英霊に敬意ー英傑1 of 偕行社

陸軍の英傑たち:明治・大正時代の英傑

大山 巌

・生年:天保13年(1842年)10月10日
・没年:大正5年(1916年)12月10日ooyama-1 001.jpg
・生誕地:鹿児島県鹿児島市加治屋町
・墓所:栃木県那須塩原市下永田1丁目「大山元帥墓所」

* 元帥陸軍大将・公爵。元老の一人。西郷隆盛の従弟。
 征韓論後に下野した西郷らにかわり薩閥首領の地位を占めた。
 渡欧・兵制視察をもとに近代陸軍の建設に尽力。日露戦争時、満州軍総司令官として児玉総参課長ら幕僚を信頼し、責任は自らが負う茫洋たる偉大な将帥であった

児玉 源太郎

・生年:嘉永5年(1852年)閏2月25日
・没年:明治39年(1906年)7月23日kodama-1 001.jpg
・生誕地:山口県周南市
・墓所:東京都府中市・多磨霊園(8区1種17側1番)
* 元陸軍大将・伯爵。
 日露戦争時、満州軍総参謀長として陸軍作戦指揮の中心的役割を果たした。戊辰戦争参加後、兵学寮をへて将校となる。西南戦争では熊本鎮台参謀として熊本城に龍城。その後、ドイツ・メッケル少佐を顧問として、陸軍兵制の近代化を進めた。日清戦争にあっては、大山巌陸軍大臣出征後、陸軍次官兼軍務局長として陸軍軍政全般を取り仕切った。
 第4代台湾総督として台湾の反乱鎮圧後、陸軍大臣、内務大臣、文部大臣を兼任し、軍人としてだけでなく、政治家・経世家としても手腕を発揮した。
 日露戦争直前、前任の田村怡与造急死をうけ、児玉は格下の参謀次長に進んで就任する。開戦後、大山満州軍総司令官の下、総参謀長として黒木為槙、奥保常、乃木希典、野津道貫の4将を束ね、作戦指導に心血を注ぎ、日本を勝利に導いた。
 それから八ヵ月後、参謀総長となって間もなく脳溢血で急逝する。戦勝後の陸軍に児玉源太郎があれば、日本は違う道を歩んだかもしれない。

秋山 好古

・生年:安政6年1月7日
・没年:昭和5年11月4日(72歳)akiyama yoshifuru.jpg
・生誕地:愛媛県松山市(伊予松山藩)
*陸軍士官学校、卒業後陸軍大学校第1期生。
明治20年にフランスに留学し、騎兵を学ぶ。日清戦争で名をあげ、日露戦争では騎兵第1旅団長などを歴任。
第2回万国平和会議に参加。委員会の演説時、鼾をかいて居眠りをして注意されると、「演説の要領はわかりましたよ」と応え、平然としていたという。
大正9年、陸軍の最高幹部の一人である陸軍教育総監兼軍事参事官となる。
弟は、秋山真之(日露戦争時、連合艦隊作戦参謀)

明石元二郎      

・没年:大正8年10月26日     akasi.jpg
・生誕地:福岡県福岡市                    
・墓所:東京都港区愛宕2丁目「青松寺」
    台湾台北県三芝郷店子村「福音山基督教墓園」
* 陸軍大将・男爵。日露戦争時、ヨーロッパで諜報活動に従事し、帝政ロシアを揺さぶった陸軍軍人。開戦と同時にストックホルムを拠点として諜報活動、撹乱工作を展開。ヨーロッパ各地に亡命していたレーニンら反帝政ロシア政府活動家と連絡をとり、武器や資金の提供を行った。
伊藤博文をして「10個師団に相当する」と言わしめた明石の活躍は、日本の勝利に大きく貢献した。当時明石が参謀本部に要求した工作費は100万円(現代価格400億円以上)にのぼる。
晩年、明石は、韓国駐さつ憲兵隊司令官、参謀次長を経て台湾総督兼台湾総督
・ 日露戦争と情報将軍 明石元二郎