主席の「君たちは、海洋権益を守るために先陣の役割を果たしている」というバナーが掲げられたのが確認されている。
 南シナ海では岩礁の領有権を巡って、フィリピンやベトナムが激しく中国と対立している。南沙諸島では中国が実行支配するガベン礁、クアテロン礁、ジョンソン南礁など7つの岩礁のうち、6つの礁を島に拡張する「人工島化」が進行中である。この埋立に必要な土砂や建設資材の運搬支援はすべて海上民兵によって実施されている。
 中国は基本的には軍事力で勝る米国とことを起こしたくない。経済もグローバル経済に依存しているので、国際社会から制裁を受けるようなことは避けねばならぬ。領有権に係る摩擦は小競り合い程度に収めつつ、目立たぬよう、時間をかけて既成事実を積み重ね、最終的には領有権を奪取する。この主役が「海上民兵」なのである。
 アジア太平洋安全保障センターのモハン・マリック博士は、こういう中国の行動を「POSOW: Paramilitary Operations Short of War」と名づけている。戦争には至らない準軍事作戦であり、米国の決定的な介入を避けながら、サラミ・スライス的に逐次成果を上げるというものだ。
 サラミは、薄くスライスして、目立たぬよう少しずつ掠めていけば、そのうち、まるごと1本ものにできる。この中国の「サラミ・スライス戦略」は今に始まったわけではない。陸ではとっくの昔から始まっている。中印国境にあるアクサイチン高原をインドから奪取したのが典型例である。
 アクサイチン高原はインドのカシミール地方にあり、スイスとほぼ同じ面積である。1954年から62年にかけ、中国人を牧草地に逐次入植させ、中国人勢力が強くなるとインド人牧場主を追い出していった。8年間にわたり、これを繰り返していくうちに、アクサイチン高原は中国人入植者だけになった。インドはスイスと同面積の領土を中国にもぎ取られてしまったわけだ。
 今後、尖閣諸島にも漁民を装った「海上民兵」が登場してくることは十分予想される。漁民に偽装した武装民兵が尖閣諸島に上陸した場合、果たして日本はこれを守ることができるのか。
 仮に数十人の漁民を偽装した武装民兵が尖閣に上陸したとしよう。「漁民の不法上陸」として扱われ、海保と沖縄県警が対応することになるだろう。だが、日本の実効支配を崩す目的の武装民兵を逮捕、拘束することはまず不可能である。拳銃と盾だけの沖縄県警機動隊は多数の犠牲者を出し、撤退を余儀なくされる。法執行が困難となった瞬間、実効支配は消滅する。

【海上民兵を取り締まれない日本の法律】
 他国では、その時点で警察事態から防衛事態へと自動的に切り替わる。つまり「犯罪」から「侵略」事態へと対応が変わるわけだ。
 だが、日本の場合、「計画的、組織的な武力攻撃事態」と認定されない限り、防衛事態としての対応はとることはできない。「犯罪」でもない「侵略」でもないグレーゾーンが存在するわけだ。警察、海保が対応できず、さりとて自衛隊が自衛行動をとることもできない。
 バラク・オバマ米国大統領は4月の訪日時、尖閣諸島は安保条約5条の適用対象であると述べた。第3海兵遠征軍司令官ジョン・ウィスラー中将は「尖閣は侵攻されても容易に奪還できる」と述べた。この発言に日本は安堵したようだが、大きな誤解がある。
 安保条約5条が適用され、米軍の出動が可能になるのは「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであること」を認めることが大前提である。当事者である日本が「武力攻撃事態」を認定しないものを、米国が勝手にそれを認めて安保条約5条が発動されることはあり得ないのだ。
 武装民兵による尖閣占領のようなグレーゾーン事態に対しては、現状では日米同盟は機能しないことを我々は覚悟しておかねばならない。これが中国が狙うターゲットとなる。
 ある人民解放軍高官は、「中国にとって最も好都合な日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に機能しないことだ」と述べた。米軍と事を構えたくない中国にとって、海上民兵を使い、日米同盟が機能しないまま、日本が対応できず右往左往している間に既成事実を積み重ね、実効支配を奪取するのは最良の方策に違いない。
 「サラミ・スライス戦略」の名づけ親である軍事ジャーナリスト、ロバート・ハディック氏は「米国は中国のサラミ・スライス戦略に対し答えを持っていない」と述べた。だが、日本はサラミ・スライス戦略の対象そのものであり、「答えを持っていない」では済まされない。
 安倍晋三内閣は7月1日の閣議で、グレーゾーン対処については、新たな法整備は実施せず、現行法制の運用改善で対処することを表明した。集団的自衛権の限定的行使容認を最優先した政治的妥協の産物であろうが、誠に残念である。
 今の法制では海保、警察による警察行動と自衛隊による自衛行動には大きな溝がある。「運用」などによっては、とてもシームレスに対応することはできない。拙稿「画龍点睛を欠く『在り方検討中間報告』」(2013.8.2)に書いたので、ここでは省略する。

【南シナ海で着々と成果を上げている海上民兵】
 ただ、自衛隊が対応できるようグレーゾーン事態の法整備をしたとしても、相手が民兵である限り、日本も自衛隊を出動させないという選択は十分にあり得る。従って、グレーゾーンの法整備とは別に、海保と警察の装備を充実させ、危害射撃要件の緩和を含め、武器使用権限を拡大して最小限の防衛行動が可能になるような施策は急務である。
 米国の場合、沿岸警備隊(United States Coast Guard)は、米軍を構成する「陸軍」・「海軍」・「空軍」・「海兵隊」に次ぐ5番目の軍隊(準軍事組織)と位置づけられている。
 2001年 の同時多発テロ事件以降、沿岸警備隊は、運輸省から国土安全保障省に移され、従来の法の強制執行権とともに、国家安全保障の側面がより重視されることとなった。もちろん武器使用権限も拡大されている。
 他方、海保の任務は保安庁法2条にあるように「法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染等の防止、海上における船舶の航行の秩序の維持、海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕」等、海上の安全及び治安の確保を図る任務に限られており、島嶼防衛という任務は与えられていない。
 任務が付与されないまま、事実上、領域警備の任務に連日苦労されている海保には頭が下がる。だが、これは決して正常な状態とは言えない。今後、武装民兵の上陸等が十分予想される。事が起きてからドタバタ劇を繰り返すのではなく、事前に予想できることは準備しておくのが危機管理の基本である。
 米国の沿岸警備隊を参考にし、海保には安全保障を視野に入れた任務付与と権限強化が必要である。警察には武装民兵との銃撃戦に対応可能な装備品の導入、そして警察官職務執行法改正による武器使用権限強化が喫緊の課題である。
 今回のサンゴ密漁はただ単なる「商業目的」かもしれない。その場合でも、やれやれと胸を撫で下ろしている場合ではない。中国は南シナ海で民兵活用による領有権奪取の成果を着々と上げてきている。
 民兵活用は、まさに戦争には至らない準軍事作戦である。米国の決定的な介入を避けながら、サラミ・スライス的に逐次成果を上げるには最適の手法であることに中国政府も気がつき始めたようだ。
 尖閣諸島に海上民兵が上陸する日はそう遠くない。その日が来る前に、日本は磐石の態勢を確立しておかねばならない。

「受益」と「負担」の自覚(織田邦男)

本記事は織田氏が平成22年10月に発表した論考である。沖縄県知事選のさなかではあるが、我が国としての「受益」と「負担」をしっかりと見据える必要がある。米国ニューハンプシャー州のような税負担を下げる代わりに消防をあきらめるまでの覚悟を必要とするのである。

偕行社安全保障委員会委員
織田邦男

「普天間移設問題」は8ヶ月にわたる迷走の末、結局、ほぼ現行案に回帰した。「最低でも県外」と散々煽った結果、地元は絶対反対に転じており、また社民党が連立から離脱するなど、この案を実行に移せるのか甚だおぼつかない。8ヶ月間、鳩山総理は軽率な発言で問題を拗らせただけだった。結果的には辞任に追い込まれたが、辞任すれば済むという問題ではなく、その罪は深い。だが一つ功をいえば、次の二つの問題点を浮き彫りにしたことだろう。
一つは「抑止力」がいかに国民には理解されていないかということ。二つ目は「受益」と「負担」は一体という常識が日本に欠けているということだ。
鳩山首相は「学べば学ぶほど、抑止力が必要との思いに至った」と述べた。国家の安全を担う総理大臣が何を今更、、、と驚愕を通り越して、背筋に冷たいものを感じたのは筆者だけではあるまい。総理大臣がこのレベルだから、国民の大多数が「抑止力」を理解できてなくても不思議ではない。
「抑止力」とは相手が何かをやろうとした時、その行為の目的達成が困難であるか、または代償が高く割に合わないことを予見させ、その行為を思い止まらせる力のことを言う。平和を維持するための最も大切な手段である。
現在、朝鮮半島には日本人拉致や韓国海軍哨戒艦の撃沈等、挑発行動を繰り返し、しかも核武装を公言してミサイル実験を繰り返す独裁国家北朝鮮が存在する。日本の南西はこの21年間に軍事費を約20倍に伸ばし、尖閣諸島などの領有権を主張し、沖ノ鳥島を岩だと言って日本の排他的経済水域を認めない中国がいる。北には北方領土の不法占拠を続け、今なお膨大な数の核兵器を保有し、しかも核の先制使用を明言するロシアがいる。
三つの核武装国家に囲まれた日本、そして南北朝鮮問題、中台問題を抱える北東アジアにおいて平和を維持するのは並大抵なことではない。「平和を維持することは、戦争に勝つより難しい」といわれるとおりだ。
戦争か平和かと問われれば、平和が良いにきまっている。だが平和は宣言したり、千羽鶴を折るだけでは実現できない。「戦争が止まるのは両者の武力が均衡したときだけである」という冷徹な現実から眼を背けてはならない。
中国に台湾武力侵攻を思いとどまらせ、北朝鮮に核の恫喝や挑発行動を止めさせるには、「代償が高く、割に合わないことを予見させる」だけの軍事力の存在が欠かせない。日本にその軍事力はない。軍事力の最大の目的は戦いを抑止することであり、在日米軍こそこの地域の平和を保つ抑止力なのだ。
沖縄は台湾海峡、朝鮮半島の両者にとって絶妙の位置にある。事が起これば至短時間に軍事力を投入できる要衝である。沖縄に駐留する世界最強の米軍が両者に睨みを利かせることにより、中国や北朝鮮が軍事行動の誘惑に駆られることを思い止まらせ、北東アジアの安定を保っているのだ。
他方、普天間基地は街の真ん中にあり、住民は危険にさらされ、騒音等の負担も多い。改善は焦眉の急務である。抑止力を維持しつつ、住民の負担を減らすにはどうすればいいのか。これが普天間問題の原点なのだ。負担軽減と抑止力維持はいわば車の両輪であり、いずれが欠けもいけない。二律相反する要求のギリギリの妥協点が現行案だったのである。
本来なら最初に総理が「抑止力」について理を尽くして説明し、在沖縄米軍の位置づけを国民に理解してもらうべきだった。「抑止力」抜きの負担軽減のみ主張し、散々住民に期待させておきながら、「学べば学ぶほど、抑止力が必要との思いに至った」と述べて現行案に回帰するなんぞ総理のすることではない。日本の安全保障のレベルの低さを全世界に曝け出してしまった。
二つ目は「受益」と「負担」の問題である。コインに「裏」「表」があるように、また自然界の万物には「陰」「陽」があるように、「受益」には必ず「負担」が付随する。どちらが欠けても世の中は成り立たない。
平和はただではない。「負担」や「努力」なくして平和は得られない。米軍に日本の安全保障や地域の平和を依存し、その平和を享受しておきながら、米軍も米軍基地も米軍人も負担であるからいらないと真顔で主張する人がいる。極めて無責任な発言だが、無責任と感じない日本の風潮がより問題の深刻さを示す。
現状では日本は自らを守れないし、日米同盟なくして日本の安全保障政策は成り立たない。米軍基地はいらないとの主張は耳にやさしいが日米同盟を否定するものだ。もし日米同盟を否定するのであれば、他の安全保障政策を示すのが責任ある態度である。こういう人に限って、対案は示さないし、「軍備拡張をして自主防衛を」とは決して言わない。
「負担」や「対案」に言及せず耳朶に優しいことだけを言う無責任体質は安全保障分野に限らない。「公務員は減らせ」というが、「公共サービス低下はやむを得ない」とは言わない。各種手当て要求するが「増税」については口を噤む。「原子力発電に反対」という人はいるが「エネルギーの1/3は原発だから、日に8時間は停電で我慢しよう」とは決して言わない。「臓器移植に反対」という人は、臓器移植でしか助かる見込みのない患者に「あきらめてください」とまで言ってこそ責任ある人間だ。
四十数年前、革新都知事が就任した時のことだ。外環道路建設をめぐって住民の反対運動が起こった。戦後平和主義者の代表たる革新都知事は西欧の諺を引用して反対運動に迎合した。「一人でも反対があれば、私は橋をかけない」と。これには続くフレーズがあるのだが、あえて言わなかった。「だから冬でも泳いで渡れ」という「負担」のフレーズだ。「高速道路は作らない。だから交通渋滞が起きても我慢しろ」とまで言ってこそ責任ある人間なのだ。
十数年前、米国のニューハンプシャー州に行った時、感動したことがある。ニューハンプシャー州は消費税がない。その代わり消防署がないと説明を受けた。「州税なし」という「受益」のために「火事になっても自分で消火しろ」という「負担」を州民投票で決めたと言う。「負担」を覚悟した上での州民の選択。さすがは民主主義の国である。上記事例を比較すると日本の民主主義の未熟さがよく分かる。戦後、「個」を重視して「公」を軽視してきた結果、「自由と権利」は主張するが「責任と義務」を蔑ろにする風潮が定着した。自由には責任が、権利には義務が付随するというのは民主主義の最低条件である。この最低条件さえ蔑ろにしている日本の醜悪な姿が普天間騒動で浮き彫りになったのだ。
昔の日本は、権利の主張は控えめでも、義務は当然のこととし、責任は死をもってでも果たす武士道の国だった。西欧にはノーブレス・オブリージュという言葉がある。高い地位に伴う道徳的、精神的義務を表す言葉だが、日本の場合、高い地位でなくても、一般庶民が責任と義務を果たすのを当たり前の事としていた。今はどうか。
平和を享受しながら米軍基地はいらないという。成田空港建設に反対した人が恥もなく成田空港を利用する。日頃、日本国を悪し様に言う「反日日本人」が日本国パスポートを持って海外に出かける。日教組活動で有名な先生が自分の子供を私立の学校に入れる。「公立学校は荒れているから」と。800兆円を越す財政赤字はこの無責任体質の象徴なのだ。
国家の安全保障は国民の一人一人の問題である。「抑止力」は平和を維持する上で最も重要であり、「受益」と「負担」はコインの裏表と同様、切り離せない。この当たり前のことの自覚が今日本人に求められている。

御嶽山救助批判する自衛隊アレルギーとお花見騒ぎ(織田邦男)

憲法9条が受賞なら99カ国に平和賞の資格あり。GHQの軛を脱せない日本
(本記事は26.10.29、JBプレスに掲載されたものである)

偕行社安全保障委員会委員
織田邦男(元空自航空支援集団司令官)

マット安川 ゲストに元空将・織田邦男さんを迎え、御嶽山噴火現場での自衛隊の活動実態をお聞きしました。また、「憲法9条のノーベル平和賞ノミネート」への疑問も提示いただきました。

御嶽山の救助・捜索活動の実態を国民はほとんど知らない
織田 今回の御嶽山噴火での救助・捜索活動について、自衛隊や警察、消防がどれだけ困難な活動をしたのか、意外と国民には知られていません。だからいわれなき批判が出てくるんだなと思いました。
 例えば、自衛隊はなぜもっと早く、山に取り残された人を助けないのかという声がありました。3000m級の山にヘリコプターを飛ばすことがいかに難しいか、墜落する可能性もあり、決死の活動なんです。しかも火山灰がある。ヘリコプターの捜索で一番つらかったのは高山病だったといいます。頭が割れるように痛くなる。
 また、低体温症もあります。火山灰が雨で濡れると、生コンのようになり、足を突っ込むと抜けなくなるらしいです。その中を一歩一歩力ずくで進む。靴が脱げても取れない。そうすると低体温症になってしまう。それで体調を崩して後送されたり、本当にたいへんなことをやっているんですが、そういうことはあまり知られていない。
 自衛隊だけではなく、警察も消防もみんな苦労してやっているということが国民のみなさんも分かれば、現場のやる気にもつながると思うんですが。

装甲車でも何でも使えるものを総動員するのは当然のこと
 ある有識者がラジオで、自衛隊は雨の日になったら活動できないのか、それは軍隊ではない、軍隊ではないから集団的自衛権なんてトンデモないというような発言をされていました。では、私は聞きたい。火山灰が積もっているところに雨が降って、どこの軍隊がやれますか、救助を続けられますかと。
 また、ある有名なコメンテーターは、なぜ自衛隊なんですかと言っていました。なぜ装甲車を出すんですかと。装甲車というのは、もし火砕流が起これば、その中に避難すれば、1時間はムリですが5分や10分は時間を稼ぐことはできる。火山石が飛んできて直撃を受けても助かるわけです。
 地雷探知機や、有毒ガスの監視装置なども同じです。火山ガスは毒ガスで極めて危ない状況で活動しているわけですから有効なんです。
 自衛隊と警察、消防では装備が違います。自衛隊しか持っていないものがある。警察と消防の能力を超える範囲で、自衛隊がその能力を持っているのであれば、使えるものは使うでしょう。あのような状況で使えるものは使うというのは当然のことです。
 自衛隊は何も目立ちたくてやっているわけではありません。しゃしゃり出ているわけではないし、好きでやっているわけでもない。任務として、長野県知事の要請を受けて、安倍総理大臣の指示に基づいて、防衛大臣が命令を発して、その命令に基づいてやっている。
 つらい任務なんですよ。それを理解してもらうというのはムリかもしれませんが、少なくとも黙っていてほしい、自衛隊OBとしてはそう思いますね。
 自衛官はサンドバッグみたいなものです。今回の件で、自衛隊や軍に対するアレルギーがいかに強いかがよく分かりました。コメンテーターのような優秀で頭のいい人でも、極端に非合理的になる。
 これは戦後の自衛隊アレルギーそのままです。日本人の心の疾病というのはまだまだ癒えていないんだなという感じがしますね。

憲法9条のノーベル平和賞申請は国際的な恥
今回の憲法9条のノーベル平和賞申請は、自由だし、いいんです。ただ昔、外国人に言われたことを思い出しました。日本人は内輪だけの常識で、外のことは知らないと。それは花見みたいなもので、桜の下で輪になって飲めや歌えとやっている、ああいう感じだと。今回の件は、典型だと思います。
 これに関してはJBpressに記事を書き、大きな反響がありビックリしました。どういうことかというと、憲法9条の第1項というのは、99カ国がすでに取り入れているものです。第1項はどこに由来しているかというと、1928年のパリ不戦条約です。まったく瓜二つです。そういう憲法を持っている国が日本以外に98カ国ある。
 もし仮に、憲法9条が平和に非常に貢献しているからノーベル賞に値するとしたら、ほかの98カ国もノーベル賞に申請しなければおかしい。論理的にはですね。そういうことを知らず、憲法9条というのは日本独自のものだと思っているふしがある。
 そもそも、ノーベル平和賞は申請すれば、形式が合っていれば受け入れられるわけです。だからノーベル賞委員会に受け入れられたと喜々としていましたが、私は恥ずかしかったですよ。世界的に見て、これほど恥ずかしいことはない。
 花見と同じで、日本人だけが輪になって、やった、やったと騒いでいるが、他国の憲法を見てみなさいと。日本独自の平和憲法だからノーベル平和賞をくださいというのは恥ずかしい。勉強不足だなと思います。
 実は、日本国憲法の特殊性というのは、9条の第2項にあるんです。つまり軍隊を持たないということで、最初は非武装だった。しかし、朝鮮戦争が起きたため、警察予備隊という軍隊でも警察でもない組織をつくった。それが保安隊になり、現在の自衛隊になった。
 ですから、憲法9条がノーベル平和賞としてふさわしいのかというと、非武装でずっときていれば世界に冠たる憲法だったかもしれませんが、いまは自衛隊という武装組織を持っているので、これではほかの国と一緒です。
 ちなみに、集団的自衛権については、全世界で行使できなかったのは日本だけです。それはなぜか、その根源はどこにあるのか。たぶん自信がないんでしょう。自信を失わされた。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の巧妙な戦後政策で、徹底して日本が悪いことにされた。
 だから、集団的自衛権を行使したら、日本だけが暴走する、明日にでも侵略戦争を始める、徴兵制が始まるといったキャンペーンを朝日新聞や毎日新聞は張っている。トンデモない筋違いなキャンペーンです。本当に暴走するのか。私はそんなことはない、日本人の成熟度、常識度はかなり高いと思っています。

出動隊員のケアー態勢(喜田 邦彦)

偕行社編集委員
喜田邦彦

東日本大震災では約10万人の自衛官が、被災地で人命救助や遺体収容などを行った。隊員が整列して仮埋葬を行っている写真は、世界中に驚きをもって流されたが、その写真に「聖職者」は映ってない。非常事態における緊急措置として、防衛大臣は自衛隊による仮埋葬を引き受けたようだが、「世俗」の自衛隊に「聖」を扱う職種や人員は存在しない。
日本の宗教文化や憲法20条(信教の自由)、89条(公費等の宗教的負担の禁止)等から推測すれば、自衛隊に米軍式のチャプレン(いわゆる従軍牧師)制度を導入することは非現実的なのかもしれないが、実際にはそうした「ニーズがありうる」ことを垣間見せた。
 生死にかかわる戦場であればなおさら、出動前にも後にも国難に殉ずる隊員たちに聖職者やカウンセラーの優しい言葉や祈りが、必要なのではないだろうか。事実、3・11後に自殺した連隊長や、職場放棄で処分された隊員がいた。彼ら現代青年や壮年者たちは戦後の教育で、「自己及び他人の生命保持が最も大切」と教えられている。
 実際の戦闘がいかに醜悪で憎悪に満ちたものであろうとも、命を賭けて戦う際に「何のために死ぬのか」「何故人を殺さねばならないのか」に苦悶しつつ、国家の平和・存続や家族の安全を祈らずにはいられないだろう。それが「人間」というもので、特攻隊員の遺書や作品にそうした「悩み」や「迷い」が多く見られる。

沖縄特攻作戦に出撃した戦艦大和が、米軍の組織的攻撃を受けて徳之島沖に沈んだのは、今から69年前。乗組員3千332名中150名が救助され、その中の一人に22歳の吉田満少尉がいた。生き残りとなった彼は、悩みぬいた末に『戦艦大和ノ最期』を一晩で書きあげた。
 吉田氏は学徒出身で、「レーダー士」として大和に乗り組み、「哨戒当直」として艦橋に位置していた。ために、艦長・長官の指揮・連絡を逐一知るという機会に遭遇できた。
本文は、片仮名・文語体で記述されている。主題は、戦後の混乱した世論の中で散華した仲間や戦闘の実態を伝え、平和に安住する戦後の日本人に犠牲の尊さを訴える点にある。
前半の戦闘の実態は、「何のために死ぬのか」をテーマとしている。呉軍港から出撃にあたり、青年士官たちは「我ラ国家ノ干城トシテ大ナル栄誉ヲ与エラレタリ、イツノ日カ、ソノ証ヲ立テザルベカラズ」と決意していた。だが、航空部隊による援護なく、片道燃料だけの成算なき作戦に、「大和」の青年士官たちは、何のため、誰のために死ぬのかを巡り、激論となる。やがて「鉄拳ノ雨、乱闘ノ修羅場」に発展。その時、哨戒長臼淵大尉が表れ、声低く唸るように言った。
 「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目醒メルコトガ最上ノ道ダ」「ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ」「日本ノ新生ニ先駆ケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」青年士官たちの間で沸騰した死生論争について、ひとまずの結論だった(読売新聞 橋本五郎)。
 だからこそ、生き残った吉田氏は煩悶する。彼は仲間の死を、「散華」と評した。死を前にした青年士官たちの生々しいやり取り。しかし生き残った以上しようがない。確実にやってくる死を待ちながら、最後まで自らの死の意味を探し求める。あがきながらも、納得できる答えにはたどり着かない若者たちの慟哭が、淡々と描かれている。
 そして、「自分は、死者たちの身代わりに彼らの言葉を戦後に伝えるため、生き残った。戦後の日本がどうなっていくのかを見届けるために生き残った」との考えに至る。これが彼の戦後人生・執筆活動に共通する基本的なモチーフであった。
これに対し、海軍兵学校出身者から強烈な批判が出た。特に、佐官以上の職業軍人、沖縄特攻に参加した歴戦の士官の間で大変評判が悪かった。
――帝国海軍の実態は、あの作品のようなものではなかった。名誉ある特攻要員に選ばれながら、死生の問題に悩んだり、女々しく家族や肉親の上に思いをはせるような、軟弱なものではなかった。ただ従容姿毅然として、任務の遂行に邁進するのみだった。私欲を超越し、純粋無垢であった。多情多感な学徒出身の吉田氏の目が、自分のことから類推して、見誤ったのだ――。こうした糾弾は、1980年頃まで変わらなかった。
 そこからは、個人の責任、職務の優先順位、プロフェッショナルとしての身の処し方等について、学徒出身者とは異なる職業軍人の価値観がうかがえる。だが吉田氏の見方は、一般国民に近い見方ということもできるわけで、「職業軍人が見落としがち」というより「意識して避ける、避けてきた問題」だったのではないだろうか。

 現代の指揮官といえども、「国難に立ち向かう生死を賭けた苦難」に対し、何らかの「解決」や「答え」を提供できる能力はない。「解決し得ない苦難」を背負ったまま、それと共に生きる道を説くのは「信仰」や「宗教」の役割であろう。
 生と死が同居する悲惨な現場に、「聖」を扱う人員は欠かせまい。有事を感じた時に政府は、予備時の招集と緊急募集を余儀なくされよう。その日本人の75%が自称無宗教という状況で、やられたのでやり返すという復讐心、祖国防衛のマスコミと国民の合唱、戦場離脱者に対する罰則規定、「事に臨んでは」の宣誓だけで、アマチュアの隊員に激烈な戦闘に堪え忍び、勝利して祖国を護ってくれということはできないのではなかろうか。
 人間は、ただ食って、寝て、子孫を残すだけでは満足できない生き物である。「善く生きる」「正しく生きる」「美しく生きる」ことを求め、それに希望を託す場合に犠牲をいとわなくなる。そうした望みや思いがなければ、人は自分や仲間の命を危険に晒し、見ず知らずの人間を殺すことなどできまい。人間の理性や努力の及ばない次元、「悠久の大義」や「永遠の生命」を説く人達を、カウンセラーと呼ぶべきかどうかわからないが、激烈な戦闘の場面で冷静にそれらを説く人・役割もまた、民主主義においては欠かせない。
 6月19日の新聞に、防衛省が「捕虜扱いの態勢整備」にあたると報じられた。「後方支援」の一環である「出動隊員のケアー態勢」の整備も、置き去りにしてはなるまい。

世界に恥を晒した「憲法9条ノーベル平和賞」申請(織田邦男)

「戦争放棄をうたった憲法は99カ国に存在、知識欠如もほどほどに」

偕行社安全保障委員会委員
織田邦男(元空自航空支援集団司令官)

(本記事は26.10.16、JBプレスに掲載されたものである)

今年のノーベル物理学賞受賞者として、青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇氏(名城大教授)、天野浩氏(名古屋大学教授)、中村修二氏(米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)の3人が選ばれた。同じ日本人として誇らしい限りであり、久しぶりに日本中が沸いた。

ノーベル平和賞はマララ・ユスフザイさんに
他方、ノーベル平和賞がマララ・ユスフザイさんに決まって、ある市民団体の異様な落胆の声が聞こえた。
 日本国憲法第9条をノーベル平和賞に推薦した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会とこれに賛同する人たちだ。賛同の署名が44万人も集まったというから相当な数には違いない。
 今年4月、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から「第9条をノーベル平和賞に」との推薦を受理した旨連絡があった。この際、筆者は某雑誌に次のように書いた。
 「この申請には著しい誤認識がある。日本人が如何に独りよがりで『井の中の蛙』であるかを世界に向けて発信しているようで恥ずかしい限りである」
 ノルウェー・ノーベル委員会は申請様式が整っている限り、受理することを通例としている。だから受理したのだろうが、「中身を詳細に調べて、今頃きっと目を白黒させるに違いない」とも書いた。
 今回、ノーベル賞受賞に落選したものの、署名活動を進めてきた市民団体メンバーは「まだまだこれから」「ここまで来た」と鼻息が荒い。
 正確な知識を国民に知らせるのはメディアの努めである。だが、この申請に係る誤認識について、メディアが指摘したのを筆者は寡聞にして知らない。いまだに「鼻息が荒い」人がいるので、今一度指摘してみたい。
 ノルウェー・ノーベル委員会への申請文には次のようにあった。
 「日本国憲法は前文からはじまり 特に第9条により徹底した戦争の放棄を定めた国際平和主義の憲法です。特に第9条は、戦後、日本国が戦争をできないように日本国政府に歯止めをかける大切な働きをしています。(中略)どうか、この尊い平和主義の日本国憲法、特に第9条を今まで保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」
 そもそも、「戦争放棄」条項は、今や大多数の国の憲法にうたってあり、決して日本固有の規定ではない。
 ある憲法学者の調査によると、日本国憲法のような戦争放棄をうたった平和憲法条項を盛り込んだ憲法は、既に99カ国に存在するという。憲法9条の規定をあたかも世界の中で唯一の規定だと思い込んでいるのは大きな誤解である

世界中の国が憲法でうたっている戦争放棄
 日本国憲法第9条の淵源は1928年に結ばれたパリ不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)にある。第1次世界大戦では戦闘員、民間人、総計約3700万人という未曾有の犠牲者を出した。この悲惨な教訓を受け、戦後、国際社会で議論が巻き起こった。
 その結果、国際紛争を解決する手段として、締約国相互の戦争を放棄するというコンセンサスが得られ、条約が結ばれた。事実上、自衛戦争以外の戦争は違法化されたわけだ。
 条約は、当初は多国間条約で、列強諸国をはじめとする15か国が署名したが、その後、ソビエト連邦など63カ国が署名した。戦争ではない武力行使は否定していないなど不完全な面はあるが、国際連盟加盟国の大多数の賛同が得られたのである。戦勝国の報復ともいえる東京裁判でも、日本はこの条約を根拠として裁かれた。
 パリ不戦条約の第1条は次の通りである。
 「締約国は国際紛争解決の為、戦争に訴ふることを非とし、且つ相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、それぞれの人民の名において厳粛に宣言する」
 日本は立憲君主制であるため、「人民の名において」という言葉は受け入れないことを条件に批准した。
 日本国憲法は米国により作成されたことは周知の事実であるが、憲法9条は不戦条約第1条の文言をモデルにしている。日本国憲法第9条 第1項は次の通りである。
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 パリ不戦条約と瓜二つであることが分かる。このような「戦争放棄」の規定を入れた憲法は、既に99カ国が採用している。自民党の憲法改正案も9条第一項は基本的には変えていない。「戦争放棄」は日本国憲法の専売特許でも何でもない。ましてノーベル賞に申請するような類のものではないのだ。
憲法9条の特殊性は「戦争放棄」の第一項ではく、第二項にある。第二項は次のようにある。
 「 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

日本国憲法の特異性は「国家緊急事態条項」が欠落していること
この規定は当初、「非武装」と解されていた。憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、一切の軍事組織を保有しないとしていた。吉田茂首相(当時)も当初は国会で「非武装」を答弁している。
 だが、朝鮮戦争が勃発し、国際環境は激変した。その結果、第二項の「非武装」規定では、国際情勢に適合できなくなった。
 そこで政府は憲法解釈を変え、自衛隊を保有することにした。まさに「非武装」から「武装」へと180度の憲法解釈変更である。集団的自衛権の限定的行使容認のような微修正ではなかった。
 現在は「武装」の解釈が定着し、90%以上の国民が自衛隊の存在を認めている。もし「非武装」をノーベル賞申請の理由にしているのであれば、現実とは乖離しており、これもノーベル賞申請の理由にはならない。
 日本固有と言うことであれば、憲法9条ではなく、憲法に「国家緊急事態条項」が欠落していることだろう。
 現在、世界の趨勢は「戦争放棄」を憲法に盛り込む一方で、自衛の軍隊を保有する。同時に「国家緊急事態条項」を規定して、緊急事態に対応できるようにしている。自衛隊という軍事力を保有しておきながら、「国家緊急事態条項」がないのは憲法の欠陥なのであり、とても世界に誇るようなものではない。
 7月1日、安倍晋三内閣によって集団的自衛権の限定的行使容認が閣議決定されたが、今も、メディアは「戦地に国民への道」「徴兵制につながる」「9条を潰すな」など筋違いなキャンペーンを張っている。
 今回のノーベル賞を申請した人たちだけでない。日本人に共通するのは、安全保障に関する基礎知識に欠け、独善的な思い込みがあることだ。
1960年の日米安全保障条約改定に反対する安保闘争の時もそうだった。
 この安保改定は、条約をより平等なものにするとともに、日本の安全をより確かなものにするものであった。だが、「日本をアメリカの戦争に巻き込む」のスローガンに煽られた学生や労働者は、30万人以上という史上空前の抗議デモを動員して国会を囲み、革命前夜のような様相を呈した。

「戦争に巻き込まれる」発言に煽られる日本人
 幸いにも条約改定は、岸信介首相(当時)の強いリーダーシップで成し遂げられた。後の歴史は、このスローガンが全くの誤りだったことを証明している。
 当時、全学連中央執行委員としてゲバ棒を振り回していた西部邁氏(現在評論家)の講演を聞く機会があった。驚くことに、その時は新安保条約の条文なんか読んだこともなかったと正直に語られていた。彼でもそうであるから、その他のデモ参加者も推して知るべしだろう。
 PKO(平和維持活動)法案審議の時もそうだった。
 湾岸戦争で日本だけが汗もかかず、カネだけ出し、国際社会から「小切手外交」と顰蹙をかった。政府は、あわてて自衛隊が国際平和協力活動に参加できるよう法整備を始めた。だが、またぞろ「戦争に巻き込まれる」「自衛隊から戦死者をだすな」といったヒステリックなスローガンが飛び交った。法案採決にあたっては牛歩戦術も出る始末だった。
 戦後、日本が戦争に巻き込まれることもなく、1人の戦死者を出すこともなかったのは、憲法9条ではなく、日米同盟と自衛隊があったからだ。またPKOでも、自衛隊は黙々と国際社会に貢献し、世界的にも評価は極めて高い。
 自衛隊、日米安保、PKOなどが俎上に乗るたびに「戦争に巻き込まれる」といった感情的なスローガン飛び交ったが、これらがいかに的外れであったかは、既に歴史は証明している。
 今なお、憲法9条に対する独善的な思い込みによって、国際社会の平和と秩序維持のため、日本が真に貢献できる余地を自ら狭めているのが実情だ。
 憲法9条のノーベル賞受賞に向け、「まだまだこれから」と意気込む前に、正確な基礎的知識を学ぶ必要がある。これ以上、独りよがりな恥を晒すべきではない。

自衛隊の教育(織田邦男)

(本論考は2011年の織田氏が他紙に投稿した論考をHPから転載した)

偕行社安全保障委員会委員
織田邦男(元空自航空支援集団司令官)

3月11日に発生した東日本大震災には、自衛官約10万人が動員され、大活躍したことは記憶に新しい。多くの国民が「いざという時はやはり自衛隊だ」「国の屋台骨は自衛隊だ」と実感されたと思う。
活動する隊員の真摯な姿は国民に深い感動を与えた。自分の家族も被災したにもかかわらず、自分のことは後回しにして、黙々と救助活動、捜索活動に専念する。温かい食事は被災者に、自分達は冷えた缶詰を。風呂は被災者優先で、自らはペーパータオルで身体を拭くだけ。また発見した御遺体は自分の親戚のように丁寧に扱う。こういった聖人の様な活動ぶりに、多くの国民が感動した。日頃、反自衛隊のマスメディアも流石に今回は、こういった活動ぶりを伝えざるを得なかったようだ。
活躍する素晴らしい自衛官を見るにつけ、まだまだ日本も捨てたものではないと思う。同時に、自衛隊の教育は間違っていなかったという思いを強くする。
小生も現役時代、同じ思いをした。航空自衛隊はイラク派遣を5年間実施した。後半の2年8カ月、小生は航空部隊指揮官としてイラク派遣の指揮をとった。この間、厳しい環境下での難しい任務を、隊員達は黙々と無事故で完遂した。しかも5年間、不祥事は一件もなかった。
海外での任務は、自衛隊の実物像を諸外国の眼に晒すことになる。自ずと厳しく比較、評価される。母基地を置いたクエートのみならず、共に輸送任務に就いた米軍や諸外国軍から自衛隊員に対する高い評価をいただいた。
小生が現地視察に訪れた時のことである。諸外国の将軍達が昼食会を実施してくれた。席上、何か喋れと言われたので、小生は日頃の支援に謝辞を述べた後、自衛隊の特徴として「軍法」「軍法会議」がないことを説明した。
忽ち大きな反響があった。将軍達は目を丸くして仰け反るように驚き、矢継ぎ早に質問があった。「軍法が無いのに、どうして規律が厳正なのか」「何故、脱走兵が出ないのか」「どう高い士気は維持するのか」等々。予期せぬ反響に逆にこちらが驚いた。普段、そんなことには疑問を持ったこともなく、正直言って答えに窮した。小生は苦し紛れに一言、”Samurai Spirit”(武士道だ)と言って何とかその場を誤魔化したが、彼らは怪訝な表情のままだった。
中東での5年間、のべ3600人の航空自衛官が派遣されたが、諸外国軍には高く評価された。規律厳正、礼儀正しく、使命感旺盛、高い操縦技術、誠実で黙々と任務遂行に専念する。さすがは武士道の国から来た兵士達等々。
日本人が本来持つ優秀な資質もあるが、主は自衛隊の教育成果であると確信している。自衛隊は特別な人が入っているから、立派な活動ができると言う人がいる。だが、これは大いなる誤解である。
自衛隊は普通の若者、平均的な若者が入って来る。平均的な日本の若者であるから、礼儀は知らない、挨拶はできない、満足な言葉遣いもできない若者も多い。だが数ヶ月、自衛隊の教育を受けただけで、親が驚くほど変身する。
「自衛隊では、どういう教育を」と一般の人から質問を受けることがある。小生は「一言で言うと戦後教育の否定です」と答えることにしている。日本の戦後教育は、国家は悪であり敵対する存在とする偏ったイデオロギー色の強い教育がなされてきた。国家や権威を否定し、「個」や「私」を何より優先させた。思想、信条を押し付けてはならないとの美名のもと、教育現場で国旗、国歌を否定するという異常な教育が続けてきた。海外で生活したことのある人なら、日本の教育の異常さが良くわかるはずだ。その戦後教育を否定するわけである。入隊したら先ず、宣誓をする。「事に臨んでは危険を顧みず・・・」と。「個」や「私」の優先から「公」を第一とする価値観の転換である。毎朝、国旗掲揚、毎夕、国旗降下がある。その時は何処にいても国旗に正対して敬意を払う。戦後教育は個を優先し、国家や公に尽くすことは教えて来なかった。だが、自衛隊の教育、訓練を通じ、また実践を通じ、人に尽くす喜び、国家に尽くす生甲斐を教えると、みるみる眼の輝きが増してくる。人間は本来、人の為、組織の為に尽くすことを喜びとするDNAを持っている。「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国に対する愛である」と歴史家キケロが述べる。新約聖書にも「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とある。このDNAを思いっきり発揮させ、「人は人に生かされ、人は人のために生きる」を実感する時、素晴らしい自衛官に変身するのだ。
人は、他人のため、社会のため、国家に尽くす時に最大の生き甲斐を感ずる動物であり、他人のために生きることは人間にとり、自己実現に他ならない。このような人類の普遍的価値観の核心にはあえて目を伏せ、枝葉末節のみ教育してきたのが戦後教育である。
自衛隊に奉職して39 年(防大含む)、自衛隊の教育は素晴らしい人間教育だと断言できる。後輩達には自信を持って続けてもらいたい。他方、日本の学校教育は、自衛隊の教育を参考にして、早期に改善すべきだろう。トマス・ジェファーソンが言うように「最大の国防は良く教育された市民」なのだから。    

出口戦略なき空爆ではイスラム国を倒せない(織田邦男)

米国への憎しみを煽り泥沼の戦いを招く危険性が高い

偕行社安全保障委員会委員
織田邦男(元空自航空支援集団司令官)

(本記事はJBプレスに掲載されたものである)

9月23日、米軍はイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」を標的に、シリア領内で空爆を開始した。作戦にはサウジアラビアほか中東の5カ国も参加したという。F22ステルス戦闘機が戦闘に初参加したほか、F18空母艦載機、B1爆撃機による空襲に加え、洋上に展開した艦艇からも巡航ミサイル「トマホーク」を発射し、イスラム国が本拠を置くシリア北部ラッカなどを攻撃した。

【出口戦略なき愚行を繰り返す?】
米主導のシリア空爆、イスラム国の製油所・指揮系統が標的に
 米国のバラク・オバマ大統領は空爆実施後、ホワイトハウスで「テロリストの安全な避難場所を許容しない」と声明を読み上げた。また「米国単独の戦いではない」と述べ、有志連合を通じた多国籍の軍事行動であることを強調した。
 オバマ大統領はこれまで、ジョージ・W・ブッシュ前大統領が実施したテロとの戦いを「出口戦略なき愚行」と非難してきたが、今回の作戦に出口戦略はあるのだろうか。
 今年5月28日、オバマ大統領は米陸軍士官学校卒業式で、今後の国際社会における米国の外交政策指針を演説した。「孤立主義はとるべきではない」と主張する一方、「平和や自由の追求は重要だがその実現に軍事力行使は必ずしも必要ではない」と述べた。
 最大の脅威は「テロリズム」との認識を示し、軍事力行使の条件を「自国の安全、国益、同盟国の安全保障が脅かされた時」とした。米国に直接の脅威でない場合、効果やコストを考慮した上で、「同盟国など他国と共に軍事作戦」を行うと述べた。今回の空爆作戦は、この外交政策指針に沿ったものといえよう。
また、オバマ大統領は、軍事力行使の要件を次のように明示した。
(1)軍事介入は、米国の安全への脅威が明白で、国民の支持がある時のみ、最後の手段として実施。
(2)軍事力行使の際には、戦略目標を明確にし、圧倒的な兵力を投入し、早期終結をはかる。
(3)軍事力行使前に出口戦略を策定しておく。
(4)米国への脅威が不明確な場合、同盟国やパートナーと共に集団的に行動する。
 (1)~(3)は、コーリン・パウエルが国務長官時代に提唱した「パウエル・ドクトリン」とほぼ同じであり、「パウエル・ドクトリン」のオバマ・バージョンと言える。
 オバマ大統領は9月24日の国連総会の一般討論演説で、「イスラム国」を「打倒しなければならない」と決意表明した。戦略目標は「イスラム国打倒」と明確である。国際社会に対し、一致した支持と協力を要請し、有志連合への参加を「世界に求める」と呼びかけた。軍事行動にサウジアラビア、ヨルダン、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、カタールの5カ国を参加させたのもドクトリン通りである。
 問題は早々に米地上戦闘部隊を派遣しないことを明言し、「イスラム国」を打倒するには「一定の時間がかかる」と指摘したことだ。空爆を決める一方、「圧倒的な兵力を投入し、早期終結」の原則は早々に放棄してしまった。これで出口戦略は成り立つのだろうか。
 統合参謀本部のメルビル作戦部長も空爆後、「確実かつ継続的で粘り強い作戦の始まりだ」と述べ、目的達成に数年を要する可能性もあるとの見方を示した。国防総省のカービー報道官も「空爆は大きな成功を収めた」と強調したうえで、「まだ始まりにすぎない」と述べている。ここ数日でも戦線は拡大する一方だが、出口戦略は見えず、ニューヨーク・タイムズも「危険な新段階」と指摘している。

【精密爆弾の使用比率が96%に】
テロとの戦いを「出口戦略なき愚行」非難してきたオバマ大統領がもし、空爆のみで「イスラム国」を倒せると思っていたら、軍事音痴との非難は免れ得ない。
 米統合参謀本部のメイビル作戦部長は、9月23日の記者会見で使用された爆弾の96%が精密誘導弾であることを明らかにした。湾岸戦争では 8%、コソボ紛争で35%、不朽の自由作戦で 57%、イラク戦争で 68%だったことを比較すれば、精密誘導弾使用
の比重の重みがよく分かる。
 精密誘導弾は目標をピンポイントに絞り、破壊、犠牲、殺戮を極小化できる。戦後復興を考えた場合、必要以上の破壊は抑制した方がいい。民間人被害( Collateral Damage)の極小化も絶対必要条件である。精密誘導弾はこれらに適している。だが、落とし穴があることも忘れてはならない。
 攻撃が精密になればなるほど、精密な目標情報が必要となることはあまり理解されていない。誤差が数メートル単位の精密誘導兵器には、数メートル単位の目標情報が必要となる。精密誘導兵器は入力された目標情報を精密に破壊する。コソボ紛争では入力情報の誤りにより中国大使館を誤爆した。入力情報を誤れば、「正確な誤爆」をするということだ。
 米国防総省の発表によると、第1段作戦の空爆標的はイスラム国拠点など40カ所以上の武器弾薬・燃料の集積施設や訓練施設、司令部施設、新たな構成員を募集している職業斡旋施設などが標的になった。これらの目標情報は、偵察衛星などであらかじめ入手していたものであり、米軍にとっては赤子の手を捻るような作戦であった。
 だが、「まだ始まりにすぎない」と報道官が述べるように、「イスラム国」の息の根を止めるにはほど遠い。むしろ「憎悪」を増しただけだろう。
 今後は「イスラム国」が自らの目標を隠蔽し、頻繁に移動して目標情報を与えないよう行動するはずだ。偵察衛星は戦略情報入手には使えるが、戦術情報には使えない。タイムリーな目標情報が得られなければ精密誘導弾は「宝の持ち腐れ」と化す。
 イラク戦争では 38日間で戦闘終結宣言を出した。アフガンでの「不朽の自由作戦」では3日間で航空基地を制圧した。だが、その後は敵の「隠蔽と移動」により目標情報が容易に得られないテロ・ゲリラ戦になった。空爆の効果は著しく減じられ、戦況は泥沼に陥った。
 今後、「隠蔽と移動」を駆使する「イスラム国」との戦いで空爆を遂行するには、依然として人間の目と頭脳に頼らざるを得なくなるだろう。戦場なかんずく敵地の奥深くに特殊作戦部隊員を潜入させ、タイムリーな戦術情報を入手することが必要となる。
 アフガンでの「不朽の自由作戦」では、アラビアのロレンスよろしくベドウインに扮した特殊作戦部隊員が馬や駱駝に乗って敵地に潜入した。
 マザーリシャリフの戦闘では、勇猛果敢なアフガニスタン騎馬戦士からなる山岳師団との戦闘で、馬やラクダに乗った5人の特殊作戦部隊員が敵の顔が識別できるところまで潜入し、攻撃目標を見つけて、GPS、レーザーを使った精密な目標情報を上空の戦闘機に送信して空爆を成功させた。ハイテクとローテクのコラボレーションだった。

【間違いなく婦女子を人間の盾として使うイスラム国】
 イラク戦争でも投入兵力 12万 5000のうち約1万が特殊作戦部隊員でこの任務に従事した。だが、最も犠牲が大きいのも事実である。
 今回、オバマ大統領は早々に地上部隊の派遣を否定した。空爆作戦を続けるのであれば、誰かが精密な目標情報を入手しなければならない。あやふやな目標情報では民間被害が出る可能性がある。
 ハマスがイスラエルとの戦闘で婦女子を「人間の盾」に使ったように、残虐な「イスラム国」は当然、婦女子を利用するだろう。婦女子に犠牲が出れば国際世論も一気に反米に転ずる。空爆作戦は早晩行き詰るに違いない。
 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は9月23日、米軍主導の空爆を歓迎するとともに、トルコ政府が軍事支援や後方支援を提供する可能性があると表明した。「テロと戦うのに必要なら、どんな措置も講じる」と述べ、これには政治・軍事・後方支援が含まれると語った。
 ジョン・ケリー米国務長官は「世界は中東地域が自らのために戦うことを期待している」と中東各国が地上部隊を派遣するのを期待し、「トルコは今や、我々と共に空爆の成功を保証するため、追加的取り組みを進める準備ができた」と述べた。トルコが「前線に加わってくれるだろう」との見方を示したわけだ。
 だが、トルコがシリア領内に軍隊を出すのをバッシャール・アル=アサド大統領が認めることはあり得ない。まして米軍主導の空爆作戦のために、最も犠牲の大きい役をトルコが担うとも思えない。
 ローズ大統領副補佐官は記者団に対し、アラブ各国との共同軍事作戦は今後も続けられるとの見通しを示した。「アラブ各国が幅広く米国に協力している事実を中東地域全体が認識することが重要だ」と強調したが、危険な地上戦をアラブ各国に任せ、米国は空爆だけという都合の良い作戦が長続きするとも思えない。
 偵察や哨戒を主任務とし、敵を発見次第攻撃できるプレデターなどの無人機も登場するだろう。だが、無人機は破壊力が小さく、自己防御能力が低い。
 「イスラム国」は「世界で最も裕福なテロ組織」といわれ豊富な資金力を保有する。支配地域で算出される原油の売却や銀行からの略奪、あるいは身代金、そして個人や企業から営業許可料などで「毎月数百万ドルの収入」があると米国務省高官は言う。
 「イスラム国」は豊富な資金力に任せて、高性能の装備を保有する。米国式防弾チョッキ、暗視ゴーグルを始めとして、防空システム、対戦車ミサイルまで装備している。自己防御能力の弱い無人機は無力化される可能性が高い。

【甘い見通しは痛いしっぺ返しを招く】
 オバマ大統領は今年1月、米誌とのインタビューで、「イスラム国」を含む各地のイスラム過激組織を「大学の2軍チーム」と評した。いささか情勢認識が甘いようだ。このような甘い見通しで、出口戦略なく軍事介入を開始したとしたなら、とんだしっぺ返しを被りかねない。
 長いテロとの戦いで疲弊した米国は、イラクから撤兵し、アフガンからも撤収しようとしている。今さら、イラクやシリアへの地上部隊を派遣することはないだろう。
 だとしたら、今回の空爆の決心は中途半端で軽率に過ぎる。中東にとって最悪のシナリオは、途中で米国が投げ出すことだ。中東での米国プレゼンスの消滅は、中東の混乱は世界中に波及することになる。
 情報なき空爆で「イスラム国」を打破するのは不可能である。シリア領内の「イスラム国」の指揮・統制や補給拠点に打撃を与える第一段作戦が終了したら、後は深入りを避け、戦略を転換することだ。
 国際社会に呼びかけ、資金源や補給路を断ち、武器の入手経路を遮断して「イスラム国」を孤立させ、弱体化させる戦略への方向転換である。同時にテロリストの国外脱出を封じ込めると共に、各国がテロリスト入国を阻止する水際作戦を徹底することだ。
 米国はずるずると効果の上がらない空爆を続け泥沼に陥ってはならない。だが、手をつけたからには、逃げ出すようなことがあってはならない。今からでも遅くない。出口戦略をしっかり練ることだ。

憲法解釈変更閣議決定について考える(冨澤 暉)

偕行社安全保障委員会委員
冨澤 暉

(本記事はJBプレス及び隊友に掲載されたものである)

1. 経緯と総合評価
(1) 憲法解釈変更は改憲だという意見があるが、元々現憲法は英米法として出来たものである。英米法はよく言えば柔軟、悪く言えば曖昧なものだから、どういう武力行使が可能か不可能か等とは明記していない。それ故、一度は「個別的自衛権もない」と言っていた政府が「個別的自衛権はある」と解釈変更し、また、国際法上確立された自衛の3要件の第3「必要な限度に止めること」(相当性・緊急性)を引用し「核兵器が違憲とは断言できないが、この政権は核兵器を持たない」と言ったり、更には「必要な限度」を勝手に「必要最小限度」という言葉に言い換えたりして来たのである。それを今になって「解釈変更は一切不可」と言い張る大陸法的論者に、私は賛成できない。故に、今回政府がとった「状況の変化に応じた解釈変更」という手段を、私は認める。
(2)7年前、4事例研究で始まった安保法制懇の検討は集団的自衛権行使の問題に限定されているかに見えたが、今春以降、「グレー・ゾーン問題(栗栖発言問題)」や「集団安全保障問題」を優先すべし、との自衛官OB達の意見を入れて幅広く流れを変えた。5月15日に首相に提出された報告は懇談会構成員の佐瀬昌盛氏によれば「審議不十分ながらも、85点(高点)」とのことである。この意見に同意だが、特に、「国連PKO等や集団的安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」の文言には感動を覚えた。
(3)この報告に対し、安倍首相が「集団安全保障」問題で自ら後退した発言をしたのは残念であった。一国平和主義を排し、国際協調に基づく積極的平和主義を貫くためには「集団安全保障」こそが中核となるべきであり、「集団的自衛権行使」はその補助手段に過ぎないからである。しかし、こうしたことが国民全般に十分理解されていない現状での政治的判断だとすれば、これもまた認めることとしたい。
2.与党(自民・公明)協議と15事例
(1)それぞれの党内事情を背景に、両党ともねばり強く良く協議を続けまとめたと評価したい。民主主義とはこういうものだと思う。
(2)協議の叩き台とされた15事例の中には私どもでも首を捻るものがあり、一般国民には理解が難しかったのではないかと思う。この15事例は閣議決定には含められず、今後立法段階での検討事項となるのだろうが、これが金科玉条となり「これ以外は許されない」と決めつけないようにして欲しい。グレー・ゾーン問題はポジティヴ・リストにしなくてはならないが、その他は全てネガティヴ・リストにすべきだ、というのが私ども現場にいたものの意見である。
(3)国際海峡に敷設された機雷掃海で集団安全保障に関する武力行使問題が出てきて、その含みを残したことは良かったと思う。ホルムズ海峡での機雷掃海を集団的自衛権行使として実施することは元々無理な設定だと思う。
3.何故、政府が閣議決定を急いだのかについて
(1)今年中に新たな日米ガイドラインを決定する予定があり、その交渉にあたりより多くのカードを保持しておきたい、という政府の思惑ではないかと忖度する。現代の軍事は経済・文化とならび外交の背景となるものであり、それは自国の「独立と平和」のため極めて重要なものである。それは対中・対南北韓半島のみならず対米・対世界を含む幅広いものでもある。この変転する複雑な時代にあって「実際にどうするか」と言う前に、現政府が出来るだけ多くのカードを用意したいというのは当然であり、私はそれを支持する。
(2)「集団的自衛権により米軍を支援する場面はあまりないだろう」と私は主張したが、中国の対艦ミサイル・攻撃潜水艦の空母機動群(第7艦隊)に対する脅威が増大していることは事実である。これに対する対潜・対ミサイル協力は明らかに集団的自衛権行使となる。カート・キャンベル元国務次官補やケヴィン・メア元国務省日本部長、更には石原慎太郎参議院議員もそれを盛んに言っており、日本政府もそれを説明すれば国民の多くは集団的自衛権行使を納得するかも知れない。しかしこれを政府が公式に表明すると「海上自衛隊は米海軍の補助部隊に過ぎないのか、日本は米国に対し独立しているのか」という批判がでる。新ガイドライン検討にあたり、日米の役割・分担が当然問題となる。そのため政府はより多くのカードを持つ必要があり、それ故、むしろ曖昧な15事例提示となったのかも知れない。
4. 国民は納得しているのか
(1)不肖私はこの20年ほど「①集団的自衛と②集団安全保障の違い」について、独学で勉強してきた者である。しかし、その二つの違いについて私が述べても、それを理解する自衛官OBは極めて少数であった。ましてや、政治家・官僚OB・マスコミ等の中にこれを理解する人は殆どいなかった。漸く昨秋以降僅かな理解者を得た程度のものであった。先述のように佐瀬昌盛氏は安保法制懇の審議すら不十分であったと言っている。国民が理解していないことは当然である。
(2)色々なアンケート報告はあるが、集団的自衛権問題を良く理解した上で賛成する人は少数である。そして良く理解した上で反対する人も少数である。圧倒的多数は「わからない」である。さすれば政府与党は今後にかけ更にこの問題を丁寧に説明し、次に来る法律整備とガイドライン交渉に備えなければならないであろう。
5. 自衛官たちはどう考えているか
(1)各自衛官も国民の一人である。但し「日本の独立と平和のために」「事に臨んでは身の危険をも顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」と宣誓をして入隊した者達である。
(2)「自衛隊は戦死者を出さない軍隊だね」とからかい気味にいう人も居るが、それは
偏見である。確かにこの60年間、見事なほどに一人の戦死者もいないのだが、これまでに1800名以上の殉職者を出しており、その内1500名以上が訓練死による殉職である。安全管理に万全の処置をとりつつもこれだけの犠牲を払ってきた。自衛官は自分が訓練で死ぬとは思っていないが、訓練は厳しく、死ぬ可能性もあると承知してその訓練に自ら立ち向かっているのである。死ぬのが嫌なら訓練を止めれば良いのだがそうはいかない。この厳しい訓練をすることが抑止力となり、日本や世界の平和に寄与しているのだと、愚直に信じ納得しているのである。「自衛隊から戦死者を出してはいけない」という言葉は自衛隊員への応援歌にはならないのだ。
(3)しかし、自衛官も国民である。国民の自衛官への負託が不明であれば、不安を感じ士気が下がる。イラク・クウェート派遣部隊は現実に敵弾が飛んでくる苦しい中で、日頃の訓練成果を発揮して任務を全うし、諸外国軍からは称賛されつつ無事帰国したのだが、その時に「貴君たちの行為は憲法違反でした」と言われた。これはつらいことである。
(4)閣議決定がなされたからと言って、現実に与えられる任務が急に変わるとは考えられない。だから「良く分からないが任務が与えられればそれに従う」という隊員が多いと思う。しかし、自衛隊員は日頃訓練していないことを急にやれと言われても出来ない。自衛隊をどの状況で如何に使うかは政治(国)が決めることだから政治家(国民)は自衛隊の現状に関心を持ち「自衛隊は何が出来るのか」を知らなければならない。それを知らずして「困った時には何でもやってくれる打ち出の小槌」と誤解すると互いの不幸の元になる。現在の訓練錬度で出来ないことを自衛隊に求めてはいけない。そして自衛隊側も「装備も人力もなく、さらに訓練していない事」は「出来ません」と明確に断る勇気を持たなければならないのである。 
6.おわりに
本日は自衛隊創設60周年である。なお不十分とは言え、60年間持ち越されたこの懸案を、7年間でここまで前進させた安倍首相に心からの敬意を表したい。特に「一国平和主義」という利己的な概念を排し、国民の目を「国際協調による世界の平和」に向けさせた功績は大きいものであった。
首相は自衛隊の最高指揮官であり、最高指揮官は全隊員を統率する。
統率力の根源は隊員を説得する「能力」と、最終的にはこの人について行きたいと隊員に思わせる「人格」である。このことについて誰しも百点満点は取れないのだが安倍首相にはそれを目指す力がまだまだあると信ずる。
そして首相は国民によって選ばれた「国民の代表」であるが、同時に有事には国民を統率しなければならない。そこに要求される「能力」と「人格」は自衛隊統率におけるものと何等変わりはないのである。
とまれ、一歩も二歩も前進したことを喜びたい。           以上
                      (2014年7月1日記)

空軍解体論(徳田八郎衛)

偕行社安全保障委員会委員(元防衛大学校教授)
徳田八郎衛

「自衛隊を解体して国土建設隊に」という書籍が書店から姿を消して何十年か経つが、米国では「グラウンディッド(飛行禁止)-米空軍を解体しては-」が今春上梓されて話題となっている。著者はケンタッキー大学助教授で政治学者のロバート・ファーレイであり、ここ数年、ブログに書き続けた自説をまとめ、昨秋「フォーリン・アフェアーズ」誌に「米空軍を飛ばせるな」と題する論文を発表した。その書籍化である。著者は、近年益々増してきたエアパワーの重要性は否定しない。だが「エアパワーだけで何でもできる」「米空軍だけで何でもできる」と考える浅はかな政治家や学者が増え、安易に武力行使するのに我慢ができない。そこで1947年の空軍独立前の状態に戻し、「陸軍と海軍に従属させる方が効率よくないか」と提案する。
米空軍独立の際に米陸軍は、「近接航空支援を自分で行えるだけのエアパワーは残してほしい」と要求したが、「陸軍への近接支援は空軍の義務である」と法律に明記することで我慢させられた。ところが戦略核兵器や宇宙で多忙な米空軍は、強力な近接航空支援機A―10の後継機開発を忘れてしまい、米陸軍に迷惑をかけたと著者は責める。また著者が空軍解体を説く理由の一つには、強力な空軍ロビーの議会活動と不明瞭な調達問題がある。次期戦闘機F―35開発の遅延原因は藪の中であるが、米空軍の開発責任者が米空軍協会総会の席で担当企業を非難するという、日本では信じられない光景を見ると、著者の指摘も正しいように思えてくる。
海外の会議やスポーツの場で不愉快な目、不公平な扱いにあっても笑って済ませる「礼節の国、日本」と違い、「主張の国、米国」であるから米空軍一家も黙ってはいない。数えきれないほどの外郭団体機関誌やサロン的な雑誌に、退役だけでなく現職の佐官クラスが寄稿して著者を叩く。この8月にはノートン・シュワルツ前空軍参謀長も、チャールス・ブランチャード前法務官と連名でアビエーション・ウィーク誌に寄稿して「有毒で馬鹿げたエアパワー懐疑論」だと例証した。確かに朝鮮、ベトナム、コソボ、イラクと、どの戦域でもエアパワーだけでは勝てなかった。だが今日、米空軍が誇る宇宙力と機動力がなければ米陸海軍と同盟国の戦力だけでは、全面戦争は勿論のこと、国際平和維持活動でさえ行えないと空軍サイドは反論する。
これと似た論争は湾岸戦争直後にもあった。エアパワーだけで何でもできるという楽観論が跋扈したので、批判論者は、ギリシャ神話のイカロス少年をもじって彼らを「イカロス兆候群」と名付けた。その時の論争が少しも引用されないのは不思議である。また空軍一家からも次のような「反論へのコメント」があった。「戦略爆撃で日独の戦争継続能力を破壊したのは事実だが、現在、そのような対象国があるのか?どこも他国から買い集めている。しかも米国から。その方が問題ではないのか」。「非国民」などとヘイト・スピーチを浴びせることなく全国民が「我らの国軍」の在り方に発言できる「主張の国」の強さを、我々は改めて認識すべきではなかろうか。

ドイツ・オランダの統合師団(徳田八郎衛) 

偕行社安全保障委員会委員(元防衛大学校教授)
徳田八郎衛

戦時の韓国軍に対する運用統制権(OPCON)の返還を求めて永年にわたって米国と交渉してきた韓国であるが、師団長は在韓の米陸軍第2歩兵師団長が兼任し、副師団長は韓国陸軍准将が務め、戦力の大半を韓国軍が担う「米韓統合師団*」を来年上半期末までに編成すると両国が合意したことが9月4日に公表された。それを報じる翌日の産経新聞によると、韓国メディアは、2つの国の統合師団編成は世界初と伝えているが、実は、ドイツとオランダが統合師団の編成をすでに開始している。
今年の6月13日、オランダの空中機動旅団をドイツの快速師団へ組み入れる協定にドイツ陸軍監察官ブルノ・カスドルフ中将とオランダ陸軍司令官マルト・ド・クリュフ中将が調印した。場所はオランダの第11空中機動旅団が駐屯するシャールスベルゲンで、各々の国防相であるウルスラ・フォン・デル・レイヤン氏とジェニーン・ヘニス・プラッシャート氏が立ち会った。いずれも女性の国防相だ。すでに1995年にドイツ・オランダ軍団は編成されていたが、これは両国の別々の部隊が、ある期間だけ、合同司令部の指揮下にはいるだけのものであった。この協定で初めてオランダ旅団がドイツ師団の指揮を受け、組織に組み込まれることになるが(インテグレート)、これも2013年5月に両国が合意し、公表済みであった。
具体的には、当地の第11空中機動旅団が、ドイツ中部のスタッタレンドルフに司令部を置くドイツ師団の指揮を受ける代わりに、副師団長を含む13名の幕僚をここへ送り込む。9,500名のドイツ軍人と2,100名のオランダ軍人で構成される師団隷下部隊は、自国の駐屯地に留まりながら共同して訓練や任務に当たるが、究極の目標は、統合的な任務の計画と実施であり、2016年中に統合司令部を機能させ、2018年から師団全体が作戦可能となるのが目標である。一見「じっくりと」とも思えるが、今年の元旦に、このドイツ師団が新しいドイツ快速師団に再編成されたのを受け、オランダの第11空中機動旅団も、すでに隷下に入れたという素早い行動もある。
国を越えた部隊統合は、国際連携で行動する時代の必然性のようでもあるが、背後からは、防衛予算の削減でドイツ軍の第1空挺旅団や特殊作戦コマンド、NH90の輸送ヘリ隊、タイガーの攻撃ヘリ隊等が解体され、それをオランダ軍との統合で補うという苦しい事情も見えてくる。

* 他国との連携は連合(アライド)、他軍種との連携かつ統一指揮は統合(ジョイント)であるが、これは国家レベルではなく、部隊単位での連携、しかも統一指揮であり、外紙もジョイント、コンバインド(混成)と表現しているので統合と記した。邦字紙の中には「米韓連合師団」と表現するものもある。            (以上)

自衛隊は治安機関か?(徳田八郎衛)

偕行社安全保障委員会委員(元防衛大学校教授)
徳田八郎衛

 東日本大震災の際に自衛隊が示した迅速な対応と献身的な救助・復興活動への感謝と賞賛を、老兵の私まで多くの方から頂いた。「津波・地震・放射能という未体験の複合事態に、後輩諸君は本当によく耐えてくれました」と応えた後、「しかし私たちの本来の任務は、外敵に備えることなのです。陸海空併せて10万人が投入されていましたから、本来の任務のための出動がなかったのは僥倖でした」と付け加えると、「そうでしたね。本来の任務は国の防衛ですね」と、これも多くの方が同意して下さった。伊勢湾台風や北陸豪雪で活動した頃は、同様の感謝を示しながらも「どこの国も攻めてきそうにないから、災害出動を優先した装備取得や部隊配置を進めた方がよいのでは?」という意見の人も少なくなかったから、「本来の任務」への理解者は着実に増えている。国連憲章第2条4項で、戦争を「武力による威嚇又は武力の行為」という文言で規定し、それを禁止してみても、武力による威嚇や行使が世界各地で続く現状を否定できる人はいないからだ。
だが一方、「戦争はあってはならない」「戦争をしてはならない」という普遍的な理念にも強力な支持があるから、国連憲章が例外的な武力行使と認めている個別的・集団的自衛権の行使(第51条)についても「日本は行使すべきでない」「防衛出動はあってはならない」とする主張も根強く残っている。これに「依然として軍事的には世界を1極支配する米国と組む日本を侵略する国があろうか」「いわんや経済成長を国是とする中国が、武力行使などの愚かな行為をするはずがない」という一見、現実論的な思考が加わり、自衛隊の任務の第一である「日本の平和と独立の維持」を否定する論調は、未だに後を絶たない。2014年8月2日付の日本経済新聞夕刊に掲載された特別編集委員の寄稿もその一つである。対馬の国防上の重要性を説き、現代の防人たちを激励しているのであるが、最後は「陸上、海上、航空3自衛隊が駐留し、海上保安庁、警察を合わせた治安要員が約1000人いる。家族を含めれば島民の1割が治安機関の関係者となる」で結ばれている。
防衛省の各種広報資料においても、自衛隊の使命としては「国の防衛」「災害派遣」「国際平和協力活動」が掲げられ、長官命令で教範さえ破棄させられた「治安出動」に関しては一言も触れられていない。警察のプライドや「同胞相撃つ」を避けたい自衛隊の心情もあって、治安機関として自衛隊を位置付けるのはタブーに近いから、警察の装備や知見では対処できず、陸上自衛隊の化学防護専門家と器材に依存せざるを得なかった「サリン出動」も、「治安出動」ではなく「災害出動」として扱われた。しかしながら日本を代表する経済専門紙ですら最前線の対馬で外敵に備える3自衛隊を治安機関と記すのは、自衛隊の本来の任務が、まだ十分に認識されていないからではないだろうか。
                                 (以上)

朝日に一言言いたい(井上 廣司)

偕行社会員(元陸自東北方面総監)
井上  廣司

1. はじめに
朝日新聞が、8月5日の朝刊で、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、朝日新聞のこれまでの報道内容について、総括するかのような記事を掲載した。1980年代以降、日韓関係の冷え込みの原因の一つに、朝日新聞の報道があることは事実であり、今回どのような整理をされるのか興味を持って読ませていただいた。残念ながら、期待は裏切られ、唯一の謝罪は、吉田清治氏(故人)の証言を取り消したことぐらいである。それも、32年たっての取り消しである。「今更遅いだろう」というのが実感である。剣よりも強い報道機関に、剣ならずちびた鉛筆で一言言わせていただきたい。

2. 報道記事への一言
(1) 強制連行について
 朝日新聞は、1991年、朝鮮人慰安婦について「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言を強制連行の事例として紹介した。1992年、社説で「挺身隊の名で勧誘または強制連行された」と表現した。
 これについて、1993年以降、強制連行という言葉を使わない様にしてきたと釈明した。
朝鮮や台湾では、業者が「良い仕事がある」とだまして多くの女性を集めることができ、軍が組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていませんと説明する一方で、インドネシアなど日本軍の占領下では軍が現地の女性を無理やり連行した資料が確認されていること挙げて、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制があったと釈明している。
 朝日新聞は、この報道で、20年で慰安婦の強制連行のイメージを世界に拡散させた責任がある。朝鮮人慰安婦の強制連行を報じたのにも拘らず、インドネシアの例を挙げて誤魔化すのはいかがなものか。軍による強制連行から、本人の意志に反した強制があったとすり替えるのも腹立たしい。そもそも、現代の援助交際ではあるまいし、自分から慰安婦になりたい女性などいるわけがない。過去の報道を完全な間違いではないと言いたいだけである。

(2) 吉田清治氏の証言
 朝日新聞は、1980年代から90年代にかけて、慰安婦にするために女性を暴力を使って無理やり連行したという、吉田清治氏の証言を確認できただけで16回、記事にした。
 これについて、吉田氏の証言は虚偽だと判断し、記事を取り消している。吉田氏の証言については、1992年ころから、証言は捜索の疑いがあると報道され始めた。その後、記者が吉田氏と面会し、電話等で確認したが、証言が虚偽だとの確証が得られなかったので、「真偽は確認できない」と表記したと説明している。
 これもおかしい。虚偽だと確証が得られないので、嘘の可能性の高い報道を32年間放置していたというのは、如何なものか。他の研究者の指摘からも、証言の矛盾はいくつも指摘されており、何をいまさら「証言を裏付ける証拠は得られませんでした」とは。国連人権委員会で慰安婦を「性奴隷」と認定した「クマワスラ報告」が吉田証言を引用しているのも、もとをただせば朝日新聞の報道が遠因となっている。いずれにせよ、1982年に韓国NBCが40分のドキュメンタリー番組を放送するなど、たびたび引用され、結果として「官憲による組織的な強制連行があった」との認識を韓国社会に定着させた責任は重い。

(3) 軍関与示す資料
 これは、1992年1月11日朝刊の「慰安所、軍関与示す資料」の報道が、宮沢喜一首相の訪韓直前のタイミングを狙った意図的な報道ではないかと問題にされたものである。
 紹介された文章は、1938年に陸軍省副官名で派遣軍いだされた通達で、日本国内で業者が慰安婦を募集する際、「軍部の了解がある」と言って軍の威信を傷つけているので、憲兵や警察と連絡を密にして軍の威信を守るように求めているものである。これについては、
軍の関与を「善意の関与」とする意見と「慰安所と軍の関係の隠ぺい化を徹底させる文章」の二つの見方を伝えている。政治問題化を狙ったものかどうかについては、否定している。
 否定した以上、嘘だろうというのも水掛け論でしかないが、記事というものが、その効果を最大限に発揮できるように考えるのが編集者ならば、狙わないはずはない気がする。少なくとも、結果として官邸を大騒ぎに巻き込み、野党や韓国を利したことは否めない。報道に従事する人の心はわからないが、「国破れてペン残る」でよいのだろうか。
 また、朝日新聞はこの記事で「主として朝鮮人女性を挺身隊の名前で強制連行した。その人数は、8万とも20万ともいわれる」と説明した。これを根拠に、慰安婦の支援団体が集会などで叫ぶフレーズ「慰安婦20万人連行」が作られ、今や集会に定番になっている。根拠のない数字を、暈しながらもいかにも真実のように報道するのは許されない。

(4) 挺身隊との混同
 1991年当時、朝日新聞は、朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次世界大戦の直前から女子挺身隊などの名で、前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」とか「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」と書いた。
 朝日新聞は、女子挺身隊は、戦時下で軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とは全く別物であると説明し、当時は慰安婦に関する研究が進んでおらず、誤用したと釈明している。
 自分が間違って誤用したのに、研究者がちゃんと研究していないので悪いとの言い方は、自己責任を取らない朝日新聞の社風なのであろうか。現実には、報道の翌年、韓国で国民学校に通う12歳の朝鮮人女性が挺身隊に動員されたことを示す学籍簿が発見されたとの報道がなされた時、この誤用が原因で「日本人は小学生まで慰安婦にした」と誤解され、対日感情が悪化したのも事実であり、大いに反省すべきである。少なくとも、誤用が解った時点で認めるべきであり、今まで放置した責任は重い。

(5) 元慰安婦証言報道
 1991年に「思い出すと今も涙、元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事は報道された。これは、元朝日新聞記者植村氏が韓国よりも早く報じたもので、この元慰安婦の裁判を支援した団体の幹部が記者の義母であったことから、義母を利する目的で報道したのではないかと指摘された。また、元慰安婦がキーセン学校に通っていたことを隠し、人身売買を強制連行であるかのような表現をしたことが指摘されている。
 これについて、前述のように挺身隊と慰安婦の混同は認めたものの、義母との関係を利用した特別な情報提供はなかったと説明している。また、元慰安婦がキーセン学校に通ったことは、知らなかったとしており、全体として意図的な事実の捻じ曲げはないと説明している。
 半年前に結婚した記者が、あの親戚関係のうるさい韓国で義母を知らない訳がなく、直後に裁判を起こす元慰安婦と支援団体の幹部が繋がっていることを知らない訳はないと思う。
良い記者は、あらゆる情報源を利用するものである。キーセン学校に関しては、あそこまで慰安婦になった経緯や苦労を聞き取っているのに、全く聞かなかったというのは信じがたい。キーセンに触れなったのはその方がインパクトがあると思った以外に理由は考えられない。
元慰安婦が日本政府を相手に提訴した、訴状の中でキーセンに触れている。また別のインタビューでも「母に40円でキーセンに売られた」と話している。それにも拘らず、その後の植村氏の記事にも他の朝日新聞の記事にも、一言も触れていないのは何故だろうか。

3. おわりに
 朝日新聞が、従軍慰安婦問題を取り上げることに異論はない。戦争に負の遺産に目を向けることも否定はしない。しかし、批判のために批判をし、結論ありきで真実を見たような報道は、行うべきではない。今回の慰安婦問題報道の最大の問題は、吉田清治証言のような非常識な証言を裏付けもなく大々的に取り上げたことである。結果としてでたらめな報道をしたことで、この問題の本質をかえって見えなくしたことは事実である。誤認や誤用についても以前から指摘されていたことであり、もっと早く検証し、誤りを認めるべきであった。
現在に日韓関係の冷え込みの一端の責任がこれらの報道にあるのではないか。他社もやっていただとか、他社も混用したことがあるとか、研究者もわかっていなかったとか、他を批判し、自らを守ろうとするのはやめた方がいい。誤る時はちゃんと謝った方が良い。
 いずれにしても、一度頭に入れた認識や世界に広まった誤解を解くのは容易ではない。特にこの従軍慰安婦のような問題は、相手の間違った認識を指摘しようとすると、人権や人の尊厳を傷つけるかのように誤解されてしまう。自分たちの悪を誤魔化そうとしているかのようにみられるのはつらいことである。これから誤解を解くための報道を期待したい。

目の前の朝鮮事態に備えているか(冨澤 暉)

             東洋学園大学客員教授  冨澤 暉
 現在の朝鮮問題が熱戦や治安事態に変化するのか、あるいはまた延々とした6カ国協議に戻るのか、について断言できる人は少ない。また仮に6カ国協議に戻るとしても、早晩、熱戦・治安事態の危機が再発生することも明白である。
 この事態を前に日本が今、早急に、準備をすべきことは何であろうか。
熱戦・治安事態が生起した場合、中国がどういう立場をとるかが最大の鍵であるが、米中両国はともにそれを望んでいないので、米中戦争に発展させることは避けられると期待する。
いずれにせよ朝鮮戦争は休戦中であり、休戦が破られたとなれば、米韓両軍はもとより、休戦時にニューヨークで再結集を約束した朝鮮国連軍参加各国の多くがこの収拾のために参戦することになろう。
日本はこの朝鮮国連軍参加各国との間に「国連軍地位協定」(1954年)を締結しており、在日米軍基地のうち7カ所を国連軍用基地として指定している。
日本政府は1999年に「周辺事態法」を制定した。これは朝鮮半島で熱戦・治安事態が生起した場合、米軍を支援するにあたり「米軍地位協定」のみでは不十分、という認識のもとに策定されたものである。日本がこの事態に国連軍を支援する必要があるのなら、まずは、現「周辺事態法」の中に「国連軍支援」を明文化する必要がある。
更に、未だ「国連軍地位協定」に参加していない韓国との間で本協定の調印・締結がなされなければならない。特に治安事態になった場合、韓国内にある米韓両軍基地は脆弱となるので、米韓両軍を含む国連軍にとって日本の基地は極めて重要になる。
この基地提供のみならず、これら国連軍に日本の港湾・空港等を提供し、また様々な援助を与えることが、直接参戦できない日本にとって何よりも重要となる。その援助の多くは情報・後方兵站を含む軍事援助なので、陸・海・空自衛隊が中心となって支援しなければならない。現在、日・米・韓プラス豪等の連携が叫ばれているが、これらの援助がしっかり出来るように準備することでその連携が現実のものとなる。
日本の自衛隊がその国連軍に参加して、韓半島に戦力を及ぼしてはどうか、という意見もあろうが、それは出来ない。北朝鮮の人も韓国の人も、日本の戦力が韓半島に及ぶことには、極めて敏感であり、その結果は熱戦・治安事態の終了後に、より悪い結果を招くからである。
邦人救出も、現状では極めて難しい。前述の問題をも含み、戦争で忙しい韓国の空港・港湾を一部とは言え日本が優先使用することは困難だからである。ここは、米・韓・国連軍と予め緊密に調整し外交的に準備しなければならない。
第一次朝鮮戦争において、日本への難民流出はあまりなかったと言われる。しかし、今回は多数の難民が出現すると思われる。かつて、遠いベトナムからですら日本に難民がたどり着いたのである。特に韓国からの難民は多いだろうし、そこに北朝鮮系の人々が相当数含まれることも予測される。難民は入国管理局の担当だろうが、何万・何十万ともなる難民を日本はどう受け入れるつもりなのだろうか、まさか、戦時の韓半島に送り返すこともできまい。この人達への対応が悪ければ暴動が起きるかも知れない。収容施設・給食・採暖等生活環境の支援、更には暴動抑止のために警察・自衛隊は何が出来るのだろうか、その準備が既に出来ている、とは寡聞にして聞かない。
日本が米・韓・国連軍に基地を提供し各種支援をすれば、これに対する北朝鮮からの妨害行動が予測される。
北朝鮮のミサイル攻撃に対してはミサイル防衛と敵基地攻撃しかない。ミサイル防衛は、その全てを東京に集中すれば東京周辺だけは何とか守れるかもしれない。しかし現段階では、技術的・数量的限界からして日本全土を守ることは出来ない。敵基地攻撃は現在の自衛隊では技術的に実行できないので、これは米韓軍に依存するしかない。北朝鮮も滅多なことではミサイルを人口密集地に打ち込んでこないと思われるが、後は急遽、シェルター(防空壕)を掘り、地下街に空気清浄機をつけ、国民保護訓練を盛んにするしか対応策はない。
こうした事態において、一番の問題は日本国内においてテロ・ゲリラが発生することである。北朝鮮には9万人の特殊部隊がおり、また韓国・日本内部にもこれに通じる人々が
いる、と言われている。日本には電源・水源・通信・交通機関に脆弱な施設等が多く、テロ・ゲリラにそれらを狙われたら日本人の生活は危殆に瀕する。
 1996年、韓国東部に26人のゲリラが上陸した時、韓国軍は6万人の兵士を何十日間も投入したという。日本各地でこういう事態がいくつも同時に発生した時、担当の警察は対応できるのであろうか、また、自衛隊はどうするのであろうか。シナリオに基づく具体的な回答を政府から聞いた人はいない。
防衛大綱で5年から10年後に備えることは無論大事であるが、このような目の前のことを確認し、直ちに実行することが今何よりも大事ではないか。



領域警備法を早急に制定せよ(冨澤 暉)

 9月7日の巡視船・中国漁船衝突は尖閣諸島・久場島沖西北12~15キロで起きたものである。久場島沖22キロまでは日本の領海だからこれは明白な領海侵犯事案と言えるのだが日本ではそれを取り締まる法律がない。今回は漁業法違反の疑いで取り調べようとして追尾したところで衝突され、公務執行妨害で船長を逮捕したという。
 国際法(82年国連海洋法条約)では、軍艦を除くあらゆる外国船に沿岸領域内での無害通航権を認めているのだが、その場合でも「沿岸国の平和、秩序または安全を害しないかぎり」との条件が付されており、沿岸国では無害でない通航を防止するためにその領海内で必要な措置をとることができる、とされている。つまり領海侵犯を防止するための法律をつくることは可能なのに日本はそれをしていない、ということである。
 さて、中国・台湾は尖閣諸島を自国の領土と主張しているが、今回、この現場には日本の巡視船が存在するのみで、中国・台湾の官憲は何も存在しなかった。ということは、両国とも尖閣諸島における日本の実効支配(既成事実)を暗黙の内に認めていた、と言わざるを得ない。それは日本の巡視船が竹島や北方領土の、韓・露の主張する領海内に入らないことと同じである。
 しかして、こうしたことが何回か続いた後に、中国や台湾が武力を行使して尖閣諸島を奪取するかどうかが問題になる。
 既成事実(実効支配)を持つ國に対してそれを持たない國が武力攻撃をして領土を奪取することは、第三者的に見て明らかな侵略である。この事態が生起したとき、日本は断固として戦わなければならない。もし、日本自身が戦わなければ国連も米国も多分動かないであろう。米軍には日本の領土を自衛隊に先んじて守る責務はない。日中の紛争が戦争に発展して互いにその基地を叩き合う事態になった時に、はじめて米軍は日本を支援して参戦できる。
 従って、日本が断固として戦う姿勢を示し、沖縄と佐世保・横須賀の米軍基地がある限りにおいて、中国が武力攻撃をかけてくることは(絶対にないとは言えないが)先ずない。中国には、今のところ米国と戦争をする能力も意志もないからである。
 もっとも警戒すべき事態は、中国が非武装(風)の民衆を上陸させ、そこに彼らの生活圏を作り上げてしまうことである。これを「軍隊による侵略と同じだ」とは言えないし、この民衆を攻撃・撃滅して「これは日本の自衛行為だ」とも言いにくい。そしてこの民衆を保護する名目で中国の官憲が出現し居すわった場合に、既成事実(実効支配)は完全に逆転する。南シナ海の幾つもの島を中国はこのようにして奪取してきたのだ。尖閣諸島に対するこの種試みは既に何回か行われているが、今後の問題は、雲霞の如き船と民衆が上陸しようとやってくることである。この時、「撃たれなければ撃てない」海上保安庁や自衛隊ではとても対応できないのである。
 警告をし、警告射撃をし、それでも領海に入ってくる船は即座に撃沈することが必要である。そうでないと警告が警告にならないのである。撃沈することは武力行使であるが、その武力行使を許す領域警備法を国際法に基づいて制定しなければならない。そうしないと、日本はすべての離島とそれに伴う領海・排他的水域を失うことになるであろう。
 領域警備法を制定するのに、憲法改正は不要であるが、どうしても武力行使という言葉を使いたくなければ「領域警備のための武器使用」とすればよい。それは治安行動における「警護鎮圧のための武器使用」(自衛隊法第90条)と同等に扱うということである。