英霊に敬意-靖国 of 偕行社

慰霊顕彰事業:靖國定例参拝

靖国定例参拝予定

【平成28年度月例参拝予定】
* 月例参拝は、先ず靖國神社本殿に参拝し、その後千鳥ヶ淵戦没者墓苑に移動して、菊花を捧げ、自衛隊市ヶ谷駐屯地に移動します。同駐屯地では、メモリアルゾーンにある自衛隊殉職者慰霊碑に参拝して、市ヶ谷駅付近で解散するスケジュールで行います。
 4月22日(金)   春季例大祭(月例参拝なし)
 5月18日(水)   陸士奇数期、幼47期、元自Bグループ
 6月15日(水)   陸士偶数期、幼48期、元自Cグループ
 7月20日(水)   陸士奇数期、幼49期、元自Dグループ
 8月17日(水)   陸士偶数期、幼47期、元自Eグループ
 9月28日(水)   陸士奇数期、幼48期、元自Aグループ
10月 6日(木)   全国偕行会会長等
10月18日(日)   秋季例大祭(月例参拝なし)
11月16日(水)   陸士偶数期、幼49期、元自Bグループ
12月21日(水)   陸士奇数期、幼47期、元自Cグループ
 1月18日(水)   陸士偶数期、幼48期、元自Dグループ
 2月15日(水)   陸士奇数期、幼49期、元自Eグループ
 3月15日(水)   陸士偶数期、幼47期、元自Aグループ
【元自会員のグループ区分】
Aグループ 59以前(B3・U26以前・相当期のi)
Bグループ 60~62期(B4~6・U28~32・相当期のi)
Cグループ 63~66期(B7~10・U34~40・相当期のi)
Dグループ 67~69期(B11~13・U42~46・相当期のi)
Eグループ 70期以降(B14・U48以降・相当期のi)

* 春季例大祭

* 秋季例大祭【平成21年10月】

秋冷靖國の森に満つ―靖國神社秋季例大祭は10月18日(日)午前10時、京極高晴宮司のもと、古式ゆかしくいとも蔽かに執り行われた。 快晴のこの日大鳥居の前に着いたのが午前8時10分、すでに参拝客が見え始めていた。見上げる大鳥居は見れば見るほど高い。この第一鳥居は戦友たちの寄進によるもの。高さ25m、重さ100トンもある。震度7の地震にも耐え、風速80mの風にもゆるがないという磐石なものである。
 本殿までの参道はきれいに清掃されていた。すがすがしい。まだあちこちで清掃する姿も見られた。境内では菊花報献会などの菊花展が彩りを添える。昭和31年から始められた菊花展は今年で53回目、首都圏シーズン最初の菊花展。早咲きの大輪が参拝客の眼を楽しませる。能楽堂では勇壮な演武が行われていた。 
 当日祭は国歌斉唱から始まる。演奏は国学院大学吹奏楽部の若者たち。宮司の祝詞、このあと司会者が今年新たに霊璽簿に13柱が加わったと報告、これまで靖國神社の社頭に掲示された戦死者の遺書2通を読みLげる。1通は「魂は再び我が家に帰ります」を残した海軍大尉本井文哉命。本井大尉は昭和20年1月12日中部太平洋ウルシー湾にて戦死、新潟県出身、21歳。ウルシー湾には人間魚雷「回天」を開発した仁科関夫中尉(海兵71期)が一緒に開発し殉職した黒木博司大尉の遺影を乗せて「回天」で特攻死している。 もう1通は陸軍憲兵軍費上田貢命の「愛児に遺す言葉」であった。上田軍曹は弟14方面軍憲兵隊、昭和21年6月6日フィリピン・マニラにて法務死、石川県出身、32歳。軍事裁判は報復裁判であった。「戦争の継続」と言っていい。マニラ裁判の起訴件数は87件、起訴された者237名、絞首刑62名、銃殺刑7名、終身刑33名、有期刑73名、無罪24名、その他38名となっている。本井大尉、上田軍曹の遺書は切々と訴えるものがある。出席者一同の胸に刺さる。

しずしずと神事は進められる、勅使山田掌典の御幣物奉奠、天皇陛下の祭文の奏上、ここ本殿は靖國神社の最も奥まったところ、幕末から大東亜戦争までの英霊246万6千余柱が御祭神として鎮座する。御祭神が今の日本をどう見ておられるのかと、ふと思う。国学院大学フォイエルコール混声合唱団による「鎮魂頌」、「靖國神社の歌」の合唱。靖國の森に若々しい歌声が静かに響く。「尽忠の 雄魂祀る 宮柱 太く燦たり ああ大君の 御拝し給う栄光の宮 靖國神社」と「靖國神社の歌」は歌う。もっと靖國の声に耳を澄ませなければと沈思する。常に思い浮かんでくるのは、一人の戦争未亡人の絶唱「かくばかりみにくき国となりたれば捧げし人のただに惜しまる」の和歌。戦後民主王義は日本人をいやしくも醜くした。その頂点として「政権交代」の名のもとに今回、民主党政権が誕生した。あらためて国のために欣然として自分の命を捨てた人々を神と祀る靖國神社を大事に守っていかねばと決意がわく。
 最後にこの1月急逝した南部利昭宮司の後を受け6月に就任した京極高晴宮司が「創建百四十年を迎えた靖國神社の事業も来年2月完成する相撲場の改修を最後に終わる。南部宮司の意志をついで決意を新たにしているところだ」と決意を述べた,
 「憂国の志燃ゆ靖國社」 悠々 
 なお、翌19日、翌々20日の両日、御創立百四十年記念大祭が、勅使ご参向以外の次第は例大祭と同じく多数が参列して斎行された

(牧内 節男59期 記)